大政奉還があって、江戸幕府が終わると決まった。
その時を一番待っていたのは、坂本龍馬かも知れない。
龍馬は、ぎりぎり、見届けることが出来た。 (その時、京都のどこかにいたらしい)
しかし、1ヶ月後に、襲われる。 31歳までの命。
脱藩して、5年が経っていた。
(明日は11月15日。 龍馬が住んだ、酢屋に行く。 あっ!って、気づかされることに)
今日は、東風さんご夫妻の希望で、二条城に行った。
大政奉還は、1867年に、二の丸御殿で行われた。
国宝の建物。
京都御所も歩いた。
九条家の邸宅は壊されたが、茶室が残っている。
そこを見学した。 よかった。
九条家には、江(ごう)の娘の、完子(さだこ)が嫁いでいる。
二代将軍、徳川秀忠に嫁ぐ前の子供。 末裔(まつえい)が、大正天皇に嫁ぐ。
なお、秀忠との間の一番下の和子(まさこ)は、後水尾天皇の中宮(皇后)に。
明正天皇の生母となる。 (明正天皇は女帝で、生涯独身)
※ 江の娘は、2人が、天皇家と関わることになる。
※ 女帝で独身の事情については、下のブログに。
宇治を歩く。 興聖寺。 宇治上神社。 三室戸寺。 宇治十帖。~宇治市~ 他 (2014/4/26)
東福門院 和子となり、菩提寺は、南禅寺の塔頭(たっちゅう)、光雲寺。
光雲寺は、彼女の寺。
このことは、最近知った。
光雲寺は、来週のどこかで、拝観できそう。
秋の拝観の時間帯でない時間にお邪魔して、写真を撮らせていただけることに。
そのように手配してくれたのは、高松のMさん。
楽しみです。
※ 追記 今週の20日の14時からの見学になりました。
次の日から、一般公開。 前日です。 仏像も、撮らせていただけることに。
ブログに載せられるかは、住職さんにお会いしてからです。
※ ※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
東風さんご夫妻と、3人で動く。
亀岡駅から二条駅まで電車。 そして、歩く。
二条城を見て、京都御所に行く。

陽が当たると暖かい、日陰は寒い。 そんな天気。
途中に、神泉苑(しんせんえん)。 お寺。 平安の昔は、天皇の庭だった。
南北にもっともっと広くに。
※ 神泉苑の北に、平安京の、天皇たちがいた大内裏(だいだいり)があった。 このように。

二条通。 左に、二条城。 入り口は、東側(むこう)に。

こんなお菓子が。 泥棒してでも食べたい。 それだけ美味しいそう。

東大手門から入る。 600円。 修学旅行生。

今の二条城は、江戸時代に入って造られた。

唐門をくぐって、二の丸御殿に。

日光東照宮の豪華さに、似ている。

二条城は、城と言っても、山の上にない。
石垣と堀を見なければ、寺に来たイメージ。
二の丸御殿。
元々の本丸御殿は焼けたので、これが、中心の建物。 国宝。

中の写真は、撮れない。 龍馬の夢は、二の丸御殿の大広間で、叶った。 内部の写真は、ここに。
圧倒される、広さ、天井の高さ、柱の太さ、欄間(らんま)・襖(ふすま)絵の豪華さ。
二の丸庭園。

さっき見た神泉苑は、この辺りまであった。 両方に池。 この一帯には、水源があるんですね。

本丸の方に来た。
今の、本丸御殿。 元々のは、落雷で焼けた。
※ これは、京都御所にあった旧桂宮邸を、明治時代に移築したもの。
皇女和宮が、嫁ぐ前、住んでいたそう。
東風さんが、屋根がまるいと言った。 確かに、曲線。

