五番町夕霧楼の中に登場する、夕霧楼の場所を知りたい。
人に聞いて、やっと、五番町にたどり着いた。
道の角に、立ち話をしている、2人の女性がいた。
夕霧楼のことを、訊(たず)ねたけど、分からない。
何せ、お話の世界。
でも、次の日調べて、分かった。
私は、その時、夕霧楼の前に、立っていた。
※ この場所は、地図には、ネット上にない。
調べるのに時間がかかった。
場所のヒントは、五番町夕霧楼の文にあって、それに気付いた人がいた。
最近のブログに2回登場した、妙覚寺。
本能寺の変の時、信長の弟の、信忠がいた寺。
場所は移っていたけど、行ってみた。 (元の場所も、分かった)
五番町夕霧楼を書いたのは、水上勉。
彼が9歳の時、家を出されて行った寺が、瑞春院。
そこにも。
今日は、五番町、妙覚寺、瑞春院と歩いた。
途中、面白いものに、いくつか出会って。
五色八重散椿とか。
うれしいことが1つ。
ヨドバシカメラで、写真の容量を一括縮小するソフトを、見つけた。
時間にして20分ほど、助かる。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
五番町の少し上に、北野天満宮。
ここへの参拝客を相手に、五番町は、遊郭の街として発展する。

五番町を歩いて、北野天満宮へ。 そして、右の方へ。

亀岡から円町まで、電車。 歩き出した。 適当な道。
椿寺があった。 五色八重散椿、とある。
椿は普通、花ごと、ポトンと落ちる。 首が落ちるみたいで、武士は嫌った。
ここのは、散り椿とあって、サザンカのように、花びらが散る。

他に、一色でないという。
正面右が、椿の木。
このように咲く。 写真は、フリー素材と、京都観光ナビから。
この寺のは、こんな椿の、代表のよう。

※ 1本の木に、赤と白の花は、たまに見る。 絞り染めのような花も、見る。
散り椿は、はじめて。 園芸品種では、あるよう。
五番町に、近づいている。 この場所は、以前通った。
恵林寺の至宝は、花園大学で見られると。 歴史博物館で。
この絵は、以前見ている。 写真は撮れなかった。 人物は、武田氏の家臣、秋山信友。
武田信玄の菩提寺、恵林寺 武田氏と縁の深い雲峰寺 ~甲州市~ 他 (2011/11/1)

五番町の場所は、こうだった。
だから、歩いていて、どこからどこまでが五番町なのかが、分からなかった。
横100㍍。 たて、200㍍。 せまい。 古い家並み。

昔の名残のような建物が、2~3軒。
水上勉の「五番町夕霧楼」の夕霧楼は、どこだったのか。
架空の遊郭だから、どこにも無いかも知れない。
知りたいのは、水上勉が、どの場所に設定して書いたか。
5人ほどに聞いたが、分からない。 当たり前か。

上の右の写真の、向こうに行くと、千本通。 向こうからこっちを撮ると、下の写真。
後で調べて分かったが、水上勉は、赤〇の場所に、夕霧楼を設定していた。
正面には、地図にある、千本日活。 500円で、成人映画。 (写真は、ネットからお借り)
※ どうして、その場所と分かるのか。
五番町夕霧楼の文に、下のがある。
「夕霧楼は、千本通りからわずかに入った角の地に建っていたが、その建物はずいぶん古びていた」
「そのよく朝、まだ妓が起きない時刻に、かつ枝は急に思いついたように、茶羽織をひっかけて表へ出ていった。
かつ枝は、同じような妓楼の建物が両側にならんでいる、人影まばらな通りを左に折れて、電車通りへ出た。
千本通りだった」
〔新潮文庫〕p.23, 69)
上の文に合う場所は、決まってくる。 地図に書いた場所。 写真の、赤〇の所。
入り口は、千本日活の方に向いてあった。
※ 上のことを教えてくれたのは、泰東庵というサイトの、 夕子の歩いた道を辿る(6) ’13. 4.28、の記事でした。感謝。
最後に、2人連れの人に聞いて、少し立ち話をしたのは、少し行った、左の角。
この一帯は、五番町の中心。
歩いた時は分からなかったので、あきらめて、歩き出した。
中立売通に、下の説明があった。 〇の辺りが、五番町。
右下の遊郭の写真は、石梅楼。 五番町にあった。
水上勉は、夕霧楼のイメージを作るとき、参考にした。

