江(ごう)の娘達は、みんな魅力的で、優秀な女性だったのでしょうか。
完子(さだこ)が、九条家に。
秀忠に嫁いで生まれた、末娘の和子は、後水尾天皇の中宮に。
後に、東福門院と呼ばれるように。 ※ 和子・・・まさこ 後水尾・・・ごみずのお
徳川家の狙いは何だったんでしょう。
それは、天皇家の血に、徳川の血を入れることですね。
この時期、紫衣事件とかがあった。
そんなのを通して、実質、徳川家は天皇家の上に立つ力を、持つようになる。
幕末に尊王運動が起きるまで、それは、続く。
東福門院は、幕府と皇室とのパイプ役を果たしたよう。
賢い人だから、できた。
今日は、彼女の菩提寺、光雲寺に。
公開前の前日で、人はいない。
見学できるように、光雲寺と連絡を取ってくれたのは、高松のMさん。
庭は、東山を借景として作った、池泉式(ちせんしき)庭園。
紅葉は、頂点を目指している、途中の状態。
これはこれでいい。
光に輝き、まぶしいほどの美しさだった。
ブログには載せられないけど、仏像も撮らせていただいた。
久しぶりに、美しい像を見た。
それは、東福門院の念持仏の「聖観音像」。 感動。
宝物のように、厨子に入っていた。
運慶作と伝わり、長年秘仏だった。
光雲寺のHPを紹介します。 (そこで、見られるので)
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
地下鉄の東山駅で降りて、歩いた。
通路に、下のポスター。 光雲寺がある。
東福門院の聖観音像と、紅葉の映える借景庭園とある。

適当に向かっていて、そろそろ探そうかと思ったら、下の場所にいた。
この道の先に、光雲寺。 地図の赤○から撮影。

上の写真の石柱に、後水之尾天皇の、勅願(ちょくがん)所とある。
勅は天皇の言葉のような意味。
後水尾天皇が、何かあったらこの寺にお願いした。 そんな意味でしょうか。
最初に書いた、江の末娘が嫁いだのが、この天皇。
ポスターにあった、東福門院ですね。 彼女の菩提寺。
石の右に、顕子内親王、久邇宮とあるけど、後程。
光雲寺に着いた。
2時にお邪魔することになっていた。 30分ほど時間があるので、周りを散歩。

屋根の上に、アオサギ。 しょっちゅう、ここにいた。
ここが居場所のよう。 居場所があるなんて、うらやましい。
右足で立っている。 左足で立つのが多いかなって、思うんだけど。
光雲寺の仏殿を、北側の道から撮影。

哲学の道に来た。 紅葉の季節。 土日に関係なく、人が多い。
仏殿が見えますね。 正面手前の木の向こうに、庭園。 明日から特別公開。

立派な庭木が見える。
庭の隣に、墓がある。 これが、入り口で見た、顕子(あきこ)内親王の墓。
東福門院和子(まさこ)の第4皇女。 ※ Wikipediaでは、昭子内親王。
生涯独身だったよう。

※ なお、久邇宮家の墓が、寺の北側にあるそう。 写真では、右。
久邇宮家については、以前紹介したけど、昭和天皇の香淳皇后を出していますね。
この写真の、前で座ってる人。 嫁ぐ前。(Wikipedia)
彼女の碑には、長篠城で出会った。 歴史が好きだったのかな。
長篠の戦い。 長篠城。 決戦の地、設楽原。 鳥居 強右衛門。~新城市~ 他 (2013/6/12)
※ 余談だけど、家康は、家臣との信頼関係が、誰よりも強かった。 この戦いでも、分かる。
戻ってきた。

光雲寺は、南禅寺の塔頭。 南禅寺の禅センターの役割を果たしている。
小学生でも大人でも、誰でもが受けられる。 1時間ほどの日程で。 修学旅行生も、大丈夫。
※ 詳しくは、住職さんのHPのここに。 東福門院の像の写真も、そのページに。
右の説明には、観音像、手水鉢など、寺の見所も。

