3月11日、午後2時46分。
そこをスタートに、津波は、東北の海沿いの町を襲った。
襲われた町の人々は、地震から津波が来るまで、何を考え、どんな行動を取ったんだろう。
逃げ遅れた人が多く出たが、それを生みだした要因は、何なんでしょう。
1 NHKの最初の放送は、こうだった。
ポイントを整理すると。
○ この動画は、14時26分少し前、からスタート。
1分後、14時26分に、東北地方で地震があったことを伝える。 その少し後で、東京も地震。
○ 東北の地震を確認後、4分間は、「海岸や川の河口に近づかないでください」と伝える。
避難の呼び掛けは無い。 すぐに、津波警報が出た。
○ 4分後から、「近づかない」の他に、「海岸や河口の近くにいる人は、高台に避難してください」に変わる。
6㍍という数字が発表されているが、町全体の人々への呼び掛けには、なっていなかった。
○ 津波の予報や避難を伝える大事な放送の中で、宮城県庁に今後の対策などを聞いている。
時間がもったいない。
※ 上のことから、NHKのアナウンサーは、町全体を飲み込む津波とは、想像していないことが分かる。
2 津波は、この後、どの町を襲っていくのか。 ※ 遅い時間のは、2波目かもしれない。
① 15:00頃(地震発生から、約14分後) 釜石市。
② 15:00過ぎ (約14分後) 宮古市
③ 15:15頃 (約29分後) 南三陸町
④ 15:30頃 (約44分後) 気仙沼
動画はここに(YouTube) ※ 貼り付けれない。
④ 15:30頃 (約44分後) いわき市
⑥ 15:38頃 (約52分後) 大槌(おおつち)町
⑦ 15:39頃 (約53分後) 南相馬市
※ この動画は、時間と場所は分からない。 でも、被災者の悲しみを撮影している。
大事な記録になると思う。 小さな女の子が、「おにいちゃん」と言ってるように聞こえるが。
また、女の人が、「・・・、生きてるだけでいいんだって・・」と。
3 市役所や役場からの、避難指示とかはあったのか。
どこの町も、やってたと考えていいよう。
こんな記事がある。
最後まで、無線放送を続けた女性がいた。 マイクを放さなかった。
助かった人の多くが、彼女の声を聞きながら、避難した。 壊滅した、南三陸町で。
3 避難が遅れた理由
① 防潮堤があるので、大丈夫と思っていた。
実際は、防潮堤は役にた立たなかった。 普通の町のは、5~6㍍はある。
宮古市田老のは、高さ10㍍だったが、津波は乗り越えた。 田老の動画は、⑥の後ろの方にあります。
※ 田老の防潮堤(週末Mondeling雑記帳さんより
② 津波警報が出ても、津波が来ることは、ほとんどない。 Wikipediaには、下のようにある。
警報や注意報が発表されても、実際には発表された高さをはるかに下回る高さになることが多いため、
「まさかここまでは来ないだろう」と高をくくる場合が多い。
③ 市役所や役場からの避難の放送は、全員の避難を呼び掛けたものでは、無かったかもしれない。
最初は、NHKの放送のように、一部の人へ。 全員への呼びかけは、きっと途中からだった。
いつもと違うと感じた人は、早めに避難をした。 (これについては、私の予想)
④ 我が子や兄弟を、探して遅れた人もいた。
⑤ 仕事をしていたら、上司の指示がないと、離れるのは難しかった。
⑥ 避難はしたが、今回の地震に対しては、安全な場所ではなかった。
4 「想定外」という言葉を耳にするが、こういう津波があることを、考えた人間はいた。
5 各地の、津波の前と後
津波については、今日はここまでにします。
明日、被災者をどう助けるかと、津波からどう身を守るかについて、考えてみます。
難しいので、ちゃんとは分からないかもしれないが。
それから、復興が始まるが、同じ場所にまた、街を作るんでしょうか。
テレビを見て、動画を見て、涙がこんなに出たことは、今までなかった。
※ 追記 姉の娘さんが福島市にいる。
物が売ってなく、普通に生活は出来ないという。
飛行機の切符が手に入ったので、旭川に戻ることになった。
※ おせりの滝という、いい滝を見た。
ここは、昨晩停泊した所。
お世話になったTさんのお宅は、ここから近い。
美郷町西郷区にある、御田祭ふれあい広場。 水車が見える。
年の神神社。
神社のそばのこの田で、御田(おんだ)祭は行われる。
こんなお祭り。 子供たちが、泥んこになる。 ※ 動画の真ん中辺りに。
場所はここです。
車で、7分くらいの所に、おせりの滝があった。
遊歩道を200㍍歩いたらあった。
高さ70㍍。 大きく3段でしょうか。 上は見えてない。
別の場所から。 下が見えてない。
ほぼ、全体が見える。 こんな滝は、少ない。
椎葉村に来た。 街は、ダムの下になる、左の方に。
日本三大秘境と言われる。 ※ 他は、四国の祖谷と、岐阜県の白川郷。
※ 三大秘境は観光地化しているので、行ってみたら、秘境の雰囲気は薄い。 椎葉村もそう。
長野県と新潟県にまたがる秋山郷は、今も行くのは大変。 最後の秘境の感じ。
最近まで、陸の孤島だった。 飢饉などで、村全体が壊滅しそうに何度もなった。
こんな話がある。 面白い。
昭和の初めに秋山郷を測量隊が訪れたところ、村人から「源氏はまだ栄えているか?」と尋ねられた。
こんな逸話がある。 平家の落人が住みついた。
ここにいる。
ダムを作るのに105名が亡くなった。 その慰霊碑があった。
ここにダムがあるということは、椎葉村の様子は、昔とは違いますね。
【停泊場所】 椎葉村のダムの上の公園。
【明日の予定】 この村を歩く。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
【ランキング】 国内旅行は12位、 旅行全体で50位です。 放浪の旅は39位です。
記事は役立ったでしょうか。
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※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
そこをスタートに、津波は、東北の海沿いの町を襲った。
襲われた町の人々は、地震から津波が来るまで、何を考え、どんな行動を取ったんだろう。
逃げ遅れた人が多く出たが、それを生みだした要因は、何なんでしょう。
1 NHKの最初の放送は、こうだった。
ポイントを整理すると。
○ この動画は、14時26分少し前、からスタート。
1分後、14時26分に、東北地方で地震があったことを伝える。 その少し後で、東京も地震。
○ 東北の地震を確認後、4分間は、「海岸や川の河口に近づかないでください」と伝える。
避難の呼び掛けは無い。 すぐに、津波警報が出た。
○ 4分後から、「近づかない」の他に、「海岸や河口の近くにいる人は、高台に避難してください」に変わる。
6㍍という数字が発表されているが、町全体の人々への呼び掛けには、なっていなかった。
○ 津波の予報や避難を伝える大事な放送の中で、宮城県庁に今後の対策などを聞いている。
時間がもったいない。
※ 上のことから、NHKのアナウンサーは、町全体を飲み込む津波とは、想像していないことが分かる。
2 津波は、この後、どの町を襲っていくのか。 ※ 遅い時間のは、2波目かもしれない。
① 15:00頃(地震発生から、約14分後) 釜石市。
② 15:00過ぎ (約14分後) 宮古市
③ 15:15頃 (約29分後) 南三陸町
④ 15:30頃 (約44分後) 気仙沼
動画はここに(YouTube) ※ 貼り付けれない。
④ 15:30頃 (約44分後) いわき市
⑥ 15:38頃 (約52分後) 大槌(おおつち)町
⑦ 15:39頃 (約53分後) 南相馬市
※ この動画は、時間と場所は分からない。 でも、被災者の悲しみを撮影している。
大事な記録になると思う。 小さな女の子が、「おにいちゃん」と言ってるように聞こえるが。
また、女の人が、「・・・、生きてるだけでいいんだって・・」と。
3 市役所や役場からの、避難指示とかはあったのか。
どこの町も、やってたと考えていいよう。
こんな記事がある。
最後まで、無線放送を続けた女性がいた。 マイクを放さなかった。
助かった人の多くが、彼女の声を聞きながら、避難した。 壊滅した、南三陸町で。

