若狭(わかさ)で獲れた鯖(さば)に、塩をして、背負う。
京まで運ぶ。
最短ルートは、針畑(はりはた)越え。 18里。 72㌔。
峠を越え、貴船を通って、出町柳に。
夜通し歩いて届けると、ちょうどいい味になった。
上の道が、古い時代の、メインの鯖街道。
※ 峠近くの山深くに、古い道が、今も残っている。
一昨年、歩いた。
その起点は、小浜(おばま)市に。
今日、行ってみた。
浅井(あざい)3姉妹の真ん中は、初。
京極高次に嫁ぐ。
彼が造った城が、小浜城。
その後、酒井忠勝が、受け継ぐ。
大きな城だったが、今は、天守の近くの石垣しか、残っていなかった。
江戸時代の終わりまで、あった城なのに。
不自然。
調べたら、歴史にあることが、隠されていた。
初(はつ)には、関係なく。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
この一帯は、若狭と呼ばれた。 海は、好漁場。 暖流と寒流がぶつかる。

今日行くところ。 左下は、常高寺。 初の墓がある。 前回行っている。

市役所に近い、大きな店が集まってる駐車場に、車を。
鯖街道の起点がある、いづみ町に向かった。
古い感じの家が、時々ある。
この人は、酒井忠勝の、ずっと下の弟。 酒井忠勝は、大物。
※ 酒井忠勝は長男。
直ぐ下の弟は、忠吉。 忠吉の孫が、忠臣蔵の、吉良上野介。 討ち入りで、首を刎(は)ねられる。

市役所前。 酒井忠勝像。
よく書いてある。 老中で、家光とかに仕えるが、それは完璧。
ところが、・・・。 作家の水上勉が、ある指摘をする。

見たことないけど、この町が舞台。
右は、この町も、第九を歌う。 今は、いろんな町が歌ってる。
※ 松本市が歌い始めて、全国に広まる。
※ 日本で最初に歌われた町は、鳴門市大麻町。
第九のふるさとは、板東俘虜収容所だった ~映画バルトの楽園の舞台に 鳴門市大麻町~ 他 (2010/12/8)

市役所から数分で着いたけど、少し寂しい。 鯖街道起点とある。

大型の観光施設が、港にできた。
それで、こうなったのか。 開いてる店は、数軒。

色紙があるから、にぎわった時代があった。
へしこが、小浜の名物のよう。 鯖(さば)の糠漬け。
身が締まっている。 はしで、ちぎれない。
スーパーで、1切れ買って食べた。 しょっぱいけど、美味しい。 体には、きびしい。

この食堂はやっている。 ※ どこで切って読んでもいい。

鯖街道資料館があった。

地図があった。 左の方は、重伝建地区。 古い町並み。 前回見学。
常高寺が見える。
初の墓がある。(2年前に撮影) 初は、夫の京極高次が亡くなった後、出家した。 常高院に。
※ 京極家が、国替えになっても、墓を移さないように、生前に決めていた。
初は、小浜が好きだった。

いくつもの、鯖街道があった。 最短が、18里。
大きな道は、若狭街道。 琵琶湖に近い道。 大原に出て、南下。
最短のが、鞍馬を通る。 周山道路は、高尾を抜けて、京都の中心街に。

最短の針畑越え。 大きな峠。
小浜側は、遠敷(おにゅう)。 京都側は、小入(おにゅう)谷。
どっちも、おにゅう。
※ 少し前、針畑越えに沿って、林道が出来た。
林道の峠は、針畑越えから、少し離れた。
※ ここで、問題。
林道の峠の名前は、何にしたでしょう。
ヒント・・・遠敷でしょうか、小入でしょうか、それとも。 答えは、写真の下に。
家康も越えていた。 1570年、朝倉攻めに失敗し、京に戻るとき。
※ 答えは、ひらがなで、おにゅう峠。 これなら、もめない。
一昨年、針畑越えと、おにゅう峠の近くまで行ったけど、戻った。
鯖街道、根来~針畑越えルートを歩く ~小浜市~ 夏が来る( 大黒摩季) 他 (2012/5/27)
※ 上の道は、鞍馬を通る。
貴船もみじ灯篭。 和泉式部恋の道。 牛若丸 修行の地、鞍馬寺。~京都市~ 他 (2012/11/21)
峠越えも、天秤棒の場合も。 坂道の天秤棒は、大変かな。
サバは美味しい。 お寿司屋さんでは、サバ、イワシ、サンマ、そればっかり。

