明けまして、おめでとうございます。
日本の南なのに、雪の1日。
そんなんで、今年も始まりました。
また、よろしくお願いします。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
伝説なんだけど、本当かも知れない。
今日は、そんなところへ。
島津家の祖は、島津忠久。
出水市野田町(野田郷)は、薩摩・島津家発祥の地だった。 初代島津忠久の墓所、感応寺。~出水市~ 再会して、みんなで食事会。 (2014/12/13)
母は丹後内侍と分かっている。 ※ たんごのないし
しかし、丹後内侍の人生の最後は、分かっていない。
ところが、花尾神社に、彼女の伝説が残っている。
子どもの忠久を追って、薩摩に来たのか。
墓もあって、話が具体的。
※ 余談 丹後内侍の母は、頼朝の乳母。
妹の娘が、義経の正室の、郷(さと)御前。
2人の間の子は、鳴子(なるこ)温泉で泣いた。
鳴子温泉は、湯けむりたなびく、こけしの郷。 共同湯、滝の湯。~大崎市~ 他 (2014/6/19)
丹後内侍と頼朝の間に生まれた子が、島津忠久との、伝説がある。
※ 歴史的に有力なのは、忠久の父は、惟宗(これむね)忠康。
彼女には、伝説が多い。
その点で、小野小町とや和泉式部に似ている。
女性としての魅力が大きかったと、想像つく。
彼女の墓は、神社の近くにあったんだか、気づかなかった。
説明にはなかったけど、ネットには、載っていた。
後で知った。 残念。
近くに、花尾かくれ念仏洞があった。
山の、ずっと上だった。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
鹿児島市の、山の中に。 念仏堂は、右の地図の赤〇。 だいたい、その辺り。

花尾神社については、情報誌には、下の3点が載っていた。
島津忠久、天井画、丹後内侍。 丹後内侍は、丹後局(たんごのつぼね)とも。
喜入から向かったら、雪が降ってきた。 気温3度。
停まって、天気予報を確認。
雪は降るけど、昼間なら走れると、行くことに。
山に入ると、高度があがって、0度近くなった。
初もうでの人で、にぎわっていた。 私の初もうでも、ここ。

田舎にあるけど、立派過ぎるほど。 花尾神社。

湿った雪。 傘をさした。 北海道にいたとき、雪の日に、傘をさしたことはない。

拝殿の横で、お札を売っていた。

1218年に、忠久が、頼朝の像を祀ったとある。 花尾神社のスタート。
忠久が薩摩に来て、30年が過ぎている。
どうして、この地なんでしょう。
それは、母の丹後内侍が、この地に住んでいたんですね。 後ろにある、東俣村がここです。
神社を守る役割の、別当寺もあった。 名前は、平等王院。
寺の墓地に、丹後内侍の墓があると、なりますね。 神社の左にあったよう。(江戸初期。 薩摩旧跡巡礼より)

※ 平等王院の本尊は、愛染明王だとか、面白い話はあるが、確認が出来ない。
はっきりしたら、追記で載せます。 本物なら、大変な像。
歴史的には、ここに来ないで、高野山に。
※ ここは、薩摩日光と言われている。
※ 宝物は、本物かどうか知りたい。
鑑定はどこにお願いするのかな。
国立博物館が興味を持ったら、調査研究の目的で、無料のよう。
拝殿の中を見た。 天井絵が美しいという。
奥に、徳崇(とくそう)とある。 崇徳天皇の、崇徳(すとく)ではない。
※ 徳崇は、鎌倉時代の北条氏の家督(かとく)を意味しているそう。 むずかしい。

植物の絵だった。 薄くなっていた。
嘉永6年(1853年)に、能勢一清という人が描いた。 亡くなる前年に。 この人は、幕末の薩摩の絵師。
鹿児島県立図書館に、トラやツルの絵が。

雪の拝殿も、悪くない。 お参りした。

薩摩日光だという。 まじめに比べることは、出来ないですね。

反対側から。 比企(ひき)とある。 丹後内侍は、比企氏の娘。

右の方。

本殿。 赤い椿に、白い雪が似合う。

お参りは終わって、かくれ念仏堂に向かう。
他の案内がないか、きょろきょろしたけど、特になかった。
そんなことで、丹後内侍の墓には、気づかなかった。 いつか寄りますね。