明日に向けて、準備が出来上がっている。

住職さんは、急な用で、留守だった。
寺の人に説明して、庭を見せてもらった。
後ろに、東山。 それを、借景(しゃっけい)と云っている。
間に、哲学の道が通っている。
庭の中心に池がある庭を、池泉式庭園って云うんですね。
東山も、ここの庭のよう。

昭和の初めに作られた庭なので、東福門院は知らない。
※ どこの寺も、明治になって大変な思いをした。 光雲寺だって、もっともっと広かった。
庭園は、部屋からも眺められる。

後ろに、手水鉢がある。
庭の木が育ちすぎて、困らないんだろうか。 きっと、剪定(せんてい)で切り抜けますね。
冬が近づくと、赤い実が目立つ。

上の写真は、向こうから撮った。
この寺の大事なものが、奥にある、手水鉢。

朝鮮から持ってきたのを、東福院が寄進したとある。 瑪瑙(めのう)手水鉢。
※ これについて、調べてみたけど、書いてあること以上は、分からなかった。
メノウは宝石。 大黒様の袋に入っている、7つの宝石の1つ。
巨大なメノウ。 ただものではないことは、確か。

空まで、美しくしてくれる。 ほめすぎか。

右奥に、手水鉢があった。 右の写真は、庭の奥への道。

何に使われる部屋かは、分からない。 庭の整備は、完璧。 準備完了。

仏殿です。 鬼瓦かな。

庭の中に入ってきた。 7代目小川治兵衛という人が、作ったそう。
デザインするときの、基本の考えがありますね。
調べてみたら、ただ者ではなかった。
近代日本庭園の先駆者とされる作庭家、だそう。
円山公園のも、大徳寺も、仁和寺も、京都には、彼の庭がいっぱい。 改修を含めて。
日本最古の紫宸殿が残る、仁和寺 ~京都市~ 海が死んでもいいョって鳴いている(森田童子) 他 (2012/6/7)
そして、「東山の借景と、琵琶湖疏水の引き込みを活かした、近代的日本庭園」を作ったことで、有名だそう。(Wikipedia)
光雲寺の庭園は、まさにこれ。 ぴったり。 こんな人。(Wikipedia)
最初から知っていれば、もっと、感動して見たかもしれない。

これが、琵琶湖疎水の水。 白いサザンカと、右は何だろう。

天竜寺の庭のように、広い所もある。
でも、庭の魅力は、それだけでは決まらない。
戻っている。 日陰は、苔。

この蛾(ガ)は、何に化けてるつもりでしょう。 白いサザンカの花びらか。 向こうから来た。

左の建物から出て、庭を見始めた。 飛び石が、リズムよく並ぶ。

スタート地点に。 左に、一文字手水鉢が見えている。 これも、貴重。

大きな宝篋印塔(ほうきょういんとう)。 大乗妙典塔とあった。
大乗妙典(だいじょうみょうてん)という経典には、悟りの道への教えが書いてあるという。
この塔には、どんな意味があるのでしょう。
この寺で、何かがあった。 苦しみを乗り越えた印か。 それとも、感謝か。

紅葉が、燃えた。 右写真の左に、一文字手水鉢。
庭を見終わって、仏殿に行った。
お客さんが来ると言うので、時間は短かかったが、仏像を見て、写真を撮らせてもらった。
本尊の釈迦如来像の、両脇の像がよかったでしょうか。
東福門院の像もあった。
何と言っても、誰でもが立ち止ってしまう像があった。
仏像の表情に、人間の表情がプラスされているのか。
聖観音像。 女性の表情。
これは、東福院門の念持仏。
彼女は、つらい時、この仏に手を合わせた。
仏に助けられて、時代を乗り越えた。
写真は、ここにあります。 大きな写真ではないけど。 住職さんのHP。
※ いつの日か、2時間ほどかけて、この仏像の表情を追ってみたい。
東福門院に見せた表情は、どんなのか。 それが撮りたい。
隠れて、発見できていない表情が、きっとある。
ここは、大事な客しか通れないのか。 玄関への途中で。

