1918年、雪の降る師走の朝に、ちひろは三姉妹の長女として生まれた。
いわさきちひろの、Wikipedia の、人物紹介の1行目。
「雪の降る」なんて、筆者は、どうしてそこまで、書いたのでしょう。
何がそうさせたのか、知りたいところです。
下の絵は、いわさきちひろの絵。
「おにたのぼうし」の挿絵(さしえ)の1つ。

大好きな絵です。
花の森公園から動けず ~佐世保市~ 今日は節分、追われた鬼はどこに・・。 他 (2012/2/3)
彼女は、子供の絵を描いた。
絵に不思議な力があって、どれを見ても、子供が愛(いと)おしくなってくる。
武生(たけふ)の町に、「ちひろの生まれた家」があった。
今日は、そこを見て、武生の古い町並みを歩いた。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
越前市は、福井市の南に。

ここは、越前市の中心街。
※ そうなんだけど、地元の人は、旧武生市と思っている人が、多いよう。
合併して越前市になったが、市民の声が生かされなかったという経緯がある。
法的に決め直せるのなら、そうせばいい。 (越前町・南越前町も不満だし)
そんなことで、武生の町並みを歩くとした。 (マップルの情報誌も、武生で紹介)

ちひろの生れた家 記念館。 ※ 近くに、駐車場がある。
1918年に、この家で、いわさきちひろは生まれた。
家の基本は、昔のまま。 2階の低い、町屋風。

女性の方が、案内してくれた。 入館料、200円。
中は、改築されている。 壁に、絵が展示されている。
※ 入って、正面からの写真を、撮り忘れた。 正面から撮ると、右の写真。(BIGLOBEから、お借り)
左に、入り口。 右奥に、通路。 右手前は、部屋。
いわさきちひろは、こんな人。 笑顔の人。 ※ 最後に紹介するお孫さんも、笑顔の人。
正面上に、赤い帽子の絵。 赤い帽子も。

赤い毛糸帽の女の子。 よく知られ、また親しまれている絵。 人気も高い。
「ゆきのひのたんじょうび」と云う絵本の中の絵。
彼女は、お母さんから、
「しんしんと雪の降り積もる日に生まれた」、と聞かされていた。
だから、この絵は、彼女自身。
この作品があるために、Wikipedia の紹介が、
1918年、雪の降る師走の朝に、ちひろは三姉妹の長女として生まれた。
となった。 正面から見たら、こんな絵。 表紙。
ほんのりと笑顔で、うれしそう。 理由は、右を読むと分かります。 こんな感じのお話。面白い。

この奥の離れに、彼女の母親、岩崎文江は、住んでいた。
当時の部屋は、今はないけど。
右の部屋は、昔の雰囲気に。 ちょっとした家具が、高級そう。 武生は、家具(タンス)の町でも。
家全体は、古い柱を残して、改築。 2階から。
左は、ぶどうを持つ少女。
真ん中は、立てひざの少年。
こんな写真を、どこかで見た。 1人息子の、猛さん。 同じポーズ。 (最後に紹介する、春野さんは、この人の子供かな)

絵は本物ではなく、リトグラフの作品。 そう、説明していただいた。
版画に似ている。 緻密(ちみつ)。 本物そっくり。
左の絵は、はなぐるま。

2階の廊下は、資料室。 右に部屋。

中央に、母の岩崎文江がいる。 現在の奈良女子大の、1期生。
しゃきっとした、いい表情。 彼女は、スポーツ万能だったよう。
元々、文江は、長野県の松本の人。
武生には、教師として、6年間いることになる。
6年目の、12月15日に、ちひろを生む。
次の年の3月に、武生を離れる。 ちひろを抱いて、東京へ。

※ 余談 上の文に、母の文江は、松本高等女学校を出たとある。
東洋のマタハリと言われた、川島芳子も、この学校。
文江より、10年ほど早くに。 浅間温泉から、馬で通った。
松本城は黒かった。 あゝ野麦峠の山本茂実 男装の麗人川島芳子 他 (2010/6/23)
2階の踊り場に。

1階。 奥への途中。 商品。
※ そういえば昔、ちひろのカレンダーを教室に下げることが、多かった。
一休みして、本を読んだりできる。
奥に小さな庭があって、その向こうに離れがあった。 母はそこに住んだ。
来たのは、ちひろが生まれる3ヶ月ほど前の、9月。
それまでは、寄宿舎にいた。 学生を監督する立場で。

