今日も、東風さんご夫妻と、一緒の旅。
その、最終日。
錦小路、新京極、寺町通、木屋町通、先斗町通を歩いて、祇園新橋へ。
最後は、花見小路通。
主に寄ったところは、和泉式部の誠心院。
信長の、本能寺。
龍馬が住んでいた、酢屋。
悲運の武将、豊臣秀次の瑞泉寺。
祇園は、小路にも入って。
※ 昨日11月14日の、二条城のブログの最後の方に、追記の文があります。
龍馬は、頭が良かったのか、どうなのかについて。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
今日歩くところは、京都一番の繁華街。

地下鉄の四条駅から歩いた。
錦小路に入る。 昔からの、京都の台所。 鯖街道の鯖も、ここに来た。
万願寺とうがらしは、舞鶴市出身の京野菜だそう。 大きくて、種が少ない。

錦小路の突き当りは、錦天満宮。 小さいけど、好きな神社。
拝殿の中に、狛犬。 そして、本殿。
前の通りが、新京極通。

新京極通に、和泉式部の寺、誠心院。

墓である宝筐院との場所が、変わっていた。 図の場所に、以前はあった。
※ 式部より先に、娘の小式部内侍(こしきぶのないし)が先に死ぬ。 強い悲しみ。
大江山 いく野の道は遠ければ まだふみもみず 天の橋立 ~生野の道、細野峠~ 他 (2010/5/18)
貴船もみじ灯篭。 和泉式部恋の道。 牛若丸 修行の地、鞍馬寺。~京都市~ 他 (2012/11/21)
誓願寺。 能の曲目に、誓願寺がある。 この寺のこと。
和泉式部が上のお墓から、幽霊になって出てくるお話。 見てみたい幽霊。 詳しくは、下に。
誓願寺と誠心院。 和泉式部縁起絵巻(上・下)~京都市~ 他 (2013/4/10)

東風さんの希望で、本能寺。 信長の墓がある。

信長の他に、蘭丸、坊丸、前回のブログの信忠が眠る。

※ 本能寺の変の時の本能寺は、二条城の下に。 この地図に。
高瀬川沿いの木屋町通に来た。 維新の史跡がいっぱい。

佐久間象山の塾から、松陰ほかいっぱいの門下生。 松陰の塾からも、同じように。
少し下って、右手に、酢屋(すや)。 龍馬が住んでいたところ。
※ ここに来る前、池田屋があったが、寄るのを忘れた。
新選組が長州藩の志士達を襲った場所。 この報復のように、禁門の変が起きる。
土方歳三、そして、新選組が一躍名を上げた。

酢屋の前に花があった。 今日は、旧暦の11月15日。
龍馬が亡くなった日だった。 命日。 (生まれたのも、11月の15日)
高知県知事と高知市長からの花。
あの日、襲われた瞬間の龍馬に、機関銃で何でも、貸してやりたい。
別の場所。 この辺りは、武市瑞山と吉村寅太郎が住んだ場所。
※ 2人の像は、嵯峨野にある。 これ⇒
中岡慎太郎は、龍馬と一緒に襲われた。

吉村寅太郎。 血気盛んな雰囲気。
天誅組を組織して、幕府と戦った。
負けたけど、戦った意味は大きかった。 幕府の力が大きくないと、世間が知ってしまった。
天誅組終焉の地、鷲家口(わしかぐち)を訪ねて。 最後のニホンオオカミ。~東吉野村~ 他 (2013/4/15)
瑞泉寺。 豊臣秀次の墓がある。
秀吉が好きになれない理由が、いくつかある。
この寺で知ることは、その1つ。

秀吉に子がいなかった。 跡継ぎにと、姉の子を養子にした。 それが秀次。
淀殿が秀頼を生んでから、邪魔になった。 難癖をつけて、殺した。
秀次と妻や子供たちの墓。

取り巻きの女性もみんな殺された。
彼は、高野山へ。 今の、金剛峰寺に送られた。 切腹の間が残っている。
高野山真言宗の総本山、金剛峯寺 ~高野町~ 君と淋しい風になる(森田童子) 他 (2012/6/9)

江(ごう)の2番目の夫は、秀次の弟。
その時の子が、完子(さだこ)。(昨日のブログに)
この時期は、どこにいたかだけど、亀山城だった。 知らなかった。 すぐ近く。

