サワオグルマは咲いていたが、他の花は、少なかった。
春の花が終わって、端境期にある感じだった。 ※ はざかいき
それでも、レンゲツツジとリュウキンカが、あちこちに。
カキツバタ、ミツガシワが、少しだけ。
北西には、鹿島槍ヶ岳が見えた。
2889㍍。 後立山連峰の、主峰。
近くに、木崎湖。
畔(ほとり)に、森城跡があった。
森城は、仁科氏の城だったが、信玄に落とされる。
信玄の5男の武田盛信が、 仁科盛信と名を変え、城主となる。
武田氏は、信長に攻められ、滅亡する。
高遠城で最後まで勇敢に戦い、散ったのは、上の、盛信。
1582年の3月の2日のこと。
11日に、勝頼は、天目山の近くで、終わる。
森城に、5男の盛信が来ていたことを、初めて知った。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
居谷里(いやり)湿原は、木崎湖の横に。

小さな駐車場から、このように。 左奥が深い。

ハッチョウトンボがいると、ある。 そろそろの、季節。
1円玉の中に入る大きさ。 見てみたい。

しょうぶ橋。 菖蒲はしですね。 勝負でなく。
ユリかな。 これから。

サワオグルマが咲いている。 いい状態。

真っ直ぐ行って、左に曲がる。 ここは、動物の水場になっている。

居谷里神社があった。
駐車場のそばに、家が数件。
ここは、居谷里集落。 江戸時代は、居谷里村だったかも。 この後、墓地にも。

湿原の奥。 南方面。 一面のサワオグルマ。

リュウキンカが、最後の花を。 子供の頃、よく食べた。
道は、山沿いを。

右に、墓地が見えた。 今も使っている。
後の藪にも、このように。 倒れてるのも。 広く墓地かも知れない。

駐車場は、向こう。
バスの人達が戻って、帰る所。 名古屋から。
先に進むけど、花が見つからない。 ない。

イノシシが掘っ跡。 鼻先で掘るという。 鼻先は固いのかな。

エゾハルゼミが、ワンワンと鳴いている。
水芭蕉も、ザゼンソウも終わった。

赤いのは花かなと思った。 でも、印のよう。

ここで、熊が座って食事。 一休み。 熊には、こんな習性がある。
レンゲツツジが遠くに。

熊の鈴を、手で振って鳴らした。 カキツバタかも知れない。

谷が細くなってきた。 珍しい花は、見つからない。 少し、つまら・・。
1つの花も見逃さないように、探す。

一番奥に来た。 ここで、かさすげ橋を渡って、左に。

かさすげで、すげがさを作る。

ハンノキ小径の現在地に。 下の方。 湿原の中に行けた。

山が見えた。 調べたら、鹿島槍ヶ岳。
後立山連峰の山。 2889㍍。 立派な高さ。 花の百名山。

やっと近くで、レンゲツツジ。

小さな糸トンボ。 いろんな色、大きさのが飛んでいた。
3㌢ほどの小さいのは、チリチリチリって感じで、飛んでいた。

ミツガシワは、これだけ。
花が少ないから、毛虫はサービス。 葉を縦に食べている。

湧水。 いつも葉っぱで飲む。 カップをぶら下げている人がいる。

湿原は見終わって、木崎湖に。 正面に、見えた。
神社があったので、見た。 花は、牡丹。

神社の隣で、茅葺の家の、建てなおし。 15分ほど、大工さんと話した。
普通の家を、新しく建てるより、お金がかかる。
長く住めば、味が出ると言った。 屋根は、トタンで囲む。
私は、茅葺のカヤが苦しそうで、好きではないけど、仕方ないか。

木崎湖も、山崩れで生まれた。

周りを走ってたら、仁科神社。 別の案内に、森城跡と。

今は仁科神社。 この一帯は、長く仁科氏が治めていた。
武田信玄に滅ぼされるまで。
仁科氏の前は、阿部氏(安倍氏)。

仁科氏の後、信玄の5男の盛信(もりのぶ)が、城主としてきた。
初めて知った。
武田氏が滅びる時、武田氏から離れるものが多かった。
その中で、最後まで果敢に戦ったのは、盛信だけ。
高遠城で、降伏しなかった。
盛信が討ち死にした後、少しして、勝頼の最期が来る。
由布姫 高遠城 絵島の物語 他 (2009/06/18)
武田勝頼の最後は、天目山の麓の田野。 今はそこに、景徳院。~甲州市~ 他 (2011/11/2)
木崎湖には、ワカサギがいるそう。 いろんな魚も。 釣り人。

