今回、薩摩半島を下った目的は、「シーオン・インターネットサービス」、という会社に寄ること。
ブログなどに宣伝を載せたいが、自分ではうまくいかない。
以前、一度、別の件でお世話になっている。
今回は、上のことをお願いする。
その会社は、南九州市の頴娃(えい)にある。
古い家並みがあるので、少しだけ、歩いてみた。
それと、開聞岳が美しく見える、海岸線も。
頴娃(えい)の読みが難しい。
調べたら、読み方と、その意味が不思議。
これを書いているのは、28日午後。
27日は、寝ていた。
やっと体が軽くなって、29日から、歩き出す。
今は、喜入の道の駅にいる。
喜入は、先日のブログの、小松帯刀ゆかりの地。
彼は、喜入領主、肝付(きもつき)家の三男として生まれた。
※ 領主の自宅は鹿児島市内にもあって、帯刀は、そちらで生まれたよう。
喜入は、領地であるから、こちらの別邸で暮らすことは、もちろん多かった。
また、篤姫が育った別邸は、ここから近い。
10㌔ほど離れた、今和泉。 (指宿の方に)
2人は、同じ年に生まれている。 (龍馬も同じ年)
篤姫 ゆかりの地を訪ねて 池田湖の大ウナギ 他 (2009年5月13日)
喜入には、帯刀が育った時代の、石垣などの雰囲気が残っている。
喜入麓と、呼ばれる。
明日、歩いてみましょうか。
※ 以前、喜入は何となく歩いてはいる。 肝付家の墓があった。
喜入を歩いてみました。(その2) 他 (2010/1/11)
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
頴娃(えい)町は、今は、合併して、南九州市頴娃町。
※ 南九州市は、頴娃町と、知覧町と、川辺町が合併。
知覧町には、武家屋敷や特攻平和会館がある。
知覧、武家屋敷通り。 武家屋敷庭園。 高田磨崖仏。~南九州市~ 他 (2014/1/31)
知覧特攻平和会館 ~平和に寄与するとは~ 他 (2010/1/6)
ホタル館 富屋食堂 ~飛び立って、戻った人はいるのか~
川辺町には、日本最大規模の、磨崖仏群が。
清水磨崖仏群。 日本一の大五輪塔、月輪大梵字、他。~南九州市~ 他 (2014/1/30)

お世話になる店は、ここ。 シーオン・インターネットサービス。
支店が、鹿児島市内にもある。
※ 店のHPは、右に。 シーオン・インターネットサービス。
作業は、この日と次の日に、行った。
登録を待って、次に進む作業もある。

こんな手続きもした。
こまった時に、ある方法で、この会社が私のパソコンに、入り込んで作業する。
北海道にいても、それは出来る。
今後、最後に頼る所として、お世話になる。
下は、前回来た時のブログ。
九州も雪、動けません。 パソコン完全復活。 他 (2010/1/13)

頴娃の見どころを教えてもらって、海に行った。 まず、 戸柱自然公園に。
開聞(かいもん)岳が見えた。 いつ見ても、いい姿。
標高924㍍。
百名山の中では、2番目に低い。 一番低いのは筑波山で、877㍍。
※ 海の近くから登るから、登る標高差は、山の高さに近い。
百名山の半分は、楽しようとすれば、開聞岳より楽。
車道やロープウェーがあるので。

港の前に、ライオン岩。 左向き。

後で、家並みの中を歩く。

男の人が、あっちにも行ったかいと、ここに連れて来てくれた。
100㍍ほど歩いて。 戸柱自然公園。

この方が、案内人。 親切。
丁寧に説明してくれる。 ところが、何言ってるか、さっぱりわからない。
鹿児島弁は、だいたい分かると思っていたのに。
小さな神社。

そういえば、さっきの会社のシーオンの人が、頴娃の言葉は、難しいと言った。
「えい語」と言われることも。
例えば、こう。 (頴娃町の方言より)
「また みごとな 景色ですね」 は、普通。 これが、下になる。
「マダ ミゴデ ケシッ ヂャッドナー」
濁音が多く、最後に、ヂャッドナー では、めちゃくちゃ。
「えい語」でなく「英語」なら、「It's the excellent scenery」のように、なりますね。(訳はネットで)
excellentは、エクセレント。 sceneryは、シーナリーで、シーンに関係する言葉ですね。
まだ、英語の方が、分かりやすいですよ。
下は、土地の人の会話。 病院のことを言ってるよう。
※ 頴娃の港で、島津藩は密貿易をしていた。
それで、幕府に分からない暗号の言葉が入り込んだ。
また、南の方の言葉の影響もうけた。
こんなことが、頴娃の方言を難しくしたようです。(シーオンの方といくつかのネットの情報)
変わった石が。
こうです。 お金みたい。 見ない表情の、像。