3 避難が遅れた理由
① 防潮堤があるので、大丈夫と思っていた。
実際は、防潮堤は役にた立たなかった。 普通の町のは、5~6㍍はある。
宮古市田老のは、高さ10㍍だったが、津波は乗り越えた。 田老の動画は、⑥の後ろの方にあります。
※ 田老の防潮堤(週末Mondeling雑記帳さんより
② 津波警報が出ても、津波が来ることは、ほとんどない。 Wikipediaには、下のようにある。
警報や注意報が発表されても、実際には発表された高さをはるかに下回る高さになることが多いため、
「まさかここまでは来ないだろう」と高をくくる場合が多い。
③ 市役所や役場からの避難の放送は、全員の避難を呼び掛けたものでは、無かったかもしれない。
最初は、NHKの放送のように、一部の人へ。 全員への呼びかけは、きっと途中からだった。
いつもと違うと感じた人は、早めに避難をした。 (これについては、私の予想)
④ 我が子や兄弟を、探して遅れた人もいた。
⑤ 仕事をしていたら、上司の指示がないと、離れるのは難しかった。
⑥ 避難はしたが、今回の地震に対しては、安全な場所ではなかった。
4 「想定外」という言葉を耳にするが、こういう津波があることを、考えた人間はいた。
5 各地の、津波の前と後
津波については、今日はここまでにします。
明日、被災者をどう助けるかと、津波からどう身を守るかについて、考えてみます。
難しいので、ちゃんとは分からないかもしれないが。
それから、復興が始まるが、同じ場所にまた、街を作るんでしょうか。
テレビを見て、動画を見て、涙がこんなに出たことは、今までなかった。
※ 追記 姉の娘さんが福島市にいる。
物が売ってなく、普通に生活は出来ないという。
飛行機の切符が手に入ったので、旭川に戻ることになった。
※ おせりの滝という、いい滝を見た。
ここは、昨晩停泊した所。
お世話になったTさんのお宅は、ここから近い。
美郷町西郷区にある、御田祭ふれあい広場。 水車が見える。