仏殿です。 この中に、上で見た仏像が。

光雲寺の開山は、大明国師(だいみょうこくし)。 南禅寺と同じ。
無関普門(むかんふもん)とも、言われる。
調べてみたら、面白いことが。
彼は、1288年(正応元年)、亀山上皇の離宮に出没する妖怪を、降伏(ごうぶく)した。
その功により、南禅寺開山となった。(Wikipedia) ※ 降伏(ごうぶく)は、祈りで鎮めること。
亀山上皇の離宮は、嵐山の方にあった。 今は、亀山公園。
昔は、妖怪のようなのは、何でもあった。
鬼、天狗、狐、お化け、・・・。
それらが出て、困った。 無関普門は、祈りで鎮めた。 その手柄で、南禅寺、光雲寺を開山。
そうそう、妖怪は、鵺(ぬえ)だったかも知れない。
その鳴き声を、みんな恐れたから。 おびえる心を、さらに震わせる鳴き声。
竹屋町通を歩く。 幽霊絵馬の革堂(こうどう)。 鵺(ぬえ)退治伝説の、鵺大明神。~京都市~ 他 (2013/6/25)
※ 京都の人たちは分からなかったけど、鳴き声の主は、トラツグミなんですね。
日光から会津若松に抜ける山の中で、一度聞いた。 一晩中鳴いた。
これが、鵺の声。 水の音で、聞きにくい。 耳を澄まして。
砂は、掃き清められている。

鐘は、明正天皇の寄進。 明正天皇は、東福門院の、第2皇女。

仏殿は東福門院の時代に建てられて、340年以上経っているそう。

美しい庭と、感動的な聖観音像。
今思ったんだけど、聖観音像のうつむき加減な視線の先に、東福門院の顔があった。
お互い見つめ合って、彼女は話しかけた。 心が軽くなる。
そして、静かに手を合わせた。
東福門院になって、写真を撮ればいいのかな。
分かってきましたよ。
忘れていました。 東福門院は、こんな人。(Wikipedia。 光雲寺にあるものです。 見てないけど)
穏やかな表情の中に、意志の強さが見て取れます。
いい一日でした。
光雲寺の住職さん、そして、世話してくれた高松のMさんに感謝です。
※ Mさんは、以前、The Wedding の日本語訳をお願いした方です。
香川県の観光の情報面で、今もお世話になっています。
天草キリシタン館。 祇園橋付近、川は血に染まった。~天草市~ The Wedding の日本語訳 他 (2013/2/9)
【仏像の写真の紹介】 掲載していいですよ、となったので紹介。