昔は、釣っていた。 鯖は、運ばれたものの代表。 大陸からの文化は、小浜に入った。
裏日本、表日本の表現は、使われなくなってきた。 ※ 山陰もかな。
京都に行って、手ぶらでは帰ってこない。 京都の文化を、運んだ。

※ 上の右の文。 丹波篠山に行く、鯖街道もあった。
古い商家が残る町、丹波篠山 ~篠山市~ 他 (2011/6/27)
戻る。

菊の花があった。 京都に行ったら、嵯峨菊が見られる。

港に行った。 湾の向こうに、古い町並み。 そして、初の墓。
江戸の風情香る、三丁町 お初が弔われている、常高寺 ~小浜市~ 金と銀(レハール) 他 (2012/5/24)

久須夜ヶ岳。(くすやがだけ)。 あの向こうに、蘇洞門(そとも)がある。
※ 一昨年、山に向かった。 通行止め。 歩いて行ったが、歩くのも、通行止めに。
久須夜ヶ岳は、途中までしか行けなかった。~小浜市~ マサチューセッツ(ビージーズ) 他 (2012/5/26)

港に、食文化館があった。 こうやって、運んだ。
※ 草鞋(わらじ)1足で、何㌔歩けるかは、はっきりしない。
ただ、10㌔以上は、歩けたよう。 引きずらない、歩き方か。 思っていたより、丈夫。

面白いものがあった。

前回のブログでも、妙覚寺が。 本能寺の変の時、信長の長男の信忠がいた寺。
高級料理。 家康は、信長は信用していた。 秀吉には、用心深く。
安土城跡は、信長の夢の跡。 安土城天主、信長の館。~近江八幡市~ 他 (2013/6/21)
3つの鯖街道。 78㌔を、一気に歩けるのは、すごい脚力。
私の最長は、1日、46㌔。 やっとこ。 十勝岳から、旭川の姉に家まで。
一番上の周山道路(国道162)は、高雄を通って、錦市場に行っている。
神護寺 高山寺 京都御所 ~京都市~ 他 (2011/11/20)
錦小路、新京極を歩く。 京都は、あと1日かな。~京都市~ Forever Love (X-Japan) 他 (2012/6/20)
一番下の若狭街道は、出町柳に。 ここで、高野川と加茂川が合流して、鴨川に。
鴨川 ~京都市~ 他 (2010/11/21)
私は、なれずしを食べたことがない。 サンマのもある。(十津川村から新十津川町に伝わる)
蒸鰈は、むしかれい。 でも、右上が、読めない。

海の直ぐ近くに、湧水。 雲城(うんじょう)水。 不思議だな~。 しょっぱくないのが。

小浜城跡に行く。 港に停めて、歩く。

石垣が残っている。

城跡には、神社。 曲がったら、正面。 祠(ほこら)があった。

娘を、人柱だって。
ひどいことをする。 娘の命を守るために、親が命を捨てるのなら分かるが。

※ 小浜城には、再建計画がある。 郡上八幡城のように、木造で再建できればいい。
そうしたら、復元したと言っていい。
思い出した。 郡上八幡城でも、人柱があった。 幽霊が出た。(これなら、出会ってみたい)
水と踊りの城下町、郡上八幡。~郡上市~ 他 (2013/5/5)
天守のあったところに、登った。

京極高次の後は、酒井忠勝。

東方面。 道の駅は、向こうに。

久須ヶ夜岳。

北方面。 囲まれた石垣の、内部から。

能舞台かな。 中に、大河ドラマの「江(ごう)」のポスターがあった。
初には、子がいなかった。 江の子を育てている。
城跡が残っているのは、全体のほんの一部。

小浜城は、大事にされなかった時代があるように、感じる。
今は、観光に利用できるので、復元を言ってるけど。
調べてみたら、作家の水上勉(みなかみつとむ)が、こう言っている。(Wikipedia) ※ 水上は、みずかみでもいい。
「めったに国に帰らないのに城だけは作らせた」
「百姓の血汗を絞って作った小浜城」
誰のことを言ってるかというと、酒井忠勝。 老中だったから、江戸にほとんどいた。
こんなことがあって、言った。
小浜城を作る際に、若狭の百姓にだけ、多い年貢を取り立てた。
これに抗議した庄屋がいた。 松木庄左衛門。
酒井忠勝は処刑した。
このことがあったために、明治の小浜の人たちは、城への愛着が小さく、大事にしなかったのでは、と想像。
詳しくは、ここに。
命を捨てて、人々を救った人を、義民と呼ぶ。
人々は、義民を、後の世まで、決して忘れない。
庄左衛門を祀った、松木神社もある。(10㌔程東に。 処刑された地の近く)
城の、北東の角。

