市のボランティアセンターに行くと、活動の中身は、聞いていたのとは、違っていた。
それには、事情もあった。
初日の今日は、避難所には行かなかったが、地元の多くの人と話すことが出来た。
知らなかったことが、たくさんあった。 考えさせられることも。
釜石市の、はっきりしている行方不明者は、620名。
瓦礫の下に、どれだけの人が眠っているのか。
昨日の動画の撮影場所まで、行ってきた。
今日は、雪がちらついた。 寒い一日。 四国の真冬。
朝起きたら、遠野の道の駅は、真っ白。 舗装の上だけ黒い。 部分的に、凍っている。
太陽が雲から出るのを待った。
7時半に出発。 路面の確認をしながら、走った。
釜石市は、遠野の海側。
津波は、駅まで来た。 ボランティアセンター辺りは、数十㌢の深さ。
ここが、ボランティアセンター。 荷物を下ろすトラックが、待っている。
ボランティアセンターには、要望が来ている。
どこどこの清掃に、何名欲しいとか。
待ってたら、ここに行ってもらえますかと、言って来る。
決まったら、要望の用紙に、名前が張らさる。
集配所で、荷物の積み下ろしをすることになった。
後で知ったが、ニーズ調査は、もう終わっていた。
そればかりやってたら、聞いてばかりいないで、持ってこい、と言われる。
基本は、9時から4時まで。
毎朝受付。 その日休んでも、午前中でやめてもいい。
釜石市内の人が、ボランティアのほとんど。
他に、遠野市が、バスで送り出している。
その他は、私だけ。 ※ 石や看護師などは、他県から来ている。
ボランティアセンターのとなりが、集配所だった。
トラックに積む物が伝えられる。 そうしたら、一斉に動いて積む。
野菜と肉以外は、山ほどある。
大型トラックが、次から次と、荷物を積んでやってくる。 遠くからも。
その割に、各避難所へ積んでいく車が少ない。
私の後ろにも、品物はいっぱい。
トラックの荷物を降ろしている。 後ろの方に、次のトラックが待っている。
自衛隊の人達は疲れた。 マイナスの気温の中、テントで寝ている。
ご苦労様と言いたい。
運ぶ仕事をしていたら、ボランティアセンターの人が、掃除の仕事が出たので、お願いしたいと言ってきた。
いいですよと、言った。
運ぶ方の責任者は、怒った。 こっちが足りなくなるって。
ボランティアの数は、足りていなかった。
掃除に行く前に、昼食をどうぞって、言われた。
カップめんやパンがあった。 私は弁当を持っていたが、パンを食べた。
私は、色んな人に話しかけた。 みんな、釜石の人。
上の写真の、中央奥の2人は、盛岡県立大の3年生。 間もなく、4年生。 社会福祉学科。
左の子は、今回の津波でお父さんを亡くした。 宮古市に単身赴任で行ってたという。
それでも、ボランティアに参加している。 考えさせられますね。 強いと言っていいのか。
一番右の女の人は、その左の人と、一緒に来た。
(男の人は、かげに。 ジーパンは、下がっていた。人間、見た目では、その人の本質は決して分からない)
こう言った。 おばあちゃんが、見つかったって。
上に書いた大学生が、よかったねって言った。
行方不明になったら、みんな覚悟している。
だから、「死んで見つかって、何がよかったのさ」なんて、言わない。
バスで、清掃の現場に向かった。
道だけ、瓦礫は無かった。
この住宅には、ほとんど人は入っていない。 これを、避難住宅にする。
同じ建物が2つあり、はき掃除を全部した。 100戸くらいか。
高校生もいた。 高一3名。 釜石商工と言っていた。 休憩時間になったら、すぐ遊ぶ。
一人で来た大学生もいた。 左から、4番目。 しゃがんでいる。 この人とも、たくさん話した。
終わって、バスが来る所まで、歩いた。 この辺りは、水道は復旧していない。
おばあちゃんが、とつぜん寄って来た。
ある所に、困ってる人たちがいる。 助けてほしいと。
それを聞いて、ボランティアセンターに伝えた。
ガソリンを大事にするから、走ってる車は少ない。
バスの一番前に乗った。
震災の後、治安の良さを、外国から褒められている。
でも、昨晩、釜石市で、100台以上の車がガラスを割られ、盗難にあった。
また、人間性も褒められた。
清掃の時のチーフの人に、避難所の人に会ってみたいと言った。
止めた方がいいと言われた。
全部とは言わないが、みんな苛立っているという。
毛布を奪い合いになった避難所もある。
支援が、順調に進んでいないのが、大きな原因。
放送局は、いい所だけ放送している。 おかしなことを放送したら、文句を言われるから。
