先日紹介した小松帯刀は、喜入肝付家の子として、鹿児島の屋敷で生まれた。
※ こまつたてわき。 きいれ きもつき。
喜入が領地だから、喜入で暮らすことも多かった。
暮らした建物は、肝付家仮屋。 ※ きもつきけ かりや
今は、そこに、小学校が建っていた。
仮屋跡一帯は、喜入麓と呼ばれる、武家屋敷通り。
昔の名残の道を、歩いてみた。
いろんなものに出会いながら、最後は、病院に行ってきた。
薬が無くなったので。
今年は、あと2日。
体調は戻ってきたので、何とか、ソバを食べて酒が飲めそう。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
喜入には、道の駅。 300円の温泉がある。 近くに、スーパーも。
2年前に風邪を引いた時も、ここで治した。
左の地図に、根占(ねじめ)とある。 禰寝(ねじめ)と同じ。
江戸時代前に、禰寝氏は、先日紹介した、薩摩半島の西の吉利に移った。
江戸時代の中頃に、小松氏に変名。 ※ 理由は、後で追加。
喜入肝付家で生まれた小松帯刀は、上の小松家に養子に行っていた。
小松帯刀の墓。 帯刀(たてわき)は、薩長連合で活躍。 小松氏は禰寝氏でも・・。~日置市~ 他 (2014/12/24)
肝付(きもつき)も、見える。
分家が、江戸時代前に喜入に来た。 喜入肝付家になった。
そんなことで、ちょっと、ごちゃごちゃ。

温泉とかの施設を、道の駅にもした。 駐車場は、左奥。

さあ出発。 川は、八幡川。 右の方を行く。

道の駅には、地図はなかった。 役場は休み。
適当に歩いて、小学校に着いた。

一帯が、喜入麓。 武家屋敷が集まっていた。 今も、それなりに。
上の写真の、右の家の門。

小学校の石垣。

積み方が、2種類。

喜入小学校の正門。 ここに、肝付家の仮屋があった。
仮屋と云っても、領地にある屋敷。
小松帯刀は、幕末に、肝付兼戈として、鹿児島の肝付家の屋敷で生まれた。
※ 後に、尚五郎。 兼戈の読みは? かねとも、かねかた、か。
育った場所が、屋敷と、ここの仮屋。
※ 篤姫が育った今和泉は、喜入の南隣。

裏の山は、高野山。 キイレツチトリモチが、日本で最初に、ここで見つかった。
キノコに似た、寄生植物。 こんな植物。(11月に長崎の伊王島で)
詳しくは、下のブログで。 鳥餅(とりもち)の意味も。
長崎半島の主峰、八郎岳に。 爆風で壊れた伊王島灯台。 キイレツチトリモチは、まるでキノコドキヤ。~長崎市~ 他 (2014/12/3)
旧麓から、ここに移ったとある。 帯刀が生まれる、ずっと前。
ここより山の中。 そっちに、肝付家の墓がある。
以前、歩いている。
喜入を歩いてみました。(その2) 他 (2010/1/11)

門の上から。 仮屋の敷地にグランドも。 広い。
正月の準備。 帯刀は、右の木を見ている。

先に進む。 左の横道。 奥に、病院があった。 行ってみたら、2時からの診察。
1時間ほど歩いて、来ることに。

病院から戻っている。 門をくぐって、塾。

喜入麓に住む人の先祖は、武士。
想像ですが、プライドの高い人もいるでしょうね。
周りの人が、平民に見える感じで。
これと同じことを、出水市の野田町で聞きました。

木の剪定(せんてい)にお金がかかりますね。 自分でするとしても、大変。
後ろの山は、高野山。 キイレツチトリモチ。
石垣の上に、生垣。 それが特徴。

ここは、管理する人がいなくなった。 家も壊れた。

いざという時、命を懸けて戦う代わりに、ここに住めた。

指宿枕崎線。 喜入駅。
※ 喜入の名前は、肝付氏の前、喜入氏が治めていたから。

木が恐竜。

喜入麓も、そろそろお終いの感じ。

「透かし」ってう剪定かな。 さっぱりした感じで、私は好きかな。
※ 昔、剪定の講習を、1度だけ受けたことがある。 分かるのは、ちょっとだけ。

ポンプ。 懐かしい。 普通見るのと、違う。 上がふさがっている。
津田式とある。 広島方面から、広がった。 これの方が、深くから汲めるよう。

※ 普通の、ガチャポンと言われるのは、こう。
私の家に昔あったのは、これのよう。 姉に電話して聞いた。
お風呂の水もこれ。 苦労して入るから、気持ちいい。
※ 津田式は、中が見えない。
少し歩いて、宮坂神社。