5分ほど走って、ここに。

宗教を利用して、人心をまとめる。
時の権力者は、宗教を、上のように考えていた。
ところが、利用できない宗教もあるんですね。
後の世の、キリスト教も、そうだった。
宗教の価値観が、すべてで、これを越えるものはない。
そうなったら、支配者にとっては、やっかい。
※ 今の時代は、こんなのが。
信じる宗教の価値観が、法律や憲法を越えてしまう宗教も。
我が子の命より、宗教を選ぶ人に、出会ったことがあります。
ただ、そうであっても、本当に苦しくなった時、何に助けられたかで、考えが変わったりしますね。
戦国時代に、「どうして自分達は、虫けらのような生活をしなければならないのだろう」、
そう考えるのは、まったく、人間として正常なんですね。 当たり前。
親鸞の言ってるのは、穏やかなことなんですけどね。
※ キリスト教はきびしい面が、実際には、あったよう。
地域内の、寺を焼き払ったり。
命を捨てるまで、無理しなくていいと言えばいいのに。
そう言わないから、命を捨てたらほめるから、自分の命を大事にできなくなる。
そんな面が、気になるかな。
ひどいのは誰かって、もちろん権力者なんだけどね。

距離が書いてない。 すぐかも知れない。
駐車場があった。 木の棒が、用意してある。 不吉な予感。

ここを登る。 こんな寒い日には、誰も来ない。 クマはいない、来ない。

200㍍ほど、登った。

近い予感がした。 車道から、10分ほどで、着いた。
右は、着いたと感じた、瞬間。 その写真は、いつも撮ることに。
※ 一緒に登ってると、感じてもらえるかも、知れないので。

穴が見えました。 巨石の下の、隙間に。

今は、道があるけど、昔はなかったでしょうね。
一番安全なのは、川の中を歩くこと。 山の奥に入って、道を歩く。
自分ならそうするかな。
今日、誰か来た。 ろうそくの灯り。

明治初年に見つかった、とある。
膝に石を載せての拷問もあった。 そうやって、足を、体を、棒でたたく。
死者は、10万人を越えたという資料も。
刀で切り合いすると、殺すのは平気になるのか。

浄土真宗の禁止は、薩摩藩と相良藩だという。
他は、良かったよう。
狙われた理由の1つは、下のよう。
秀吉が、九州征伐に来て、最後の敵は島津藩になった。
その時、真宗の門徒が、秀吉に協力したそう。
その復讐が、真宗の禁止。 ※ このサイトに、詳しく。
農民は、権力者からも、宗教からも、利用された。
本願寺の最終目的は、信者を増やして、そこからくるお布施。
宗教には、そんな面も。
※ 長い歴史の中で、働かないでお金を手に入れる方法を、誰もが考えた。
それが、権力者、神社やお寺の宗教、でしょうか。
※ お金を納めたら、願いを叶えますって、誰が考えたのでしょう。
これを考えた人が、一番頭がいい。
私だって、今日、少しばかり出してしまった。
※ ただ、仏教の中には、お寺の中には、役割を果たしているって感じるところも。
平和とか、人の生き方を学べることで。
もうけることを、最優先にしないで。
この中で、人々は、人としての生き方を学んだ。
考えてみたら、目から鱗(うろこ)って、感じたでしょうね。
平等の考えなんか、知らなかった。
ひたすら、南無阿弥陀仏を唱えた。
真宗ですから、これでいいんですね。
少なくても、極楽に行けると。

