福岡から、Oさんが布良(めら)に来る。
明日からの布良崎神社のお祭りを見学するのが、大きな目的。
Oさんは、青木繁が布良で描いた「海の幸」について、深く知りたいと考えている。
布良崎神社の祭りが、海の幸と関係あるのでは、と予想している。
今日は、青木繁が布良で世話になった小谷家で、Oさんがお話を聞く。
お話は、小谷家の6代目当主の方から。
そして、彫刻家のFさん、代々船大工の家系のTさん。
(3名とも、安房文化遺産フォーラムの方々。 初めの間は、5名の方が)
4人の専門的な話を、私は、横で聞く。 そんな形。
小谷家には、明治時代からの古文書などが、宝の山のように保存されている。
それを、見せていただいた。
修復中の、小谷家の中の、見学も。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
布良は、房総半島の南端に近い。

車は安房自然村に置いて、小谷家に向かった。 布良崎神社を通って。
神輿が見えた。 ※ Oさんは、安房文化遺産フォーラムの方と、先に。

神社の石段を下りる所から、小谷家住宅が見えた。 写真中央。
正面に、布良の海。

修復中の、小谷家住宅。

明治の半ばに建てられた。 明治37年、青木達4名は、ここに2ヶ月ほど滞在とある。

小谷家住宅の内部。 最初に、ここで説明が。
その後、古文書等が保管されてる、新しい建物で。
この写真は、暗くなってから、撮ったもの。
入って、右に2間。 青木達4人は、この2間で生活。

入った直ぐの部屋の、左側。 部屋の大きさの割に、神棚が大きい。

向こうが奥の2間。 中間に、柱がない。 戸を取ると、広い1間になる。

奥の2間で描かれたのが、下の、海の幸。
絵の横の長さは、182㌢。 戸板2枚の幅。
下は、奥の2間の中に入って。
キャンバスは、戸板の所か。 それとも、床の間の方ってことも、あるのか。
魚の絵が見える。

下は、今日お世話になっている、安房文化遺産フォーラムのHPから、お借り。
明治23年に、水産伝習所の生徒達を、小谷家が世話をし、泊めた。
そのお礼に、所長の関沢明清(あけきよ)が、お礼の手紙を小谷家に。
魚の絵は、その時に、贈られたもの。
このことで、何が分かるかと云うと、青木達4人を小谷家は世話をするが、
そのようなことは、初めてのことではなかった、ということ。

下のニュースに。 写真の方が、小谷家6代目当主。 今日、お世話になっている。

青木達4人は、ある旅館に紹介されて、小谷家に来た。
無料ですから、今の時代では、考えられないこと。
長い期間、小谷家にいられたのは、小谷家の裕福さだけではない、当主の方の考え方があってのことですね。
わだつみのいろこの宮。 海の幸と、これは、重要文化財。
※ 絵については、この春書いたブログに。 関連ブログで、紹介。

2間を反対側から撮影。 奥の、白い戸の裏に、右の絵。

欄間の彫り物。
作者は、この地方の彫刻師、後藤義信。 布良崎神社の神輿の彫り物も、同じ人だそう。
内容は、楠木正成と息子の正行の「桜井の別れ」。
右は、仏壇の上の彫り物。 江戸時代の物のよう。

※ 桜井の別れは、香取神宮の記事で紹介しましたね。
太古の森に抱かれた、荘厳な社殿、香取神宮。 檜皮葺、黒塗りの外観。~香取市~ 他 (2015/7/9)
ここから下は、向かいの建物で。 (古文書等、保管のための)
下の、左は、李埈鎔(り、しゅんよう)の書。
彼は、李氏朝鮮末期の皇族だそう。
1900年頃、千葉県(館山)に来ている。
真ん中は、ブログに何度も登場している、山岡鉄舟。
この人がいなかったら、大政奉還は、どうなっていたか・・・。
(勝海舟の書簡をもって、駿府の西郷の所に行く。 途中、命がけ。 隠れた宿が、由比に。)
最後の仇討の、臼井六郎だって、この人に助けられ、最後は本懐を遂げる。
秋月は、山里の城下町。 秋月城跡。 日本最後の仇討、臼井六郎。~朝倉市~ 他 (2014/3/25)
変わった色の、徳利。 古九谷だったか(?)