刀工(刀匠)のことが、書いてある。 玉置一平安代。(たまおき いっぺい やすよ)
重要文化財クラスの刀剣を作るよう。 薩摩刀ですね。

神社の説明にもある。

※ 玉置一平安代について、調べてみた。
この人の刀が、オークションに出ていた。
150万円で落札。 高いのか安いのか。

※ 上の刀は、長さ93.6㌢。 重さ、1589㌘。
普通は、70㌢ほどで、1000㌘前後。
ずいぶん長いですね。 そして重い。
※ 玉置家の墓は、近くにある。
喜入の町を歩いてみました。 他 (2010/1/10)
薩摩は、示顕流(じげんりゅう)とか、薬丸自顕流(やくまるじげんりゅう)。
なお、薬丸示顕流の薬丸家は、肝付家から分かれた家。
幕末の桜田門外の変は、水戸の浪士が主だが、1人だけ薩摩藩士がいた。
それが、有村 次左衛門(ありむら じざえもん)。
彼の剣が、薬丸示顕流。
「キエーイ」の声のもと、老中井伊直弼の首を、切り落とした。
彼は、40秒過ぎに登場。 (この映画は、見てきました)
下は示顕流。 声が独特。
下は、薬丸示顕流
※ 示顕流は、最初の一撃で倒すのが基本。
相手が刀で受けても、長く重い刀で、相手の刀を、ぶち壊して切り倒す。
人間の胴を、切り分けた記録があるという。
※ 示顕流の発祥の地は、下に。
吾平山上陵(あいらさんりょう) 圧倒的な本数の、くにの松原 ~鹿屋市・大崎町~ 雨に消えたあなた 他 (2012/3/12)
※ 薬丸裕英の両親は、鹿児島県の出身。 もしかして・・・。 それ以上は分からない。
※ 喜入には、中村家もあった。 中村家から、玉置家が出る。
下は、薩摩刀のHPからお借り。

※ 右のブログに、中村家が。 自現坊瀑と磨崖仏 ~喜入町渕田~
いい雰囲気の、小さな坂。

ちょっと寄り道。 里山です。

今も収穫。 農薬を気にしなくていい。 店で買うのは、気になる。

病院に寄って、ここを通って戻る。

※ 忘れてました。
禰寝(ねじめ)家を、小松家にした理由。
禰寝家の先祖は、平清盛の子の重盛と考えられている。
重盛の家は、京都の小松谷にあった。
それで、重盛は小松殿と呼ばれることがあった。
印のところが、六波羅小松第。 そこに住んでいた。
右の、正林寺の所に別邸があった。
清水寺が近い。 一帯が、小松谷。
歩いたのは1時間半ほど。
いっぱい着て。
【今日の歌】 悲しみは雪に眠る
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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※ こまつたてわき。 きいれ きもつき。
喜入が領地だから、喜入で暮らすことも多かった。
暮らした建物は、肝付家仮屋。 ※ きもつきけ かりや
今は、そこに、小学校が建っていた。
仮屋跡一帯は、喜入麓と呼ばれる、武家屋敷通り。
昔の名残の道を、歩いてみた。
いろんなものに出会いながら、最後は、病院に行ってきた。
薬が無くなったので。
今年は、あと2日。
体調は戻ってきたので、何とか、ソバを食べて酒が飲めそう。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。

( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
喜入には、道の駅。 300円の温泉がある。 近くに、スーパーも。
2年前に風邪を引いた時も、ここで治した。
左の地図に、根占(ねじめ)とある。 禰寝(ねじめ)と同じ。
江戸時代前に、禰寝氏は、先日紹介した、薩摩半島の西の吉利に移った。
江戸時代の中頃に、小松氏に変名。 ※ 理由は、後で追加。
喜入肝付家で生まれた小松帯刀は、上の小松家に養子に行っていた。
小松帯刀の墓。 帯刀(たてわき)は、薩長連合で活躍。 小松氏は禰寝氏でも・・。~日置市~ 他 (2014/12/24)
肝付(きもつき)も、見える。
分家が、江戸時代前に喜入に来た。 喜入肝付家になった。
そんなことで、ちょっと、ごちゃごちゃ。


温泉とかの施設を、道の駅にもした。 駐車場は、左奥。

さあ出発。 川は、八幡川。 右の方を行く。

道の駅には、地図はなかった。 役場は休み。
適当に歩いて、小学校に着いた。

一帯が、喜入麓。 武家屋敷が集まっていた。 今も、それなりに。
上の写真の、右の家の門。

小学校の石垣。

積み方が、2種類。

喜入小学校の正門。 ここに、肝付家の仮屋があった。
仮屋と云っても、領地にある屋敷。
小松帯刀は、幕末に、肝付兼戈として、鹿児島の肝付家の屋敷で生まれた。
※ 後に、尚五郎。 兼戈の読みは? かねとも、かねかた、か。
育った場所が、屋敷と、ここの仮屋。
※ 篤姫が育った今和泉は、喜入の南隣。

