初代の天皇は、神武天皇。
その前の3代は、神代三代と云うんですね。 ※ かみよさんだい。 日向(ひゅうが)三代とも。
誰かと云うと、
1代目が、ニニギ。 2代目が、山幸彦。 3代目が、ウガヤフキアエズ。
今日の見学は、2代目山幸彦の陵(はか)。
正式な名前は、 高屋山上陵(たかやの やまのえの みささぎ)
※ 実際は、「たかや さんじょうりょう」、と呼んでいる。(市役所に確認)
実在したのかと云うと、基本的には、お話の世界ですね。
天皇家の祖先が、はっきりしてないのは変なので、作られた話。
古事記・日本書紀として。
なぜ作ったかの別の理由は、後で。
そんな話があるという事で、進めますね。
そして、どんな話かを、学んでみましょう。
熊襲(くまそ)の穴があったの、行ってみた。
※ 熊襲は、南九州に住んでいたとされる、部族。
内部の照明は壊れていて、真っ暗。
車のキーに付けていた、小さなライトで入ってみた。
写真は、ちゃんとは撮れなかった。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
印が、高屋山上陵。 赤〇は、熊襲の穴。 紫の〇は、塩浸(しおひたし)温泉。

国道横に、駐車場があった。 正面に階段。

山幸彦は正しくは、天津日高彦火々出見尊。 読みは、あまつひこひこ ほほでみのみこと。
※ Wikipedia では、一部別な漢字。 天津日高日子穂穂手見命。
明治時代に整備した。

明治に入って、天皇中心の時代になった。
神話が本当であることを示すために、この場所が、神話にある陵の位置とした。
学者の意見を参考に。
※ 正確には、山幸彦の陵は、どこにあるかは分からない。
この小さな山が、陵(はか)。

見えてきた。

昔はただの山だった。 古墳としての形跡はあったよう。
そして、鷹大明神社があった。
古事記には、こう書いてあった。(Wikipedia)
高屋山上陵は、「高千穂山の西」。 ヒントは、それだけ。
探したら、ここに、鷹大明神社があった。
鷹は高のことと考え、ここを、高屋山上陵とした。
それで大丈夫と思いたくなるほど、薄い根拠。
鷹大明神社は、邪魔という事で、他に移された。
こうです。

宮内庁が管理する。 監視員が、常駐。

海幸彦の妻と母は、そうそうたる人物。(?)
妻は、トヨタマヒメ。
彼女の墓は、あっちこっちで見る。
知覧、武家屋敷通り。 武家屋敷庭園。 高田磨崖仏。~南九州市~ 他 (2014/1/31)
母は、コノハナサクヤヒメ。
墓は、西都原古墳にあると云われる。
西都原古墳群 コノハナサクヤヒメの都萬(つま)神社 ~西都市~ 再会(金子由香利) 他 (2012/3/26)

※ 神武天皇も歴史上の人物ではないと云うのが定説。(Wikipedia)
そういう中での、神話の世界の話です。
※ 日本には、朝鮮半島から、多くの人が渡ってきた。
朝鮮の文化は、日本より高かった。
何らかの形で、朝鮮から来た人が、主導権を握った。
でも、よそ者では、日本人からは、支持されない。
そこで、昔からいたということが、必要になる。
作ったのが、古事記や日本書紀の神話。
神の子孫という事で、権力を握った。
そんな風に考えるかな。
自分の考えというより、どこかで出会った話。
管理人室と、向こうに石碑。

説明に、鹿児島神宮と吾平山稜(あいらさんりょう)が出てくるので、紹介。
※ 下のに、鹿児島神宮。
龍馬とおりょうが歩いた道(その2) ~隼人塚から日当山温泉まで~ 他 (2010/1/18)
※ 吾平山上陵(あいらさんりょう) 圧倒的な本数の、くにの松原 ~鹿屋市・大崎町~ 雨に消えたあなた 他 (2012/3/12)
石碑は2つ。

これは、昭和天皇が、皇太子の時に来た時の。
東宮殿下御参陵記念碑、とある。
1920年(大正9年)のこと。 嘉例川駅まで、列車で来て。

こっちは、今の天皇と皇后。
立派にする必要性があったので、このようにしたんですね。
戻る途中、嘉例川江駅を通って、熊襲(くまそ)の穴に。
妙見温泉。 天降川(あもりがわ)に沿って、旅館が集まっている。
熊襲穴は、直ぐ近く。

200㍍ほど、登る。

九州の南に、何らかの部族がいたよう。 神話の世界で、はっきりしない部分も。
もしかしたら、この辺り一帯に、元々いた人たちが、熊襲。
熊襲は、半島から来た人たちに、壊滅させられた。
日本の南と北に住む人たちが、最後まで、元々の日本人の血を保った。
中央部は、早いうちから、混血。
南と北の人の顔は、表情が濃い。
中央部分の人たちの顔は、薄い。 朝鮮半島の顔。
上は、想像で書きました。