最後に、正面から、小浜神社。 酒井忠勝を祀っている。

小浜市に行ったら、新鮮な幸が、安く食べられる。
それが広まったら、小浜の魅力は大きい。
食べた後は、古い町並みを見て、蘇洞門(そとも)巡り。 ※ 観光船がある。
鯖街道の起点がある。 3姉妹の、初もいる。
観光資源は、そろっている。
そういえば、道の駅に、オバマ大統領の、実物大のパネルがあった。
【ブログ紹介】 近くのものを。
若狭の秀峰、青葉山に登る。 下山後、雷と土砂降り。~高浜町~ 学生時代(ペギー葉山) 他 (2012/5/29)
名勝高浜八穴 大飯原発 ~高浜町・おおい町~ ラ・ノビア(ジュリー・ロジャース) 他 (2012/5/28)
瓜割の滝 若狭と近江の国境にある、熊川宿を歩く。~若狭町~ M(PRINCESS PRINCESS) 他 (2012/5/25)
石段の上に荘厳に佇む、国宝明通寺三重塔 ~小浜市~ 北朝鮮の子供たちのギター演奏 他 (2012/5/23)
【今日の歌】 大連の街から
前回のブログの、いわさきちひろは、望まぬ結婚で大連に渡っている。
夫の自殺で、戻ってくる。 この時代の写真は、1枚もないそう。
昭和14年から15年にかけて。 (※ 当時の航路は、門司経由の大阪からだったかな。)
下のようには、思い出の地に、ならなかった。
【今後の予定】 下のが終わったら、京都に向かう。 鞍馬を抜ける道でかな。 通れたら。
水上勉の生家跡の場所を知りたい。 ネット上には、ない。
印の所から、歩ける場所。

山を越えて、蘇洞門(そとも)に行きたい。
標高差600㍍を下って、戻ってくる。 きびしいけど。

正明寺にも。 義民、松木庄左衛門の墓がある。 彼に感謝して。

※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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京まで運ぶ。
最短ルートは、針畑(はりはた)越え。 18里。 72㌔。
峠を越え、貴船を通って、出町柳に。
夜通し歩いて届けると、ちょうどいい味になった。
上の道が、古い時代の、メインの鯖街道。
※ 峠近くの山深くに、古い道が、今も残っている。
一昨年、歩いた。
その起点は、小浜(おばま)市に。
今日、行ってみた。
浅井(あざい)3姉妹の真ん中は、初。
京極高次に嫁ぐ。
彼が造った城が、小浜城。
その後、酒井忠勝が、受け継ぐ。
大きな城だったが、今は、天守の近くの石垣しか、残っていなかった。
江戸時代の終わりまで、あった城なのに。
不自然。
調べたら、歴史にあることが、隠されていた。
初(はつ)には、関係なく。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。

( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
この一帯は、若狭と呼ばれた。 海は、好漁場。 暖流と寒流がぶつかる。

今日行くところ。 左下は、常高寺。 初の墓がある。 前回行っている。

市役所に近い、大きな店が集まってる駐車場に、車を。
鯖街道の起点がある、いづみ町に向かった。
古い感じの家が、時々ある。
この人は、酒井忠勝の、ずっと下の弟。 酒井忠勝は、大物。
※ 酒井忠勝は長男。
直ぐ下の弟は、忠吉。 忠吉の孫が、忠臣蔵の、吉良上野介。 討ち入りで、首を刎(は)ねられる。


市役所前。 酒井忠勝像。
よく書いてある。 老中で、家光とかに仕えるが、それは完璧。
ところが、・・・。 作家の水上勉が、ある指摘をする。


見たことないけど、この町が舞台。
右は、この町も、第九を歌う。 今は、いろんな町が歌ってる。
※ 松本市が歌い始めて、全国に広まる。
※ 日本で最初に歌われた町は、鳴門市大麻町。
第九のふるさとは、板東俘虜収容所だった ~映画バルトの楽園の舞台に 鳴門市大麻町~ 他 (2010/12/8)


市役所から数分で着いたけど、少し寂しい。 鯖街道起点とある。


大型の観光施設が、港にできた。
それで、こうなったのか。 開いてる店は、数軒。

色紙があるから、にぎわった時代があった。
へしこが、小浜の名物のよう。 鯖(さば)の糠漬け。
身が締まっている。 はしで、ちぎれない。
スーパーで、1切れ買って食べた。 しょっぱいけど、美味しい。 体には、きびしい。