裏の山は、高野山。 キイレツチトリモチが、日本で最初に、ここで見つかった。
キノコに似た、寄生植物。 こんな植物。(11月に長崎の伊王島で)
詳しくは、下のブログで。 鳥餅(とりもち)の意味も。
長崎半島の主峰、八郎岳に。 爆風で壊れた伊王島灯台。 キイレツチトリモチは、まるでキノコドキヤ。~長崎市~ 他 (2014/12/3)
旧麓から、ここに移ったとある。 帯刀が生まれる、ずっと前。
ここより山の中。 そっちに、肝付家の墓がある。
以前、歩いている。
喜入を歩いてみました。(その2) 他 (2010/1/11)

門の上から。 仮屋の敷地にグランドも。 広い。
正月の準備。 帯刀は、右の木を見ている。


先に進む。 左の横道。 奥に、病院があった。 行ってみたら、2時からの診察。
1時間ほど歩いて、来ることに。


病院から戻っている。 門をくぐって、塾。

喜入麓に住む人の先祖は、武士。
想像ですが、プライドの高い人もいるでしょうね。
周りの人が、平民に見える感じで。
これと同じことを、出水市の野田町で聞きました。

木の剪定(せんてい)にお金がかかりますね。 自分でするとしても、大変。
後ろの山は、高野山。 キイレツチトリモチ。
石垣の上に、生垣。 それが特徴。

ここは、管理する人がいなくなった。 家も壊れた。

いざという時、命を懸けて戦う代わりに、ここに住めた。

指宿枕崎線。 喜入駅。
※ 喜入の名前は、肝付氏の前、喜入氏が治めていたから。

木が恐竜。

喜入麓も、そろそろお終いの感じ。

「透かし」ってう剪定かな。 さっぱりした感じで、私は好きかな。
※ 昔、剪定の講習を、1度だけ受けたことがある。 分かるのは、ちょっとだけ。

ポンプ。 懐かしい。 普通見るのと、違う。 上がふさがっている。
津田式とある。 広島方面から、広がった。 これの方が、深くから汲めるよう。

※ 普通の、ガチャポンと言われるのは、こう。
私の家に昔あったのは、これのよう。 姉に電話して聞いた。
お風呂の水もこれ。 苦労して入るから、気持ちいい。
※ 津田式は、中が見えない。
少し歩いて、宮坂神社。

刀工(刀匠)のことが、書いてある。 玉置一平安代。(たまおき いっぺい やすよ)
重要文化財クラスの刀剣を作るよう。 薩摩刀ですね。



神社の説明にもある。

※ 玉置一平安代について、調べてみた。
この人の刀が、オークションに出ていた。
150万円で落札。 高いのか安いのか。

※ 上の刀は、長さ93.6㌢。 重さ、1589㌘。
普通は、70㌢ほどで、1000㌘前後。
ずいぶん長いですね。 そして重い。
※ 玉置家の墓は、近くにある。
喜入の町を歩いてみました。 他 (2010/1/10)
薩摩は、示顕流(じげんりゅう)とか、薬丸自顕流(やくまるじげんりゅう)。
なお、薬丸示顕流の薬丸家は、肝付家から分かれた家。
幕末の桜田門外の変は、水戸の浪士が主だが、1人だけ薩摩藩士がいた。
それが、有村 次左衛門(ありむら じざえもん)。
彼の剣が、薬丸示顕流。
「キエーイ」の声のもと、老中井伊直弼の首を、切り落とした。
彼は、40秒過ぎに登場。 (この映画は、見てきました)
下は示顕流。 声が独特。
下は、薬丸示顕流
※ 示顕流は、最初の一撃で倒すのが基本。
相手が刀で受けても、長く重い刀で、相手の刀を、ぶち壊して切り倒す。
人間の胴を、切り分けた記録があるという。
※ 示顕流の発祥の地は、下に。
吾平山上陵(あいらさんりょう) 圧倒的な本数の、くにの松原 ~鹿屋市・大崎町~ 雨に消えたあなた 他 (2012/3/12)
※ 薬丸裕英の両親は、鹿児島県の出身。 もしかして・・・。 それ以上は分からない。
※ 喜入には、中村家もあった。 中村家から、玉置家が出る。
下は、薩摩刀のHPからお借り。

※ 右のブログに、中村家が。 自現坊瀑と磨崖仏 ~喜入町渕田~
いい雰囲気の、小さな坂。

ちょっと寄り道。 里山です。

今も収穫。 農薬を気にしなくていい。 店で買うのは、気になる。

病院に寄って、ここを通って戻る。

※ 忘れてました。
禰寝(ねじめ)家を、小松家にした理由。
禰寝家の先祖は、平清盛の子の重盛と考えられている。
重盛の家は、京都の小松谷にあった。
それで、重盛は小松殿と呼ばれることがあった。
印のところが、六波羅小松第。 そこに住んでいた。
右の、正林寺の所に別邸があった。
清水寺が近い。 一帯が、小松谷。

歩いたのは1時間半ほど。
いっぱい着て。
【今日の歌】 悲しみは雪に眠る
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

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