【関連ブログ】 江をはじめ、浅井三姉妹が生まれた小谷城 ~長浜市~ 他 (2010/12/1)
【今日の歌】 「東福門院和子の涙」という本が出ている。 読んではいない。
※ 京都の図書館にある。 読んでみたい。
彼女は朝廷の冷たい仕打ちに耐え忍び、心から笑った日はなかった。(あらすじの一部)
最初から、「幸せ」はもらえていなかったよう。
それでも、弱音を吐かなかったというから、強い人。
ラトビアの国は、神様から「幸せ」だけがもらえていなかった。
邪魔してたのは、ソ連。
それでも、1991年に独立する。
※ ラトビアは、バルト三国の真ん中の国。(Wikipedia)
※ 上の曲は、ソ連で百万本のバラとなって、日本に入ってきます。
日本で最初に歌ったのは、下に書いたニーナさん。 NHKのラジオ講座で。
ニーナさんが歌う 「百万本のバラ」と、「大好きなあなた」 ~稚内市 ロシア料理店 ペチカにて~ 他 (2012/8/29)
【停泊場所】 亀岡市の運動公園駐車場。
【今後の予定】 東山方面に一度だけ。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
【ランキング】 国内旅行、2位。 旅行全体で、2位です。
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完子(さだこ)が、九条家に。
秀忠に嫁いで生まれた、末娘の和子は、後水尾天皇の中宮に。
後に、東福門院と呼ばれるように。 ※ 和子・・・まさこ 後水尾・・・ごみずのお
徳川家の狙いは何だったんでしょう。
それは、天皇家の血に、徳川の血を入れることですね。
この時期、紫衣事件とかがあった。
そんなのを通して、実質、徳川家は天皇家の上に立つ力を、持つようになる。
幕末に尊王運動が起きるまで、それは、続く。
東福門院は、幕府と皇室とのパイプ役を果たしたよう。
賢い人だから、できた。
今日は、彼女の菩提寺、光雲寺に。
公開前の前日で、人はいない。
見学できるように、光雲寺と連絡を取ってくれたのは、高松のMさん。
庭は、東山を借景として作った、池泉式(ちせんしき)庭園。
紅葉は、頂点を目指している、途中の状態。
これはこれでいい。
光に輝き、まぶしいほどの美しさだった。
ブログには載せられないけど、仏像も撮らせていただいた。
久しぶりに、美しい像を見た。
それは、東福門院の念持仏の「聖観音像」。 感動。
宝物のように、厨子に入っていた。
運慶作と伝わり、長年秘仏だった。
光雲寺のHPを紹介します。 (そこで、見られるので)
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。

( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
地下鉄の東山駅で降りて、歩いた。
通路に、下のポスター。 光雲寺がある。
東福門院の聖観音像と、紅葉の映える借景庭園とある。



適当に向かっていて、そろそろ探そうかと思ったら、下の場所にいた。
この道の先に、光雲寺。 地図の赤○から撮影。


上の写真の石柱に、後水之尾天皇の、勅願(ちょくがん)所とある。
勅は天皇の言葉のような意味。
後水尾天皇が、何かあったらこの寺にお願いした。 そんな意味でしょうか。
最初に書いた、江の末娘が嫁いだのが、この天皇。
ポスターにあった、東福門院ですね。 彼女の菩提寺。
石の右に、顕子内親王、久邇宮とあるけど、後程。
光雲寺に着いた。
2時にお邪魔することになっていた。 30分ほど時間があるので、周りを散歩。

屋根の上に、アオサギ。 しょっちゅう、ここにいた。
ここが居場所のよう。 居場所があるなんて、うらやましい。
右足で立っている。 左足で立つのが多いかなって、思うんだけど。
光雲寺の仏殿を、北側の道から撮影。



哲学の道に来た。 紅葉の季節。 土日に関係なく、人が多い。
仏殿が見えますね。 正面手前の木の向こうに、庭園。 明日から特別公開。

立派な庭木が見える。
庭の隣に、墓がある。 これが、入り口で見た、顕子(あきこ)内親王の墓。
東福門院和子(まさこ)の第4皇女。 ※ Wikipediaでは、昭子内親王。
生涯独身だったよう。


※ なお、久邇宮家の墓が、寺の北側にあるそう。 写真では、右。
久邇宮家については、以前紹介したけど、昭和天皇の香淳皇后を出していますね。
この写真の、前で座ってる人。 嫁ぐ前。(Wikipedia)
彼女の碑には、長篠城で出会った。 歴史が好きだったのかな。
長篠の戦い。 長篠城。 決戦の地、設楽原。 鳥居 強右衛門。~新城市~ 他 (2013/6/12)
※ 余談だけど、家康は、家臣との信頼関係が、誰よりも強かった。 この戦いでも、分かる。
戻ってきた。

光雲寺は、南禅寺の塔頭。 南禅寺の禅センターの役割を果たしている。
小学生でも大人でも、誰でもが受けられる。 1時間ほどの日程で。 修学旅行生も、大丈夫。
※ 詳しくは、住職さんのHPのここに。 東福門院の像の写真も、そのページに。
右の説明には、観音像、手水鉢など、寺の見所も。


