「 山も野原も みんな真っ白な雪に おおわれています 」
木下順二の、「夕鶴」の冒頭。
いい文です。
作者の木下順二は、どこをイメージして書いたとは、言ってない。
ただ、場所の条件は、3つほど。
① 京都まで、ツルが飛んで行ける所。
② また、京都まで、人間が歩ける距離の所。
③ 雪が降ること。
ある本の挿絵(さしえ)は、こう。
(秋田県立美術館のHPから)(昔の教科書のは、見つからない)
ぴったりなのが、南丹市の美山町。
京都から、鯖街道(国道62)を北上したら、着く。
今も、なつかしい里山の風景が残っている。
今日の見学は、その美山町の北集落にある、かやぶきの里 北村。
花に包まれ始めていた。
京都から、車でひとっ走り。
多くの観光客が。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
位置は、京都と若狭の中間地だと、Wikipedia にはある。
その表現が、ネット上で、広まっている。
正確には、若狭寄りですね。
京都と云えば、都の京都市が全てに感じるけど、日本海に面する舞鶴も、京都。 京都府。
丹後半島の伊根だって。
伊根の舟屋 ~丹後半島 伊根町~ 他 (2011/6/19)

山の中に、たまたま平地が出来た。 由良川がカーブしたり、他の川が合流したりして。
ここの水は、日本海に流れる。
ほぼ、全貌。

茅葺(かやぶき)の家並みは、そんなにない。
白川郷や大内宿くらいなもの。
昔の農村風景が残る、白川郷、荻町集落。 合掌造りの家。~白川村~ 他 (2013/5/12)
大内宿。 江戸時代の旅人気分で散策。 ネギで食べる、高遠そば。~下郷町~ 他 (2014/6/11)
重伝建地区になったら、とりあえず、一安心。 町並みは、壊れない。

家並みは、こう。 家の向きが、同じ。

この道が、メインストリート。

※ 考えるの忘れたけど、昔の街道は、どの道だったんだろう。
下の地図の、赤〇の道でしょうね。 ピンクは、集落。
貧しかったはずの農民が、この家に住めたら、贅沢。
この集落を作り上げた力は、並大抵ではない。

川のお魚さん。 子供が喜ぶ。 この建物は、集会所だったかな。

ここがいい。

立道すじ、とある。 固きは、石にもかかっていますね。
※ 立道すじ、とは何でしょう。
こんな言葉は、ないですね。 縦道すじならある。
縦(たて)と書くところを、立に。 間違ったのかな。
集落の中の、坂道になってる道が、縦道すじ。 縦道筋。
今歩いてきた道が、その道。
いい歌です。
野ざらしでないので、お地蔵さん、幸せ。

サクラは終わるけど、バトンを引き継ぐように、他の花たちが。

かやぶきの里 北村と呼んでいる。
正確には、北地区。 北集落。 これでは、味気ないので、北村か。
この地域が、北村と呼ばれる、村だった時代はないよう。 調べてみたけど。
水は、潤(うるお)いですね。 乾いた心にも。 渇いていたら、緊急に。

屋根の上に、交差した木。 千木(ちぎ)。 デザイン。 神社以外では、見ない。
三角の部分は、破風(はふ)。 風を破くように分けるので、この名前。
囲炉裏の煙は、ここから出ますね。

交流館、そして、お店。

いい眺めです。

縦道筋でない、横の道。 この道が、旧道であり、街道かな。

この道は、縦道筋。 日曜で、人が多い。
女性が、友達同士で来ている姿が、見られる。
男より、女性の方か、行動的。 年配になると。

茅葺の家の囲炉裏で、酒を飲んでみたい。 民宿に泊まればいいのかな。
右は、資料館のような所。 有料。

環境の整備に、どの家も、気を遣っている。

こっちも、縦道すじのお地蔵さん。

六面地蔵。 たまに見ます。

遠くに、お店。 地域が組合を作って、管理している。
この地域は、人々がまとまる力を持っている。
それがあったので、20年前に、重伝建地区になれた。
今は、京都府の、貴重な財産でも。

集落の中を、西の鯖街道が通っていたと云うけど、道がはっきりしない。
印が、この集落。
※ 東の鯖街道は、小浜と京都。
※ 鯖街道のゴールは、御所の南の錦市場。
今は無い、古い道があったのかな。
花がいっぱい。 小さな小屋に、放水銃。

