青木繁は、明治期を代表する洋画家。
代表作『海の幸』は、明治期洋画の、記念碑的作品と評されている。(Wikipedia)
その海の幸が描かれたのが、館山市布良(めら)。
布良で逗留した家が、今も残っている。
今日は、青木繁に関係するところを、雨の中、歩いた。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
毎日雨。 風がなければ、傘が使える。
布良は、房総半島の南端に近い。

青木繁が、布良に行った次の年に行ったという、圓光寺に寄った。
館山市、伊戸(いと)にある。 赤〇は、布良。

圓光寺です。 智山(ちさん)派とある。 真言宗なんですが、大変な歴史を歩んでいる。 下に、詳しく。
上品蓮台寺の桜。 紅枝垂れは終わりに。 関山か? スモモの花。 嵐電に乗って。~京都市~ 他 (2015/4/12)

寺の説明はない。 青木繁についても。
留守で、誰もいなかった。

ネットで調べても分からないことがあって、それが、聞きたかった。
① 1905年(明治38)に来ているが、正確にはいつなのか。
8月に、幸彦が生まれているが、その前と分かっている。
5月頃のようだけど。
② この方面を、福田たねと旅したんだけど、圓光寺を選んだ理由。
③ 下の絵を、青木繁は描いたけど、どうして今、ここにないのか。
※ 下の絵は、戸板に焼いた釘で、木を焦がして描いた。
現在この絵は、個人所有のよう。 (下の写真は、ブログ布良・相浜の漁村日記からお借り)
伊戸の浜を描いた。 右遠くに、富士。 布良は、左の方にあるよう。

※ 今月の中過ぎに、福岡県の大宰府の近くの宇美町から、Oさんが来る。
きっと、上のことについては、はっきりさせてくれる。
10㌔ほど走って、布良に着いた。
※ 駐車できる場所は、布良崎神社の近くの、国道沿い。 または、港。
バスの人は、神社のそばに、バス停。

神社の後ろに、国道。 この道は、旧道。
青木繁達が逗留した小谷(こたに)家は、右下に。 ※ おだに、と読んでるのも。
この道を、この参道を、青木繁は歩いた。

まるで、お城の石垣。

こっち見ないで、あっち見て睨んでいる。
玉石の石垣。

どんな石も、置いた時、落ち着く姿がある。 こっちを下にするとか。
それを利用すると、強固な石垣になると。 初めて知った。
石は、伊豆から運ばれた。 どこにでも、ありそうな石なのに。

ついでに紹介。 さざれ石。
そんなに珍しくはないけど、国歌と関係あるので、このように展示することが。
石灰質の物資が、石を固めて、岩のように。 ここのは、普通見るのとは、違う。

石垣の上から、海の方。 左下に、小谷家。 雨で、遠くが見えない。

拝殿。

後に本殿。 説明。
天富命(あめのとみのみこと)が、布良の駒ケ崎に上陸した。
神話のことが書いてある。
青木繁は、古事記を夢中で読んでいた。
布良の地に、神話の話があることを知っていた。
それで、布良にやってきた。 絵を描くために。
※ 駒ケ崎には、駒ケ崎神社がある。 後で行く。
天富命がやって来て、出来た神社が、安房(あわ)神社。
最初、この地にあった。
今は、少し離れた、山の方に。 後で行く。
安房神社の跡に、布良崎神社が出来た。
神様は、天から下りてくるのかと思っていたけど、旅してやってくる場合もある。

海側から見た、この辺りの地図。
(青木繁《海の幸》誕生の家と記念碑を保存する会のHPからお借り。 このサイトが、一番詳しい。 )
※ カノープスは、1等星の明るい星。 この辺りでは、地平線の上に見える。 霞んで見えないことが多い。
右の写真は、東京から見た、カノープス。 (写真は、Wikipediaから)
ちょうど、布良の上辺りに見える。
それで、布良星と呼ばれるように。 地元でも、そう呼ぶように。
下に、海の幸の絵は、布良崎神社のお祭りから、インスピレーションを、とある。
今日、この神社に来たのは、このことがあるので。
神輿を担いでいる時の、姿ですね。

