静御前は、義経を追って、奥州平泉に行きたかった。
母の、磯禅師と向かった。
松本まで来た時、奥州はどっちと聞いた。
安曇野の北に、大塩村があって、土地の人は、おおしゅう村と読んでいた。
その村を教えられ、向かった。
10㌔程手前のお寺の前で、同行していた牛がすわってしまった。
牛よ立てと言っても、もう疲れて、動けない。
母の磯禅師と先に進む。
教えられた大塩村に、やっとたどり着いた。
しかし、鎌倉で、我が子を殺されていた彼女は、心も体も疲れ切っていた。
その地で力尽きた。
彼女の持っていた桜の木の杖は、土に刺し、大きく育った。
800年を過ぎた今、見事な巨木になり、花を咲かせる。
以上のような、伝説が、大町市に残っていた。
寺は牛立薬師、桜は静の桜と呼ばれて。
伝説は、事実かどうか分からない。
でも、土地の人たちの、静御前に対する思いは伝わってくる。
大町市から眺める北アルプスは、残雪が輝き、美しかった。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
松本市から、安曇野を真っ直ぐ上がってきたら、大町市。

印は、静御前の墓がある、薬師寺。 赤〇に、静の桜。

見晴らしのいい、少し高い所に、薬師寺。

お地蔵さんがいっぱい。 細い目。 同じ人が作ったよう。 江戸時代ですね。

本堂前に、案内。
牛は、荷物を運ぶのかな。 ここで、立てなくなる。
静が、「牛や立て」と言ったので、のちにこの地は、牛立と。
お堂は、牛立薬師に。

母は、磯禅師。 彼女の墓も、ここですね。
右に、変わったことが書いてある。
この地は、元々、丑舘(うしだて)と呼ばれていたと。
この地名と、桜の巨木が、伝説を生んだのかな。
※ ただ、多くの伝説と思われる中に、真実があるかも知れない。
小野小町も、そうかな。

裏に墓があった。

静御前の戒名が彫ってある。 ここだけの、戒名。
「 観融院静圓妙大姉 」
向かって右には、命日があった。 文治5年9月23日。 1189年のこと。
義経は、この年の4月30日に亡くなっている。
日程的には、無理はないですね。
この墓は、いったいいつ作ったのでしょう。
磯禅師の墓は、どれ? 小さい五輪塔か。

この地に伝わる伝説は、Wikipediaでも紹介されており、広く知られているよう。
彼女が、鎌倉の鶴岡八幡宮で舞ったのは、1186年のこと。
ここに来る、3年前。 下の歌を歌った。
「吉野山 峰の白雪 ふみわけて 入りにし人の 跡ぞ恋しき」
頼朝は激怒するが、頼朝の妻の北条政子に助けられる。
北条政子は、最後まで、静御前に優しかった。
※ 政子は鎌倉幕府成立に尽力したが、北条氏の執権政治を作り上げた人でも。
源一族を排除して、鎌倉幕府の実権を握る。
大河ドラマでは、石原さとみが演じた。 若い時。 唇のあつい顔立ちが、印象的。
このように、舞った。 1分過ぎから。
※ なお、静御前と義経が出会った場所は、京都の神泉苑。
二条城の近く。 静御前の時代は、平安京の南の部分。
静御前は、ここで、雨を降らす舞いを踊った。 雨が降った。
下は、昨年の秋に、撮影。

墓の横から、このように見える。 北アルプスの南部。
中央奥の山が、鹿島槍ヶ岳。
※ 後立山連峰の最高峰は、白馬(しろうま)岳。
ただ、鹿島槍ヶ岳は、後立山連峰の盟主(めいしゅ、中心)と云われる。

10分ほど走って、大塩に。
場所は、ナビにも出てくるので、分かりやすい。
公園になっている。

背は低いが、太い木がある。
手前に、若い木も。

イヌザクラだという。 花が普通でないので、この名前か。
木に、失礼な名前。
※ イヌ・サルなど、いい意味を持っていない。
名づけられた動物が、気の毒。
猫や、タンチョウなんか、名前で嫌われない。
タンチョウの子に、シャーロットの名前を付けても、誰も文句は言わない。
可愛いねって、言われる。
※ サルは、悪さをするから、好かれるのが難しい。
山を見た後、走っていたら、サルをつかまえる檻(おり)の上で、2匹のサルが、遊んでいた。
人に好かれない木を、どうして、静御前の木にしたのでしょう。
伝説でなく、事実なら仕方ないけど。