精密な彫物。 何に、はめ込まれたのか。 どんな物語でしょう。

ユンハンス製。 大きな古時計。 世界初の電波時計は、この会社。
資料の、裏打ち。 膨大な量を、今後も。

こんな絵も。

宣伝を見たら、昔、どんな店があったかが分かる。
三共株式会社は、三共製薬に。 風邪薬の、ルルなど。
今は、第一三共株式会社。
赤字で、落書きが。
「 借金や いつもある身は 世の中を せまくわたりて 不自由に暮らす 」

さっき小谷家住宅で見た、魚の絵の本物。 細密画と呼ぶのでしょうか。 絵をカラー印刷。

これも。

深い海の海水の採取に、使う。

海の幸の、レリーフ。 右は、海の幸記念碑の設計図。

船の設計図。 小谷家の船。 偶然、海幸(かいこう)丸。

別々の絵だと思っていたのが、こうなった。
複製画があると、こんな発見が。

資料の説明の他にも、海の幸の絵について、延々と。
午後の1時から7時まで。 6時間。
お礼を伝えて、小谷家を後に。
小谷家の坂を上ると、布良崎神社が。

何かをしている。

明日の祭の儀式の、リハーサルのよう。

海の幸の絵について、はっきりしていることは、少ない。
4人でやってきて、布良で描かれたこと、くらい。
神話の関わり、神社の祭りの関わりなど、はっきりしない事の方が多い。
多くの人が解明しようと、努力している。
海の幸の絵の魅力は、大きい。
多くの人を、惹きつけている。
【関連ブログ】
青木繁の「海の幸」は、布良(めら)で描かれた。 小谷家住宅。 布良崎神社。 圓光寺、他。~館山市~ 他 (2015/7/2)
柳川ひな祭り。 青木繁、旧居。 石橋美術館で、青木繁の絵を見る。~柳川市・久留米市~ 他 (2015/3/1)
第61回けしけし祭。 青木繁が好きだった、兜山(けしけし山)の頂上で。~久留米市~ 他 (2014/3/23)
青木 繁 展 他 ~宙太さんに久留米市内を案内していただく~ 他 (2011/5/12)
【今日の一句】 「絵の魅力の大きさが 多くの人を虜に 抜け出せない程の」
【今日の歌】 波浮の港 作詞作曲は、野口雨情・中山晋平。 證誠寺の狸ばやしと、同じコンビ。
【停泊場所】 観光案内所の駐車場

【明日の予定】 布良﨑神社のお祭り、他。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)
※ プロフィール・・・。 ⇒
今までの記事には、この2枚だけ。
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明日からの布良崎神社のお祭りを見学するのが、大きな目的。
Oさんは、青木繁が布良で描いた「海の幸」について、深く知りたいと考えている。
布良崎神社の祭りが、海の幸と関係あるのでは、と予想している。
今日は、青木繁が布良で世話になった小谷家で、Oさんがお話を聞く。
お話は、小谷家の6代目当主の方から。
そして、彫刻家のFさん、代々船大工の家系のTさん。
(3名とも、安房文化遺産フォーラムの方々。 初めの間は、5名の方が)
4人の専門的な話を、私は、横で聞く。 そんな形。
小谷家には、明治時代からの古文書などが、宝の山のように保存されている。
それを、見せていただいた。
修復中の、小谷家の中の、見学も。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。

( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
布良は、房総半島の南端に近い。


車は安房自然村に置いて、小谷家に向かった。 布良崎神社を通って。
神輿が見えた。 ※ Oさんは、安房文化遺産フォーラムの方と、先に。


神社の石段を下りる所から、小谷家住宅が見えた。 写真中央。
正面に、布良の海。


修復中の、小谷家住宅。

明治の半ばに建てられた。 明治37年、青木達4名は、ここに2ヶ月ほど滞在とある。


小谷家住宅の内部。 最初に、ここで説明が。
その後、古文書等が保管されてる、新しい建物で。
この写真は、暗くなってから、撮ったもの。
入って、右に2間。 青木達4人は、この2間で生活。

入った直ぐの部屋の、左側。 部屋の大きさの割に、神棚が大きい。


向こうが奥の2間。 中間に、柱がない。 戸を取ると、広い1間になる。

奥の2間で描かれたのが、下の、海の幸。

絵の横の長さは、182㌢。 戸板2枚の幅。
下は、奥の2間の中に入って。
キャンバスは、戸板の所か。 それとも、床の間の方ってことも、あるのか。
魚の絵が見える。

下は、今日お世話になっている、安房文化遺産フォーラムのHPから、お借り。
明治23年に、水産伝習所の生徒達を、小谷家が世話をし、泊めた。
そのお礼に、所長の関沢明清(あけきよ)が、お礼の手紙を小谷家に。
魚の絵は、その時に、贈られたもの。
このことで、何が分かるかと云うと、青木達4人を小谷家は世話をするが、
そのようなことは、初めてのことではなかった、ということ。