隣に、石碑。 遣唐使が、この港に着いたという。 はるか昔の話。

鑑真の日本への船は、4隻。 第2船に鑑真がのった。 ここより北に、漂着。
第3船は、紀伊半島に。 第4船が、この港に着いた。 第1船は、日本には来れなくて、海南島。
第2船以外は、難破船のように、たどり着いた。
このことについては、後ほど。

岩礁の浜が続く。

車は、適当に停めて、歩くことに。
この道は、昔のメインストリートか。 左に、昔は豪商の家。

再び、遣唐使船の説明。 鑑真のことが。

鑑真が着いたのは、下の場所。 左。
漂着した、秋目の港。 小さな船。 命がけ。

※ 遣唐使は、何回もあった。 長島にも、漂着した場所があった。
多くの文化がもたらされ、日本は変わっていく。
杜氏の里、笠沙黒瀬 鑑真和上上陸地に、鑑真記念館 河津桜が咲いていた~ 他 (2012/2/28)

下の言葉が。 藤田と云う画家かな。

雰囲気のいい坂道。

お蔵ん坂。

貿易で栄えた時代が、あったんですね。
横を見た。

この地区には、昔の名残が、少しだけ残っている。

昔を活かした街づくりをするのは、難しい取り組み。
それでも、どこかに、可能性は潜んでいる。

この日は、戸柱自然公園に、停泊。
この一帯は、頴娃町の石垣地区。
次の日、少し走って、番所鼻自然公園に。 鼻は、岬の意味。
遠くに、開聞岳。

向こうから来た。

右方面。 タツノオトシゴは、向こうの方で。

開聞岳と、釣り人。

正面遠くに、島。 知らない島。 黒島かな。

タツノオトシゴ、観光養殖場。 魚も。

タツノオトシゴは、変わっている。
普通の生き物の受精は、精子が雌に行く。
タツノオトシゴは、卵子が雄に行く。
だから、雄が、生むことになる。
生れる時から、この格好。

下のようなビデオがあった。
この後、再度、シーオンに行った。
雑談でも、自分にとっては勉強になる。
せっかく頴娃に来たので、この町を少しだけ、歩いてみました。
丁寧に歩けば、他にも見所はある。
いつかまた、シーオンに来る。
その時また、歩きましょう。
※ 忘れてました。 頴娃の読みについて。
頴の字は、それだけで、エイと読める。 稲のコメのからの部分。(琵琶湖・堅田・デジカメ絵図より)
娃の字は、アイ、エ、ワ、と読めるよう。 美しいという意味。
圭は、こういうもので、権威の象徴だそう。(中国のあるHP)
そのことから、娃の美しさのイメージは、立ち姿のいい美しさ、と考えられる。
頴娃の地は、元々は、入江だった。 つまり、江。
江から、頴娃に変化したのではという説が有力。
今の頴娃の辺りは、深く海が入り込んでいたよう。
昔の頴娃は、浜一帯だったのでは。
ここからは、想像。
開聞岳は、昔は島だったかも。
それが、砂でつながって、陸繋島に。
頴娃は、その砂地にあった。
江の名前で。
そうでなかったとしても、開聞岳は、半島っぽかったでしょうね。
池田湖は、海に近くて。
元に戻って。
頴娃の読みは、頴だけで、えいと読むそう。
娃の字は、ただ、くっ付いているだけ。(南薩摩観光情報より)
【今日の歌】 Il Volo - 'O Sole Mio
【停泊場所】 25日 戸柱公園 26・27日 道の駅、喜入