小さな仏像。 少し背を伸ばしたら、天井に頭をぶつけた。

手を合わせて、また、戻った。

車の後ろから、右に入って行った。

今日は、初詣を兼ねて、神社に行って来ました。
そこで、心に決めたことを、確認しました。
新しい年が始まりましたね。
【今日の一句】 「 ふる雪が みんな清めて 初もうで 」
※ とりあえず作ってみました。 続けられるか、不安。
【ブログ紹介】 弥五郎どんの館 かくれ念仏洞 ~都城市山之口町~ ぼくと観光バスに乗ってみませんか(森田童子) (2012/3/24)
【今日の歌】 Juanes - La Camisa Negra
【停泊場所】 隼人にあるAZの駐車場。 地図の、右の〇。
【今後の予定】 3日の日に、隼人駅近辺。 隼人(はやと)駅は、肥薩線の終点駅。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
【ランキング】 国内旅行、1位。 旅行全体で、2位です。
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日本の南なのに、雪の1日。
そんなんで、今年も始まりました。
また、よろしくお願いします。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
伝説なんだけど、本当かも知れない。
今日は、そんなところへ。
島津家の祖は、島津忠久。
出水市野田町(野田郷)は、薩摩・島津家発祥の地だった。 初代島津忠久の墓所、感応寺。~出水市~ 再会して、みんなで食事会。 (2014/12/13)
母は丹後内侍と分かっている。 ※ たんごのないし
しかし、丹後内侍の人生の最後は、分かっていない。
ところが、花尾神社に、彼女の伝説が残っている。
子どもの忠久を追って、薩摩に来たのか。
墓もあって、話が具体的。
※ 余談 丹後内侍の母は、頼朝の乳母。
妹の娘が、義経の正室の、郷(さと)御前。
2人の間の子は、鳴子(なるこ)温泉で泣いた。
鳴子温泉は、湯けむりたなびく、こけしの郷。 共同湯、滝の湯。~大崎市~ 他 (2014/6/19)
丹後内侍と頼朝の間に生まれた子が、島津忠久との、伝説がある。
※ 歴史的に有力なのは、忠久の父は、惟宗(これむね)忠康。
彼女には、伝説が多い。
その点で、小野小町とや和泉式部に似ている。
女性としての魅力が大きかったと、想像つく。
彼女の墓は、神社の近くにあったんだか、気づかなかった。
説明にはなかったけど、ネットには、載っていた。
後で知った。 残念。
近くに、花尾かくれ念仏洞があった。
山の、ずっと上だった。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。

( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
鹿児島市の、山の中に。 念仏堂は、右の地図の赤〇。 だいたい、その辺り。


花尾神社については、情報誌には、下の3点が載っていた。
島津忠久、天井画、丹後内侍。 丹後内侍は、丹後局(たんごのつぼね)とも。
喜入から向かったら、雪が降ってきた。 気温3度。
停まって、天気予報を確認。
雪は降るけど、昼間なら走れると、行くことに。
山に入ると、高度があがって、0度近くなった。
初もうでの人で、にぎわっていた。 私の初もうでも、ここ。

田舎にあるけど、立派過ぎるほど。 花尾神社。

湿った雪。 傘をさした。 北海道にいたとき、雪の日に、傘をさしたことはない。

拝殿の横で、お札を売っていた。

1218年に、忠久が、頼朝の像を祀ったとある。 花尾神社のスタート。
忠久が薩摩に来て、30年が過ぎている。
どうして、この地なんでしょう。
それは、母の丹後内侍が、この地に住んでいたんですね。 後ろにある、東俣村がここです。
神社を守る役割の、別当寺もあった。 名前は、平等王院。
寺の墓地に、丹後内侍の墓があると、なりますね。 神社の左にあったよう。(江戸初期。 薩摩旧跡巡礼より)

※ 平等王院の本尊は、愛染明王だとか、面白い話はあるが、確認が出来ない。
はっきりしたら、追記で載せます。 本物なら、大変な像。
歴史的には、ここに来ないで、高野山に。
※ ここは、薩摩日光と言われている。
※ 宝物は、本物かどうか知りたい。
鑑定はどこにお願いするのかな。
国立博物館が興味を持ったら、調査研究の目的で、無料のよう。
拝殿の中を見た。 天井絵が美しいという。
奥に、徳崇(とくそう)とある。 崇徳天皇の、崇徳(すとく)ではない。
※ 徳崇は、鎌倉時代の北条氏の家督(かとく)を意味しているそう。 むずかしい。

植物の絵だった。 薄くなっていた。
嘉永6年(1853年)に、能勢一清という人が描いた。 亡くなる前年に。 この人は、幕末の薩摩の絵師。
鹿児島県立図書館に、トラやツルの絵が。

雪の拝殿も、悪くない。 お参りした。

薩摩日光だという。 まじめに比べることは、出来ないですね。


反対側から。 比企(ひき)とある。 丹後内侍は、比企氏の娘。

右の方。

本殿。 赤い椿に、白い雪が似合う。

お参りは終わって、かくれ念仏堂に向かう。
他の案内がないか、きょろきょろしたけど、特になかった。
そんなことで、丹後内侍の墓には、気づかなかった。 いつか寄りますね。