天守のあったところに、上がった。 正面に、さっき見た本丸御殿。

本丸を囲む、内側の堀。 外側にもある。

本丸御殿への入り口。

曲がっている板や梁(はり)は、曲げたのか、曲線で切ったのか。

本丸から出る。 石垣が大きい。 出て、橋を渡る。

橋の上から。 さっきいた、天守のあったところ。
右の天守があった。 貫禄が、足りないような。(写真は、Wikipedia)
向こうから来た。 子供が、橋から身を乗り出した。 お母さんが、危ないよって注意。
もし落ちたら、助けられるだろうかって、方法を考えていた。
後で気づくが、写真の少し左に、ロープの付いた浮き輪があった。

古い石垣だという。
先日のブログに書いたけど、本能寺の変の時、信長の長男の信忠は、妙覚寺から二条城に来た。
光秀軍に敵わぬと考え、自刃した。
その時、元々の二条城は、焼けてしまった。 古い二条城の石垣が、これだそう。

さっき渡った橋。

香雲亭。 花嫁さんがいた。 この辺りは、新しい庭。

イチョウの木。

御所に向かった。
ここは、御所の南側。 ※ 正確には、京都御苑(ぎょえん)の中に、御所がある。

旧九条家遺構、拾翠亭(しょうすいてい)。 100円で見学できる。

九条家の離れとして、使われた。 茶室にも。 江戸時代の後期の建物。
後で、橋を渡る。

暖かい日に、のんびり座っていたい。

さっき見た二条城の、今はない建物で、大正天皇の即位の饗宴が、行われた。
その大正天皇に嫁いだのが、九条節子(くじょう さだこ)。 こんな人。(Wikipedia)
江の娘の完子(さだこ)から、7代目くらい。

外から撮影。 紅葉は、だんだんよくなっている。
右の写真、水面(みなも)が赤く染まった。 下の歌を思い出す。
「ちはやぶる 神世も聞かず竜田川 からくれなゐに 水くくるとは 」
奈良斑鳩の里 ~法隆寺・竜田川~ 他 (2009/11/26)

拾翠亭から見えた橋の上に。 遠くに、御所の建物。

※ 上の左の写真。 はしの少し向こうに、以前は、鷹司(たかつかさ)邸があった。
禁門の変の時、久坂玄瑞(くさかげんずい)は、鷹司邸の中で命を断つ。
彼の妻が、来年の大河ドラマの主人公、文(ふみ)。 井上真央が演じる。
久坂玄瑞は、禁門の変では、指導的立場。
長州藩は負けたけど、態勢の立て直し。
龍馬が、長州藩と薩摩藩を結びつける。
禁門の変の3年後、大政奉還。
幕末の歴史が違っていれば、明治の始まる時期だって、別だったでしょうね。
橋の下に、厳島神社。

清盛の母も、祀られている。
下立売御門。 しもだちうりごもん。

ここの敷地内に、私塾「立命館」を作ったとある。 立命館大学のスタート。

塀の中が、本当の御所。
少し先の角を右に見たら、大文字が見えた。
「五山送り火」の大文字山に登る。 ~京都市~ 他 (2011/11/30)

