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キャンピングカーで放浪の旅 Ⅱ

全国を、写真と動画で探訪

初代の天皇は、神武天皇。
その前の3代は、神代三代と云うんですね。    ※ かみよさんだい。   日向(ひゅうが)三代とも。
誰かと云うと、
   1代目が、ニニギ。   2代目が、山幸彦。   3代目が、ウガヤフキアエズ。

今日の見学は、2代目山幸彦の陵(はか)。 
正式な名前は、 高屋山上陵(たかやの やまのえの みささぎ) 

※ 実際は、「たかや さんじょうりょう」、と呼んでいる。(市役所に確認) 

       実在したのかと云うと、基本的には、お話の世界ですね。
       天皇家の祖先が、はっきりしてないのは変なので、作られた話。
       古事記・日本書紀として。
       なぜ作ったかの別の理由は、後で。

       そんな話があるという事で、進めますね。
       そして、どんな話かを、学んでみましょう。

熊襲(くまそ)の穴があったの、行ってみた。
        ※ 熊襲は、南九州に住んでいたとされる、部族。
内部の照明は壊れていて、真っ暗。
車のキーに付けていた、小さなライトで入ってみた。
写真は、ちゃんとは撮れなかった。
     ※     ※     ※     ※  ブログタイトル一覧は、右をクリック。 burogutaitoru656.jpg
          ( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。  再度クリックしたら、元に )

印が、高屋山上陵。   赤〇は、熊襲の穴。   紫の〇は、塩浸(しおひたし)温泉。

tizu1112_20150108160227615.jpg    tizu2223_20150108160229dd6.jpg

国道横に、駐車場があった。    正面に階段。

s-15年1月7日 (1)

山幸彦は正しくは、天津日高彦火々出見尊。   読みは、あまつひこひこ ほほでみのみこと。
    ※ Wikipedia では、一部別な漢字。   天津日高日子穂穂手見命。

明治時代に整備した。

s-15年1月7日 (3)    s-15年1月7日 (2)

明治に入って、天皇中心の時代になった。
神話が本当であることを示すために、この場所が、神話にある陵の位置とした。
学者の意見を参考に。
  ※ 正確には、山幸彦の陵は、どこにあるかは分からない。

この小さな山が、陵(はか)。

    s-15年1月7日 (4)    s-15年1月7日 (5)

見えてきた。

s-15年1月7日 (6)    s-15年1月7日 (7)

昔はただの山だった。  古墳としての形跡はあったよう。
そして、鷹大明神社があった。

古事記には、こう書いてあった。(Wikipedia)

屋山上陵は、「高千穂山の西」。   ヒントは、それだけ。
探したら、ここに、大明神社があった。
鷹は高のことと考え、ここを、高屋山上陵とした。
それで大丈夫と思いたくなるほど、薄い根拠。

鷹大明神社は、邪魔という事で、他に移された。

こうです。

s-15年1月7日 (8)

宮内庁が管理する。   監視員が、常駐。

s-15年1月7日 (9)

海幸彦の妻と母は、そうそうたる人物。(?)

妻は、トヨタマヒメ。
彼女の墓は、あっちこっちで見る。
   知覧、武家屋敷通り。  武家屋敷庭園。   高田磨崖仏。~南九州市~  他  (2014/1/31)

母は、コノハナサクヤヒメ。
墓は、西都原古墳にあると云われる。
   西都原古墳群  コノハナサクヤヒメの都萬(つま)神社 ~西都市~  再会(金子由香利)  他  (2012/3/26)

s-hyuuga.jpg

※ 神武天皇も歴史上の人物ではないと云うのが定説。(Wikipedia)
   そういう中での、神話の世界の話です。

※ 日本には、朝鮮半島から、多くの人が渡ってきた。
   朝鮮の文化は、日本より高かった。
   何らかの形で、朝鮮から来た人が、主導権を握った。
   でも、よそ者では、日本人からは、支持されない。
   そこで、昔からいたということが、必要になる。
   作ったのが、古事記や日本書紀の神話。
   神の子孫という事で、権力を握った。

   そんな風に考えるかな。
   自分の考えというより、どこかで出会った話。

管理人室と、向こうに石碑。

s-15年1月7日 (10)