【今後の予定】 29日は、喜入麓を歩く。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
【ランキング】 国内旅行、1位。 旅行全体で、1位です。
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ブログなどに宣伝を載せたいが、自分ではうまくいかない。
以前、一度、別の件でお世話になっている。
今回は、上のことをお願いする。
その会社は、南九州市の頴娃(えい)にある。
古い家並みがあるので、少しだけ、歩いてみた。
それと、開聞岳が美しく見える、海岸線も。
頴娃(えい)の読みが難しい。
調べたら、読み方と、その意味が不思議。
これを書いているのは、28日午後。
27日は、寝ていた。
やっと体が軽くなって、29日から、歩き出す。
今は、喜入の道の駅にいる。
喜入は、先日のブログの、小松帯刀ゆかりの地。
彼は、喜入領主、肝付(きもつき)家の三男として生まれた。
※ 領主の自宅は鹿児島市内にもあって、帯刀は、そちらで生まれたよう。
喜入は、領地であるから、こちらの別邸で暮らすことは、もちろん多かった。
また、篤姫が育った別邸は、ここから近い。
10㌔ほど離れた、今和泉。 (指宿の方に)
2人は、同じ年に生まれている。 (龍馬も同じ年)
篤姫 ゆかりの地を訪ねて 池田湖の大ウナギ 他 (2009年5月13日)
喜入には、帯刀が育った時代の、石垣などの雰囲気が残っている。
喜入麓と、呼ばれる。
明日、歩いてみましょうか。
※ 以前、喜入は何となく歩いてはいる。 肝付家の墓があった。
喜入を歩いてみました。(その2) 他 (2010/1/11)
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。

( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
頴娃(えい)町は、今は、合併して、南九州市頴娃町。
※ 南九州市は、頴娃町と、知覧町と、川辺町が合併。
知覧町には、武家屋敷や特攻平和会館がある。
知覧、武家屋敷通り。 武家屋敷庭園。 高田磨崖仏。~南九州市~ 他 (2014/1/31)
知覧特攻平和会館 ~平和に寄与するとは~ 他 (2010/1/6)
ホタル館 富屋食堂 ~飛び立って、戻った人はいるのか~
川辺町には、日本最大規模の、磨崖仏群が。
清水磨崖仏群。 日本一の大五輪塔、月輪大梵字、他。~南九州市~ 他 (2014/1/30)


お世話になる店は、ここ。 シーオン・インターネットサービス。
支店が、鹿児島市内にもある。
※ 店のHPは、右に。 シーオン・インターネットサービス。
作業は、この日と次の日に、行った。
登録を待って、次に進む作業もある。

こんな手続きもした。
こまった時に、ある方法で、この会社が私のパソコンに、入り込んで作業する。
北海道にいても、それは出来る。
今後、最後に頼る所として、お世話になる。
下は、前回来た時のブログ。
九州も雪、動けません。 パソコン完全復活。 他 (2010/1/13)

頴娃の見どころを教えてもらって、海に行った。 まず、 戸柱自然公園に。
開聞(かいもん)岳が見えた。 いつ見ても、いい姿。
標高924㍍。
百名山の中では、2番目に低い。 一番低いのは筑波山で、877㍍。
※ 海の近くから登るから、登る標高差は、山の高さに近い。
百名山の半分は、楽しようとすれば、開聞岳より楽。
車道やロープウェーがあるので。

港の前に、ライオン岩。 左向き。

後で、家並みの中を歩く。

男の人が、あっちにも行ったかいと、ここに連れて来てくれた。
100㍍ほど歩いて。 戸柱自然公園。

この方が、案内人。 親切。
丁寧に説明してくれる。 ところが、何言ってるか、さっぱりわからない。
鹿児島弁は、だいたい分かると思っていたのに。
小さな神社。

そういえば、さっきの会社のシーオンの人が、頴娃の言葉は、難しいと言った。
「えい語」と言われることも。
例えば、こう。 (頴娃町の方言より)
「また みごとな 景色ですね」 は、普通。 これが、下になる。
「マダ ミゴデ ケシッ ヂャッドナー」
濁音が多く、最後に、ヂャッドナー では、めちゃくちゃ。
「えい語」でなく「英語」なら、「It's the excellent scenery」のように、なりますね。(訳はネットで)
excellentは、エクセレント。 sceneryは、シーナリーで、シーンに関係する言葉ですね。
まだ、英語の方が、分かりやすいですよ。
下は、土地の人の会話。 病院のことを言ってるよう。
※ 頴娃の港で、島津藩は密貿易をしていた。
それで、幕府に分からない暗号の言葉が入り込んだ。
また、南の方の言葉の影響もうけた。
こんなことが、頴娃の方言を難しくしたようです。(シーオンの方といくつかのネットの情報)
変わった石が。

