台風の影響で、日中は嵐に。
予定を変更して、夕方、隣の村に行ってきた。
舟橋村。
日本一、面積の小さな市町村。
村内を車で通れば、3分もあれば、通り抜ける。
たての道だって、横の道だって、2㌔しかない。
明治の初めに、この地方で、ばんどり騒動があった。
集結地は、舟橋村の、無量寺。
戦った人々の心は、後の秩父事件などにつながる。
自由民権運動と呼ばれた、戦いに。
村には、先人の思いを忘れないために、
ばんどり太鼓が、残されていた。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
富山県の、真ん中辺りに。 米粒。 富山地方本線が、通っている。

広さ、3.47㎢。 甲子園球場、90個分。
※ 高山市は、56000個分。 日本一広い市町村。
2㌔㍍四方なら、4㎢。 それよりせまいですね。
コンビニが2軒。 スーパーはない。 郵便局も、以前はなかった。
形は、ばんどり騒動で、戦っている人の姿か。

舟橋村は、合併したことない。
そうさせたのは、村に住む人たち。
その中に、合併しなくてもやっていけると、自信を持っている人がいるんですね。
人の力が、そうさせている。
雨が止んで、4時ころ行った。
舟橋駅に、図書館。

2006年3月27日に、日本一になった。
それ以前の日本一については、後ほど。
自分は、以前、行っている所かな。
ここが、無量寺。 境内は、人であふれ、太鼓が鳴った。
戦いに向かうと、人の数は、ふくらんだ。
それを示す石碑とかは、なかった。

駅に戻ってきた。 向こうに、舟橋郵便局。
ここは、日本で最も遅くまで、郵便局がなかった自治体。
1994年に簡易郵便局。 1999年に、見えてる郵便局。
右に、剱岳。

村は、小さいことを誇りに思っていますね。 剱岳への道。

駅に、下の説明板。
ばんどり騒動について、書いてある。
明治の初めのこと。
まだ藩があって、農民の生活は、江戸時代と変わらない。
指導者は、宮崎忠次郎。 無量寺に集まった。
雨が降っていたのか、ばんどりと呼ばれる、蓑(みの)を着ていた。
※ ばんどりは、合羽(かっぱ)の役割。
元々の、ばんどりの意味は、ムササビやモモンガのこと。
夜に飛ぶので、晩鳥と呼ばれた。
蓑を身に着けた姿が、晩鳥に似ていたため、蓑をばんどりと呼ぶ地域があった。
太鼓を鳴らして、気持ちを高めた。
十村(とむら)とあるのは、大庄屋のこと。
十数ヶ村をまとめる、長。 加賀藩は、こうだった。

騒動と一揆は、まったく違う。
行政側から見た「ばんどり騒動」が、名前として定着してしまった。
中身は、間違いなく、一揆。
貧しいからだけで、戦ったのではない。
不作で、農民がいくら貧しくなっても、十村が容赦なく年貢を取ろうとしたから。
このままなら死ぬと分かり、戦うしかなかった。
そう云う意味では、島原の乱の農民に、似ている。
忠次郎だけを処罰したのは、そうしないと、一揆の大きさが政府に分かってしまう。
村を治めるのに失敗したと、見られるのを、避けた。
下の中央が、ばんどり。 (入善町の観光情報から)
最後に、戦いの意義は、何だったのか。
まず、Wikipediaにばんどり騒動は、以前はあった。
内容にクレームがついて、今は、削除の状態。
※ クレームは、どこかの資料を勝手に使ったか、
意義の押さえ方に、大きな問題があったか、など。
ネット上に明確な情報は無いけど、触れてる記事が、2つほどあった。
それを参考にすると、
① 一揆の後、十村(大庄屋)の姿勢が、ある程度変わった。
② 勇気を持って戦う姿勢、心は、後の、自由民権運動に引き継がれた。
この2つで、いいでしょうね。
戦った人達の心を、太鼓で表現した。 ばんどり太鼓。
テレビで紹介された。 下に。 無量寺の前で、演奏。
※ NHK新日本風土記アーカイブス 越中舟橋ばんどり太鼓
舟橋村。 楽しそうな地図。