5分ほど走って、ここに。

宗教を利用して、人心をまとめる。
時の権力者は、宗教を、上のように考えていた。
ところが、利用できない宗教もあるんですね。
後の世の、キリスト教も、そうだった。
宗教の価値観が、すべてで、これを越えるものはない。
そうなったら、支配者にとっては、やっかい。
※ 今の時代は、こんなのが。
信じる宗教の価値観が、法律や憲法を越えてしまう宗教も。
我が子の命より、宗教を選ぶ人に、出会ったことがあります。
ただ、そうであっても、本当に苦しくなった時、何に助けられたかで、考えが変わったりしますね。
戦国時代に、「どうして自分達は、虫けらのような生活をしなければならないのだろう」、
そう考えるのは、まったく、人間として正常なんですね。 当たり前。
親鸞の言ってるのは、穏やかなことなんですけどね。
※ キリスト教はきびしい面が、実際には、あったよう。
地域内の、寺を焼き払ったり。
命を捨てるまで、無理しなくていいと言えばいいのに。
そう言わないから、命を捨てたらほめるから、自分の命を大事にできなくなる。
そんな面が、気になるかな。
ひどいのは誰かって、もちろん権力者なんだけどね。

距離が書いてない。 すぐかも知れない。
駐車場があった。 木の棒が、用意してある。 不吉な予感。


ここを登る。 こんな寒い日には、誰も来ない。 クマはいない、来ない。

200㍍ほど、登った。


近い予感がした。 車道から、10分ほどで、着いた。
右は、着いたと感じた、瞬間。 その写真は、いつも撮ることに。
※ 一緒に登ってると、感じてもらえるかも、知れないので。


穴が見えました。 巨石の下の、隙間に。

今は、道があるけど、昔はなかったでしょうね。
一番安全なのは、川の中を歩くこと。 山の奥に入って、道を歩く。
自分ならそうするかな。
今日、誰か来た。 ろうそくの灯り。

明治初年に見つかった、とある。
膝に石を載せての拷問もあった。 そうやって、足を、体を、棒でたたく。
死者は、10万人を越えたという資料も。
刀で切り合いすると、殺すのは平気になるのか。

浄土真宗の禁止は、薩摩藩と相良藩だという。
他は、良かったよう。
狙われた理由の1つは、下のよう。
秀吉が、九州征伐に来て、最後の敵は島津藩になった。
その時、真宗の門徒が、秀吉に協力したそう。
その復讐が、真宗の禁止。 ※ このサイトに、詳しく。
農民は、権力者からも、宗教からも、利用された。
本願寺の最終目的は、信者を増やして、そこからくるお布施。
宗教には、そんな面も。
※ 長い歴史の中で、働かないでお金を手に入れる方法を、誰もが考えた。
それが、権力者、神社やお寺の宗教、でしょうか。
※ お金を納めたら、願いを叶えますって、誰が考えたのでしょう。
これを考えた人が、一番頭がいい。
私だって、今日、少しばかり出してしまった。
※ ただ、仏教の中には、お寺の中には、役割を果たしているって感じるところも。
平和とか、人の生き方を学べることで。
もうけることを、最優先にしないで。
この中で、人々は、人としての生き方を学んだ。
考えてみたら、目から鱗(うろこ)って、感じたでしょうね。
平等の考えなんか、知らなかった。
ひたすら、南無阿弥陀仏を唱えた。
真宗ですから、これでいいんですね。
少なくても、極楽に行けると。

小さな仏像。 少し背を伸ばしたら、天井に頭をぶつけた。


手を合わせて、また、戻った。

車の後ろから、右に入って行った。

今日は、初詣を兼ねて、神社に行って来ました。
そこで、心に決めたことを、確認しました。
新しい年が始まりましたね。
【今日の一句】 「 ふる雪が みんな清めて 初もうで 」
※ とりあえず作ってみました。 続けられるか、不安。
【ブログ紹介】 弥五郎どんの館 かくれ念仏洞 ~都城市山之口町~ ぼくと観光バスに乗ってみませんか(森田童子) (2012/3/24)
【今日の歌】 Juanes - La Camisa Negra
【停泊場所】 隼人にあるAZの駐車場。 地図の、右の〇。

【今後の予定】 3日の日に、隼人駅近辺。 隼人(はやと)駅は、肥薩線の終点駅。
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(2008年4月~2010年9月までの記事)

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