左端が、文江。 ヘアスタイルを変えたら、感じよくなる。
右の写真。 〇が、いわさきちひろ。 聡明と分かる。 子供の表情を、越えている。
井戸。 産湯(うぶゆ)はこの水ですねって、説明の方が。
年表。 彼女の人生は、いそがしい。 55さいで、なくなる。
後、10年でも生きていたら、どれだけの絵を描いたでしょう。 詳しくは、ここに。(Wikipedia)

説明していただいたのは、この方。 素敵な方。
※ 観光協会から、派遣されていたんだったかな。
箱階段の上の、赤い帽子と手袋は、誰が編んだか聞かなかった。
もしかしたら彼女かなって、後で、思ったんだが・・。

最初の写真には、自転車があった。 じゃまでしたねと、移動してくれた。
それで、記念に1枚。

上の石碑の文は、読みにくい。(石の材質の関係) だいたい、書いた内容です。
映画になっているんですね。 予告編。
※ 彼女の周りにいる人は、私の好きな人ばかり。
駐車場を使わせてもらって、町並みを歩くことに。
左に見える広い一角を、蔵の辻と呼んでる。
この交差点が、古くから、武生の中心の交差点のよう。 それで、ここが辻。 説明もあった。
向こう隣の家に、「うだつ」が見える。
そで壁の感じ。 時々、出会った。 うだつについては、下のブログに。
うだつの町並みの元祖 脇町を歩く ~美馬市脇町~ 他 (2010/12/26)

お店です。 いい感じ。

車道から入り込んだところに、白壁の家並みがあった。

ずっと入って行って、右を見た。 いいですね。

入った突き当りの家。 家が下がっているのがいい。 少し小さく。
家の前の雰囲気もいい。 狭い空間も、工夫次第で、こうなるんですね。
カゴを洗っていた。 何に使うのかな。

武生のこの町並みは、重伝建地区にはなっていない。
町並みの貴重さに気付くのが、20年ほど遅かったかも知れない。
左の方。

花嫁行列。 今度の日曜日。 来るのが、少し早かった。 写真を撮りたい。
昭和の花嫁ちょうちん行列 (馬曲温泉開湯30周年記念)~木島平村~ 阿弥陀堂 他 (2012/10/27)

この道を通り抜けて行く。

エンジェル・トランペット。
こんな小路の奥に、小さな雑貨屋があっても面白い。 歩きたくなる道にして。

振り返って。 左には、コイ。

紫式部の石碑。
降り積みていとむつかしき雪を、掻き捨てて山のやうにしなしたるに、人々登りて、「猶、これ出でて見給へ」といへば
ふる里に帰る山路のそれならば心や行(ゆく)とゆきも見てまし
(都に帰る途中の「かへる山」の雪ならば、心も晴れるだろうかと出ていって見るでしょう。)
※ 解釈は、このサイトに。 紫式部と、武生。

宇治を歩く。 興聖寺。 宇治上神社。 三室戸寺。 宇治十帖。~宇治市~ 他 (2014/4/26)
※ 式部の父は、国司として、越前にやってきた。 式部も一緒に。
律令時代、越前の中心は、武生だった。
柴田勝家が、今の福井市に、北ノ庄城を作ってから、越前の中心はそっちになる。
(北ノ庄城で、浅井3姉妹は育つ。 茶々・初・江)
寺町通りに向かう。 総社大神宮。
この神社には、越前にある神社の神様が、みんなあると書いてある。
式部の父も、ここに来た。
※ 来た時に、神様がみんないなかったら、国中の神社に行かなければならない。
それが大変だから、こうした。

武生の中心の神社。 昔は、越前の中心。

寺町通りです。 昔栄えた町は、寺が多い。

このように、寺。

面白いことが書いてないかなって、読む。
あった。 妙覚寺。 この寺の本山。 京都の、御所の少し北にある。
本能寺の変があったが、あの時、信長は本能寺に。
長男の信忠は、妙覚寺にいた。(今の場所とは違う)
本能寺に向かったが、明智軍に反撃されて、二条城に逃げる。
どうしようもなく、切腹。
亀岡市から、明智越を通って、水尾へ。 保津川沿いの風景。~亀岡市~ 他 (2014/4/27)
寺は、戦いにも使われた。 兵の宿泊場所とかにも。 だから、敵は焼きたくなる。