下のように、論争になっている。 安房(あわ)神社と言っている人もいる。
決着はついたのか。
以前書いた事があるけど、青木繁は、エドワード・バーン=ジョーンズの影響を受けていた。
彼は、こんな絵を描いている。
柳川ひな祭り。 青木繁、旧居。 石橋美術館で、青木繁の絵を見る。~柳川市・久留米市~ 他 (2015/3/1)
上の絵と祭と、海で働く人の姿から、海の幸は生まれたのでは。
※ 絵ではみんな魚など、海の幸を担いでいる。
ある説明によると、海の幸の幸は、神話の海幸彦、山幸彦の、幸だそう。

※ 2010年の、布良のお祭り・布良崎神社のお神輿 。 この後、町に出る。
三州瓦。 瓦(かわら)職人を、連れてきている。
布良は、栄えた時代があった。

富士見台と、説明に。 ここに立って、船の帰りを待った。 夫や恋人の。 立待の丘ですね。
後に、福田たねは、布良の思い出として、右の絵を描いている。 (絵は、上で紹介したHPからお借り)
題は、帰る船を待つ女房。
右の文は、「幸やいかに 未だわが背はかへり来ぬ 沖や大島波の音しぬ」
※ たね子になっている。 新しい人に嫁いだ時、子を付けたのか。
たねは、この場所を知っていた。

神社の鳥居から、少し南に。 ここに、小谷家の案内。

ここを下って。 小谷家は、修復中。

小谷家は、昔は、船主だったと。 青木繁のことも。
奥二間で生活。
何故、小谷家だったかは、ある旅館が紹介してくれたそう。
青木繁の他に、恋人の福田たね、画家の森田恒友(つねとも)、同郷(久留米)の坂本繁二郎。
1904年(明治37)の7月の17日から、1ヶ月半ほど。(下には、2ヶ月とあるけど)

小谷家は、今は左の家に。
修復が終わったら、記念館になりますね。 どんな名前でしょう。
「青木繁 海の幸 記念館」でしょうか。

小谷家の当主の方が、窓の向こうに見えて、挨拶。(年配の方)
伺って、少しだけ、話を。
10年前まで、住んでいたことなど。
当主の方は、安房神社の祭りが、青木の絵のモチーフかなと。
安房神社は、大きいからと。 (昔は、官幣大社(かんぺいたいしゃ)だった。)
※ 少しだけの新茶を、お礼に受け取ってもらう。

次は記念碑。 ネットで調べた場所は、違っていて、海に出た。
店があるから、多くの人が通る道だった。
青木繁も、みんな、何度も通っている。
幻のように、4人が歩いてきそう。
※ 出会ったら、何て挨拶。
「あの家は、ずっと残りますよ」って、伝えたい。

近くに、駒ヶ崎神社。 神様が、上陸した場所。

記念碑へ。 案内版で確認して、向かった。 国道から、右に少し入った。 見えている。

下に阿由戸(あゆと)の浜。(布良の浜)

没後50年を記念して建てた。 昭和37年。

4人の名前が。 除幕式には、福田たね、子の幸彦、坂本繁二郎が来た。

阿由戸の浜。 この浜に、漁師たちの姿を見たのか。

右の方。 海は荒れている。

戻ってきた。 左に、神社と小谷家。 車は、少し向こうの、右に。

安房神社に向かった。 絵のモチーフは、こっちかも知れないので。
途中、観光案内所があった。 地図。

安房(あわ)神社。 大きな神社。 観光情報誌に載っている。

さっき紹介した、天富命(あめのとみのみこと)は、四国の阿波からやってきた。
それで、安房神社か。
拝殿。 大きいです。 広い境内。
神様は、天から、岩の上に降りてくる。
だから、岩は、崇められる。