年の神神社。

神社のそばのこの田で、御田(おんだ)祭は行われる。

こんなお祭り。 子供たちが、泥んこになる。 ※ 動画の真ん中辺りに。
場所はここです。
車で、7分くらいの所に、おせりの滝があった。
遊歩道を200㍍歩いたらあった。

高さ70㍍。 大きく3段でしょうか。 上は見えてない。

別の場所から。 下が見えてない。

ほぼ、全体が見える。 こんな滝は、少ない。

椎葉村に来た。 街は、ダムの下になる、左の方に。
日本三大秘境と言われる。 ※ 他は、四国の祖谷と、岐阜県の白川郷。
※ 三大秘境は観光地化しているので、行ってみたら、秘境の雰囲気は薄い。 椎葉村もそう。
長野県と新潟県にまたがる秋山郷は、今も行くのは大変。 最後の秘境の感じ。
最近まで、陸の孤島だった。 飢饉などで、村全体が壊滅しそうに何度もなった。
こんな話がある。 面白い。
昭和の初めに秋山郷を測量隊が訪れたところ、村人から「源氏はまだ栄えているか?」と尋ねられた。
こんな逸話がある。 平家の落人が住みついた。

ここにいる。

ダムを作るのに105名が亡くなった。 その慰霊碑があった。

ここにダムがあるということは、椎葉村の様子は、昔とは違いますね。
【停泊場所】 椎葉村のダムの上の公園。
【明日の予定】 この村を歩く。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