避難所の実態は、正確には伝わっていない。 避難者が悪いわけではない。 限界の生活をしている。
前を走ってる車は、水のタンクを引っ張っている。
避難所での生活はきびしい。 だから、子供はほとんどいないと言う。 親戚や知人の所に行った。
※ 追記 子供は一ヶ所に集まっているよう。 釜石中と聞いた。
他人の車から、ガソリンを抜き取る人が出てきた。 盗難になる。
ボランティアセンターで、報道の人に会った。 ※ 多くの報道が入っている。 中継する車も。
話が出来た。
岩手県内では、釜石市が一番、ボランティア活動が整っていると云う。
※ 釜石市のボランティアセンターは、先週の月曜日に立ちあげ、水曜日に軌道に乗っていた。
ボランティアセンターに戻って、名札を戻して、今日の作業は終わったことを伝えた。
市内を、歩くことにした。
想定したように、津波は、ここまで来た。 左向こうに、駅が見える。
避難所を運営するのは、基本的に役場。
少し北の、大槌町は、役場の機能が失われた。 町長も亡くなっている。
大槌町の避難所には、仕切る人がいなかった。
避難所の運営は、大変だったと聞いた。
港に向かっている。 そして、左の高台に行く。
小さな集落の中には、そこまでの道が、まだ出来ていない所があるという。
現実は、まだ、そうだった。
やっと、歩道が。
大槌町は、火事でも亡くなった人がいると云う。
ガスボンベが押し流され、火が付いた。 津波の被害は受けていないのに、火に襲われた。
この辺りで、津波の高さは、1階の上辺り。 1階を水が通り抜けた所も。
大槌町は、外部から人が入って、ボランティアセンターを立ち上げようとしている。
小さな高台があったので、登ってみた。
鉄筋コンクリートの建物は、残った。
どこの被災地も、最初に捜索に入った時は、瓦礫から、手や足が見えたと云う。
寒いからか、人は少ない。
ここの場所は、右に行ったら港。
だから、この辺にいた人は、向こうの高台に逃げた。 数分あれば、着く。
※ 建物の上に逃げて、助かった人もいる。 家が流される不安は、大きな恐怖だったと思う。
避難の方法は、4種類あった。
海に向かって、左右の高台。
駅の方が高いから、こっちに逃げる。(これは、バスの運転手さんが教えてくれた。
それと、丈夫な建物の上。
民家のような家は、津波に弱い。
家族が、友人が、同僚が、津波に消えて行ったのを見た人は、たくさんいる。
手をつないで逃げたのに、津波が来て、手が離れたり。
港に近づくと、津波の高さは、高い。
津波の前でしょうか。 海の水が引いた。
その時。数㍍の深さの海底が見えたと云う。 (バスの運転手さんの話)
高台に来た。 先日の動画の撮影場所は、ここより、少し左。 港の、左の方。
津波が牙をむいて、ここから襲ってきた。
釜石大観音は、全てを見た。 でも、見ているしか出来なかった。
津波の後、全国の人達は、毎日テレビで、津波の様子を見た。
釜石の人達は、電気が停まったので、その様子は、テレビで見てない。
向こうが駅。
津波の高さが分かる。
※ 象潟のKさんの友人も、津波に襲われた。(どこの町かは忘れたが)
後ろから来た。 競争になった。 膝までの高さになった時、転んだ。
やっとの思いで立ちあがって、逃げた。 助かった。
もし立ち上がれなかったら、助からなかったという。
持主は、助かっているだろうか。
ここに、います。
釜石に来て知ったことが、いっぱいあった。
今晩も、寒い。 被災者のためにも、暖かくなってほしい。
【停泊場所】 ケーズデンキ駐車場
【明日の予定】 午前中、石応寺の避難所で、炊き出しの手伝い。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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それには、事情もあった。
初日の今日は、避難所には行かなかったが、地元の多くの人と話すことが出来た。
知らなかったことが、たくさんあった。 考えさせられることも。
釜石市の、はっきりしている行方不明者は、620名。
瓦礫の下に、どれだけの人が眠っているのか。
昨日の動画の撮影場所まで、行ってきた。
今日は、雪がちらついた。 寒い一日。 四国の真冬。
朝起きたら、遠野の道の駅は、真っ白。 舗装の上だけ黒い。 部分的に、凍っている。
太陽が雲から出るのを待った。
7時半に出発。 路面の確認をしながら、走った。
釜石市は、遠野の海側。
津波は、駅まで来た。 ボランティアセンター辺りは、数十㌢の深さ。