御借屋(おかりや)。
周りの9つの神社が、お祭りに参加する。 その神輿は、ここに。

左が拝殿。 後ろに本殿。

ここに来た神様、天富命を祀っている。
上の本殿には、天富命の祖先の、天太玉命 (あめのふとだまのみこと)を祀っている。

青木繁が安房神社に来てることは、当然のこと。
下は、安房神社の神輿。
どっちの神輿を、モチーフとしたか。
自分には神輿の中身は、詳しく分からない。
4人がここにいたのは、7月の17日から、8月末まで。
お祭りの日程が、今と同じとすれば、
布良崎神社は、7月17日から。 安房神社は、8月10日から。
青木繁は、祭の日程を知って、来たかもしれない。
もし、安房神社のを参考にした場合は、8月末まで20日しかない。
全てを、この地で完成させたのではないにしても、布良崎神社の方が、日程に余裕がある。
※ 日程がはっきりしないから、全体ははっきりしない。
もちろん、2つの神輿の前から、エドワード・バーン=ジョーンズの絵は、頭にあった。
漁師の姿も。
青木繁は、上のことは、イメージをつかむために、参考にしただけか。
絵に表現したのは、彼の頭の中にある世界ですね。
神話の世界。
具体的に描く時、デッサンしたものなどを利用する場合は、ありますね。
何が大きな影響を与えたのか、それぞれの度合いは難しい。
記念館が完成したら、再度来ていいかな。
今回分からないことは、その時に、はっきりするでしょう。
【今日の一句】 「 青木繁 人生の収穫は 布良で手に入れる たった1ヶ月半で 」
「 カノープス 布良の上空で煌(きら)めいて 布良星に 」
「 布良 不思議な地名 」
【今日の歌】 布良の娘 島倉千代子
【停泊場所】 野島崎公園駐車場
【明日の予定】 野島崎公園。 房総半島最南端。 野島埼灯台も。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)
※ プロフィール・・・。 ⇒
今までの記事には、この2枚だけ。
【ランキング】 国内旅行1位。 旅行全体で、2位です。
気に入った所がありましたら、クリックをよろしく。
※ クリックするバナーは、下のです。
ランキングが、見られます。
⇓
ランキング
※ 最初は、国内旅行のランキングが。
旅行をクリックすると、旅行全体のが。
※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
次の日のクリックも、また、1週間生きる。
【拍 手】
.
代表作『海の幸』は、明治期洋画の、記念碑的作品と評されている。(Wikipedia)
その海の幸が描かれたのが、館山市布良(めら)。
布良で逗留した家が、今も残っている。
今日は、青木繁に関係するところを、雨の中、歩いた。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。

( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
毎日雨。 風がなければ、傘が使える。
布良は、房総半島の南端に近い。

青木繁が、布良に行った次の年に行ったという、圓光寺に寄った。
館山市、伊戸(いと)にある。 赤〇は、布良。


圓光寺です。 智山(ちさん)派とある。 真言宗なんですが、大変な歴史を歩んでいる。 下に、詳しく。
上品蓮台寺の桜。 紅枝垂れは終わりに。 関山か? スモモの花。 嵐電に乗って。~京都市~ 他 (2015/4/12)

寺の説明はない。 青木繁についても。
留守で、誰もいなかった。


ネットで調べても分からないことがあって、それが、聞きたかった。
① 1905年(明治38)に来ているが、正確にはいつなのか。
8月に、幸彦が生まれているが、その前と分かっている。
5月頃のようだけど。
② この方面を、福田たねと旅したんだけど、圓光寺を選んだ理由。
③ 下の絵を、青木繁は描いたけど、どうして今、ここにないのか。
※ 下の絵は、戸板に焼いた釘で、木を焦がして描いた。
現在この絵は、個人所有のよう。 (下の写真は、ブログ布良・相浜の漁村日記からお借り)
伊戸の浜を描いた。 右遠くに、富士。 布良は、左の方にあるよう。

※ 今月の中過ぎに、福岡県の大宰府の近くの宇美町から、Oさんが来る。
きっと、上のことについては、はっきりさせてくれる。
10㌔ほど走って、布良に着いた。
※ 駐車できる場所は、布良崎神社の近くの、国道沿い。 または、港。
バスの人は、神社のそばに、バス停。