【ランキング】 国内旅行は12位、 旅行全体で50位です。 放浪の旅は39位です。
記事は役立ったでしょうか。
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コメント
大地震
Re: 大地震
私に出来ることがあれば、手伝いたい。
学校は、どこかの場所で、再開すると思う。
人手がきっといる。
その町の教育長の判断で、手伝うことは可能になる。
恐ろしい津波
子供たちの心のケアが必要ですね!
akkamuiさんは校長先生までなされた方ですから
大きな力になることでしょう。それにしても地震大国日本なのに、政府の危機管理の甘さには腹が立ちます。今日で発生から5日目、避難所には物資が届かない、あらゆる物が足りない。食料、水、通信、情報も。akkamuiさんは日本列島3周目ですね、八戸の飲み屋さんのママとか無事でしょうか、気になりますね。私共も尋常な精神状態ではありません。今3月末から四国、九州の桜を追っての旅を計画していましたが中止です。akkamuiさんはいろんな地域の方々と知り合いになられてその方たちがどうなったか気になってしょうがないと思います。私以上に精神状態が不安定かもしれません、なにかで気を紛らわす事を考え旅を続けてください。
akkamuiさんは校長先生までなされた方ですから
大きな力になることでしょう。それにしても地震大国日本なのに、政府の危機管理の甘さには腹が立ちます。今日で発生から5日目、避難所には物資が届かない、あらゆる物が足りない。食料、水、通信、情報も。akkamuiさんは日本列島3周目ですね、八戸の飲み屋さんのママとか無事でしょうか、気になりますね。私共も尋常な精神状態ではありません。今3月末から四国、九州の桜を追っての旅を計画していましたが中止です。akkamuiさんはいろんな地域の方々と知り合いになられてその方たちがどうなったか気になってしょうがないと思います。私以上に精神状態が不安定かもしれません、なにかで気を紛らわす事を考え旅を続けてください。
命てんでんこ
「命てんでこ」岩手の方言か?
田畑ヨシさん、岩手田老の人。86才 津波語り部
1933年、78年前 8歳の時昭和三陸津波に遭った。
いつからか子供たちに津波の恐ろしさや対処の仕方を紙芝居で伝えてきたらしい人のようです。無事でいました。3/15日テレビ朝日で見ました。詳しくはわかりません。akkamuiさん、時間のあるときに調べてブログに載せてください、後世に伝えるようにすれば何らかの役に立つはずです。
仙台市若林区の七郷小学校に(名取市との境付近)
1100名の被災者が避難しているそうです。1クラスの部屋に47人だそうです。避難所はここの米倉校長が運営委員長を務めているそうです。全員2交代で。従事者が家を往復するのにガソリンが欲しいと校長先生が訴えています。心のケアは子供たちばかりでなく大人、爺さん、ばあさんたちにも必要になってきているようです。akkamuiさんの出番があるかもしれません。去年6月南三陸町でウニ丼を松原食堂で食べましたが流されたようです、エ~ツ!ゾーッとします。akkamuiさんは多くの人と関わりをもってきたので、どうしているだろう?調査が大変ですね。自分の心のケアもわすれないでください。
田畑ヨシさん、岩手田老の人。86才 津波語り部
1933年、78年前 8歳の時昭和三陸津波に遭った。
いつからか子供たちに津波の恐ろしさや対処の仕方を紙芝居で伝えてきたらしい人のようです。無事でいました。3/15日テレビ朝日で見ました。詳しくはわかりません。akkamuiさん、時間のあるときに調べてブログに載せてください、後世に伝えるようにすれば何らかの役に立つはずです。
仙台市若林区の七郷小学校に(名取市との境付近)
1100名の被災者が避難しているそうです。1クラスの部屋に47人だそうです。避難所はここの米倉校長が運営委員長を務めているそうです。全員2交代で。従事者が家を往復するのにガソリンが欲しいと校長先生が訴えています。心のケアは子供たちばかりでなく大人、爺さん、ばあさんたちにも必要になってきているようです。akkamuiさんの出番があるかもしれません。去年6月南三陸町でウニ丼を松原食堂で食べましたが流されたようです、エ~ツ!ゾーッとします。akkamuiさんは多くの人と関わりをもってきたので、どうしているだろう?調査が大変ですね。自分の心のケアもわすれないでください。
Re: 恐ろしい津波
八戸市は、海岸沿いが大変ですが、家が流される感じはないです。
津波は、静かに入り込んで、出て行ったように見えます。
南への川に沿って入りこみました。 3㌔程は入ったでしょうか。
【東北地方太平洋沖地震】 八戸市の津波被害の状況 と言う名前で、YouTubeに動画が出ています。
