四条通の1本南に、綾小路通。 あやのこうじどおり。
たった1本なのに、そこは別世界。
京都の庶民の生活があった。
西に進むと、新選組に関わるものが、多くなった。
新選組は、江戸末期、幕府を支えて戦った。
明治に入っては、戊辰(ぼしん)戦争。 明治政府に逆らった。
幕府の、残り火でしかなかったけど。
戦って戦って、最後は、函館に散る。
土方歳三たちは、何を夢見ていたのでしょう。
今日も暑い一日。
山に登る時使う物を、全部リュックに詰め込んで、歩いた。
重いけど、訓練。
この夏は、時々そうすることに。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
右から左に歩く。

綾小路通の、東の端に、京都大神宮。 左右(南北)の道は、寺町通。
道は後ろに。

四条通の喧騒は、どこへやら。

少し歩いて、右に、神明神社。
鵺(ぬえ)と云う怪物を退治したのは、頼政。
戦いの前に、ここに祈願に来たという。
退治して、お礼に、矢じり。
説明の、文子(あやこ)とあるのは、菅原道真の、乳母ですね。

こんなの。 後の時代に、鳴き声は、トラツグミと分かる。
※ 西会津街道の山の中で、夜聞いたことがある。
子供が聞いたら、間違いなく怖がる。
ヒュ~って、震える声。 下の記事に、鳴き声があるかな。
竹屋町通を歩く。 幽霊絵馬の革堂(こうどう)。 鵺(ぬえ)退治伝説の、鵺大明神。~京都市~ 他 (2013/6/25)

烏丸通を渡って。

本居宣長が、二十歳を過ぎたころ、ここで学んだ。 暑いから、鍋はいらない。

道の遠くが下がっている。 中心部でも、たまにこのようなところが。

重要文化財の古い家。 杉本家住宅。

ぱっちん、と云う床屋さん。 時々、古い家並み。

綾小路通は、平安の時代からあった。
ずっと昔、錦小路は、くそ小路と、呼ばれたそう。
それはまずいと、天皇の命で、綾小路通のようにいい名前にすることに。
そして、錦小路通。
狭い庭を、工夫して。

寺が多くなってきた。

そして、光縁寺。 新選組の墓とある。

墓地は、本堂裏に。

この墓地は、本物。(確認しました。 京都市の情報等で)
この先に、壬生(みぶ)と呼ばれるところがあった。
新選組の屯所。(集まる所) 拠点でもある。
死んだ人の始末が大変。
この寺の住職は、優しかった。
門前に置いておかれた死体を、丁寧に葬った。
ここから他に移った墓もある。
山南(やまなみ)敬介は、ナンバー2。 土方歳三も、同じ。
近藤と意見が合わず、最後は、殺されるのかな。

新選組は、幕府を支えるためにあった。
しかし、それより大事だったのは、新選組の中で、主導権を握ること。
だから、意見の会わないものは、粛清した。
近藤勇たちのグループだけが、残った。
土方歳三は、そこにいた。
寺の門の紋は、立葵。 山南家の紋。

今日の終点の場所に、近づいた。 この辺りに、神饌組の屯所が2ヶ所あった。
1ヶ所が、黄色の場所。 旧前川邸。

旧前川邸。 長屋門の感じですね。

お店があった。 家の図の〇の部分が、お店。

説明があったので、資料として。
京都市の説明でないので、事実関係は、分からない。
近藤勇がトップになれたのは、剣が強かったのがあるんですね。
さっきの山南も、勝てなかったという。

少し離れて、2つ目の屯所。 八木家。 入るのに、1000円とかだった。 見ない。
新選組は、会津の最後の藩主、松平容保の配下にいた。
松平は、京都の治安を任されていた。 幕府を支えるために。
※ 会津藩の藩訓というかそんなのに、命をかけて幕府を支える、というのがある。
それがあって、容保(かたもり)が、登場することに。
会津の白虎隊も、戦ったって勝ち目はないのに、最後まで戦うことに。

上の説明は、京都市が書いてるけど、文を作った人が、客観的でない。
新選組の立場で、書いている。
この時代、新選組の情報で、歴史が書かれている。
禁門の変では、京都中が燃えた。
(禁門の変の前の池田屋事件なんかは、新選組から見た情報しか、残っていないそう)
長州藩の責任を大きくするために、新選組も、火を付けたかもしれない。
そのくらいのことは、平気でやる組織。
隣に壬生寺(みぶでら)。 この寺の境内で、新選組は戦いの訓練をした。