引接寺(いんじょうじ)。 大きい。

山門の彫り物が、見事。

羅漢像ですね。

石大仏堂。 高さ4㍍の石仏。 反射して、顔だけ。 全体は、こう。

寺の横に、幼稚園。 この建物は、旧福井県警察部庁舎。 そう書いてあった。 屋根に望楼。 眺める。

この道を歩いて、突き当りを右に。

渡辺洪基という人は、東大の初代総長。 政治家でも。
タンス町通りに、向かう

宮崎童安は、詩人。 初めて見る。 1つ紹介。
必然に従う
生命の必然に随(したが)って動く その良さを知った
花がひらくように 雲が動くように 水が流れるように
私は私の生命の 必然に従おう
私の必然は、何なんだろう。
タンス町通りに入った。

向こうから来た。

越前タンスとある。 鉄製金具や漆塗りで装飾されるのが大きな特徴のよう。 重厚な感じ。
たとえば、こんなの。 越前武生の箪笥(タンス)。

こんな説明。 下は店で、作業場は2階のよう。

武生は、2日に分けて見学してもよかった。
2日目に、町並みと菊人形。 菊人形は、別の機会に。
8号線が近いから、来易い。 新しい道の駅もあるし。 花嫁行列の日がいいかな。
いわさきちひろは、ここで生まれて、いたのは3ヶ月ほど。
でも、生まれた地の重さは、大きい。
※ 逸話 ちひろの息子さんの猛さんは、生まれた後、事情があって、安曇野にいた ちひろの両親に預けられた。
ちひろさんは、乳が張った。 それで、近所の子に飲ませた。 その子は、三宅裕司。(Wikipedia)
【その他】 下の動画は、松本春野さん。 いわさきちひろさんの、お孫さん。 猛さんの子。 絵本作家。
笑顔が素敵。 ※ ちひろさんの本名は、岩崎知弘。 結婚して、松本知弘。
下のポスターの絵も、松本春野さん。 (アマゾンから、お借り)
おばあちゃんの影響を受けている感じ。 真似でなく、本質の部分。
右の題字も、彼女が。 みんな好きな俳優。
※ 対談 山田洋次×松本春野 映画と絵本の『おとうと』を語る
【道の駅】 若狭おばま

【今後の予定】 町並みを歩く。 海沿いもいい。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
【ランキング】 国内旅行、1位。 旅行全体で、1位です。
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いわさきちひろの、Wikipedia の、人物紹介の1行目。
「雪の降る」なんて、筆者は、どうしてそこまで、書いたのでしょう。
何がそうさせたのか、知りたいところです。
下の絵は、いわさきちひろの絵。
「おにたのぼうし」の挿絵(さしえ)の1つ。

大好きな絵です。
花の森公園から動けず ~佐世保市~ 今日は節分、追われた鬼はどこに・・。 他 (2012/2/3)
彼女は、子供の絵を描いた。
絵に不思議な力があって、どれを見ても、子供が愛(いと)おしくなってくる。
武生(たけふ)の町に、「ちひろの生まれた家」があった。
今日は、そこを見て、武生の古い町並みを歩いた。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。

( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
越前市は、福井市の南に。

ここは、越前市の中心街。
※ そうなんだけど、地元の人は、旧武生市と思っている人が、多いよう。
合併して越前市になったが、市民の声が生かされなかったという経緯がある。
法的に決め直せるのなら、そうせばいい。 (越前町・南越前町も不満だし)
そんなことで、武生の町並みを歩くとした。 (マップルの情報誌も、武生で紹介)

ちひろの生れた家 記念館。 ※ 近くに、駐車場がある。
1918年に、この家で、いわさきちひろは生まれた。
家の基本は、昔のまま。 2階の低い、町屋風。

女性の方が、案内してくれた。 入館料、200円。
中は、改築されている。 壁に、絵が展示されている。
※ 入って、正面からの写真を、撮り忘れた。 正面から撮ると、右の写真。(BIGLOBEから、お借り)


左に、入り口。 右奥に、通路。 右手前は、部屋。
いわさきちひろは、こんな人。 笑顔の人。 ※ 最後に紹介するお孫さんも、笑顔の人。
正面上に、赤い帽子の絵。 赤い帽子も。


赤い毛糸帽の女の子。 よく知られ、また親しまれている絵。 人気も高い。
「ゆきのひのたんじょうび」と云う絵本の中の絵。
彼女は、お母さんから、
「しんしんと雪の降り積もる日に生まれた」、と聞かされていた。
だから、この絵は、彼女自身。
この作品があるために、Wikipedia の紹介が、
1918年、雪の降る師走の朝に、ちひろは三姉妹の長女として生まれた。
となった。 正面から見たら、こんな絵。 表紙。
ほんのりと笑顔で、うれしそう。 理由は、右を読むと分かります。 こんな感じのお話。面白い。