明日に向けて、準備が出来上がっている。

住職さんは、急な用で、留守だった。
寺の人に説明して、庭を見せてもらった。
後ろに、東山。 それを、借景(しゃっけい)と云っている。
間に、哲学の道が通っている。


庭の中心に池がある庭を、池泉式庭園って云うんですね。
東山も、ここの庭のよう。


昭和の初めに作られた庭なので、東福門院は知らない。
※ どこの寺も、明治になって大変な思いをした。 光雲寺だって、もっともっと広かった。
庭園は、部屋からも眺められる。


後ろに、手水鉢がある。
庭の木が育ちすぎて、困らないんだろうか。 きっと、剪定(せんてい)で切り抜けますね。
冬が近づくと、赤い実が目立つ。



上の写真は、向こうから撮った。
この寺の大事なものが、奥にある、手水鉢。

朝鮮から持ってきたのを、東福院が寄進したとある。 瑪瑙(めのう)手水鉢。
※ これについて、調べてみたけど、書いてあること以上は、分からなかった。
メノウは宝石。 大黒様の袋に入っている、7つの宝石の1つ。
巨大なメノウ。 ただものではないことは、確か。


空まで、美しくしてくれる。 ほめすぎか。

右奥に、手水鉢があった。 右の写真は、庭の奥への道。


何に使われる部屋かは、分からない。 庭の整備は、完璧。 準備完了。

仏殿です。 鬼瓦かな。


庭の中に入ってきた。 7代目小川治兵衛という人が、作ったそう。
デザインするときの、基本の考えがありますね。
調べてみたら、ただ者ではなかった。
近代日本庭園の先駆者とされる作庭家、だそう。
円山公園のも、大徳寺も、仁和寺も、京都には、彼の庭がいっぱい。 改修を含めて。
日本最古の紫宸殿が残る、仁和寺 ~京都市~ 海が死んでもいいョって鳴いている(森田童子) 他 (2012/6/7)
そして、「東山の借景と、琵琶湖疏水の引き込みを活かした、近代的日本庭園」を作ったことで、有名だそう。(Wikipedia)
光雲寺の庭園は、まさにこれ。 ぴったり。 こんな人。(Wikipedia)
最初から知っていれば、もっと、感動して見たかもしれない。


これが、琵琶湖疎水の水。 白いサザンカと、右は何だろう。



天竜寺の庭のように、広い所もある。
でも、庭の魅力は、それだけでは決まらない。
戻っている。 日陰は、苔。

この蛾(ガ)は、何に化けてるつもりでしょう。 白いサザンカの花びらか。 向こうから来た。


左の建物から出て、庭を見始めた。 飛び石が、リズムよく並ぶ。

スタート地点に。 左に、一文字手水鉢が見えている。 これも、貴重。


大きな宝篋印塔(ほうきょういんとう)。 大乗妙典塔とあった。
大乗妙典(だいじょうみょうてん)という経典には、悟りの道への教えが書いてあるという。
この塔には、どんな意味があるのでしょう。
この寺で、何かがあった。 苦しみを乗り越えた印か。 それとも、感謝か。

紅葉が、燃えた。 右写真の左に、一文字手水鉢。


庭を見終わって、仏殿に行った。
お客さんが来ると言うので、時間は短かかったが、仏像を見て、写真を撮らせてもらった。
本尊の釈迦如来像の、両脇の像がよかったでしょうか。
東福門院の像もあった。
何と言っても、誰でもが立ち止ってしまう像があった。
仏像の表情に、人間の表情がプラスされているのか。
聖観音像。 女性の表情。
これは、東福院門の念持仏。
彼女は、つらい時、この仏に手を合わせた。
仏に助けられて、時代を乗り越えた。
写真は、ここにあります。 大きな写真ではないけど。 住職さんのHP。
※ いつの日か、2時間ほどかけて、この仏像の表情を追ってみたい。
東福門院に見せた表情は、どんなのか。 それが撮りたい。
隠れて、発見できていない表情が、きっとある。
ここは、大事な客しか通れないのか。 玄関への途中で。