花が咲き始めたのでしょうか。 少しだけ。
左写真の、中央に。 若い方の木。
※ 車に、望遠レンズがあるのに。 使えばよかった。

小さな薬師堂。

幹回り、8㍍。 ここまでの木は少ないので、木としての価値があるのか。
杖を土に刺したとある。
弘法大師の伝説を、借りた感じ。

歌があったが、YouTubeにはない。

こうです。

下は、大きな木の花。

ここにも、何か書いてある。

ここへの道中を書いている。 静御前の心、また風景が浮かぶように。

道の駅美麻まで近い。 途中、山が見えた。

鹿島槍ヶ岳と白馬岳です。 絶景のポイント。

こうです。

気温は、30度くらいになった。 山は、まだしばらく、雪は消えない。
どのくらいの人が、山に入っているのでしょう。

大塩の人たちの、優しさを生み出す源は、静御前を思う気持ちにあるかも知れません。
そう考えたら、伝説が本当かどうかは、夢中になるほど、大事ではないように。
静御前の後半生が、いつか文書で分かるといいですね。
義経の真実も。
【今日の一句】 「 静御前は 800年経った今も 人になにかを・・」
【関連ブログ】 静御前の墓所と言われる所があった ~阿東町徳佐~ 柿木村平栃の滝 他 (2010/5/4)
勧進帳の舞台、安宅関。 義経・弁慶一行は、京の都から奥州平泉 秀衡の元へ。~小松市~ 他 (2015/4/29)
雨の中尊寺を歩く。 五月雨の 降残してや 光堂。 ~平泉町~ 他 (2013/10/2)
中尊寺 高館義経堂 他 (2009/7/2)
【今日の歌】 森昌子 信濃路梓川
※ 梓川は、上高地を南下。
その後西に向かい、安曇野の南部を北上。
松本を過ぎて、犀(さい)川に名前を変える。
彼女の良さが、出てますね。
【道の駅】 美麻
【明日の予定】 大町市のどこか。 国宝の神社がある。 川沿いに花が。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)
※ プロフィール・・・。 ⇒
今までの記事には、この2枚だけ。
【ランキング】 国内旅行2位。 旅行全体で、3位です。
気に入った所がありましたら、クリックをよろしく。
※ クリックするバナーは、下のです。
ランキングが、見られます。
⇓
ランキング
※ 最初は、国内旅行のランキングが。
旅行をクリックすると、旅行全体のが。
※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
次の日のクリックも、また、1週間生きる。
【拍 手】
.
母の、磯禅師と向かった。
松本まで来た時、奥州はどっちと聞いた。
安曇野の北に、大塩村があって、土地の人は、おおしゅう村と読んでいた。
その村を教えられ、向かった。
10㌔程手前のお寺の前で、同行していた牛がすわってしまった。
牛よ立てと言っても、もう疲れて、動けない。
母の磯禅師と先に進む。
教えられた大塩村に、やっとたどり着いた。
しかし、鎌倉で、我が子を殺されていた彼女は、心も体も疲れ切っていた。
その地で力尽きた。
彼女の持っていた桜の木の杖は、土に刺し、大きく育った。
800年を過ぎた今、見事な巨木になり、花を咲かせる。
以上のような、伝説が、大町市に残っていた。
寺は牛立薬師、桜は静の桜と呼ばれて。
伝説は、事実かどうか分からない。
でも、土地の人たちの、静御前に対する思いは伝わってくる。
大町市から眺める北アルプスは、残雪が輝き、美しかった。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。

( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
松本市から、安曇野を真っ直ぐ上がってきたら、大町市。

印は、静御前の墓がある、薬師寺。 赤〇に、静の桜。



見晴らしのいい、少し高い所に、薬師寺。

お地蔵さんがいっぱい。 細い目。 同じ人が作ったよう。 江戸時代ですね。



本堂前に、案内。
牛は、荷物を運ぶのかな。 ここで、立てなくなる。
静が、「牛や立て」と言ったので、のちにこの地は、牛立と。
お堂は、牛立薬師に。



母は、磯禅師。 彼女の墓も、ここですね。
右に、変わったことが書いてある。
この地は、元々、丑舘(うしだて)と呼ばれていたと。
この地名と、桜の巨木が、伝説を生んだのかな。
※ ただ、多くの伝説と思われる中に、真実があるかも知れない。
小野小町も、そうかな。


裏に墓があった。

静御前の戒名が彫ってある。 ここだけの、戒名。
「 観融院静圓妙大姉 」
向かって右には、命日があった。 文治5年9月23日。 1189年のこと。
義経は、この年の4月30日に亡くなっている。
日程的には、無理はないですね。
この墓は、いったいいつ作ったのでしょう。
磯禅師の墓は、どれ? 小さい五輪塔か。