10分ほど歩いて、北野天満宮。

平安時代の初め、菅原道真を、太宰府に流した。 追放した。
都では、落雷など、崇(たた)りが続いた。
これは大変と、神社を作って、道真を祀った。 それが、この神社。

立派な絵馬殿。
絵の男は、日野邦光。 初めて知る。 この絵は、若い時で、阿新(くまわか)。
※ 父の資朝は後醍醐天皇に仕える。
天皇の討幕計画が分かり、一緒に、佐渡へ流される。(正中の変)。
子の阿新は、父に会うため佐渡に向かいう。
父はある男に斬られる。 復讐を果たして逃げる。
島から出る時、船を引き戻す。 絵馬は、その場面。
この話は、太平記にあるそう。
三十六歌仙。 2人紹介。
小野小町 「花の色は移りにけりないたづらに我が身世にふるながめせし間に」 (これは、百人一首にも)
小大君(こおおきみ) 「岩橋の夜の契りもたえぬべし明くるわびしき葛城かづらきの神」
【通釈】 久米路の石橋の工事が中途で終わったように、あなたとの仲も
途絶えてしまいそうです。 夜が明けるのがつらいことです。
葛城の一言主の神のように見目を恥じる私は。(千人万首より)

正面は、三光門。 星欠けの三光門とある。 初めて知った。
星は、北極星があるので、彫らなかったそう。 右の写真の中央辺りに、三日月。

拝殿。 灯篭が目につく。 山鹿灯篭も、こんな感じ。
明治からの芝居小屋、八千代座。 金・銀の紙だけで作られる、山鹿灯篭。~山鹿市~ 他 (2013/1/12)

拝殿の裏の方。

上七軒の上の方を歩き出した。 千本釈迦堂。

本堂が、国宝。 鎌倉時代。 京都には、中世の建物は少ないそう。 戦乱で焼けた。

千本通りに、出てきた。

釘抜(くぎぬき)地蔵。 もともとは、苦抜地蔵。 苦しみから、救ってくれる。
※ 苦しみがあっても、それが人生と割り切ったら、少しは楽か。 それでも、苦しみはいやだな。

本堂と、裏にあるお堂。

知らない道を通って、妙覚寺に向かう。 瓦と土の塀。

ずっと奥まで、土間の通路。 ある会社。 右は、小路。

広い、堀川通に出た。 横切って。

宝鏡寺。 開放は、春と秋の、人形展の時だけ。
ここは、大原の記事で書いた、門跡寺院。 それも、尼門跡。
尼になった皇女に、御所から人形が贈られた。
寺に入ったら、結婚できない。 そのことと寺での生活を察して、贈ったのか。
※ 右のような人形。 品がある。 人形①⇒
人形②⇒
HPの絵ハガキから。
何気なく通る道が、こう。

妙覚寺に着いた。 本堂は、修理中。 この門は、聚楽第の裏門を移築したとある。
※ 上の説明に、2条にあったとありますね。 最初の地図を、もう一度。 確かに、2条ですね。
元の本能寺が、直ぐ下に。
本能寺の変の時、信長は本能寺に、長男の信忠は、妙覚寺に。 助けられなかった。
なお、明智光秀は、下の方から攻めてきた。 13000の兵で。 信長は、100程。
こんな絵がある。(Wikipedia) 左に、森蘭丸。 彼も、討死。

※ 右のブログの時、元の本能寺に行っている。 亀山城から本能寺まで ~京都市~ 他 (2011/11/29)
※ 森蘭丸については、下のに。
森蘭丸、坊丸たちが生まれた、美濃金山城。 可成寺。 兼山湊跡。~可児市~ 他 (2014/5/14)
※ 大徳寺の唐門は、こんなの。(2011年) 西本願寺の飛雲閣は、撮影してない。
御霊(ごりょう)神社。 歩いた道では、ここが一番、右上(地図で)。
応仁の乱は、ここから始まった。
山名宗全の西軍が敷いた陣地は、西陣と呼ばれる。 ここより、1㌔ほど、南西。
人の世むなし応仁の乱で、1467年からでしたね。
戦国時代の幕開け。 100年後には、テレビドラマの戦国時代。 信長や秀吉たち。

中を少しだけ。 能舞台かな。

菊の花。 右は、絵馬殿か。

相国寺に入ってきた。 両側には、小さな寺。 付属する寺で、塔頭(たっちゅう)。
金閣寺も、銀閣寺も、この寺の塔頭。
水上勉が9歳で修業に入った、瑞春院も、ここの塔頭。 この後行く。