像があるが、熊襲の表情ではない。 熊襲はこう。 ⇒
(本の宣伝から)
登って行く。

見えてきた。

大きな岩の真下に、入り口。

熊襲の首領が、ここで殺されたとある。
狭い所を進んで行くと、広い部屋に出る。

ミニの懐中電灯しかないので、写真は無理。 肉眼では、中は何とか見えた。
灯りのスイッチはあるのだけど、点かない。 壊れてた。

中は広く、温かい。 壁一面に、絵が描いてあった。

※ 私のカメラは、外付けのストロボ。 持ってこなかった。
鍾乳洞のような灯りがあれば、十分撮れるんだが。
写真を、県と妙味温泉のHPからお借り。

熊襲の穴と云ってるけど、大事な史跡ではないのかな。
もし史跡なら、絵を描いたりはできない。

※ 写真は、この次通ることがあったら、撮ることにします。
このブログに、載せますね。
動画があるので、紹介します。 私の撮影ではない。
気になる所、2ヶ所を、今日は見学しました。
神話の流れが、少し分かってきたかなって、感じ。
1人での洞窟は不気味だけど、自分は平気。
いつの間にか、こうなってしまった。
元々は、臆病者なのに。
【今日の一句】 「 大きな満月 屋根にのった 」 「 月を見て ひとりのごはん 」
【今日の歌】 吉田拓郎は、鹿児島県で生まれている。 大口(おおくち)市。 今は伊佐市。
3曲紹介。 2曲目は、窓。 これが、なかなかいい。 10秒ちょっと。
【停泊場所】 A・Zの駐車場
【明日の予定】 見学はなしかな。 桜島が噴火の予報。 眺めてみる。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
【ランキング】 国内旅行、1位。 旅行全体で、1位です。
気に入った所がありましたら、クリックをよろしく。
※ クリックするバナーは、下のです。
ランキングが、見られます。
⇓
ランキング
※ 最初は、国内旅行のランキングが。
旅行をクリックすると、旅行全体のが。
※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
次の日のクリックも、また、1週間生きる。
【拍 手】
.
その前の3代は、神代三代と云うんですね。 ※ かみよさんだい。 日向(ひゅうが)三代とも。
誰かと云うと、
1代目が、ニニギ。 2代目が、山幸彦。 3代目が、ウガヤフキアエズ。
今日の見学は、2代目山幸彦の陵(はか)。
正式な名前は、 高屋山上陵(たかやの やまのえの みささぎ)
※ 実際は、「たかや さんじょうりょう」、と呼んでいる。(市役所に確認)
実在したのかと云うと、基本的には、お話の世界ですね。
天皇家の祖先が、はっきりしてないのは変なので、作られた話。
古事記・日本書紀として。
なぜ作ったかの別の理由は、後で。
そんな話があるという事で、進めますね。
そして、どんな話かを、学んでみましょう。
熊襲(くまそ)の穴があったの、行ってみた。
※ 熊襲は、南九州に住んでいたとされる、部族。
内部の照明は壊れていて、真っ暗。
車のキーに付けていた、小さなライトで入ってみた。
写真は、ちゃんとは撮れなかった。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。

( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
印が、高屋山上陵。 赤〇は、熊襲の穴。 紫の〇は、塩浸(しおひたし)温泉。


国道横に、駐車場があった。 正面に階段。

山幸彦は正しくは、天津日高彦火々出見尊。 読みは、あまつひこひこ ほほでみのみこと。
※ Wikipedia では、一部別な漢字。 天津日高日子穂穂手見命。
明治時代に整備した。


明治に入って、天皇中心の時代になった。
神話が本当であることを示すために、この場所が、神話にある陵の位置とした。
学者の意見を参考に。
※ 正確には、山幸彦の陵は、どこにあるかは分からない。
この小さな山が、陵(はか)。


見えてきた。


昔はただの山だった。 古墳としての形跡はあったよう。
そして、鷹大明神社があった。
古事記には、こう書いてあった。(Wikipedia)
高屋山上陵は、「高千穂山の西」。 ヒントは、それだけ。
探したら、ここに、鷹大明神社があった。
鷹は高のことと考え、ここを、高屋山上陵とした。
それで大丈夫と思いたくなるほど、薄い根拠。
鷹大明神社は、邪魔という事で、他に移された。
こうです。