仏殿です。 この中に、上で見た仏像が。

光雲寺の開山は、大明国師(だいみょうこくし)。 南禅寺と同じ。
無関普門(むかんふもん)とも、言われる。
調べてみたら、面白いことが。
彼は、1288年(正応元年)、亀山上皇の離宮に出没する妖怪を、降伏(ごうぶく)した。
その功により、南禅寺開山となった。(Wikipedia) ※ 降伏(ごうぶく)は、祈りで鎮めること。
亀山上皇の離宮は、嵐山の方にあった。 今は、亀山公園。
昔は、妖怪のようなのは、何でもあった。
鬼、天狗、狐、お化け、・・・。
それらが出て、困った。 無関普門は、祈りで鎮めた。 その手柄で、南禅寺、光雲寺を開山。
そうそう、妖怪は、鵺(ぬえ)だったかも知れない。
その鳴き声を、みんな恐れたから。 おびえる心を、さらに震わせる鳴き声。
竹屋町通を歩く。 幽霊絵馬の革堂(こうどう)。 鵺(ぬえ)退治伝説の、鵺大明神。~京都市~ 他 (2013/6/25)
※ 京都の人たちは分からなかったけど、鳴き声の主は、トラツグミなんですね。
日光から会津若松に抜ける山の中で、一度聞いた。 一晩中鳴いた。
これが、鵺の声。 水の音で、聞きにくい。 耳を澄まして。
砂は、掃き清められている。


鐘は、明正天皇の寄進。 明正天皇は、東福門院の、第2皇女。


仏殿は東福門院の時代に建てられて、340年以上経っているそう。


美しい庭と、感動的な聖観音像。
今思ったんだけど、聖観音像のうつむき加減な視線の先に、東福門院の顔があった。
お互い見つめ合って、彼女は話しかけた。 心が軽くなる。
そして、静かに手を合わせた。
東福門院になって、写真を撮ればいいのかな。
分かってきましたよ。
忘れていました。 東福門院は、こんな人。(Wikipedia。 光雲寺にあるものです。 見てないけど)
穏やかな表情の中に、意志の強さが見て取れます。
いい一日でした。
光雲寺の住職さん、そして、世話してくれた高松のMさんに感謝です。
※ Mさんは、以前、The Wedding の日本語訳をお願いした方です。
香川県の観光の情報面で、今もお世話になっています。
天草キリシタン館。 祇園橋付近、川は血に染まった。~天草市~ The Wedding の日本語訳 他 (2013/2/9)
【仏像の写真の紹介】 掲載していいですよ、となったので紹介。

























【関連ブログ】 江をはじめ、浅井三姉妹が生まれた小谷城 ~長浜市~ 他 (2010/12/1)
【今日の歌】 「東福門院和子の涙」という本が出ている。 読んではいない。
※ 京都の図書館にある。 読んでみたい。
彼女は朝廷の冷たい仕打ちに耐え忍び、心から笑った日はなかった。(あらすじの一部)
最初から、「幸せ」はもらえていなかったよう。
それでも、弱音を吐かなかったというから、強い人。
ラトビアの国は、神様から「幸せ」だけがもらえていなかった。
邪魔してたのは、ソ連。
それでも、1991年に独立する。
※ ラトビアは、バルト三国の真ん中の国。(Wikipedia)
※ 上の曲は、ソ連で百万本のバラとなって、日本に入ってきます。
日本で最初に歌ったのは、下に書いたニーナさん。 NHKのラジオ講座で。
ニーナさんが歌う 「百万本のバラ」と、「大好きなあなた」 ~稚内市 ロシア料理店 ペチカにて~ 他 (2012/8/29)
【停泊場所】 亀岡市の運動公園駐車場。
【今後の予定】 東山方面に一度だけ。
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(2008年4月~2010年9月までの記事)

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