阿部神社。 祭神は、安倍貞任と 安倍宗任 。
安倍貞任(さだとう)は、奥州の前九年の役の時、中央に逆らって、勇敢に戦った武将。
安倍貞任も、仁科氏の先祖だと言っている。 歴史的には、はっきりしない。
※ 余談 安倍首相は、先祖は安倍貞任だと言っている。
道祖神。
安曇野方面は、道祖神が多いことで知られる。
ここから少し下ると、扇状地になる。
安曇野は、そこから南に、広がる。

湖の北に来た。

今日は、花は多くなかった。
でも、自然の見学では、仕方ないことですね。
これがあるから、いっぱいの花の時は、感動が大きくなる。
今日は今日。 これでいいですね。
【今日の一句】 「 盛信の最期 鬼の如くの戦い 歴史に名を 」
【今日の歌】 早春賦
※ 作詞は、吉丸一昌。
彼は、大町中学校の校歌を作りに来た。 (大町高校の前身)
その時に、安曇野の風景を見て作ったのが、早春賦の詩。
この曲は、大町中の愛唱歌として歌われた。
歌碑とかが大町市にある。
詳しくは、後日紹介します。
吉丸の生家は、大分県の臼杵にある。
そこは今、早春賦の館になっている。
一昨年、行っています。
見える山は、安曇野から見た、常念岳です。
※ 常念岳は、常念山脈の主峰。
北アルプスの南部は、穂高連峰と常念山脈が、たてに並んでいる。
その間を、梓川が南下。
上高地は、そこにあります。
【停泊場所】 木崎湖畔のパーキング
【明日の予定】 静御前の墓か。 他もかな。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)
※ プロフィール・・・。 ⇒
今までの記事には、この2枚だけ。
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春の花が終わって、端境期にある感じだった。 ※ はざかいき
それでも、レンゲツツジとリュウキンカが、あちこちに。
カキツバタ、ミツガシワが、少しだけ。
北西には、鹿島槍ヶ岳が見えた。
2889㍍。 後立山連峰の、主峰。
近くに、木崎湖。
畔(ほとり)に、森城跡があった。
森城は、仁科氏の城だったが、信玄に落とされる。
信玄の5男の武田盛信が、 仁科盛信と名を変え、城主となる。
武田氏は、信長に攻められ、滅亡する。
高遠城で最後まで勇敢に戦い、散ったのは、上の、盛信。
1582年の3月の2日のこと。
11日に、勝頼は、天目山の近くで、終わる。
森城に、5男の盛信が来ていたことを、初めて知った。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。

( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
居谷里(いやり)湿原は、木崎湖の横に。


小さな駐車場から、このように。 左奥が深い。

ハッチョウトンボがいると、ある。 そろそろの、季節。
1円玉の中に入る大きさ。 見てみたい。



しょうぶ橋。 菖蒲はしですね。 勝負でなく。
ユリかな。 これから。


サワオグルマが咲いている。 いい状態。


真っ直ぐ行って、左に曲がる。 ここは、動物の水場になっている。


居谷里神社があった。
駐車場のそばに、家が数件。
ここは、居谷里集落。 江戸時代は、居谷里村だったかも。 この後、墓地にも。


湿原の奥。 南方面。 一面のサワオグルマ。


リュウキンカが、最後の花を。 子供の頃、よく食べた。
道は、山沿いを。


右に、墓地が見えた。 今も使っている。
後の藪にも、このように。 倒れてるのも。 広く墓地かも知れない。



駐車場は、向こう。
バスの人達が戻って、帰る所。 名古屋から。
先に進むけど、花が見つからない。 ない。


イノシシが掘っ跡。 鼻先で掘るという。 鼻先は固いのかな。


エゾハルゼミが、ワンワンと鳴いている。
水芭蕉も、ザゼンソウも終わった。

赤いのは花かなと思った。 でも、印のよう。


ここで、熊が座って食事。 一休み。 熊には、こんな習性がある。
レンゲツツジが遠くに。


熊の鈴を、手で振って鳴らした。 カキツバタかも知れない。


谷が細くなってきた。 珍しい花は、見つからない。 少し、つまら・・。
1つの花も見逃さないように、探す。


一番奥に来た。 ここで、かさすげ橋を渡って、左に。


かさすげで、すげがさを作る。


ハンノキ小径の現在地に。 下の方。 湿原の中に行けた。


山が見えた。 調べたら、鹿島槍ヶ岳。
後立山連峰の山。 2889㍍。 立派な高さ。 花の百名山。


やっと近くで、レンゲツツジ。


小さな糸トンボ。 いろんな色、大きさのが飛んでいた。
3㌢ほどの小さいのは、チリチリチリって感じで、飛んでいた。


ミツガシワは、これだけ。
花が少ないから、毛虫はサービス。 葉を縦に食べている。


湧水。 いつも葉っぱで飲む。 カップをぶら下げている人がいる。


湿原は見終わって、木崎湖に。 正面に、見えた。
神社があったので、見た。 花は、牡丹。


神社の隣で、茅葺の家の、建てなおし。 15分ほど、大工さんと話した。
普通の家を、新しく建てるより、お金がかかる。
長く住めば、味が出ると言った。 屋根は、トタンで囲む。
私は、茅葺のカヤが苦しそうで、好きではないけど、仕方ないか。

木崎湖も、山崩れで生まれた。

周りを走ってたら、仁科神社。 別の案内に、森城跡と。


今は仁科神社。 この一帯は、長く仁科氏が治めていた。
武田信玄に滅ぼされるまで。
仁科氏の前は、阿部氏(安倍氏)。


仁科氏の後、信玄の5男の盛信(もりのぶ)が、城主としてきた。
初めて知った。
武田氏が滅びる時、武田氏から離れるものが多かった。
その中で、最後まで果敢に戦ったのは、盛信だけ。
高遠城で、降伏しなかった。
盛信が討ち死にした後、少しして、勝頼の最期が来る。
由布姫 高遠城 絵島の物語 他 (2009/06/18)
武田勝頼の最後は、天目山の麓の田野。 今はそこに、景徳院。~甲州市~ 他 (2011/11/2)
木崎湖には、ワカサギがいるそう。 いろんな魚も。 釣り人。


阿部神社。 祭神は、安倍貞任と 安倍宗任 。
安倍貞任(さだとう)は、奥州の前九年の役の時、中央に逆らって、勇敢に戦った武将。
安倍貞任も、仁科氏の先祖だと言っている。 歴史的には、はっきりしない。
※ 余談 安倍首相は、先祖は安倍貞任だと言っている。
道祖神。
安曇野方面は、道祖神が多いことで知られる。
ここから少し下ると、扇状地になる。
安曇野は、そこから南に、広がる。


湖の北に来た。

今日は、花は多くなかった。
でも、自然の見学では、仕方ないことですね。
これがあるから、いっぱいの花の時は、感動が大きくなる。
今日は今日。 これでいいですね。
【今日の一句】 「 盛信の最期 鬼の如くの戦い 歴史に名を 」
【今日の歌】 早春賦
※ 作詞は、吉丸一昌。
彼は、大町中学校の校歌を作りに来た。 (大町高校の前身)
その時に、安曇野の風景を見て作ったのが、早春賦の詩。
この曲は、大町中の愛唱歌として歌われた。
歌碑とかが大町市にある。
詳しくは、後日紹介します。
吉丸の生家は、大分県の臼杵にある。
そこは今、早春賦の館になっている。
一昨年、行っています。
見える山は、安曇野から見た、常念岳です。
※ 常念岳は、常念山脈の主峰。
北アルプスの南部は、穂高連峰と常念山脈が、たてに並んでいる。
その間を、梓川が南下。
上高地は、そこにあります。
【停泊場所】 木崎湖畔のパーキング
【明日の予定】 静御前の墓か。 他もかな。
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(2008年4月~2010年9月までの.記事)

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