禅宗だから、本堂と呼ばないで、法堂(はっとう)ですね。
法堂を過ぎて、右に曲がった。 この道の、右手に、瑞春院。

瑞春院。 子供の水上勉は、どんな生活を送ったのでしょう。 本名は、みずかみ。 ペンネームは、どっちでも。
きびしかったよう。 17歳で、脱走。
なお、彼が「雁(がん)の寺」を書いてから、ここは、雁の寺と呼ばれるようになった。(昔、読んだ。)

この後、近くから地下鉄に乗った。
駅裏のイオンにある、モンベルに行った。 考えていたものは、なかった。
駅前のヨドバシカメラで、画像縮小のソフトを見つけた。 探していた。
いっぺんに、何十枚でもできる。 これから、助かる。
※ ウインドウズの8.1で使えるとは、書いてなかった。
勝負って買ってみた。 使えた。
途中で、ラーメン食べたと思っている人がいると思います。
食べてません。 ・・・。 うそ、食べました。 第一旭たかばし本店で。 これ⇒
他のたかばしは、味が違う。

最近の記事に、五番町夕霧楼、、瑞春院、妙覚寺が、出てきた。 書いた。
忘れないうちに、行っておこうと、今日歩いた。
京都は、何気ない道に、見どころがある。 あった。
※ 妙覚寺は、下の2つのブログに。
武生(たけふ)の町を歩く。 ちひろの生まれた家 記念館。 蔵の辻。 寺町通り、他。~越前市~ 他 (2014/10/30)
京の食文化を担った、鯖街道。 京極高次(お初)の小浜城跡。~小浜市~ 他 (2014/11/2)
※ 五番町夕霧楼は、下のに。
水上勉の生家跡の位置を、はっきりさせる。 若州一滴文庫。 はなれ瞽女(ごぜ)おりん。~おおい町~ 他 (2014/11/6)
【今日の歌】 久しぶりに。 ショスタコービッチのセカンドワルツ。 ロシアンワルツとも。
2つは、同じ演奏かな。
【道の駅】 ガレリア亀岡

【今後の予定】 少しだけ、奈良方面に。 東風さんが来る。 また、京都に戻る。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
【ランキング】 国内旅行、2位。 旅行全体で、2位です。
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※ クリックするバナーは、下のです。
ランキングが、見られます。
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ランキング
※ 最初は、国内旅行のランキングが。
旅行をクリックすると、旅行全体のが。
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次の日のクリックも、また、1週間生きる。
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人に聞いて、やっと、五番町にたどり着いた。
道の角に、立ち話をしている、2人の女性がいた。
夕霧楼のことを、訊(たず)ねたけど、分からない。
何せ、お話の世界。
でも、次の日調べて、分かった。
私は、その時、夕霧楼の前に、立っていた。
※ この場所は、地図には、ネット上にない。
調べるのに時間がかかった。
場所のヒントは、五番町夕霧楼の文にあって、それに気付いた人がいた。
最近のブログに2回登場した、妙覚寺。
本能寺の変の時、信長の弟の、信忠がいた寺。
場所は移っていたけど、行ってみた。 (元の場所も、分かった)
五番町夕霧楼を書いたのは、水上勉。
彼が9歳の時、家を出されて行った寺が、瑞春院。
そこにも。
今日は、五番町、妙覚寺、瑞春院と歩いた。
途中、面白いものに、いくつか出会って。
五色八重散椿とか。
うれしいことが1つ。
ヨドバシカメラで、写真の容量を一括縮小するソフトを、見つけた。
時間にして20分ほど、助かる。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。

( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
五番町の少し上に、北野天満宮。
ここへの参拝客を相手に、五番町は、遊郭の街として発展する。

五番町を歩いて、北野天満宮へ。 そして、右の方へ。

亀岡から円町まで、電車。 歩き出した。 適当な道。
椿寺があった。 五色八重散椿、とある。
椿は普通、花ごと、ポトンと落ちる。 首が落ちるみたいで、武士は嫌った。
ここのは、散り椿とあって、サザンカのように、花びらが散る。


他に、一色でないという。
正面右が、椿の木。
このように咲く。 写真は、フリー素材と、京都観光ナビから。
この寺のは、こんな椿の、代表のよう。



※ 1本の木に、赤と白の花は、たまに見る。 絞り染めのような花も、見る。
散り椿は、はじめて。 園芸品種では、あるよう。
五番町に、近づいている。 この場所は、以前通った。
恵林寺の至宝は、花園大学で見られると。 歴史博物館で。
この絵は、以前見ている。 写真は撮れなかった。 人物は、武田氏の家臣、秋山信友。
武田信玄の菩提寺、恵林寺 武田氏と縁の深い雲峰寺 ~甲州市~ 他 (2011/11/1)