蛤御門。 禁門の変で、一番戦いの激しかった場所。

門には、鉄砲の弾の跡が、いたるところに。

北に向かって歩いた。 御所内の見学には、手続きがいる。 難しくはない。 宮内庁は、すぐそば。
この後、地下鉄に乗る。
二条城では、徳川幕府の力を見せつけられた。
ほんの少し前まで、今とは、全く違う時代だった。
貧しくても、平和だったかも。
(明治に入って、新しい時代。 戦争の時代の始まり。 龍馬の願いとは、違う)
御所は広すぎて、全体は歩けなかった。
あの場所で、天皇や公家が生活していた。
いつもは1人旅。
今日は3人。 にぎやかでした。
【今日の歌】 鞆の浦(とものうら)慕情
※ 大政奉還、また、龍馬が亡くなる年の、1867年の5月。
鞆の浦沖で、いろは丸が沈没。
紀州藩の船とぶつかった。
いろは丸は、龍馬が大洲(おおず)藩から借りていた。
龍馬は、相手の船に乗り移って、助かる。
鞆の浦で、賠償交渉。
龍馬は賢い。 秋遅くに、今のお金で、40億円ほど紀州藩からもらう。
お金をもらった8日後に、龍馬は殺される。
鞆の浦の港町めぐり ~龍馬がやって来ていた。 福山市~ 他 (2011/12/15)
※ 追記 余談 上に龍馬は賢いと書いた。 本当に、頭が良かったのかというと、良かった。
勉強したら、きっと、東大に合格できる頭。
証拠は、龍馬の姉の孫に、坂本直道がいる。
私の故郷の、旭川で育っている。
この人は東大に行っている。
それなりに出世して、昭和16年に、外相の松岡洋右に、開戦の反対を申し入れている。
龍馬の血を引き継いでいる。
姉の千鶴の子孫が、北海道に渡った。
龍馬の夢を、受け継いで。 詳しくは下に。
龍馬の夢は、本当に北海道開拓だったのか。 姉の子が、浦臼に。~浦臼町~ 他 (2914/8/7)
【停泊場所】 亀岡市の運動公園駐車場。 2台並んで。 晩にはお酒。 楽しい。
【明日の予定】 新京極、祇園、その辺り。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
【ランキング】 国内旅行、2位。 旅行全体で、2位です。
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その時を一番待っていたのは、坂本龍馬かも知れない。
龍馬は、ぎりぎり、見届けることが出来た。 (その時、京都のどこかにいたらしい)
しかし、1ヶ月後に、襲われる。 31歳までの命。
脱藩して、5年が経っていた。
(明日は11月15日。 龍馬が住んだ、酢屋に行く。 あっ!って、気づかされることに)
今日は、東風さんご夫妻の希望で、二条城に行った。
大政奉還は、1867年に、二の丸御殿で行われた。
国宝の建物。
京都御所も歩いた。
九条家の邸宅は壊されたが、茶室が残っている。
そこを見学した。 よかった。
九条家には、江(ごう)の娘の、完子(さだこ)が嫁いでいる。
二代将軍、徳川秀忠に嫁ぐ前の子供。 末裔(まつえい)が、大正天皇に嫁ぐ。
なお、秀忠との間の一番下の和子(まさこ)は、後水尾天皇の中宮(皇后)に。
明正天皇の生母となる。 (明正天皇は女帝で、生涯独身)
※ 江の娘は、2人が、天皇家と関わることになる。
※ 女帝で独身の事情については、下のブログに。
宇治を歩く。 興聖寺。 宇治上神社。 三室戸寺。 宇治十帖。~宇治市~ 他 (2014/4/26)
東福門院 和子となり、菩提寺は、南禅寺の塔頭(たっちゅう)、光雲寺。
光雲寺は、彼女の寺。
このことは、最近知った。
光雲寺は、来週のどこかで、拝観できそう。
秋の拝観の時間帯でない時間にお邪魔して、写真を撮らせていただけることに。
そのように手配してくれたのは、高松のMさん。
楽しみです。
※ 追記 今週の20日の14時からの見学になりました。
次の日から、一般公開。 前日です。 仏像も、撮らせていただけることに。
ブログに載せられるかは、住職さんにお会いしてからです。
※ ※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。

( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
東風さんご夫妻と、3人で動く。
亀岡駅から二条駅まで電車。 そして、歩く。
二条城を見て、京都御所に行く。

陽が当たると暖かい、日陰は寒い。 そんな天気。
途中に、神泉苑(しんせんえん)。 お寺。 平安の昔は、天皇の庭だった。
南北にもっともっと広くに。
※ 神泉苑の北に、平安京の、天皇たちがいた大内裏(だいだいり)があった。 このように。