説明に、鹿児島神宮と吾平山稜(あいらさんりょう)が出てくるので、紹介。
   ※ 下のに、鹿児島神宮。
        龍馬とおりょうが歩いた道(その2) ~隼人塚から日当山温泉まで~   他  (2010/1/18)
   ※    吾平山上陵(あいらさんりょう)  圧倒的な本数の、くにの松原 ~鹿屋市・大崎町~  雨に消えたあなた  他  (2012/3/12)

石碑は2つ。

s-15年1月7日 (11)    s-15年1月7日 (12)

これは、昭和天皇が、皇太子の時に来た時の。

東宮殿下御参陵記念碑、とある。
1920年(大正9年)のこと。   嘉例川駅まで、列車で来て。

s-15年1月7日 (14)    s-15年1月7日 (15)

こっちは、今の天皇と皇后。

s-15年1月7日 (13)    s-15年1月7日 (16)

立派にする必要性があったので、このようにしたんですね。
戻る途中、嘉例川江駅を通って、熊襲(くまそ)の穴に。

妙見温泉。   天降川(あもりがわ)に沿って、旅館が集まっている。
熊襲穴は、直ぐ近く。

s-15年1月7日 (17)

200㍍ほど、登る。

s-15年1月7日 (18)

九州の南に、何らかの部族がいたよう。   神話の世界で、はっきりしない部分も。
もしかしたら、この辺り一帯に、元々いた人たちが、熊襲。
熊襲は、半島から来た人たちに、壊滅させられた。

日本の南と北に住む人たちが、最後まで、元々の日本人の血を保った。
中央部は、早いうちから、混血。
南と北の人の顔は、表情が濃い。  
中央部分の人たちの顔は、薄い。   朝鮮半島の顔。
上は、想像で書きました。

s-15年1月7日 (19)    s-15年1月7日 (20)

像があるが、熊襲の表情ではない。   熊襲はこう。 ⇒ 04_390x390.jpg (本の宣伝から)

登って行く。

s-15年1月7日 (21)    s-15年1月7日 (22)

見えてきた。

s-15年1月7日 (23)    s-15年1月7日 (24)

大きな岩の真下に、入り口。   

s-15年1月7日 (25)     s-15年1月7日 (26)

熊襲の首領が、ここで殺されたとある。
狭い所を進んで行くと、広い部屋に出る。

s-15年1月7日 (27)    s-15年1月7日 (28)

ミニの懐中電灯しかないので、写真は無理。   肉眼では、中は何とか見えた。
灯りのスイッチはあるのだけど、点かない。   壊れてた。

s-15年1月7日 (29)    s-15年1月7日 (30)

中は広く、温かい。   壁一面に、絵が描いてあった。

s-15年1月7日 (31)

※ 私のカメラは、外付けのストロボ。   持ってこなかった。
   鍾乳洞のような灯りがあれば、十分撮れるんだが。

写真を、県と妙味温泉のHPからお借り。

s-15年1月7日 (32)

熊襲の穴と云ってるけど、大事な史跡ではないのかな。
もし史跡なら、絵を描いたりはできない。

s-15年1月7日 (33)

※ 写真は、この次通ることがあったら、撮ることにします。
  このブログに、載せますね。

動画があるので、紹介します。   私の撮影ではない。



気になる所、2ヶ所を、今日は見学しました。
神話の流れが、少し分かってきたかなって、感じ。

1人での洞窟は不気味だけど、自分は平気。
いつの間にか、こうなってしまった。
元々は、臆病者なのに。

【今日の一句】   「 大きな満月 屋根にのった 」    「 月を見て ひとりのごはん 」

【今日の歌】   吉田拓郎は、鹿児島県で生まれている。  大口(おおくち)市。   今は伊佐市。isa.jpg
          3曲紹介。   2曲目は、窓。  これが、なかなかいい。 10秒ちょっと。



【停泊場所】     A・Zの駐車場

【明日の予定】    見学はなしかな。   桜島が噴火の予報。 眺めてみる。

 ※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。   
                                                         (2008年4月~2010年9月までの記事)

         meisigazoupppm.jpg

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  • 高屋山上陵は、山幸彦の陵(はか)と云われるものだった。  熊襲の穴は、奥が広い洞窟。~霧島市~ 他 (2015/1/7)
  • 2015年01月08日 (木)
  • 11時28分07秒
by AlphaWolfy

akkamui212

Author:akkamui212
2009年4月に放浪の旅をスタートし、十数回目の日本1周に入っています。
「キャンピングカーで放浪の旅」に続き、パートⅡです。
明日は、どこの空の下にいるのかな。


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