この後は、先斗町(ぽんとちょう)に。

ここは、花街。 芸者遊びができる。 一見(いちげん)さんはダメ。
数万円では無理なよう。 芸者さんを見て料理を食べるなら、1万円ほどのツアーが便利。

店の途切れたところから、鴨川が見えた。

寒かったので、近くのデパートを見て、少し休憩。
四条大橋を渡ると、南座。

ここは、祇園新橋。 重伝建地区。 白川が流れる。

「命短し 恋せよ乙女」と歌った、吉井勇の碑がある。

※ 彼の最初の妻は、こんな家系の人。 事件があって、別れる。 そして、四国の山の中に隠棲。
戻ってきて、新しい人と一緒に、京都に。 祇園を愛した。
轟の滝は、落差80㍍、3段の滝。 吉井勇はなぜ、この地、猪野々に隠棲を。~香美市~ 他 (2014/4/7)
橋近辺が、一番いい風景。

橋のたもとにある、お店。 東風さんと、あそこで飲みたいねって。

着物姿の人に、時々出会う。

少し歩いて、祇園の花見小路。 舞妓さんには、会わなかった。

ここは、祇園甲部歌舞練場。
キンキキッズの堂本剛です。 大喜利ではない、小喜利とか、そんなの。
中身の動画はネットにないので、彼の歌を。 青の時代。 左が、彼。
小路を歩いた。 紅葉の夜のライトアップが、始まっている。
高台寺より、永観堂がいいですね。
永観堂は、古くより、「秋はもみじの永観堂」といわれていた。 東山を少し。~京都市~ 他 (2013/11/19)

あっちこっちの小路を歩いて、地下鉄で、京都駅に戻った。

今日のコースは、何度も歩いたところ。
でも、歩くたびに、新しいものが見つかる。
京都の紅葉は、見頃ですよっていう所が、あちこちに。
今週末、来週末は、京都は人でいっぱい。
【今日の歌】 Hasta Siempre(アスタ・シエンプレ)
※ 永遠の別れの際に、「ごきげんよう」の意味で使われる表現だそう。
この曲は、チェ・ゲバラを讃えた曲。
チェ・ゲバラは、坂本龍馬を知っていました。
尊敬していたという話も、あります。
龍馬が亡くなった60年後に生まれています。
数年前、チェの映画がありましたね。
2人の共通点は、世の中を変えたこと。
そして、誰にも、好かれていること。
左には、歌詞の日本語訳が。 右は、今までに何度も載せたことのある、動画です。
【道の駅】 ガレリアかめおか
【今後の予定】 20日に、光雲寺です。
19日は、愛宕山かな。 気になる絵馬があるので。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
【ランキング】 国内旅行、2位。 旅行全体で、3位です。
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その、最終日。
錦小路、新京極、寺町通、木屋町通、先斗町通を歩いて、祇園新橋へ。
最後は、花見小路通。
主に寄ったところは、和泉式部の誠心院。
信長の、本能寺。
龍馬が住んでいた、酢屋。
悲運の武将、豊臣秀次の瑞泉寺。
祇園は、小路にも入って。
※ 昨日11月14日の、二条城のブログの最後の方に、追記の文があります。
龍馬は、頭が良かったのか、どうなのかについて。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。

( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
今日歩くところは、京都一番の繁華街。

地下鉄の四条駅から歩いた。
錦小路に入る。 昔からの、京都の台所。 鯖街道の鯖も、ここに来た。
万願寺とうがらしは、舞鶴市出身の京野菜だそう。 大きくて、種が少ない。


錦小路の突き当りは、錦天満宮。 小さいけど、好きな神社。
拝殿の中に、狛犬。 そして、本殿。
前の通りが、新京極通。


新京極通に、和泉式部の寺、誠心院。

墓である宝筐院との場所が、変わっていた。 図の場所に、以前はあった。


※ 式部より先に、娘の小式部内侍(こしきぶのないし)が先に死ぬ。 強い悲しみ。
大江山 いく野の道は遠ければ まだふみもみず 天の橋立 ~生野の道、細野峠~ 他 (2010/5/18)
貴船もみじ灯篭。 和泉式部恋の道。 牛若丸 修行の地、鞍馬寺。~京都市~ 他 (2012/11/21)
誓願寺。 能の曲目に、誓願寺がある。 この寺のこと。
和泉式部が上のお墓から、幽霊になって出てくるお話。 見てみたい幽霊。 詳しくは、下に。
誓願寺と誠心院。 和泉式部縁起絵巻(上・下)~京都市~ 他 (2013/4/10)

東風さんの希望で、本能寺。 信長の墓がある。


信長の他に、蘭丸、坊丸、前回のブログの信忠が眠る。

※ 本能寺の変の時の本能寺は、二条城の下に。 この地図に。
高瀬川沿いの木屋町通に来た。 維新の史跡がいっぱい。

佐久間象山の塾から、松陰ほかいっぱいの門下生。 松陰の塾からも、同じように。


少し下って、右手に、酢屋(すや)。 龍馬が住んでいたところ。
※ ここに来る前、池田屋があったが、寄るのを忘れた。
新選組が長州藩の志士達を襲った場所。 この報復のように、禁門の変が起きる。
土方歳三、そして、新選組が一躍名を上げた。