二条通。 左に、二条城。 入り口は、東側(むこう)に。

こんなお菓子が。 泥棒してでも食べたい。 それだけ美味しいそう。


東大手門から入る。 600円。 修学旅行生。

今の二条城は、江戸時代に入って造られた。


唐門をくぐって、二の丸御殿に。

日光東照宮の豪華さに、似ている。




二条城は、城と言っても、山の上にない。
石垣と堀を見なければ、寺に来たイメージ。
二の丸御殿。
元々の本丸御殿は焼けたので、これが、中心の建物。 国宝。

中の写真は、撮れない。 龍馬の夢は、二の丸御殿の大広間で、叶った。 内部の写真は、ここに。
圧倒される、広さ、天井の高さ、柱の太さ、欄間(らんま)・襖(ふすま)絵の豪華さ。


二の丸庭園。


さっき見た神泉苑は、この辺りまであった。 両方に池。 この一帯には、水源があるんですね。


本丸の方に来た。
今の、本丸御殿。 元々のは、落雷で焼けた。
※ これは、京都御所にあった旧桂宮邸を、明治時代に移築したもの。
皇女和宮が、嫁ぐ前、住んでいたそう。
東風さんが、屋根がまるいと言った。 確かに、曲線。


天守のあったところに、上がった。 正面に、さっき見た本丸御殿。


本丸を囲む、内側の堀。 外側にもある。


本丸御殿への入り口。


曲がっている板や梁(はり)は、曲げたのか、曲線で切ったのか。


本丸から出る。 石垣が大きい。 出て、橋を渡る。

橋の上から。 さっきいた、天守のあったところ。
右の天守があった。 貫禄が、足りないような。(写真は、Wikipedia)


向こうから来た。 子供が、橋から身を乗り出した。 お母さんが、危ないよって注意。
もし落ちたら、助けられるだろうかって、方法を考えていた。
後で気づくが、写真の少し左に、ロープの付いた浮き輪があった。

古い石垣だという。
先日のブログに書いたけど、本能寺の変の時、信長の長男の信忠は、妙覚寺から二条城に来た。
光秀軍に敵わぬと考え、自刃した。
その時、元々の二条城は、焼けてしまった。 古い二条城の石垣が、これだそう。


さっき渡った橋。


香雲亭。 花嫁さんがいた。 この辺りは、新しい庭。

イチョウの木。


御所に向かった。
ここは、御所の南側。 ※ 正確には、京都御苑(ぎょえん)の中に、御所がある。


旧九条家遺構、拾翠亭(しょうすいてい)。 100円で見学できる。


九条家の離れとして、使われた。 茶室にも。 江戸時代の後期の建物。
後で、橋を渡る。


暖かい日に、のんびり座っていたい。


さっき見た二条城の、今はない建物で、大正天皇の即位の饗宴が、行われた。
その大正天皇に嫁いだのが、九条節子(くじょう さだこ)。 こんな人。(Wikipedia)
江の娘の完子(さだこ)から、7代目くらい。

外から撮影。 紅葉は、だんだんよくなっている。
右の写真、水面(みなも)が赤く染まった。 下の歌を思い出す。
「ちはやぶる 神世も聞かず竜田川 からくれなゐに 水くくるとは 」
奈良斑鳩の里 ~法隆寺・竜田川~ 他 (2009/11/26)


拾翠亭から見えた橋の上に。 遠くに、御所の建物。


※ 上の左の写真。 はしの少し向こうに、以前は、鷹司(たかつかさ)邸があった。
禁門の変の時、久坂玄瑞(くさかげんずい)は、鷹司邸の中で命を断つ。
彼の妻が、来年の大河ドラマの主人公、文(ふみ)。 井上真央が演じる。
久坂玄瑞は、禁門の変では、指導的立場。
長州藩は負けたけど、態勢の立て直し。
龍馬が、長州藩と薩摩藩を結びつける。
禁門の変の3年後、大政奉還。
幕末の歴史が違っていれば、明治の始まる時期だって、別だったでしょうね。
橋の下に、厳島神社。