こいのぼりは、機嫌がいい。

※ 夕鶴の話を少し。
ほんとうは鶴である「つう」は、覗(のぞ)かないでね、と言った。
よひょうは、こっそり見てしまった。
木下順二は、人間の弱さを描きたかったのかなと、思ったりする。
でも、それなら、深い話ではなくなる。
話のポイントは、別なんですね。
つうは、自分を助けてくれたよひょうが、大好き。
だから、自分の得意な、都の話をしたり、千羽織を織った。
よひょうの気持ちは、都へ行きたいとなって、千羽織を売ったお金にも関心が。
つうのしたことは全て、よひょうが好きだから、良かれと思ってしたこと。
ところが、それが裏目に出た。
よひょうだって、そのお金で、つうの幸せを考えた。
お互い相手のことを思っているのに、幸せにはなれない。
一種の、矛盾ですね。
木下順二は、これを描きたかった。
私なんかは、直ぐに誰かを批判したくなる。
ところが、人間を、あたたかい目で、深く見つめたら、見方が変わるんですね。
誰が悪いわけでもないのに、世の中、うまくいかないこともある。
夕鶴はそんなことを教えてくれる。
大好きな作品。
つうは、別れるしかないと思って、西の空に夕方、さびしく飛んでいく。
それで、夕鶴。 悲しい場面。
昔、この場面を授業した時、こっそり涙をぬぐった子がいた。
なつかしい里山の風景。 この谷全体が、陽だまりのように。
後ろ姿のいい人がいたら、カメラを構えることが多い。
センスは、若いときから磨かないと、急には無理かなって・・。

逆光の写真が好き。 モクレンですね。

この道が、街道の道のよう。 集落を抜けて行くので。
花があると、風景は一変する。

桃の花かな。

別の道を通って、戻った。

今日は天気がいいと分かっていたので、ここに来ました。
京都の人たちは、都会の喧騒から離れて、ここで一息。
いい所です。
誰かが、心がどうなるとか、言っていた。
光る言葉は、メモしないと・・。
【今日の一句】 「 北村は 今に残る 夕づるの里 山も野原も 」
「 新緑の季節 こいのぼりは 風に気持ちいい 」
【今日の歌】 Lichner : Forget Me Not 日本名は、忘れな草。
※ 作曲者のリヒナーは、どんな悲しみを表現したのでしょう。
自分自身のかも知れない。 知りたいところ。
(追記) 下の伝説でした。
※ ワスレナグサの花言葉は、「真実の愛」 「私を忘れないで」。
季語は、春。
野原で何度も見ている。 名前は知らなかった。
花の直径は、1㌢ない。
(今日の写真に、偶然写っていないか、確認してみる)
(追記 1輪だけありました。
)
(追記 別のにいっぱい写っていた。
※ 余談 ワスレナグサ(忘れな草)には、伝説があった。 それも、悲恋の。
初めて知る。 こうです。 (Wikipedia から)
昔、騎士ルドルフは、ドナウ川の岸辺に咲くこの花を、恋人ベルタのために摘もうと、岸を降りた。
しかし、誤って川の流れに飲まれてしまう。
ルドルフは最後の力を尽くして花を岸に投げ、„Vergiss-mein-nicht!“(僕を忘れないで)という言葉を残して
死んだ。
残されたベルタは、ルドルフの墓にその花を供え、彼の最期の言葉を、花の名にした。
このような伝説から、この花の名前は当地ドイツで 、Vergissmeinnicht と呼ばれ、英名もその直訳の
forget-me-not である。
日本では、1905年(明治38年)に、植物学者の川上滝弥によって、初めて「勿忘草」「忘れな草」と訳された。
花言葉の、「真実の愛」「私を忘れないで下さい」も、この伝説に由来する。
(感想) 彼女は、大好きな彼を、どうして危険な場所に、行かせたのだろう。
危険と、分からなかったのか。
【停泊場所】 おばま
【明日の予定】 雨の予報。 どこかを少しだけ。
天気のいい日に、有料のレインボーラインを走りたい。
※ 小浜は、江(ごう)のすぐ上の姉の、初が嫁いだ、京極家の領地。
雨で動けなかったら、墓参りをしましょうか。
忘れな草を持って。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)
※ プロフィール・・・。 ⇒
今までの記事には、この2枚だけ。
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木下順二の、「夕鶴」の冒頭。
いい文です。
作者の木下順二は、どこをイメージして書いたとは、言ってない。
ただ、場所の条件は、3つほど。
① 京都まで、ツルが飛んで行ける所。
② また、京都まで、人間が歩ける距離の所。
③ 雪が降ること。
ある本の挿絵(さしえ)は、こう。
(秋田県立美術館のHPから)(昔の教科書のは、見つからない)