駅に図書館。

歩道にも、案内地図。

※ 自由民権運動は、十数年後に。 苦しい民衆が、戦った。
秩父事件について紹介。
ピアソン記念館~北見市~ 他 (2011/9/7)
(秩父事件の中心人物、井上伝蔵は、北海道の北見まで逃げる )
井上伝蔵 ~秩父事件~ 吉田龍勢 他 (2009/10/21)
※ 舟橋村は、2006年3月27日から、最小に。
それ以前は、岐阜県にある、墨俣(すのまた)町だった。
3月1日からの、短い期間だけ。
それ以前の最小は、高知県の赤岡町。
2005年の1月4日から。
2005年の1月3日まで、長い期間、日本最小の市町村は、長崎県の高島町だった。
軍艦島も、高島町にあった。
軍艦島も高島も、世界遺産になりますね。
軍艦島から見えた、高島を歩く。~長崎港から、フェリーで40分~ 他 (2010/3/18)
軍艦島に上陸 ~長い眠りから覚め、新しい歴史を刻み始めた端島~ 他 (2010/3/17)
今日は、少しの時間の見学でした。
舟橋村には、行かなければと思っていました。
よかったでしょうか。
ばんどり騒動の心が、舟橋村の人々を、
強くしているかも、知れませんね。
【今日の一句】 「 ばんとり騒動の勇気は 後の世に そして今に 」
【今日の歌】 村歌「ちっちゃな舟橋村」
【道の駅】 なめりかわ
【明日の予定】 馬場島へ。 天気は大丈夫。 剱岳の登山基地。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)
※ プロフィール・・・。 ⇒
今までの記事には、この2枚だけ。
【ランキング】 国内旅行、3位。 旅行全体で、4位です。
気に入った所がありましたら、クリックをよろしく。
※ クリックするバナーは、下のです。
ランキングが、見られます。
⇓
ランキング
※ 最初は、国内旅行のランキングが。
旅行をクリックすると、旅行全体のが。
※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
次の日のクリックも、また、1週間生きる。
【拍 手】
.
予定を変更して、夕方、隣の村に行ってきた。
舟橋村。
日本一、面積の小さな市町村。
村内を車で通れば、3分もあれば、通り抜ける。
たての道だって、横の道だって、2㌔しかない。
明治の初めに、この地方で、ばんどり騒動があった。
集結地は、舟橋村の、無量寺。
戦った人々の心は、後の秩父事件などにつながる。
自由民権運動と呼ばれた、戦いに。
村には、先人の思いを忘れないために、
ばんどり太鼓が、残されていた。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。

( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
富山県の、真ん中辺りに。 米粒。 富山地方本線が、通っている。


広さ、3.47㎢。 甲子園球場、90個分。
※ 高山市は、56000個分。 日本一広い市町村。
2㌔㍍四方なら、4㎢。 それよりせまいですね。
コンビニが2軒。 スーパーはない。 郵便局も、以前はなかった。
形は、ばんどり騒動で、戦っている人の姿か。

舟橋村は、合併したことない。
そうさせたのは、村に住む人たち。
その中に、合併しなくてもやっていけると、自信を持っている人がいるんですね。
人の力が、そうさせている。
雨が止んで、4時ころ行った。
舟橋駅に、図書館。

2006年3月27日に、日本一になった。
それ以前の日本一については、後ほど。
自分は、以前、行っている所かな。
ここが、無量寺。 境内は、人であふれ、太鼓が鳴った。
戦いに向かうと、人の数は、ふくらんだ。
それを示す石碑とかは、なかった。

駅に戻ってきた。 向こうに、舟橋郵便局。
ここは、日本で最も遅くまで、郵便局がなかった自治体。
1994年に簡易郵便局。 1999年に、見えてる郵便局。
右に、剱岳。