寄り道。 どんな声で泣くのか、聞いてみたい。

100円で見学できる場所が。 観光用に、作ったのか。
お金を入れたら、歌が流れる。 (今日の歌で紹介)
菊の紋は天皇。 葵は、徳川。 時代が変わる。
時代が変わっても、龍馬が夢に見たのとは違った。
天皇を中心とした、戦争の時代に入っていく。
龍馬の夢は、戦後から始まったのかな。
※ 余談 戦争が終わっても、誰に責任があったのか、日本は、はっきりさせることが出来ていない。
つまり、ちゃんと反省していない。
反省していない中で、安倍政権が今回のように動くから、大きな危険を感じることに。
(反省してない歴史的なグループの流れに、安倍さんはいる。)
日本は、戦争に関して、自国のことを、まともに反省できてない。
そう云う国だって、韓国や中国は知るべき。
それが分かったら、謝ってもらえるなんて考えるのは、無理な話。

近藤勇の像。

こっちの墓は、本物のよう。

新選組を、温かい目で見ている。
一度は世話になった幕府。
その幕府に、最後まで忠誠を誓って戦った。
そこに、武士としての、人としての美しさを、見ているのでしょうか。

綾小路通は、歩いたことがないので、歩いたという事。
途中から、新選組に出会うことが、多くなりました。
それはそれで、いいいですね。
京都の暑さは本格的。
私は北の人間。 そんなに強くない。
京都の人が少しの汗の時、私はいっぱい。
【関連ブログ】 五稜郭 ~蝦夷地に共和国を夢見た、土方歳三。 函館市~ 写真の比較 函館に1週間 (2011/7/28)
鶴ヶ城 さざえ堂 白虎隊士の墓 ~会津若松市~ 明日 吾妻山へ 他 (2010/7/20)
【今日の一句】 「 新選組の生き方 夢ではなく 忠誠か 」
【今日の歌】 ああ新撰組
【停泊場所】 亀岡市運動公園駐車場
【明日の予定】 金閣寺や大徳寺の北を歩いたことがない。
そっちかな。 電車賃節約のためにも、一杯歩く。 15㌔は。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)
※ プロフィール・・・。 ⇒
今までの記事には、この2枚だけ。
【ランキング】 国内旅行2位。 旅行全体で、3位です。
気に入った所がありましたら、クリックをよろしく。
※ クリックするバナーは、下のです。
ランキングが、見られます。
⇓
ランキング
※ 最初は、国内旅行のランキングが。
旅行をクリックすると、旅行全体のが。
※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
次の日のクリックも、また、1週間生きる。
【拍 手】
.
たった1本なのに、そこは別世界。
京都の庶民の生活があった。
西に進むと、新選組に関わるものが、多くなった。
新選組は、江戸末期、幕府を支えて戦った。
明治に入っては、戊辰(ぼしん)戦争。 明治政府に逆らった。
幕府の、残り火でしかなかったけど。
戦って戦って、最後は、函館に散る。
土方歳三たちは、何を夢見ていたのでしょう。
今日も暑い一日。
山に登る時使う物を、全部リュックに詰め込んで、歩いた。
重いけど、訓練。
この夏は、時々そうすることに。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。

( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
右から左に歩く。


綾小路通の、東の端に、京都大神宮。 左右(南北)の道は、寺町通。
道は後ろに。

四条通の喧騒は、どこへやら。


少し歩いて、右に、神明神社。
鵺(ぬえ)と云う怪物を退治したのは、頼政。
戦いの前に、ここに祈願に来たという。
退治して、お礼に、矢じり。
説明の、文子(あやこ)とあるのは、菅原道真の、乳母ですね。


こんなの。 後の時代に、鳴き声は、トラツグミと分かる。
※ 西会津街道の山の中で、夜聞いたことがある。
子供が聞いたら、間違いなく怖がる。
ヒュ~って、震える声。 下の記事に、鳴き声があるかな。
竹屋町通を歩く。 幽霊絵馬の革堂(こうどう)。 鵺(ぬえ)退治伝説の、鵺大明神。~京都市~ 他 (2013/6/25)


烏丸通を渡って。


本居宣長が、二十歳を過ぎたころ、ここで学んだ。 暑いから、鍋はいらない。


道の遠くが下がっている。 中心部でも、たまにこのようなところが。

重要文化財の古い家。 杉本家住宅。



ぱっちん、と云う床屋さん。 時々、古い家並み。


綾小路通は、平安の時代からあった。
ずっと昔、錦小路は、くそ小路と、呼ばれたそう。
それはまずいと、天皇の命で、綾小路通のようにいい名前にすることに。
そして、錦小路通。
狭い庭を、工夫して。