宮内庁が管理する。 監視員が、常駐。

海幸彦の妻と母は、そうそうたる人物。(?)
妻は、トヨタマヒメ。
彼女の墓は、あっちこっちで見る。
知覧、武家屋敷通り。 武家屋敷庭園。 高田磨崖仏。~南九州市~ 他 (2014/1/31)
母は、コノハナサクヤヒメ。
墓は、西都原古墳にあると云われる。
西都原古墳群 コノハナサクヤヒメの都萬(つま)神社 ~西都市~ 再会(金子由香利) 他 (2012/3/26)

※ 神武天皇も歴史上の人物ではないと云うのが定説。(Wikipedia)
そういう中での、神話の世界の話です。
※ 日本には、朝鮮半島から、多くの人が渡ってきた。
朝鮮の文化は、日本より高かった。
何らかの形で、朝鮮から来た人が、主導権を握った。
でも、よそ者では、日本人からは、支持されない。
そこで、昔からいたということが、必要になる。
作ったのが、古事記や日本書紀の神話。
神の子孫という事で、権力を握った。
そんな風に考えるかな。
自分の考えというより、どこかで出会った話。
管理人室と、向こうに石碑。

説明に、鹿児島神宮と吾平山稜(あいらさんりょう)が出てくるので、紹介。
※ 下のに、鹿児島神宮。
龍馬とおりょうが歩いた道(その2) ~隼人塚から日当山温泉まで~ 他 (2010/1/18)
※ 吾平山上陵(あいらさんりょう) 圧倒的な本数の、くにの松原 ~鹿屋市・大崎町~ 雨に消えたあなた 他 (2012/3/12)
石碑は2つ。


これは、昭和天皇が、皇太子の時に来た時の。
東宮殿下御参陵記念碑、とある。
1920年(大正9年)のこと。 嘉例川駅まで、列車で来て。


こっちは、今の天皇と皇后。


立派にする必要性があったので、このようにしたんですね。
戻る途中、嘉例川江駅を通って、熊襲(くまそ)の穴に。
妙見温泉。 天降川(あもりがわ)に沿って、旅館が集まっている。
熊襲穴は、直ぐ近く。

200㍍ほど、登る。

九州の南に、何らかの部族がいたよう。 神話の世界で、はっきりしない部分も。
もしかしたら、この辺り一帯に、元々いた人たちが、熊襲。
熊襲は、半島から来た人たちに、壊滅させられた。
日本の南と北に住む人たちが、最後まで、元々の日本人の血を保った。
中央部は、早いうちから、混血。
南と北の人の顔は、表情が濃い。
中央部分の人たちの顔は、薄い。 朝鮮半島の顔。
上は、想像で書きました。


像があるが、熊襲の表情ではない。 熊襲はこう。 ⇒

登って行く。


見えてきた。


大きな岩の真下に、入り口。


熊襲の首領が、ここで殺されたとある。
狭い所を進んで行くと、広い部屋に出る。


ミニの懐中電灯しかないので、写真は無理。 肉眼では、中は何とか見えた。
灯りのスイッチはあるのだけど、点かない。 壊れてた。


中は広く、温かい。 壁一面に、絵が描いてあった。

※ 私のカメラは、外付けのストロボ。 持ってこなかった。
鍾乳洞のような灯りがあれば、十分撮れるんだが。
写真を、県と妙味温泉のHPからお借り。

熊襲の穴と云ってるけど、大事な史跡ではないのかな。
もし史跡なら、絵を描いたりはできない。

※ 写真は、この次通ることがあったら、撮ることにします。
このブログに、載せますね。
動画があるので、紹介します。 私の撮影ではない。
気になる所、2ヶ所を、今日は見学しました。
神話の流れが、少し分かってきたかなって、感じ。
1人での洞窟は不気味だけど、自分は平気。
いつの間にか、こうなってしまった。
元々は、臆病者なのに。
【今日の一句】 「 大きな満月 屋根にのった 」 「 月を見て ひとりのごはん 」
【今日の歌】 吉田拓郎は、鹿児島県で生まれている。 大口(おおくち)市。 今は伊佐市。

3曲紹介。 2曲目は、窓。 これが、なかなかいい。 10秒ちょっと。
【停泊場所】 A・Zの駐車場
【明日の予定】 見学はなしかな。 桜島が噴火の予報。 眺めてみる。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

【ランキング】 国内旅行、1位。 旅行全体で、1位です。
気に入った所がありましたら、クリックをよろしく。
※ クリックするバナーは、下のです。
ランキングが、見られます。
⇓

※ 最初は、国内旅行のランキングが。
旅行をクリックすると、旅行全体のが。
※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
次の日のクリックも、また、1週間生きる。
【拍 手】
.
コメント
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
コメントの投稿
トラックバック
https://akkamui.com/tb.php/1572-debb0641