京都府伏見の寺田屋の2階に、龍馬と三吉慎蔵はいた。 ※ みよししんぞう。
幕臣30名ほどに襲われる。
お龍の機転で、一瞬早く、急を知る。
慎蔵は槍、龍馬は銃で応戦。
龍馬は親指に傷。 (両手かな)
銃弾の装填(そうてん)が出来なくなる。
※ この時の傷があるため、龍馬は写真の時、左手が見えないように。
しかし、慎蔵の槍で、奇跡的に寺田屋を脱出。
この後、龍馬を材木屋に隠し、慎蔵が薩摩藩の助けを呼ぶ。
龍馬は九死に一生を得る。
その三吉慎蔵は、長州藩の人だった。
今日初めて知った。
高杉晋作が、長州藩内の佐幕派をやっつけるために、挙兵した場所は、功山寺だった。
(佐幕は、幕府を補佐する意味。 土方歳三は、佐幕ではなく、幕臣)
長府は、城下町。
石垣の美しい町並みが、続いていた。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に戻ります。
長府は、下関市内に。

赤〇を、時計回り。 車は、観光駐車場に。 ありがたい。

長府は藩なので、城下町。 長府藩は、長州藩の支藩。 初めて知った。
川沿いを山に向かって行く。

さっそく、何かが。 この人がいたから、龍馬は長州藩と、関われた。
書いてないけど、龍馬を助けた三吉慎蔵を、龍馬に紹介したのは、彼だった。
ありがたい人。

武家屋敷跡があった、そこに山頭火の句碑。
※ この句は、長府で作ったと言う、証拠が見つからない。
信州の方で、作られたよう。 どうして?

道真は、再び京都に戻ることはない、と思っていた。

長府の魅力は、これなんですね。 観光バスが結構やってくる。

功山寺の山門前。 高杉晋作が、ここで兵をあげた。
長州藩は、2つに分かれていたんですね。
幕府を味方する人間もいた。
高杉晋作率いる討幕派が勝って、大政奉還に向かって行く。
そんなことで、維新はここから、という事なんでしょうか。
長州藩の動きで見たら、いいんでしょうね。

※ 龍馬が1862年に脱藩する。
土佐の梼原(ゆすはら)から、伊予の国へ。
この時を維新のスタートと考え、梼原には、維新の門の像がある。
魂がこもった像。 好きです。
龍馬は、梼原から韮ヶ峠を越えて、脱藩した。 維新の門、他。~梼原町~ 他 (2014/4/2)
国宝の仏殿は、左にある。 そのことを、知らなかった。
これは、本堂でしょうか。

※ 上の説明に、大内義長が1557年、ここで自刃とある。
大内氏は、広く支配した時代があった。 瀬戸内も支配。
※ 余談 大三島の鶴姫が大内義隆と戦ったのは、この10年ほど前か。 (義隆は義長の養父)
彼女は賢かった。 戦を憎むという面も。
彼女の鎧は、大山祇神社に残っている。
戦いは、伝説としても、史実としても、残されている。
画質が良くないですが、坊ちゃん劇場であった。
感動のミュージカルでしたよ。
鶴姫伝説 ~瀬戸内のジャンヌ・ダルク~ 他 (2009/12/20)
これが仏殿。 国宝。 写真を撮らなかった。(Wikipediaからお借り)
正面に、毛利家の墓。 左奥に、三吉慎蔵の墓がある。 見る。

右側、手前から2番目。

三吉慎蔵がいなかったら、龍馬の命は、寺田屋で終わっていた。
彼は、かなりの槍の使い手だったのでしょうか。
手を合わせて、龍馬を助けてくれてありがとうと、彼の墓に言った。

本堂正面に、高杉晋作の像。

本堂の右の方。
先日大宰府に、宙太さんが連れて行ってくれた。 その時、5卿の石碑があった。
ここから、大宰府に行ったんですね。 2人は、どこに行ったのか。

薩摩の西郷さんもいる。 寺田屋で襲われたとき、龍馬を治療し助けたのは、薩摩藩。
その時は、西郷さんは京都にいた。
使者を向かわせ、自分も後で行くのかな。 伏見にあった、別邸に。
※ 詳しく書いた記事が見つかったら、紹介。
地図の右の方に歩いている。

