四国には、12月に初めに徳島に渡った。 途中広島に行った。
安芸灘諸島の島を通って、四国に戻った。
トータルで、3か月程、四国にいた。
多くの人に出会い、私にとっては、満足できる旅だったでしょうか。
浄瑠璃、四万十川、棚田、脱藩の道など、よかったですね。
最後に行った松野町のように、行ってみたら、多くの見所がある町もあった。
この次は、2つの山を登りに来る。
今日、九州に渡った。
これから、どんな旅になるでしょう。 楽しみです。
フェリー乗り場の近くに、大きなアコウ木があった。 3本。
この木は、どこにでもは、ない。
右側の土に、根っこがある。 その根が、横に出た木の重さ全部を、支えている。
根は、木でも何でも、締め付ける。
※ 土佐清水市の松尾で見た、石抱きアコウ。
12時半のフェリーに乗る。 船から車が出てきた。
三崎漁港。
佐田岬半島、先端方向。
九州。 右の島は、高島。 昨日より、風は弱い。
山の上に風車。
四国で、発電用の風車が多いのは、ここと四国カルスト。 ※ ちゃんと写真は、撮ってない。 見たけど。
昨日の動画にあった、半島最後の集落。 佐田岬小学校があった。 港は、佐田岬港。
昨日よりは風は弱いが、波はある。 小さな船はゆれる。
半島の、先の方。 右に、駐車場が見える。 昨日は、ここから歩いた。
駐車場。
探照灯格納庫があった所。 灯台のある手前の山。
上は、展望台。 下の方に、1周する道があった。
佐田岬灯台。 灯台守の歌を思い出しますね。 凍れる月影、って。
岬から、離れた。
船に案内があった。 佐賀関港の近くの徳応寺に、昔、龍馬たちが泊ったと。
住職が記録していた。
徳応寺に行くことにした。
佐田岬灯台を、望遠で撮った。 もう一度行くことは、あるのか。 たいていは、ない。
高島の前で、小舟が漁をしていた。 何の漁だろう。
一本釣りなら、関さばかもしれない。
海峡なので、多くの船が行き交う。
お互い船は、衝突を避けるため、直線で進んでいない。
フェリーも、右の船を避けるため、右に大きく迂回した。
正面は、別府温泉の方向。 一番高い山が、由布岳。 昨年春に登った。
※ 湯布院の駅前から見た由布岳 由布岳から見た、湯布院盆地
この中に、佐賀関港。
龍馬が泊まったという、徳応寺に行った。 車は漁港に停めて、歩いた。
詳しい場所は、土地の人に聞いた。
徳応寺は、石段を上がった所にあった。
自由に見ていいとあった。
勝海舟と龍馬たちが、この寺に来たのは、幕末。 文久4年(1864年)の2月15日。
長崎に向かっていた。 佐賀関までは船で来て、この後は熊本まで歩く。
目的は、オランダ、アメリカ、イギリス、フランスの4カ国による下関砲撃中止の交渉のため。
この年は、龍馬脱藩の2年後。 幕府の中枢にいる勝海舟と関わっている。
肥後街道を通る。 石畳がよかった、今市宿。 野津原宿にも、昨年行った。
下のような集合写真があった。 この写真は、どこで撮ったものでしょう。
そうそうたるメンバーがいます。
龍馬と一緒に暗殺される、中岡慎太郎もいる。 また、大久保利通に殺される、江藤新平もいる。(2人とも)
※ 関連ブログ 中岡慎太郎の故郷 江藤新平の捕まった町