この食堂はやっている。 ※ どこで切って読んでもいい。

鯖街道資料館があった。


地図があった。 左の方は、重伝建地区。 古い町並み。 前回見学。
常高寺が見える。
初の墓がある。(2年前に撮影) 初は、夫の京極高次が亡くなった後、出家した。 常高院に。
※ 京極家が、国替えになっても、墓を移さないように、生前に決めていた。
初は、小浜が好きだった。


いくつもの、鯖街道があった。 最短が、18里。
大きな道は、若狭街道。 琵琶湖に近い道。 大原に出て、南下。
最短のが、鞍馬を通る。 周山道路は、高尾を抜けて、京都の中心街に。



最短の針畑越え。 大きな峠。
小浜側は、遠敷(おにゅう)。 京都側は、小入(おにゅう)谷。
どっちも、おにゅう。
※ 少し前、針畑越えに沿って、林道が出来た。
林道の峠は、針畑越えから、少し離れた。
※ ここで、問題。
林道の峠の名前は、何にしたでしょう。
ヒント・・・遠敷でしょうか、小入でしょうか、それとも。 答えは、写真の下に。
家康も越えていた。 1570年、朝倉攻めに失敗し、京に戻るとき。


※ 答えは、ひらがなで、おにゅう峠。 これなら、もめない。
一昨年、針畑越えと、おにゅう峠の近くまで行ったけど、戻った。
鯖街道、根来~針畑越えルートを歩く ~小浜市~ 夏が来る( 大黒摩季) 他 (2012/5/27)
※ 上の道は、鞍馬を通る。
貴船もみじ灯篭。 和泉式部恋の道。 牛若丸 修行の地、鞍馬寺。~京都市~ 他 (2012/11/21)
峠越えも、天秤棒の場合も。 坂道の天秤棒は、大変かな。
サバは美味しい。 お寿司屋さんでは、サバ、イワシ、サンマ、そればっかり。



昔は、釣っていた。 鯖は、運ばれたものの代表。 大陸からの文化は、小浜に入った。
裏日本、表日本の表現は、使われなくなってきた。 ※ 山陰もかな。
京都に行って、手ぶらでは帰ってこない。 京都の文化を、運んだ。


※ 上の右の文。 丹波篠山に行く、鯖街道もあった。
古い商家が残る町、丹波篠山 ~篠山市~ 他 (2011/6/27)
戻る。

菊の花があった。 京都に行ったら、嵯峨菊が見られる。




港に行った。 湾の向こうに、古い町並み。 そして、初の墓。
江戸の風情香る、三丁町 お初が弔われている、常高寺 ~小浜市~ 金と銀(レハール) 他 (2012/5/24)

久須夜ヶ岳。(くすやがだけ)。 あの向こうに、蘇洞門(そとも)がある。
※ 一昨年、山に向かった。 通行止め。 歩いて行ったが、歩くのも、通行止めに。
久須夜ヶ岳は、途中までしか行けなかった。~小浜市~ マサチューセッツ(ビージーズ) 他 (2012/5/26)

港に、食文化館があった。 こうやって、運んだ。
※ 草鞋(わらじ)1足で、何㌔歩けるかは、はっきりしない。
ただ、10㌔以上は、歩けたよう。 引きずらない、歩き方か。 思っていたより、丈夫。


面白いものがあった。

前回のブログでも、妙覚寺が。 本能寺の変の時、信長の長男の信忠がいた寺。
高級料理。 家康は、信長は信用していた。 秀吉には、用心深く。
安土城跡は、信長の夢の跡。 安土城天主、信長の館。~近江八幡市~ 他 (2013/6/21)


3つの鯖街道。 78㌔を、一気に歩けるのは、すごい脚力。
私の最長は、1日、46㌔。 やっとこ。 十勝岳から、旭川の姉に家まで。
一番上の周山道路(国道162)は、高雄を通って、錦市場に行っている。
神護寺 高山寺 京都御所 ~京都市~ 他 (2011/11/20)
錦小路、新京極を歩く。 京都は、あと1日かな。~京都市~ Forever Love (X-Japan) 他 (2012/6/20)
一番下の若狭街道は、出町柳に。 ここで、高野川と加茂川が合流して、鴨川に。
鴨川 ~京都市~ 他 (2010/11/21)