市役所や繁華街の方は、少し高かったように記憶しています。
動画に出てこないので、大丈夫のようです。
多くの被災地で、親や兄弟を亡くした子がいます。
子供の心のケアは、ちゃんと勉強したプロでなければ、難しい。
「その子の心に寄り添って、抱きしめる」
それが基本でしょうか。
実際は、なかなか大変で、時間が助けてくれることが多い。
津波は、静かに入り込んで、出て行ったように見えます。
南への川に沿って入りこみました。 3㌔程は入ったでしょうか。
【東北地方太平洋沖地震】 八戸市の津波被害の状況 と言う名前で、YouTubeに動画が出ています。
市役所や繁華街の方は、少し高かったように記憶しています。
動画に出てこないので、大丈夫のようです。
多くの被災地で、親や兄弟を亡くした子がいます。
子供の心のケアは、ちゃんと勉強したプロでなければ、難しい。
「その子の心に寄り添って、抱きしめる」
それが基本でしょうか。
実際は、なかなか大変で、時間が助けてくれることが多い。
Re: 命てんでんこ
田畑ヨシさんのことですが、「東日本巨大地震 100時間の全記録」で放送されたんですね。
その放送は、YouTubeにはアップされていません。
どんな紙芝居かも、まだ見つかっていません。
ただ、取り組みの内容は分かりました。
田老は、10㍍の防潮(浪)堤があったために、かえってそれを信じ、被害が大きくなったようです。
防潮堤の作りにも問題があったかもしれません。 川の堤防に似ていて、波が登りやすいように見えます。
地震や津波の研究者はたくさんいるけど、みんな想定外と言っている。
自分たちの研究の浅さを、反省していない。
今後、防潮堤を作る時、学者の言うことは、参考程度にしか聞くことは出来ない。
地震・津波の学者・研究者は、分かってるように物を言ってたが、巨大津波は滅多にないから、
自分の言ってることの責任を問われる心配は、少ないと考えていた。
だから、浅い研究で、偉そうに物を言っていた。
そして、肝心な時に、日本人を津波から守ることは出来なかった。
津波の後、テレビとかで、まだ大きな顔をして物を言ってる姿を見ると、腹が立つ。
地震・津波の世界で、優秀な研究者が表れて欲しい。
今回、津波の恐ろしさは、誰でもが分かったが、未知の部分について、根拠を持って我々に示してほしい。
※ 復旧の取り組みを見ていたら、優秀な政治家も、日本にはいないと感じる。
その放送は、YouTubeにはアップされていません。
どんな紙芝居かも、まだ見つかっていません。
ただ、取り組みの内容は分かりました。
田老は、10㍍の防潮(浪)堤があったために、かえってそれを信じ、被害が大きくなったようです。
防潮堤の作りにも問題があったかもしれません。 川の堤防に似ていて、波が登りやすいように見えます。
地震や津波の研究者はたくさんいるけど、みんな想定外と言っている。
自分たちの研究の浅さを、反省していない。
今後、防潮堤を作る時、学者の言うことは、参考程度にしか聞くことは出来ない。
地震・津波の学者・研究者は、分かってるように物を言ってたが、巨大津波は滅多にないから、
自分の言ってることの責任を問われる心配は、少ないと考えていた。
だから、浅い研究で、偉そうに物を言っていた。
そして、肝心な時に、日本人を津波から守ることは出来なかった。
津波の後、テレビとかで、まだ大きな顔をして物を言ってる姿を見ると、腹が立つ。
地震・津波の世界で、優秀な研究者が表れて欲しい。
今回、津波の恐ろしさは、誰でもが分かったが、未知の部分について、根拠を持って我々に示してほしい。
※ 復旧の取り組みを見ていたら、優秀な政治家も、日本にはいないと感じる。
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https://akkamui.com/tb.php/172-d17ea78e
被災者の方々には心からお悔やみを申し上げます。
長野も、栄村周辺では被害がでましたが、私の住んでいる所は揺れましたが大丈夫でした。
13日の日曜日も、新潟県にあるキャンプメーカーから「東北地方太平洋沖地震に伴う災害援助物資提供のお願い」のメールが届き、倉庫で眠っているテント・寝袋・マットなど提供して下さい。とのことでした。時間もあったし、報道等を見ていて居ても立っても居られず、テント3張りとマット3セットを直接届けてきました。
北陸道は、電力会社の作業車・自衛隊の車両・仮設トイレを積んだトラック・給水車・国交省の災害支援車・災害物資輸送と書いたトラックと続々と北へ向かって走っていきました。
その光景をみて目頭が熱くなると共に自分達も少しでも力になって上げようと強く思いました。
義捐金とか微力な事しか取りあえず出来ないけど、小さいことでも支援しようと思っています。