下のニュースに。 写真の方が、小谷家6代目当主。 今日、お世話になっている。

青木達4人は、ある旅館に紹介されて、小谷家に来た。
無料ですから、今の時代では、考えられないこと。
長い期間、小谷家にいられたのは、小谷家の裕福さだけではない、当主の方の考え方があってのことですね。
わだつみのいろこの宮。 海の幸と、これは、重要文化財。
※ 絵については、この春書いたブログに。 関連ブログで、紹介。



2間を反対側から撮影。 奥の、白い戸の裏に、右の絵。


欄間の彫り物。
作者は、この地方の彫刻師、後藤義信。 布良崎神社の神輿の彫り物も、同じ人だそう。
内容は、楠木正成と息子の正行の「桜井の別れ」。
右は、仏壇の上の彫り物。 江戸時代の物のよう。


※ 桜井の別れは、香取神宮の記事で紹介しましたね。
太古の森に抱かれた、荘厳な社殿、香取神宮。 檜皮葺、黒塗りの外観。~香取市~ 他 (2015/7/9)
ここから下は、向かいの建物で。 (古文書等、保管のための)
下の、左は、李埈鎔(り、しゅんよう)の書。
彼は、李氏朝鮮末期の皇族だそう。
1900年頃、千葉県(館山)に来ている。

真ん中は、ブログに何度も登場している、山岡鉄舟。
この人がいなかったら、大政奉還は、どうなっていたか・・・。
(勝海舟の書簡をもって、駿府の西郷の所に行く。 途中、命がけ。 隠れた宿が、由比に。)
最後の仇討の、臼井六郎だって、この人に助けられ、最後は本懐を遂げる。
秋月は、山里の城下町。 秋月城跡。 日本最後の仇討、臼井六郎。~朝倉市~ 他 (2014/3/25)
変わった色の、徳利。 古九谷だったか(?)



精密な彫物。 何に、はめ込まれたのか。 どんな物語でしょう。

ユンハンス製。 大きな古時計。 世界初の電波時計は、この会社。
資料の、裏打ち。 膨大な量を、今後も。



こんな絵も。


宣伝を見たら、昔、どんな店があったかが分かる。
三共株式会社は、三共製薬に。 風邪薬の、ルルなど。
今は、第一三共株式会社。
赤字で、落書きが。
「 借金や いつもある身は 世の中を せまくわたりて 不自由に暮らす 」

さっき小谷家住宅で見た、魚の絵の本物。 細密画と呼ぶのでしょうか。 絵をカラー印刷。


これも。

深い海の海水の採取に、使う。


海の幸の、レリーフ。 右は、海の幸記念碑の設計図。


船の設計図。 小谷家の船。 偶然、海幸(かいこう)丸。


別々の絵だと思っていたのが、こうなった。
複製画があると、こんな発見が。

資料の説明の他にも、海の幸の絵について、延々と。
午後の1時から7時まで。 6時間。
お礼を伝えて、小谷家を後に。
小谷家の坂を上ると、布良崎神社が。

何かをしている。


明日の祭の儀式の、リハーサルのよう。


海の幸の絵について、はっきりしていることは、少ない。
4人でやってきて、布良で描かれたこと、くらい。
神話の関わり、神社の祭りの関わりなど、はっきりしない事の方が多い。
多くの人が解明しようと、努力している。
海の幸の絵の魅力は、大きい。
多くの人を、惹きつけている。
【関連ブログ】
青木繁の「海の幸」は、布良(めら)で描かれた。 小谷家住宅。 布良崎神社。 圓光寺、他。~館山市~ 他 (2015/7/2)
柳川ひな祭り。 青木繁、旧居。 石橋美術館で、青木繁の絵を見る。~柳川市・久留米市~ 他 (2015/3/1)
第61回けしけし祭。 青木繁が好きだった、兜山(けしけし山)の頂上で。~久留米市~ 他 (2014/3/23)
青木 繁 展 他 ~宙太さんに久留米市内を案内していただく~ 他 (2011/5/12)
【今日の一句】 「絵の魅力の大きさが 多くの人を虜に 抜け出せない程の」
【今日の歌】 波浮の港 作詞作曲は、野口雨情・中山晋平。 證誠寺の狸ばやしと、同じコンビ。
【停泊場所】 観光案内所の駐車場

【明日の予定】 布良﨑神社のお祭り、他。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)

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コメント
はじめまして!
2日間 木更津市の港で見かけてました。彼女も釧路なので北見が気になって検索話し掛けようと昨日行ったら千葉県を楽しんでください!
Re: はじめまして!
釧路は好きですよ。
魚もソバも美味しいですし。
魚もソバも美味しいですし。
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