長府毛利邸。 いつかは。
古江小路。 石畳と石垣が美しい。

桜です。 色が薄いですが、ヒカンザクラのよう。 つぼみが下向き。
京都は、3月の末だったでしょうか。

振り返って。 中学生が、シャボン玉。 通りがかった女の子が、飛びついた。 シャッターが、少し遅れた。
構えて、いい雰囲気を待っていたんだけど。 望遠です。

忌宮(いみのみや)神社。
こんな伝説。 仲哀天皇は、実在してないよう。
※ そろそろ実在するかなって時代に。 紀元前でなくなって。

お参り。

この後、戻る。 こんな碑があって。

長府は、まだまだ見てない所があります。
長府庭園とかも。
時々よって、少しずつ紹介しますね。
歩いてき気持ちいい町。
好きです。
【今日の一句】 「 三吉慎蔵がいて龍馬が 龍馬がいて新しい時代が」
【今日の歌】 Let The Sunshine In - Live
※ この曲は、サラエボで歌われた曲ですね。
歌うことで、戦った。
サラエボは、ボスニア・ ヘルツェゴビナ(旧ユーゴスラビア)の首都。
サッカー日本代表の新しい監督は、ヴァヒド・ハリルホジッチ氏。
彼は、ボスニア・ ヘルツェゴビナの出身。
ハリル監督と、呼ばれる。
彼は紛争の中で、銃弾を受けるなど、大変な苦労をしている。
冷静沈着であるが、時にはこう。
応援してみようと、思う。
※ 多くの報道が、戦地に入った。 世界に伝えた。
そのことが解決へとつながる、最初の紛争。
シリアで命を落とした、山本美香さんも、行っていた。
【停泊場所】 長沢温泉の駐車場。 いつもここに。

【明日の予定】 防府市にある、山頭火の生家跡に行きます。 近い。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
※ プロフィール・・・。 ⇒
今までの記事には、この2枚だけ。
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幕臣30名ほどに襲われる。
お龍の機転で、一瞬早く、急を知る。
慎蔵は槍、龍馬は銃で応戦。
龍馬は親指に傷。 (両手かな)
銃弾の装填(そうてん)が出来なくなる。
※ この時の傷があるため、龍馬は写真の時、左手が見えないように。
しかし、慎蔵の槍で、奇跡的に寺田屋を脱出。
この後、龍馬を材木屋に隠し、慎蔵が薩摩藩の助けを呼ぶ。
龍馬は九死に一生を得る。
その三吉慎蔵は、長州藩の人だった。
今日初めて知った。
高杉晋作が、長州藩内の佐幕派をやっつけるために、挙兵した場所は、功山寺だった。
(佐幕は、幕府を補佐する意味。 土方歳三は、佐幕ではなく、幕臣)
長府は、城下町。
石垣の美しい町並みが、続いていた。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。

( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に戻ります。
長府は、下関市内に。


赤〇を、時計回り。 車は、観光駐車場に。 ありがたい。

長府は藩なので、城下町。 長府藩は、長州藩の支藩。 初めて知った。
川沿いを山に向かって行く。

さっそく、何かが。 この人がいたから、龍馬は長州藩と、関われた。
書いてないけど、龍馬を助けた三吉慎蔵を、龍馬に紹介したのは、彼だった。
ありがたい人。


武家屋敷跡があった、そこに山頭火の句碑。
※ この句は、長府で作ったと言う、証拠が見つからない。
信州の方で、作られたよう。 どうして?