酢屋の前に花があった。 今日は、旧暦の11月15日。
龍馬が亡くなった日だった。 命日。 (生まれたのも、11月の15日)
高知県知事と高知市長からの花。
あの日、襲われた瞬間の龍馬に、機関銃で何でも、貸してやりたい。


別の場所。 この辺りは、武市瑞山と吉村寅太郎が住んだ場所。
※ 2人の像は、嵯峨野にある。 これ⇒


吉村寅太郎。 血気盛んな雰囲気。
天誅組を組織して、幕府と戦った。
負けたけど、戦った意味は大きかった。 幕府の力が大きくないと、世間が知ってしまった。
天誅組終焉の地、鷲家口(わしかぐち)を訪ねて。 最後のニホンオオカミ。~東吉野村~ 他 (2013/4/15)


瑞泉寺。 豊臣秀次の墓がある。


秀吉が好きになれない理由が、いくつかある。
この寺で知ることは、その1つ。

秀吉に子がいなかった。 跡継ぎにと、姉の子を養子にした。 それが秀次。
淀殿が秀頼を生んでから、邪魔になった。 難癖をつけて、殺した。
秀次と妻や子供たちの墓。


取り巻きの女性もみんな殺された。
彼は、高野山へ。 今の、金剛峰寺に送られた。 切腹の間が残っている。
高野山真言宗の総本山、金剛峯寺 ~高野町~ 君と淋しい風になる(森田童子) 他 (2012/6/9)


江(ごう)の2番目の夫は、秀次の弟。
その時の子が、完子(さだこ)。(昨日のブログに)
この時期は、どこにいたかだけど、亀山城だった。 知らなかった。 すぐ近く。


この後は、先斗町(ぽんとちょう)に。

ここは、花街。 芸者遊びができる。 一見(いちげん)さんはダメ。
数万円では無理なよう。 芸者さんを見て料理を食べるなら、1万円ほどのツアーが便利。


店の途切れたところから、鴨川が見えた。

寒かったので、近くのデパートを見て、少し休憩。
四条大橋を渡ると、南座。

ここは、祇園新橋。 重伝建地区。 白川が流れる。

「命短し 恋せよ乙女」と歌った、吉井勇の碑がある。


※ 彼の最初の妻は、こんな家系の人。 事件があって、別れる。 そして、四国の山の中に隠棲。
戻ってきて、新しい人と一緒に、京都に。 祇園を愛した。
轟の滝は、落差80㍍、3段の滝。 吉井勇はなぜ、この地、猪野々に隠棲を。~香美市~ 他 (2014/4/7)
橋近辺が、一番いい風景。


橋のたもとにある、お店。 東風さんと、あそこで飲みたいねって。


着物姿の人に、時々出会う。


少し歩いて、祇園の花見小路。 舞妓さんには、会わなかった。

ここは、祇園甲部歌舞練場。
キンキキッズの堂本剛です。 大喜利ではない、小喜利とか、そんなの。
中身の動画はネットにないので、彼の歌を。 青の時代。 左が、彼。

小路を歩いた。 紅葉の夜のライトアップが、始まっている。
高台寺より、永観堂がいいですね。
永観堂は、古くより、「秋はもみじの永観堂」といわれていた。 東山を少し。~京都市~ 他 (2013/11/19)


あっちこっちの小路を歩いて、地下鉄で、京都駅に戻った。

今日のコースは、何度も歩いたところ。
でも、歩くたびに、新しいものが見つかる。
京都の紅葉は、見頃ですよっていう所が、あちこちに。
今週末、来週末は、京都は人でいっぱい。
【今日の歌】 Hasta Siempre(アスタ・シエンプレ)
※ 永遠の別れの際に、「ごきげんよう」の意味で使われる表現だそう。
この曲は、チェ・ゲバラを讃えた曲。
チェ・ゲバラは、坂本龍馬を知っていました。
尊敬していたという話も、あります。
龍馬が亡くなった60年後に生まれています。
数年前、チェの映画がありましたね。
2人の共通点は、世の中を変えたこと。
そして、誰にも、好かれていること。
左には、歌詞の日本語訳が。 右は、今までに何度も載せたことのある、動画です。
【道の駅】 ガレリアかめおか
【今後の予定】 20日に、光雲寺です。
19日は、愛宕山かな。 気になる絵馬があるので。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

【ランキング】 国内旅行、2位。 旅行全体で、3位です。
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