この地に伝わる伝説は、Wikipediaでも紹介されており、広く知られているよう。
彼女が、鎌倉の鶴岡八幡宮で舞ったのは、1186年のこと。
ここに来る、3年前。 下の歌を歌った。
「吉野山 峰の白雪 ふみわけて 入りにし人の 跡ぞ恋しき」
頼朝は激怒するが、頼朝の妻の北条政子に助けられる。
北条政子は、最後まで、静御前に優しかった。
※ 政子は鎌倉幕府成立に尽力したが、北条氏の執権政治を作り上げた人でも。
源一族を排除して、鎌倉幕府の実権を握る。
大河ドラマでは、石原さとみが演じた。 若い時。 唇のあつい顔立ちが、印象的。
このように、舞った。 1分過ぎから。
※ なお、静御前と義経が出会った場所は、京都の神泉苑。
二条城の近く。 静御前の時代は、平安京の南の部分。
静御前は、ここで、雨を降らす舞いを踊った。 雨が降った。
下は、昨年の秋に、撮影。

墓の横から、このように見える。 北アルプスの南部。
中央奥の山が、鹿島槍ヶ岳。
※ 後立山連峰の最高峰は、白馬(しろうま)岳。
ただ、鹿島槍ヶ岳は、後立山連峰の盟主(めいしゅ、中心)と云われる。

10分ほど走って、大塩に。
場所は、ナビにも出てくるので、分かりやすい。
公園になっている。

背は低いが、太い木がある。
手前に、若い木も。


イヌザクラだという。 花が普通でないので、この名前か。
木に、失礼な名前。
※ イヌ・サルなど、いい意味を持っていない。
名づけられた動物が、気の毒。
猫や、タンチョウなんか、名前で嫌われない。
タンチョウの子に、シャーロットの名前を付けても、誰も文句は言わない。
可愛いねって、言われる。
※ サルは、悪さをするから、好かれるのが難しい。
山を見た後、走っていたら、サルをつかまえる檻(おり)の上で、2匹のサルが、遊んでいた。
人に好かれない木を、どうして、静御前の木にしたのでしょう。
伝説でなく、事実なら仕方ないけど。


花が咲き始めたのでしょうか。 少しだけ。
左写真の、中央に。 若い方の木。
※ 車に、望遠レンズがあるのに。 使えばよかった。


小さな薬師堂。


幹回り、8㍍。 ここまでの木は少ないので、木としての価値があるのか。
杖を土に刺したとある。
弘法大師の伝説を、借りた感じ。


歌があったが、YouTubeにはない。


こうです。

下は、大きな木の花。




ここにも、何か書いてある。

ここへの道中を書いている。 静御前の心、また風景が浮かぶように。



道の駅美麻まで近い。 途中、山が見えた。


鹿島槍ヶ岳と白馬岳です。 絶景のポイント。

こうです。

気温は、30度くらいになった。 山は、まだしばらく、雪は消えない。
どのくらいの人が、山に入っているのでしょう。



大塩の人たちの、優しさを生み出す源は、静御前を思う気持ちにあるかも知れません。
そう考えたら、伝説が本当かどうかは、夢中になるほど、大事ではないように。
静御前の後半生が、いつか文書で分かるといいですね。
義経の真実も。
【今日の一句】 「 静御前は 800年経った今も 人になにかを・・」
【関連ブログ】 静御前の墓所と言われる所があった ~阿東町徳佐~ 柿木村平栃の滝 他 (2010/5/4)
勧進帳の舞台、安宅関。 義経・弁慶一行は、京の都から奥州平泉 秀衡の元へ。~小松市~ 他 (2015/4/29)
雨の中尊寺を歩く。 五月雨の 降残してや 光堂。 ~平泉町~ 他 (2013/10/2)
中尊寺 高館義経堂 他 (2009/7/2)
【今日の歌】 森昌子 信濃路梓川
※ 梓川は、上高地を南下。
その後西に向かい、安曇野の南部を北上。
松本を過ぎて、犀(さい)川に名前を変える。
彼女の良さが、出てますね。
【道の駅】 美麻
【明日の予定】 大町市のどこか。 国宝の神社がある。 川沿いに花が。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)

※ プロフィール・・・。 ⇒


【ランキング】 国内旅行2位。 旅行全体で、3位です。
気に入った所がありましたら、クリックをよろしく。
※ クリックするバナーは、下のです。
ランキングが、見られます。
⇓

※ 最初は、国内旅行のランキングが。
旅行をクリックすると、旅行全体のが。
※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
次の日のクリックも、また、1週間生きる。
【拍 手】
.
コメント
コメントの投稿
トラックバック
https://akkamui.com/tb.php/1711-2f919b7e