村は、小さいことを誇りに思っていますね。 剱岳への道。


駅に、下の説明板。
ばんどり騒動について、書いてある。
明治の初めのこと。
まだ藩があって、農民の生活は、江戸時代と変わらない。
指導者は、宮崎忠次郎。 無量寺に集まった。
雨が降っていたのか、ばんどりと呼ばれる、蓑(みの)を着ていた。
※ ばんどりは、合羽(かっぱ)の役割。
元々の、ばんどりの意味は、ムササビやモモンガのこと。
夜に飛ぶので、晩鳥と呼ばれた。
蓑を身に着けた姿が、晩鳥に似ていたため、蓑をばんどりと呼ぶ地域があった。
太鼓を鳴らして、気持ちを高めた。
十村(とむら)とあるのは、大庄屋のこと。
十数ヶ村をまとめる、長。 加賀藩は、こうだった。

騒動と一揆は、まったく違う。
行政側から見た「ばんどり騒動」が、名前として定着してしまった。
中身は、間違いなく、一揆。
貧しいからだけで、戦ったのではない。
不作で、農民がいくら貧しくなっても、十村が容赦なく年貢を取ろうとしたから。
このままなら死ぬと分かり、戦うしかなかった。
そう云う意味では、島原の乱の農民に、似ている。
忠次郎だけを処罰したのは、そうしないと、一揆の大きさが政府に分かってしまう。
村を治めるのに失敗したと、見られるのを、避けた。
下の中央が、ばんどり。 (入善町の観光情報から)

最後に、戦いの意義は、何だったのか。
まず、Wikipediaにばんどり騒動は、以前はあった。
内容にクレームがついて、今は、削除の状態。
※ クレームは、どこかの資料を勝手に使ったか、
意義の押さえ方に、大きな問題があったか、など。
ネット上に明確な情報は無いけど、触れてる記事が、2つほどあった。
それを参考にすると、
① 一揆の後、十村(大庄屋)の姿勢が、ある程度変わった。
② 勇気を持って戦う姿勢、心は、後の、自由民権運動に引き継がれた。
この2つで、いいでしょうね。
戦った人達の心を、太鼓で表現した。 ばんどり太鼓。
テレビで紹介された。 下に。 無量寺の前で、演奏。
※ NHK新日本風土記アーカイブス 越中舟橋ばんどり太鼓
舟橋村。 楽しそうな地図。

駅に図書館。


歩道にも、案内地図。

※ 自由民権運動は、十数年後に。 苦しい民衆が、戦った。
秩父事件について紹介。
ピアソン記念館~北見市~ 他 (2011/9/7)
(秩父事件の中心人物、井上伝蔵は、北海道の北見まで逃げる )
井上伝蔵 ~秩父事件~ 吉田龍勢 他 (2009/10/21)
※ 舟橋村は、2006年3月27日から、最小に。
それ以前は、岐阜県にある、墨俣(すのまた)町だった。
3月1日からの、短い期間だけ。
それ以前の最小は、高知県の赤岡町。
2005年の1月4日から。
2005年の1月3日まで、長い期間、日本最小の市町村は、長崎県の高島町だった。
軍艦島も、高島町にあった。
軍艦島も高島も、世界遺産になりますね。
軍艦島から見えた、高島を歩く。~長崎港から、フェリーで40分~ 他 (2010/3/18)
軍艦島に上陸 ~長い眠りから覚め、新しい歴史を刻み始めた端島~ 他 (2010/3/17)
今日は、少しの時間の見学でした。
舟橋村には、行かなければと思っていました。
よかったでしょうか。
ばんどり騒動の心が、舟橋村の人々を、
強くしているかも、知れませんね。
【今日の一句】 「 ばんとり騒動の勇気は 後の世に そして今に 」
【今日の歌】 村歌「ちっちゃな舟橋村」
【道の駅】 なめりかわ
【明日の予定】 馬場島へ。 天気は大丈夫。 剱岳の登山基地。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)

※ プロフィール・・・。 ⇒


【ランキング】 国内旅行、3位。 旅行全体で、4位です。
気に入った所がありましたら、クリックをよろしく。
※ クリックするバナーは、下のです。
ランキングが、見られます。
⇓

※ 最初は、国内旅行のランキングが。
旅行をクリックすると、旅行全体のが。
※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
次の日のクリックも、また、1週間生きる。
【拍 手】
.
コメント
コメントの投稿
トラックバック
https://akkamui.com/tb.php/1697-ff171319