神社の後ろに、国道。 この道は、旧道。
青木繁達が逗留した小谷(こたに)家は、右下に。 ※ おだに、と読んでるのも。
この道を、この参道を、青木繁は歩いた。

まるで、お城の石垣。


こっち見ないで、あっち見て睨んでいる。
玉石の石垣。


どんな石も、置いた時、落ち着く姿がある。 こっちを下にするとか。
それを利用すると、強固な石垣になると。 初めて知った。
石は、伊豆から運ばれた。 どこにでも、ありそうな石なのに。


ついでに紹介。 さざれ石。
そんなに珍しくはないけど、国歌と関係あるので、このように展示することが。
石灰質の物資が、石を固めて、岩のように。 ここのは、普通見るのとは、違う。



石垣の上から、海の方。 左下に、小谷家。 雨で、遠くが見えない。

拝殿。

後に本殿。 説明。
天富命(あめのとみのみこと)が、布良の駒ケ崎に上陸した。
神話のことが書いてある。
青木繁は、古事記を夢中で読んでいた。
布良の地に、神話の話があることを知っていた。
それで、布良にやってきた。 絵を描くために。
※ 駒ケ崎には、駒ケ崎神社がある。 後で行く。
天富命がやって来て、出来た神社が、安房(あわ)神社。
最初、この地にあった。
今は、少し離れた、山の方に。 後で行く。
安房神社の跡に、布良崎神社が出来た。
神様は、天から下りてくるのかと思っていたけど、旅してやってくる場合もある。


海側から見た、この辺りの地図。
(青木繁《海の幸》誕生の家と記念碑を保存する会のHPからお借り。 このサイトが、一番詳しい。 )
※ カノープスは、1等星の明るい星。 この辺りでは、地平線の上に見える。 霞んで見えないことが多い。
右の写真は、東京から見た、カノープス。 (写真は、Wikipediaから)
ちょうど、布良の上辺りに見える。
それで、布良星と呼ばれるように。 地元でも、そう呼ぶように。
下に、海の幸の絵は、布良崎神社のお祭りから、インスピレーションを、とある。
今日、この神社に来たのは、このことがあるので。
神輿を担いでいる時の、姿ですね。


下のように、論争になっている。 安房(あわ)神社と言っている人もいる。
決着はついたのか。
以前書いた事があるけど、青木繁は、エドワード・バーン=ジョーンズの影響を受けていた。
彼は、こんな絵を描いている。
柳川ひな祭り。 青木繁、旧居。 石橋美術館で、青木繁の絵を見る。~柳川市・久留米市~ 他 (2015/3/1)
上の絵と祭と、海で働く人の姿から、海の幸は生まれたのでは。
※ 絵ではみんな魚など、海の幸を担いでいる。
ある説明によると、海の幸の幸は、神話の海幸彦、山幸彦の、幸だそう。


※ 2010年の、布良のお祭り・布良崎神社のお神輿 。 この後、町に出る。
三州瓦。 瓦(かわら)職人を、連れてきている。
布良は、栄えた時代があった。


富士見台と、説明に。 ここに立って、船の帰りを待った。 夫や恋人の。 立待の丘ですね。


後に、福田たねは、布良の思い出として、右の絵を描いている。 (絵は、上で紹介したHPからお借り)
題は、帰る船を待つ女房。
右の文は、「幸やいかに 未だわが背はかへり来ぬ 沖や大島波の音しぬ」
※ たね子になっている。 新しい人に嫁いだ時、子を付けたのか。
たねは、この場所を知っていた。


神社の鳥居から、少し南に。 ここに、小谷家の案内。

ここを下って。 小谷家は、修復中。

小谷家は、昔は、船主だったと。 青木繁のことも。
奥二間で生活。
何故、小谷家だったかは、ある旅館が紹介してくれたそう。
青木繁の他に、恋人の福田たね、画家の森田恒友(つねとも)、同郷(久留米)の坂本繁二郎。
1904年(明治37)の7月の17日から、1ヶ月半ほど。(下には、2ヶ月とあるけど)