この奥の離れに、彼女の母親、岩崎文江は、住んでいた。
当時の部屋は、今はないけど。
右の部屋は、昔の雰囲気に。 ちょっとした家具が、高級そう。 武生は、家具(タンス)の町でも。


家全体は、古い柱を残して、改築。 2階から。
左は、ぶどうを持つ少女。
真ん中は、立てひざの少年。
こんな写真を、どこかで見た。 1人息子の、猛さん。 同じポーズ。 (最後に紹介する、春野さんは、この人の子供かな)

絵は本物ではなく、リトグラフの作品。 そう、説明していただいた。
版画に似ている。 緻密(ちみつ)。 本物そっくり。
左の絵は、はなぐるま。

2階の廊下は、資料室。 右に部屋。


中央に、母の岩崎文江がいる。 現在の奈良女子大の、1期生。
しゃきっとした、いい表情。 彼女は、スポーツ万能だったよう。
元々、文江は、長野県の松本の人。
武生には、教師として、6年間いることになる。
6年目の、12月15日に、ちひろを生む。
次の年の3月に、武生を離れる。 ちひろを抱いて、東京へ。


※ 余談 上の文に、母の文江は、松本高等女学校を出たとある。
東洋のマタハリと言われた、川島芳子も、この学校。
文江より、10年ほど早くに。 浅間温泉から、馬で通った。
松本城は黒かった。 あゝ野麦峠の山本茂実 男装の麗人川島芳子 他 (2010/6/23)
2階の踊り場に。


1階。 奥への途中。 商品。
※ そういえば昔、ちひろのカレンダーを教室に下げることが、多かった。
一休みして、本を読んだりできる。
奥に小さな庭があって、その向こうに離れがあった。 母はそこに住んだ。
来たのは、ちひろが生まれる3ヶ月ほど前の、9月。
それまでは、寄宿舎にいた。 学生を監督する立場で。


左端が、文江。 ヘアスタイルを変えたら、感じよくなる。
右の写真。 〇が、いわさきちひろ。 聡明と分かる。 子供の表情を、越えている。



井戸。 産湯(うぶゆ)はこの水ですねって、説明の方が。
年表。 彼女の人生は、いそがしい。 55さいで、なくなる。
後、10年でも生きていたら、どれだけの絵を描いたでしょう。 詳しくは、ここに。(Wikipedia)


説明していただいたのは、この方。 素敵な方。
※ 観光協会から、派遣されていたんだったかな。
箱階段の上の、赤い帽子と手袋は、誰が編んだか聞かなかった。
もしかしたら彼女かなって、後で、思ったんだが・・。

最初の写真には、自転車があった。 じゃまでしたねと、移動してくれた。
それで、記念に1枚。


上の石碑の文は、読みにくい。(石の材質の関係) だいたい、書いた内容です。
映画になっているんですね。 予告編。
※ 彼女の周りにいる人は、私の好きな人ばかり。
駐車場を使わせてもらって、町並みを歩くことに。
左に見える広い一角を、蔵の辻と呼んでる。
この交差点が、古くから、武生の中心の交差点のよう。 それで、ここが辻。 説明もあった。
向こう隣の家に、「うだつ」が見える。
そで壁の感じ。 時々、出会った。 うだつについては、下のブログに。
うだつの町並みの元祖 脇町を歩く ~美馬市脇町~ 他 (2010/12/26)

お店です。 いい感じ。


車道から入り込んだところに、白壁の家並みがあった。


ずっと入って行って、右を見た。 いいですね。

入った突き当りの家。 家が下がっているのがいい。 少し小さく。
家の前の雰囲気もいい。 狭い空間も、工夫次第で、こうなるんですね。
カゴを洗っていた。 何に使うのかな。


武生のこの町並みは、重伝建地区にはなっていない。
町並みの貴重さに気付くのが、20年ほど遅かったかも知れない。
左の方。

花嫁行列。 今度の日曜日。 来るのが、少し早かった。 写真を撮りたい。
昭和の花嫁ちょうちん行列 (馬曲温泉開湯30周年記念)~木島平村~ 阿弥陀堂 他 (2012/10/27)