五番町の場所は、こうだった。
だから、歩いていて、どこからどこまでが五番町なのかが、分からなかった。
横100㍍。 たて、200㍍。 せまい。 古い家並み。



昔の名残のような建物が、2~3軒。
水上勉の「五番町夕霧楼」の夕霧楼は、どこだったのか。
架空の遊郭だから、どこにも無いかも知れない。
知りたいのは、水上勉が、どの場所に設定して書いたか。
5人ほどに聞いたが、分からない。 当たり前か。


上の右の写真の、向こうに行くと、千本通。 向こうからこっちを撮ると、下の写真。
後で調べて分かったが、水上勉は、赤〇の場所に、夕霧楼を設定していた。
正面には、地図にある、千本日活。 500円で、成人映画。 (写真は、ネットからお借り)

※ どうして、その場所と分かるのか。
五番町夕霧楼の文に、下のがある。
「夕霧楼は、千本通りからわずかに入った角の地に建っていたが、その建物はずいぶん古びていた」
「そのよく朝、まだ妓が起きない時刻に、かつ枝は急に思いついたように、茶羽織をひっかけて表へ出ていった。
かつ枝は、同じような妓楼の建物が両側にならんでいる、人影まばらな通りを左に折れて、電車通りへ出た。
千本通りだった」
〔新潮文庫〕p.23, 69)
上の文に合う場所は、決まってくる。 地図に書いた場所。 写真の、赤〇の所。
入り口は、千本日活の方に向いてあった。
※ 上のことを教えてくれたのは、泰東庵というサイトの、 夕子の歩いた道を辿る(6) ’13. 4.28、の記事でした。感謝。
最後に、2人連れの人に聞いて、少し立ち話をしたのは、少し行った、左の角。
この一帯は、五番町の中心。
歩いた時は分からなかったので、あきらめて、歩き出した。
中立売通に、下の説明があった。 〇の辺りが、五番町。
右下の遊郭の写真は、石梅楼。 五番町にあった。
水上勉は、夕霧楼のイメージを作るとき、参考にした。


10分ほど歩いて、北野天満宮。


平安時代の初め、菅原道真を、太宰府に流した。 追放した。
都では、落雷など、崇(たた)りが続いた。
これは大変と、神社を作って、道真を祀った。 それが、この神社。


立派な絵馬殿。
絵の男は、日野邦光。 初めて知る。 この絵は、若い時で、阿新(くまわか)。
※ 父の資朝は後醍醐天皇に仕える。
天皇の討幕計画が分かり、一緒に、佐渡へ流される。(正中の変)。
子の阿新は、父に会うため佐渡に向かいう。
父はある男に斬られる。 復讐を果たして逃げる。
島から出る時、船を引き戻す。 絵馬は、その場面。
この話は、太平記にあるそう。
三十六歌仙。 2人紹介。
小野小町 「花の色は移りにけりないたづらに我が身世にふるながめせし間に」 (これは、百人一首にも)
小大君(こおおきみ) 「岩橋の夜の契りもたえぬべし明くるわびしき葛城かづらきの神」
【通釈】 久米路の石橋の工事が中途で終わったように、あなたとの仲も
途絶えてしまいそうです。 夜が明けるのがつらいことです。
葛城の一言主の神のように見目を恥じる私は。(千人万首より)



正面は、三光門。 星欠けの三光門とある。 初めて知った。
星は、北極星があるので、彫らなかったそう。 右の写真の中央辺りに、三日月。



拝殿。 灯篭が目につく。 山鹿灯篭も、こんな感じ。
明治からの芝居小屋、八千代座。 金・銀の紙だけで作られる、山鹿灯篭。~山鹿市~ 他 (2013/1/12)


拝殿の裏の方。


上七軒の上の方を歩き出した。 千本釈迦堂。


本堂が、国宝。 鎌倉時代。 京都には、中世の建物は少ないそう。 戦乱で焼けた。

千本通りに、出てきた。

釘抜(くぎぬき)地蔵。 もともとは、苦抜地蔵。 苦しみから、救ってくれる。
※ 苦しみがあっても、それが人生と割り切ったら、少しは楽か。 それでも、苦しみはいやだな。