道真は、再び京都に戻ることはない、と思っていた。



長府の魅力は、これなんですね。 観光バスが結構やってくる。

功山寺の山門前。 高杉晋作が、ここで兵をあげた。
長州藩は、2つに分かれていたんですね。
幕府を味方する人間もいた。
高杉晋作率いる討幕派が勝って、大政奉還に向かって行く。
そんなことで、維新はここから、という事なんでしょうか。
長州藩の動きで見たら、いいんでしょうね。


※ 龍馬が1862年に脱藩する。
土佐の梼原(ゆすはら)から、伊予の国へ。
この時を維新のスタートと考え、梼原には、維新の門の像がある。
魂がこもった像。 好きです。
龍馬は、梼原から韮ヶ峠を越えて、脱藩した。 維新の門、他。~梼原町~ 他 (2014/4/2)
国宝の仏殿は、左にある。 そのことを、知らなかった。
これは、本堂でしょうか。


※ 上の説明に、大内義長が1557年、ここで自刃とある。
大内氏は、広く支配した時代があった。 瀬戸内も支配。
※ 余談 大三島の鶴姫が大内義隆と戦ったのは、この10年ほど前か。 (義隆は義長の養父)
彼女は賢かった。 戦を憎むという面も。
彼女の鎧は、大山祇神社に残っている。
戦いは、伝説としても、史実としても、残されている。
画質が良くないですが、坊ちゃん劇場であった。
感動のミュージカルでしたよ。
鶴姫伝説 ~瀬戸内のジャンヌ・ダルク~ 他 (2009/12/20)
これが仏殿。 国宝。 写真を撮らなかった。(Wikipediaからお借り)
_20150314112607005s.jpg)
正面に、毛利家の墓。 左奥に、三吉慎蔵の墓がある。 見る。

右側、手前から2番目。

三吉慎蔵がいなかったら、龍馬の命は、寺田屋で終わっていた。
彼は、かなりの槍の使い手だったのでしょうか。
手を合わせて、龍馬を助けてくれてありがとうと、彼の墓に言った。


本堂正面に、高杉晋作の像。

本堂の右の方。
先日大宰府に、宙太さんが連れて行ってくれた。 その時、5卿の石碑があった。
ここから、大宰府に行ったんですね。 2人は、どこに行ったのか。


薩摩の西郷さんもいる。 寺田屋で襲われたとき、龍馬を治療し助けたのは、薩摩藩。
その時は、西郷さんは京都にいた。
使者を向かわせ、自分も後で行くのかな。 伏見にあった、別邸に。
※ 詳しく書いた記事が見つかったら、紹介。
地図の右の方に歩いている。

長府毛利邸。 いつかは。

古江小路。 石畳と石垣が美しい。


桜です。 色が薄いですが、ヒカンザクラのよう。 つぼみが下向き。
京都は、3月の末だったでしょうか。

振り返って。 中学生が、シャボン玉。 通りがかった女の子が、飛びついた。 シャッターが、少し遅れた。
構えて、いい雰囲気を待っていたんだけど。 望遠です。

忌宮(いみのみや)神社。

こんな伝説。 仲哀天皇は、実在してないよう。
※ そろそろ実在するかなって時代に。 紀元前でなくなって。


お参り。

この後、戻る。 こんな碑があって。

長府は、まだまだ見てない所があります。
長府庭園とかも。
時々よって、少しずつ紹介しますね。
歩いてき気持ちいい町。
好きです。
【今日の一句】 「 三吉慎蔵がいて龍馬が 龍馬がいて新しい時代が」
【今日の歌】 Let The Sunshine In - Live
※ この曲は、サラエボで歌われた曲ですね。
歌うことで、戦った。
サラエボは、ボスニア・ ヘルツェゴビナ(旧ユーゴスラビア)の首都。
サッカー日本代表の新しい監督は、ヴァヒド・ハリルホジッチ氏。
彼は、ボスニア・ ヘルツェゴビナの出身。
ハリル監督と、呼ばれる。
彼は紛争の中で、銃弾を受けるなど、大変な苦労をしている。
冷静沈着であるが、時にはこう。
応援してみようと、思う。
※ 多くの報道が、戦地に入った。 世界に伝えた。
そのことが解決へとつながる、最初の紛争。
シリアで命を落とした、山本美香さんも、行っていた。
【停泊場所】 長沢温泉の駐車場。 いつもここに。

【明日の予定】 防府市にある、山頭火の生家跡に行きます。 近い。
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(2008年4月~2010年9月までの記事)

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