この道を通り抜けて行く。

エンジェル・トランペット。
こんな小路の奥に、小さな雑貨屋があっても面白い。 歩きたくなる道にして。


振り返って。 左には、コイ。


紫式部の石碑。
降り積みていとむつかしき雪を、掻き捨てて山のやうにしなしたるに、人々登りて、「猶、これ出でて見給へ」といへば
ふる里に帰る山路のそれならば心や行(ゆく)とゆきも見てまし
(都に帰る途中の「かへる山」の雪ならば、心も晴れるだろうかと出ていって見るでしょう。)
※ 解釈は、このサイトに。 紫式部と、武生。

宇治を歩く。 興聖寺。 宇治上神社。 三室戸寺。 宇治十帖。~宇治市~ 他 (2014/4/26)
※ 式部の父は、国司として、越前にやってきた。 式部も一緒に。
律令時代、越前の中心は、武生だった。
柴田勝家が、今の福井市に、北ノ庄城を作ってから、越前の中心はそっちになる。
(北ノ庄城で、浅井3姉妹は育つ。 茶々・初・江)
寺町通りに向かう。 総社大神宮。
この神社には、越前にある神社の神様が、みんなあると書いてある。
式部の父も、ここに来た。
※ 来た時に、神様がみんないなかったら、国中の神社に行かなければならない。
それが大変だから、こうした。


武生の中心の神社。 昔は、越前の中心。

寺町通りです。 昔栄えた町は、寺が多い。


このように、寺。

面白いことが書いてないかなって、読む。
あった。 妙覚寺。 この寺の本山。 京都の、御所の少し北にある。
本能寺の変があったが、あの時、信長は本能寺に。
長男の信忠は、妙覚寺にいた。(今の場所とは違う)
本能寺に向かったが、明智軍に反撃されて、二条城に逃げる。
どうしようもなく、切腹。
亀岡市から、明智越を通って、水尾へ。 保津川沿いの風景。~亀岡市~ 他 (2014/4/27)
寺は、戦いにも使われた。 兵の宿泊場所とかにも。 だから、敵は焼きたくなる。


引接寺(いんじょうじ)。 大きい。

山門の彫り物が、見事。

羅漢像ですね。



石大仏堂。 高さ4㍍の石仏。 反射して、顔だけ。 全体は、こう。


寺の横に、幼稚園。 この建物は、旧福井県警察部庁舎。 そう書いてあった。 屋根に望楼。 眺める。

この道を歩いて、突き当りを右に。


渡辺洪基という人は、東大の初代総長。 政治家でも。
タンス町通りに、向かう


宮崎童安は、詩人。 初めて見る。 1つ紹介。
必然に従う
生命の必然に随(したが)って動く その良さを知った
花がひらくように 雲が動くように 水が流れるように
私は私の生命の 必然に従おう
私の必然は、何なんだろう。
タンス町通りに入った。


向こうから来た。

越前タンスとある。 鉄製金具や漆塗りで装飾されるのが大きな特徴のよう。 重厚な感じ。
たとえば、こんなの。 越前武生の箪笥(タンス)。

こんな説明。 下は店で、作業場は2階のよう。


武生は、2日に分けて見学してもよかった。
2日目に、町並みと菊人形。 菊人形は、別の機会に。
8号線が近いから、来易い。 新しい道の駅もあるし。 花嫁行列の日がいいかな。
いわさきちひろは、ここで生まれて、いたのは3ヶ月ほど。
でも、生まれた地の重さは、大きい。
※ 逸話 ちひろの息子さんの猛さんは、生まれた後、事情があって、安曇野にいた ちひろの両親に預けられた。
ちひろさんは、乳が張った。 それで、近所の子に飲ませた。 その子は、三宅裕司。(Wikipedia)
【その他】 下の動画は、松本春野さん。 いわさきちひろさんの、お孫さん。 猛さんの子。 絵本作家。
笑顔が素敵。 ※ ちひろさんの本名は、岩崎知弘。 結婚して、松本知弘。
下のポスターの絵も、松本春野さん。 (アマゾンから、お借り)
おばあちゃんの影響を受けている感じ。 真似でなく、本質の部分。
右の題字も、彼女が。 みんな好きな俳優。


※ 対談 山田洋次×松本春野 映画と絵本の『おとうと』を語る
【道の駅】 若狭おばま

【今後の予定】 町並みを歩く。 海沿いもいい。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

【ランキング】 国内旅行、1位。 旅行全体で、1位です。
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