こうです。 お金みたい。 見ない表情の、像。


隣に、石碑。 遣唐使が、この港に着いたという。 はるか昔の話。

鑑真の日本への船は、4隻。 第2船に鑑真がのった。 ここより北に、漂着。
第3船は、紀伊半島に。 第4船が、この港に着いた。 第1船は、日本には来れなくて、海南島。
第2船以外は、難破船のように、たどり着いた。
このことについては、後ほど。

岩礁の浜が続く。

車は、適当に停めて、歩くことに。
この道は、昔のメインストリートか。 左に、昔は豪商の家。

再び、遣唐使船の説明。 鑑真のことが。


鑑真が着いたのは、下の場所。 左。

漂着した、秋目の港。 小さな船。 命がけ。


※ 遣唐使は、何回もあった。 長島にも、漂着した場所があった。
多くの文化がもたらされ、日本は変わっていく。
杜氏の里、笠沙黒瀬 鑑真和上上陸地に、鑑真記念館 河津桜が咲いていた~ 他 (2012/2/28)


下の言葉が。 藤田と云う画家かな。

雰囲気のいい坂道。

お蔵ん坂。

貿易で栄えた時代が、あったんですね。
横を見た。

この地区には、昔の名残が、少しだけ残っている。

昔を活かした街づくりをするのは、難しい取り組み。
それでも、どこかに、可能性は潜んでいる。

この日は、戸柱自然公園に、停泊。
この一帯は、頴娃町の石垣地区。
次の日、少し走って、番所鼻自然公園に。 鼻は、岬の意味。


遠くに、開聞岳。

向こうから来た。

右方面。 タツノオトシゴは、向こうの方で。

開聞岳と、釣り人。

正面遠くに、島。 知らない島。 黒島かな。

タツノオトシゴ、観光養殖場。 魚も。


タツノオトシゴは、変わっている。
普通の生き物の受精は、精子が雌に行く。
タツノオトシゴは、卵子が雄に行く。
だから、雄が、生むことになる。
生れる時から、この格好。

下のようなビデオがあった。
この後、再度、シーオンに行った。
雑談でも、自分にとっては勉強になる。
せっかく頴娃に来たので、この町を少しだけ、歩いてみました。
丁寧に歩けば、他にも見所はある。
いつかまた、シーオンに来る。
その時また、歩きましょう。
※ 忘れてました。 頴娃の読みについて。
頴の字は、それだけで、エイと読める。 稲のコメのからの部分。(琵琶湖・堅田・デジカメ絵図より)
娃の字は、アイ、エ、ワ、と読めるよう。 美しいという意味。
圭は、こういうもので、権威の象徴だそう。(中国のあるHP)
そのことから、娃の美しさのイメージは、立ち姿のいい美しさ、と考えられる。
頴娃の地は、元々は、入江だった。 つまり、江。
江から、頴娃に変化したのではという説が有力。
今の頴娃の辺りは、深く海が入り込んでいたよう。
昔の頴娃は、浜一帯だったのでは。
ここからは、想像。
開聞岳は、昔は島だったかも。
それが、砂でつながって、陸繋島に。
頴娃は、その砂地にあった。
江の名前で。
そうでなかったとしても、開聞岳は、半島っぽかったでしょうね。
池田湖は、海に近くて。
元に戻って。
頴娃の読みは、頴だけで、えいと読むそう。
娃の字は、ただ、くっ付いているだけ。(南薩摩観光情報より)
【今日の歌】 Il Volo - 'O Sole Mio
【停泊場所】 25日 戸柱公園 26・27日 道の駅、喜入

【今後の予定】 29日は、喜入麓を歩く。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

【ランキング】 国内旅行、1位。 旅行全体で、1位です。
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