ぴったりなのが、南丹市の美山町。
京都から、鯖街道(国道62)を北上したら、着く。
今も、なつかしい里山の風景が残っている。
今日の見学は、その美山町の北集落にある、かやぶきの里 北村。
花に包まれ始めていた。
京都から、車でひとっ走り。
多くの観光客が。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。

( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
位置は、京都と若狭の中間地だと、Wikipedia にはある。
その表現が、ネット上で、広まっている。
正確には、若狭寄りですね。
京都と云えば、都の京都市が全てに感じるけど、日本海に面する舞鶴も、京都。 京都府。
丹後半島の伊根だって。
伊根の舟屋 ~丹後半島 伊根町~ 他 (2011/6/19)

山の中に、たまたま平地が出来た。 由良川がカーブしたり、他の川が合流したりして。
ここの水は、日本海に流れる。
ほぼ、全貌。

茅葺(かやぶき)の家並みは、そんなにない。
白川郷や大内宿くらいなもの。
昔の農村風景が残る、白川郷、荻町集落。 合掌造りの家。~白川村~ 他 (2013/5/12)
大内宿。 江戸時代の旅人気分で散策。 ネギで食べる、高遠そば。~下郷町~ 他 (2014/6/11)
重伝建地区になったら、とりあえず、一安心。 町並みは、壊れない。


家並みは、こう。 家の向きが、同じ。


この道が、メインストリート。

※ 考えるの忘れたけど、昔の街道は、どの道だったんだろう。
下の地図の、赤〇の道でしょうね。 ピンクは、集落。

貧しかったはずの農民が、この家に住めたら、贅沢。
この集落を作り上げた力は、並大抵ではない。


川のお魚さん。 子供が喜ぶ。 この建物は、集会所だったかな。


ここがいい。

立道すじ、とある。 固きは、石にもかかっていますね。
※ 立道すじ、とは何でしょう。
こんな言葉は、ないですね。 縦道すじならある。
縦(たて)と書くところを、立に。 間違ったのかな。
集落の中の、坂道になってる道が、縦道すじ。 縦道筋。
今歩いてきた道が、その道。
いい歌です。
野ざらしでないので、お地蔵さん、幸せ。


サクラは終わるけど、バトンを引き継ぐように、他の花たちが。


かやぶきの里 北村と呼んでいる。
正確には、北地区。 北集落。 これでは、味気ないので、北村か。
この地域が、北村と呼ばれる、村だった時代はないよう。 調べてみたけど。
水は、潤(うるお)いですね。 乾いた心にも。 渇いていたら、緊急に。


屋根の上に、交差した木。 千木(ちぎ)。 デザイン。 神社以外では、見ない。
三角の部分は、破風(はふ)。 風を破くように分けるので、この名前。
囲炉裏の煙は、ここから出ますね。

交流館、そして、お店。


いい眺めです。


縦道筋でない、横の道。 この道が、旧道であり、街道かな。

この道は、縦道筋。 日曜で、人が多い。
女性が、友達同士で来ている姿が、見られる。
男より、女性の方か、行動的。 年配になると。

茅葺の家の囲炉裏で、酒を飲んでみたい。 民宿に泊まればいいのかな。
右は、資料館のような所。 有料。


環境の整備に、どの家も、気を遣っている。

こっちも、縦道すじのお地蔵さん。

六面地蔵。 たまに見ます。


遠くに、お店。 地域が組合を作って、管理している。
この地域は、人々がまとまる力を持っている。
それがあったので、20年前に、重伝建地区になれた。
今は、京都府の、貴重な財産でも。

集落の中を、西の鯖街道が通っていたと云うけど、道がはっきりしない。
印が、この集落。
※ 東の鯖街道は、小浜と京都。
※ 鯖街道のゴールは、御所の南の錦市場。
今は無い、古い道があったのかな。