天気はいいが、風は冷たい。 春は足踏み。
商店街を歩いていると、標示があった。 左下のような。
寺からの依頼なのか、街全体でもてなしたようだ。
龍馬が通ったらこうなる。 龍馬は、義経と同じ。
今いる道の駅。
九州に来ました。
今後の大きなコースは、北に向かって行き、26日頃、柳川に入ります。
その後、菊池市。 しうさんのお父さんの山小屋にお邪魔。 お父さんから、九州の山について、アドバイスを受ける。
そして、4月の初めに、大野市の清川。 今年も神楽を見たい。
【その他】 今日、北見のIさんが、ハノイに行った。
昨年の夏に、北見に行って、一晩お邪魔したのが、I さんの所。
春に退職したが、文部科学省の日本人学校シニア教員派遣制度に応募していた。
そうしたら、ベトナムの、ハノイ日本人学校の校長に決まった。 3年間。
赴任日が3月10日なので、今日出発した。
退職したけど、教育への意気込みは、衰えていなかった。
I さんは、私が雄武の沢木小の教頭でいた3年目の時に、校長になってやってきた。
10年以上前のこと。 ※ 北の岬の歌は、この年に生まれている。 奥さま共々、応援してくれた。
I さんは、2度目の日本人学校。 若い時に、パリの日本人学校にいたことがある。
※ 日本人学校の教員の募集は、毎年、文科省から夏休み前に降りてくる。
募集人員が少ないため、県段階の審査を通りぬけるのが大変。 そこを過ぎたら、文科省に上がる。
日本人学校は、現在、世界に85校。 その土地の、日本人が通う。
教育の内容は、日本と基本的に同じだが、文科省に縛られない。
ぜひ遊びにおいで、と言ってくれてることもあり、行ってみたい。
ハノイの他には、ホーチミン市にも。
※ 予算について分かる人がいたら、教えてほしいです。
※ ハノイの日本人学校のホームページは、ここです。 校長名が、間もなく変わります。
※ 昨日の歌、「美しい昔」については、別の日に、もう少し触れます。 写真についても。
司馬遼太郎や、開高健も、少し関わりがあります。
歌詞入りの歌は、ここに(YouTube)
【道の駅】 佐賀関
【明日の予定】 この辺りか、北に向かうか。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
【ランキング】 国内旅行は7位、 旅行全体で18位です。 放浪の旅は35位です。
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安芸灘諸島の島を通って、四国に戻った。
トータルで、3か月程、四国にいた。
多くの人に出会い、私にとっては、満足できる旅だったでしょうか。
浄瑠璃、四万十川、棚田、脱藩の道など、よかったですね。
最後に行った松野町のように、行ってみたら、多くの見所がある町もあった。
この次は、2つの山を登りに来る。
今日、九州に渡った。
これから、どんな旅になるでしょう。 楽しみです。
フェリー乗り場の近くに、大きなアコウ木があった。 3本。
この木は、どこにでもは、ない。
右側の土に、根っこがある。 その根が、横に出た木の重さ全部を、支えている。
根は、木でも何でも、締め付ける。