私は、なれずしを食べたことがない。 サンマのもある。(十津川村から新十津川町に伝わる)
蒸鰈は、むしかれい。 でも、右上が、読めない。


海の直ぐ近くに、湧水。 雲城(うんじょう)水。 不思議だな~。 しょっぱくないのが。

小浜城跡に行く。 港に停めて、歩く。

石垣が残っている。


城跡には、神社。 曲がったら、正面。 祠(ほこら)があった。

娘を、人柱だって。
ひどいことをする。 娘の命を守るために、親が命を捨てるのなら分かるが。



※ 小浜城には、再建計画がある。 郡上八幡城のように、木造で再建できればいい。
そうしたら、復元したと言っていい。
思い出した。 郡上八幡城でも、人柱があった。 幽霊が出た。(これなら、出会ってみたい)
水と踊りの城下町、郡上八幡。~郡上市~ 他 (2013/5/5)
天守のあったところに、登った。


京極高次の後は、酒井忠勝。


東方面。 道の駅は、向こうに。

久須ヶ夜岳。


北方面。 囲まれた石垣の、内部から。


能舞台かな。 中に、大河ドラマの「江(ごう)」のポスターがあった。
初には、子がいなかった。 江の子を育てている。
城跡が残っているのは、全体のほんの一部。



小浜城は、大事にされなかった時代があるように、感じる。
今は、観光に利用できるので、復元を言ってるけど。
調べてみたら、作家の水上勉(みなかみつとむ)が、こう言っている。(Wikipedia) ※ 水上は、みずかみでもいい。
「めったに国に帰らないのに城だけは作らせた」
「百姓の血汗を絞って作った小浜城」
誰のことを言ってるかというと、酒井忠勝。 老中だったから、江戸にほとんどいた。
こんなことがあって、言った。
小浜城を作る際に、若狭の百姓にだけ、多い年貢を取り立てた。
これに抗議した庄屋がいた。 松木庄左衛門。
酒井忠勝は処刑した。
このことがあったために、明治の小浜の人たちは、城への愛着が小さく、大事にしなかったのでは、と想像。
詳しくは、ここに。
命を捨てて、人々を救った人を、義民と呼ぶ。
人々は、義民を、後の世まで、決して忘れない。
庄左衛門を祀った、松木神社もある。(10㌔程東に。 処刑された地の近く)
城の、北東の角。


最後に、正面から、小浜神社。 酒井忠勝を祀っている。

小浜市に行ったら、新鮮な幸が、安く食べられる。
それが広まったら、小浜の魅力は大きい。
食べた後は、古い町並みを見て、蘇洞門(そとも)巡り。 ※ 観光船がある。
鯖街道の起点がある。 3姉妹の、初もいる。
観光資源は、そろっている。
そういえば、道の駅に、オバマ大統領の、実物大のパネルがあった。
【ブログ紹介】 近くのものを。
若狭の秀峰、青葉山に登る。 下山後、雷と土砂降り。~高浜町~ 学生時代(ペギー葉山) 他 (2012/5/29)
名勝高浜八穴 大飯原発 ~高浜町・おおい町~ ラ・ノビア(ジュリー・ロジャース) 他 (2012/5/28)
瓜割の滝 若狭と近江の国境にある、熊川宿を歩く。~若狭町~ M(PRINCESS PRINCESS) 他 (2012/5/25)
石段の上に荘厳に佇む、国宝明通寺三重塔 ~小浜市~ 北朝鮮の子供たちのギター演奏 他 (2012/5/23)
【今日の歌】 大連の街から
前回のブログの、いわさきちひろは、望まぬ結婚で大連に渡っている。
夫の自殺で、戻ってくる。 この時代の写真は、1枚もないそう。
昭和14年から15年にかけて。 (※ 当時の航路は、門司経由の大阪からだったかな。)
下のようには、思い出の地に、ならなかった。
【今後の予定】 下のが終わったら、京都に向かう。 鞍馬を抜ける道でかな。 通れたら。
水上勉の生家跡の場所を知りたい。 ネット上には、ない。
印の所から、歩ける場所。

山を越えて、蘇洞門(そとも)に行きたい。
標高差600㍍を下って、戻ってくる。 きびしいけど。

正明寺にも。 義民、松木庄左衛門の墓がある。 彼に感謝して。

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(2008年4月~2010年9月までの記事)

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コメント
こんばんは
Re: こんばんは
熊本城のように、みんなに親しまれていたら、城は幸せですね。
鯖街道は、知ってるのは、地元の人でしょうか。
鯖街道は、知ってるのは、地元の人でしょうか。
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小浜城は無理矢理作ったとか…
不幸に満ちた出来事ばかりですね……。
改めて歴史から学ばねばならないことの多さに気づきます。
あれ、鯖街道はあまり印象に残らないのはなぜだろう(^-^;