寺が多くなってきた。


そして、光縁寺。 新選組の墓とある。

墓地は、本堂裏に。


この墓地は、本物。(確認しました。 京都市の情報等で)
この先に、壬生(みぶ)と呼ばれるところがあった。
新選組の屯所。(集まる所) 拠点でもある。
死んだ人の始末が大変。
この寺の住職は、優しかった。
門前に置いておかれた死体を、丁寧に葬った。
ここから他に移った墓もある。
山南(やまなみ)敬介は、ナンバー2。 土方歳三も、同じ。
近藤と意見が合わず、最後は、殺されるのかな。


新選組は、幕府を支えるためにあった。
しかし、それより大事だったのは、新選組の中で、主導権を握ること。
だから、意見の会わないものは、粛清した。
近藤勇たちのグループだけが、残った。
土方歳三は、そこにいた。
寺の門の紋は、立葵。 山南家の紋。

今日の終点の場所に、近づいた。 この辺りに、神饌組の屯所が2ヶ所あった。
1ヶ所が、黄色の場所。 旧前川邸。


旧前川邸。 長屋門の感じですね。

お店があった。 家の図の〇の部分が、お店。


説明があったので、資料として。
京都市の説明でないので、事実関係は、分からない。
近藤勇がトップになれたのは、剣が強かったのがあるんですね。
さっきの山南も、勝てなかったという。



少し離れて、2つ目の屯所。 八木家。 入るのに、1000円とかだった。 見ない。
新選組は、会津の最後の藩主、松平容保の配下にいた。
松平は、京都の治安を任されていた。 幕府を支えるために。
※ 会津藩の藩訓というかそんなのに、命をかけて幕府を支える、というのがある。
それがあって、容保(かたもり)が、登場することに。
会津の白虎隊も、戦ったって勝ち目はないのに、最後まで戦うことに。


上の説明は、京都市が書いてるけど、文を作った人が、客観的でない。
新選組の立場で、書いている。
この時代、新選組の情報で、歴史が書かれている。
禁門の変では、京都中が燃えた。
(禁門の変の前の池田屋事件なんかは、新選組から見た情報しか、残っていないそう)
長州藩の責任を大きくするために、新選組も、火を付けたかもしれない。
そのくらいのことは、平気でやる組織。
隣に壬生寺(みぶでら)。 この寺の境内で、新選組は戦いの訓練をした。


寄り道。 どんな声で泣くのか、聞いてみたい。


100円で見学できる場所が。 観光用に、作ったのか。
お金を入れたら、歌が流れる。 (今日の歌で紹介)
菊の紋は天皇。 葵は、徳川。 時代が変わる。
時代が変わっても、龍馬が夢に見たのとは違った。
天皇を中心とした、戦争の時代に入っていく。
龍馬の夢は、戦後から始まったのかな。
※ 余談 戦争が終わっても、誰に責任があったのか、日本は、はっきりさせることが出来ていない。
つまり、ちゃんと反省していない。
反省していない中で、安倍政権が今回のように動くから、大きな危険を感じることに。
(反省してない歴史的なグループの流れに、安倍さんはいる。)
日本は、戦争に関して、自国のことを、まともに反省できてない。
そう云う国だって、韓国や中国は知るべき。
それが分かったら、謝ってもらえるなんて考えるのは、無理な話。


近藤勇の像。

こっちの墓は、本物のよう。


新選組を、温かい目で見ている。
一度は世話になった幕府。
その幕府に、最後まで忠誠を誓って戦った。
そこに、武士としての、人としての美しさを、見ているのでしょうか。

綾小路通は、歩いたことがないので、歩いたという事。
途中から、新選組に出会うことが、多くなりました。
それはそれで、いいいですね。
京都の暑さは本格的。
私は北の人間。 そんなに強くない。
京都の人が少しの汗の時、私はいっぱい。
【関連ブログ】 五稜郭 ~蝦夷地に共和国を夢見た、土方歳三。 函館市~ 写真の比較 函館に1週間 (2011/7/28)
鶴ヶ城 さざえ堂 白虎隊士の墓 ~会津若松市~ 明日 吾妻山へ 他 (2010/7/20)
【今日の一句】 「 新選組の生き方 夢ではなく 忠誠か 」
【今日の歌】 ああ新撰組
【停泊場所】 亀岡市運動公園駐車場
【明日の予定】 金閣寺や大徳寺の北を歩いたことがない。
そっちかな。 電車賃節約のためにも、一杯歩く。 15㌔は。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)

※ プロフィール・・・。 ⇒


【ランキング】 国内旅行2位。 旅行全体で、3位です。
気に入った所がありましたら、クリックをよろしく。
※ クリックするバナーは、下のです。
ランキングが、見られます。
⇓

※ 最初は、国内旅行のランキングが。
旅行をクリックすると、旅行全体のが。
※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
次の日のクリックも、また、1週間生きる。
【拍 手】
.
コメント
コメントの投稿
トラックバック
https://akkamui.com/tb.php/1730-61803e8d