清盛の母も、祀られている。


下立売御門。 しもだちうりごもん。


ここの敷地内に、私塾「立命館」を作ったとある。 立命館大学のスタート。


塀の中が、本当の御所。
少し先の角を右に見たら、大文字が見えた。
「五山送り火」の大文字山に登る。 ~京都市~ 他 (2011/11/30)


蛤御門。 禁門の変で、一番戦いの激しかった場所。

門には、鉄砲の弾の跡が、いたるところに。


北に向かって歩いた。 御所内の見学には、手続きがいる。 難しくはない。 宮内庁は、すぐそば。
この後、地下鉄に乗る。

二条城では、徳川幕府の力を見せつけられた。
ほんの少し前まで、今とは、全く違う時代だった。
貧しくても、平和だったかも。
(明治に入って、新しい時代。 戦争の時代の始まり。 龍馬の願いとは、違う)
御所は広すぎて、全体は歩けなかった。
あの場所で、天皇や公家が生活していた。
いつもは1人旅。
今日は3人。 にぎやかでした。
【今日の歌】 鞆の浦(とものうら)慕情
※ 大政奉還、また、龍馬が亡くなる年の、1867年の5月。
鞆の浦沖で、いろは丸が沈没。
紀州藩の船とぶつかった。
いろは丸は、龍馬が大洲(おおず)藩から借りていた。
龍馬は、相手の船に乗り移って、助かる。
鞆の浦で、賠償交渉。
龍馬は賢い。 秋遅くに、今のお金で、40億円ほど紀州藩からもらう。
お金をもらった8日後に、龍馬は殺される。
鞆の浦の港町めぐり ~龍馬がやって来ていた。 福山市~ 他 (2011/12/15)
※ 追記 余談 上に龍馬は賢いと書いた。 本当に、頭が良かったのかというと、良かった。
勉強したら、きっと、東大に合格できる頭。
証拠は、龍馬の姉の孫に、坂本直道がいる。
私の故郷の、旭川で育っている。
この人は東大に行っている。
それなりに出世して、昭和16年に、外相の松岡洋右に、開戦の反対を申し入れている。
龍馬の血を引き継いでいる。
姉の千鶴の子孫が、北海道に渡った。
龍馬の夢を、受け継いで。 詳しくは下に。
龍馬の夢は、本当に北海道開拓だったのか。 姉の子が、浦臼に。~浦臼町~ 他 (2914/8/7)
【停泊場所】 亀岡市の運動公園駐車場。 2台並んで。 晩にはお酒。 楽しい。

【明日の予定】 新京極、祇園、その辺り。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

【ランキング】 国内旅行、2位。 旅行全体で、2位です。
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コメント
初めまして。
Re: 初めまして。
ガレリアかめおかは、京都に一番近い道の駅です。
それで、利用させてもらっています。
亀岡市は、毎朝霧が出ますね。
今日は曇りかと思っていたら、いつの間にか晴れ。
そんな日が続いています。
> 初めまして。
> 11月17日の14時頃、「ガレリアかめおか」に自動車が置いてあるのを目撃した者です。
> バスで通り過ぎただけだったので声をかけられなかったのが残念ですが…。
> 色々なところへ行かれてるんですね!
> これから度々見させていただくことがあるかと思います。
> よろしくお願いします。
それで、利用させてもらっています。
亀岡市は、毎朝霧が出ますね。
今日は曇りかと思っていたら、いつの間にか晴れ。
そんな日が続いています。
> 初めまして。
> 11月17日の14時頃、「ガレリアかめおか」に自動車が置いてあるのを目撃した者です。
> バスで通り過ぎただけだったので声をかけられなかったのが残念ですが…。
> 色々なところへ行かれてるんですね!
> これから度々見させていただくことがあるかと思います。
> よろしくお願いします。
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11月17日の14時頃、「ガレリアかめおか」に自動車が置いてあるのを目撃した者です。
バスで通り過ぎただけだったので声をかけられなかったのが残念ですが…。
色々なところへ行かれてるんですね!
これから度々見させていただくことがあるかと思います。
よろしくお願いします。