本堂と、裏にあるお堂。


知らない道を通って、妙覚寺に向かう。 瓦と土の塀。


ずっと奥まで、土間の通路。 ある会社。 右は、小路。


広い、堀川通に出た。 横切って。

宝鏡寺。 開放は、春と秋の、人形展の時だけ。
ここは、大原の記事で書いた、門跡寺院。 それも、尼門跡。
尼になった皇女に、御所から人形が贈られた。
寺に入ったら、結婚できない。 そのことと寺での生活を察して、贈ったのか。
※ 右のような人形。 品がある。 人形①⇒




何気なく通る道が、こう。

妙覚寺に着いた。 本堂は、修理中。 この門は、聚楽第の裏門を移築したとある。


※ 上の説明に、2条にあったとありますね。 最初の地図を、もう一度。 確かに、2条ですね。
元の本能寺が、直ぐ下に。
本能寺の変の時、信長は本能寺に、長男の信忠は、妙覚寺に。 助けられなかった。
なお、明智光秀は、下の方から攻めてきた。 13000の兵で。 信長は、100程。
こんな絵がある。(Wikipedia) 左に、森蘭丸。 彼も、討死。

※ 右のブログの時、元の本能寺に行っている。 亀山城から本能寺まで ~京都市~ 他 (2011/11/29)
※ 森蘭丸については、下のに。
森蘭丸、坊丸たちが生まれた、美濃金山城。 可成寺。 兼山湊跡。~可児市~ 他 (2014/5/14)
※ 大徳寺の唐門は、こんなの。(2011年) 西本願寺の飛雲閣は、撮影してない。
御霊(ごりょう)神社。 歩いた道では、ここが一番、右上(地図で)。
応仁の乱は、ここから始まった。
山名宗全の西軍が敷いた陣地は、西陣と呼ばれる。 ここより、1㌔ほど、南西。
人の世むなし応仁の乱で、1467年からでしたね。
戦国時代の幕開け。 100年後には、テレビドラマの戦国時代。 信長や秀吉たち。



中を少しだけ。 能舞台かな。

菊の花。 右は、絵馬殿か。


相国寺に入ってきた。 両側には、小さな寺。 付属する寺で、塔頭(たっちゅう)。
金閣寺も、銀閣寺も、この寺の塔頭。
水上勉が9歳で修業に入った、瑞春院も、ここの塔頭。 この後行く。



禅宗だから、本堂と呼ばないで、法堂(はっとう)ですね。
法堂を過ぎて、右に曲がった。 この道の、右手に、瑞春院。


瑞春院。 子供の水上勉は、どんな生活を送ったのでしょう。 本名は、みずかみ。 ペンネームは、どっちでも。
きびしかったよう。 17歳で、脱走。
なお、彼が「雁(がん)の寺」を書いてから、ここは、雁の寺と呼ばれるようになった。(昔、読んだ。)


この後、近くから地下鉄に乗った。
駅裏のイオンにある、モンベルに行った。 考えていたものは、なかった。
駅前のヨドバシカメラで、画像縮小のソフトを見つけた。 探していた。
いっぺんに、何十枚でもできる。 これから、助かる。
※ ウインドウズの8.1で使えるとは、書いてなかった。
勝負って買ってみた。 使えた。
途中で、ラーメン食べたと思っている人がいると思います。
食べてません。 ・・・。 うそ、食べました。 第一旭たかばし本店で。 これ⇒



最近の記事に、五番町夕霧楼、、瑞春院、妙覚寺が、出てきた。 書いた。
忘れないうちに、行っておこうと、今日歩いた。
京都は、何気ない道に、見どころがある。 あった。
※ 妙覚寺は、下の2つのブログに。
武生(たけふ)の町を歩く。 ちひろの生まれた家 記念館。 蔵の辻。 寺町通り、他。~越前市~ 他 (2014/10/30)
京の食文化を担った、鯖街道。 京極高次(お初)の小浜城跡。~小浜市~ 他 (2014/11/2)
※ 五番町夕霧楼は、下のに。
水上勉の生家跡の位置を、はっきりさせる。 若州一滴文庫。 はなれ瞽女(ごぜ)おりん。~おおい町~ 他 (2014/11/6)
【今日の歌】 久しぶりに。 ショスタコービッチのセカンドワルツ。 ロシアンワルツとも。
2つは、同じ演奏かな。
【道の駅】 ガレリア亀岡

【今後の予定】 少しだけ、奈良方面に。 東風さんが来る。 また、京都に戻る。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

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