花がいっぱい。 小さな小屋に、放水銃。


こいのぼりは、機嫌がいい。


※ 夕鶴の話を少し。
ほんとうは鶴である「つう」は、覗(のぞ)かないでね、と言った。
よひょうは、こっそり見てしまった。
木下順二は、人間の弱さを描きたかったのかなと、思ったりする。
でも、それなら、深い話ではなくなる。
話のポイントは、別なんですね。
つうは、自分を助けてくれたよひょうが、大好き。
だから、自分の得意な、都の話をしたり、千羽織を織った。
よひょうの気持ちは、都へ行きたいとなって、千羽織を売ったお金にも関心が。
つうのしたことは全て、よひょうが好きだから、良かれと思ってしたこと。
ところが、それが裏目に出た。
よひょうだって、そのお金で、つうの幸せを考えた。
お互い相手のことを思っているのに、幸せにはなれない。
一種の、矛盾ですね。
木下順二は、これを描きたかった。
私なんかは、直ぐに誰かを批判したくなる。
ところが、人間を、あたたかい目で、深く見つめたら、見方が変わるんですね。
誰が悪いわけでもないのに、世の中、うまくいかないこともある。
夕鶴はそんなことを教えてくれる。
大好きな作品。
つうは、別れるしかないと思って、西の空に夕方、さびしく飛んでいく。
それで、夕鶴。 悲しい場面。
昔、この場面を授業した時、こっそり涙をぬぐった子がいた。
なつかしい里山の風景。 この谷全体が、陽だまりのように。
後ろ姿のいい人がいたら、カメラを構えることが多い。
センスは、若いときから磨かないと、急には無理かなって・・。

逆光の写真が好き。 モクレンですね。


この道が、街道の道のよう。 集落を抜けて行くので。
花があると、風景は一変する。


桃の花かな。


別の道を通って、戻った。

今日は天気がいいと分かっていたので、ここに来ました。
京都の人たちは、都会の喧騒から離れて、ここで一息。
いい所です。
誰かが、心がどうなるとか、言っていた。
光る言葉は、メモしないと・・。
【今日の一句】 「 北村は 今に残る 夕づるの里 山も野原も 」
「 新緑の季節 こいのぼりは 風に気持ちいい 」
【今日の歌】 Lichner : Forget Me Not 日本名は、忘れな草。
※ 作曲者のリヒナーは、どんな悲しみを表現したのでしょう。
自分自身のかも知れない。 知りたいところ。
(追記) 下の伝説でした。
※ ワスレナグサの花言葉は、「真実の愛」 「私を忘れないで」。
季語は、春。
野原で何度も見ている。 名前は知らなかった。
花の直径は、1㌢ない。
(今日の写真に、偶然写っていないか、確認してみる)
(追記 1輪だけありました。


(追記 別のにいっぱい写っていた。

※ 余談 ワスレナグサ(忘れな草)には、伝説があった。 それも、悲恋の。
初めて知る。 こうです。 (Wikipedia から)
昔、騎士ルドルフは、ドナウ川の岸辺に咲くこの花を、恋人ベルタのために摘もうと、岸を降りた。
しかし、誤って川の流れに飲まれてしまう。
ルドルフは最後の力を尽くして花を岸に投げ、„Vergiss-mein-nicht!“(僕を忘れないで)という言葉を残して
死んだ。
残されたベルタは、ルドルフの墓にその花を供え、彼の最期の言葉を、花の名にした。
このような伝説から、この花の名前は当地ドイツで 、Vergissmeinnicht と呼ばれ、英名もその直訳の
forget-me-not である。
日本では、1905年(明治38年)に、植物学者の川上滝弥によって、初めて「勿忘草」「忘れな草」と訳された。
花言葉の、「真実の愛」「私を忘れないで下さい」も、この伝説に由来する。
(感想) 彼女は、大好きな彼を、どうして危険な場所に、行かせたのだろう。
危険と、分からなかったのか。
【停泊場所】 おばま

【明日の予定】 雨の予報。 どこかを少しだけ。
天気のいい日に、有料のレインボーラインを走りたい。
※ 小浜は、江(ごう)のすぐ上の姉の、初が嫁いだ、京極家の領地。
雨で動けなかったら、墓参りをしましょうか。
忘れな草を持って。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)

※ プロフィール・・・。 ⇒


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