※ 土佐清水市の松尾で見た、石抱きアコウ。
12時半のフェリーに乗る。 船から車が出てきた。

三崎漁港。

佐田岬半島、先端方向。

九州。 右の島は、高島。 昨日より、風は弱い。

山の上に風車。
四国で、発電用の風車が多いのは、ここと四国カルスト。 ※ ちゃんと写真は、撮ってない。 見たけど。

昨日の動画にあった、半島最後の集落。 佐田岬小学校があった。 港は、佐田岬港。

昨日よりは風は弱いが、波はある。 小さな船はゆれる。

半島の、先の方。 右に、駐車場が見える。 昨日は、ここから歩いた。

駐車場。

探照灯格納庫があった所。 灯台のある手前の山。

上は、展望台。 下の方に、1周する道があった。

佐田岬灯台。 灯台守の歌を思い出しますね。 凍れる月影、って。


岬から、離れた。

船に案内があった。 佐賀関港の近くの徳応寺に、昔、龍馬たちが泊ったと。

住職が記録していた。


徳応寺に行くことにした。
佐田岬灯台を、望遠で撮った。 もう一度行くことは、あるのか。 たいていは、ない。

高島の前で、小舟が漁をしていた。 何の漁だろう。
一本釣りなら、関さばかもしれない。

海峡なので、多くの船が行き交う。
お互い船は、衝突を避けるため、直線で進んでいない。
フェリーも、右の船を避けるため、右に大きく迂回した。

正面は、別府温泉の方向。 一番高い山が、由布岳。 昨年春に登った。
※ 湯布院の駅前から見た由布岳 由布岳から見た、湯布院盆地

この中に、佐賀関港。

龍馬が泊まったという、徳応寺に行った。 車は漁港に停めて、歩いた。
詳しい場所は、土地の人に聞いた。

徳応寺は、石段を上がった所にあった。

自由に見ていいとあった。

勝海舟と龍馬たちが、この寺に来たのは、幕末。 文久4年(1864年)の2月15日。
長崎に向かっていた。 佐賀関までは船で来て、この後は熊本まで歩く。
目的は、オランダ、アメリカ、イギリス、フランスの4カ国による下関砲撃中止の交渉のため。
この年は、龍馬脱藩の2年後。 幕府の中枢にいる勝海舟と関わっている。

肥後街道を通る。 石畳がよかった、今市宿。 野津原宿にも、昨年行った。

下のような集合写真があった。 この写真は、どこで撮ったものでしょう。
そうそうたるメンバーがいます。
龍馬と一緒に暗殺される、中岡慎太郎もいる。 また、大久保利通に殺される、江藤新平もいる。(2人とも)
※ 関連ブログ 中岡慎太郎の故郷 江藤新平の捕まった町

天気はいいが、風は冷たい。 春は足踏み。

商店街を歩いていると、標示があった。 左下のような。

寺からの依頼なのか、街全体でもてなしたようだ。

龍馬が通ったらこうなる。 龍馬は、義経と同じ。

今いる道の駅。

九州に来ました。
今後の大きなコースは、北に向かって行き、26日頃、柳川に入ります。
その後、菊池市。 しうさんのお父さんの山小屋にお邪魔。 お父さんから、九州の山について、アドバイスを受ける。
そして、4月の初めに、大野市の清川。 今年も神楽を見たい。
【その他】 今日、北見のIさんが、ハノイに行った。
昨年の夏に、北見に行って、一晩お邪魔したのが、I さんの所。
春に退職したが、文部科学省の日本人学校シニア教員派遣制度に応募していた。
そうしたら、ベトナムの、ハノイ日本人学校の校長に決まった。 3年間。
赴任日が3月10日なので、今日出発した。
退職したけど、教育への意気込みは、衰えていなかった。
I さんは、私が雄武の沢木小の教頭でいた3年目の時に、校長になってやってきた。
10年以上前のこと。 ※ 北の岬の歌は、この年に生まれている。 奥さま共々、応援してくれた。
I さんは、2度目の日本人学校。 若い時に、パリの日本人学校にいたことがある。
※ 日本人学校の教員の募集は、毎年、文科省から夏休み前に降りてくる。
募集人員が少ないため、県段階の審査を通りぬけるのが大変。 そこを過ぎたら、文科省に上がる。
日本人学校は、現在、世界に85校。 その土地の、日本人が通う。
教育の内容は、日本と基本的に同じだが、文科省に縛られない。
ぜひ遊びにおいで、と言ってくれてることもあり、行ってみたい。
ハノイの他には、ホーチミン市にも。
※ 予算について分かる人がいたら、教えてほしいです。
※ ハノイの日本人学校のホームページは、ここです。 校長名が、間もなく変わります。
※ 昨日の歌、「美しい昔」については、別の日に、もう少し触れます。 写真についても。
司馬遼太郎や、開高健も、少し関わりがあります。
歌詞入りの歌は、ここに(YouTube)
【道の駅】 佐賀関
【明日の予定】 この辺りか、北に向かうか。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

【ランキング】 国内旅行は7位、 旅行全体で18位です。 放浪の旅は35位です。
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