小谷家は、今は左の家に。
修復が終わったら、記念館になりますね。 どんな名前でしょう。
「青木繁 海の幸 記念館」でしょうか。

小谷家の当主の方が、窓の向こうに見えて、挨拶。(年配の方)
伺って、少しだけ、話を。
10年前まで、住んでいたことなど。
当主の方は、安房神社の祭りが、青木の絵のモチーフかなと。
安房神社は、大きいからと。 (昔は、官幣大社(かんぺいたいしゃ)だった。)
※ 少しだけの新茶を、お礼に受け取ってもらう。

次は記念碑。 ネットで調べた場所は、違っていて、海に出た。
店があるから、多くの人が通る道だった。
青木繁も、みんな、何度も通っている。
幻のように、4人が歩いてきそう。
※ 出会ったら、何て挨拶。
「あの家は、ずっと残りますよ」って、伝えたい。


近くに、駒ヶ崎神社。 神様が、上陸した場所。

記念碑へ。 案内版で確認して、向かった。 国道から、右に少し入った。 見えている。

下に阿由戸(あゆと)の浜。(布良の浜)

没後50年を記念して建てた。 昭和37年。


4人の名前が。 除幕式には、福田たね、子の幸彦、坂本繁二郎が来た。

阿由戸の浜。 この浜に、漁師たちの姿を見たのか。


右の方。 海は荒れている。


戻ってきた。 左に、神社と小谷家。 車は、少し向こうの、右に。

安房神社に向かった。 絵のモチーフは、こっちかも知れないので。
途中、観光案内所があった。 地図。

安房(あわ)神社。 大きな神社。 観光情報誌に載っている。


さっき紹介した、天富命(あめのとみのみこと)は、四国の阿波からやってきた。
それで、安房神社か。
拝殿。 大きいです。 広い境内。
神様は、天から、岩の上に降りてくる。
だから、岩は、崇められる。


御借屋(おかりや)。
周りの9つの神社が、お祭りに参加する。 その神輿は、ここに。


左が拝殿。 後ろに本殿。

ここに来た神様、天富命を祀っている。
上の本殿には、天富命の祖先の、天太玉命 (あめのふとだまのみこと)を祀っている。


青木繁が安房神社に来てることは、当然のこと。
下は、安房神社の神輿。
どっちの神輿を、モチーフとしたか。
自分には神輿の中身は、詳しく分からない。
4人がここにいたのは、7月の17日から、8月末まで。
お祭りの日程が、今と同じとすれば、
布良崎神社は、7月17日から。 安房神社は、8月10日から。
青木繁は、祭の日程を知って、来たかもしれない。
もし、安房神社のを参考にした場合は、8月末まで20日しかない。
全てを、この地で完成させたのではないにしても、布良崎神社の方が、日程に余裕がある。
※ 日程がはっきりしないから、全体ははっきりしない。
もちろん、2つの神輿の前から、エドワード・バーン=ジョーンズの絵は、頭にあった。
漁師の姿も。
青木繁は、上のことは、イメージをつかむために、参考にしただけか。
絵に表現したのは、彼の頭の中にある世界ですね。
神話の世界。
具体的に描く時、デッサンしたものなどを利用する場合は、ありますね。
何が大きな影響を与えたのか、それぞれの度合いは難しい。
記念館が完成したら、再度来ていいかな。
今回分からないことは、その時に、はっきりするでしょう。
【今日の一句】 「 青木繁 人生の収穫は 布良で手に入れる たった1ヶ月半で 」
「 カノープス 布良の上空で煌(きら)めいて 布良星に 」
「 布良 不思議な地名 」
【今日の歌】 布良の娘 島倉千代子
【停泊場所】 野島崎公園駐車場

【明日の予定】 野島崎公園。 房総半島最南端。 野島埼灯台も。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)

※ プロフィール・・・。 ⇒


【ランキング】 国内旅行1位。 旅行全体で、2位です。
気に入った所がありましたら、クリックをよろしく。
※ クリックするバナーは、下のです。
ランキングが、見られます。
⇓

※ 最初は、国内旅行のランキングが。
旅行をクリックすると、旅行全体のが。
※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
次の日のクリックも、また、1週間生きる。
【拍 手】
.
コメント
コメントの投稿
トラックバック
https://akkamui.com/tb.php/1749-e356a306