ここが、ボランティアセンター。 荷物を下ろすトラックが、待っている。

ボランティアセンターには、要望が来ている。
どこどこの清掃に、何名欲しいとか。
待ってたら、ここに行ってもらえますかと、言って来る。
決まったら、要望の用紙に、名前が張らさる。

集配所で、荷物の積み下ろしをすることになった。
後で知ったが、ニーズ調査は、もう終わっていた。
そればかりやってたら、聞いてばかりいないで、持ってこい、と言われる。
基本は、9時から4時まで。
毎朝受付。 その日休んでも、午前中でやめてもいい。

釜石市内の人が、ボランティアのほとんど。
他に、遠野市が、バスで送り出している。
その他は、私だけ。 ※ 石や看護師などは、他県から来ている。
ボランティアセンターのとなりが、集配所だった。
トラックに積む物が伝えられる。 そうしたら、一斉に動いて積む。

野菜と肉以外は、山ほどある。
大型トラックが、次から次と、荷物を積んでやってくる。 遠くからも。
その割に、各避難所へ積んでいく車が少ない。
私の後ろにも、品物はいっぱい。

トラックの荷物を降ろしている。 後ろの方に、次のトラックが待っている。

自衛隊の人達は疲れた。 マイナスの気温の中、テントで寝ている。
ご苦労様と言いたい。

運ぶ仕事をしていたら、ボランティアセンターの人が、掃除の仕事が出たので、お願いしたいと言ってきた。
いいですよと、言った。
運ぶ方の責任者は、怒った。 こっちが足りなくなるって。
ボランティアの数は、足りていなかった。
掃除に行く前に、昼食をどうぞって、言われた。
カップめんやパンがあった。 私は弁当を持っていたが、パンを食べた。
私は、色んな人に話しかけた。 みんな、釜石の人。

上の写真の、中央奥の2人は、盛岡県立大の3年生。 間もなく、4年生。 社会福祉学科。
左の子は、今回の津波でお父さんを亡くした。 宮古市に単身赴任で行ってたという。
それでも、ボランティアに参加している。 考えさせられますね。 強いと言っていいのか。
一番右の女の人は、その左の人と、一緒に来た。
(男の人は、かげに。 ジーパンは、下がっていた。人間、見た目では、その人の本質は決して分からない)
こう言った。 おばあちゃんが、見つかったって。
上に書いた大学生が、よかったねって言った。
行方不明になったら、みんな覚悟している。
だから、「死んで見つかって、何がよかったのさ」なんて、言わない。
バスで、清掃の現場に向かった。

道だけ、瓦礫は無かった。

この住宅には、ほとんど人は入っていない。 これを、避難住宅にする。
同じ建物が2つあり、はき掃除を全部した。 100戸くらいか。

高校生もいた。 高一3名。 釜石商工と言っていた。 休憩時間になったら、すぐ遊ぶ。
一人で来た大学生もいた。 左から、4番目。 しゃがんでいる。 この人とも、たくさん話した。

終わって、バスが来る所まで、歩いた。 この辺りは、水道は復旧していない。
おばあちゃんが、とつぜん寄って来た。
ある所に、困ってる人たちがいる。 助けてほしいと。
それを聞いて、ボランティアセンターに伝えた。
ガソリンを大事にするから、走ってる車は少ない。

バスの一番前に乗った。

震災の後、治安の良さを、外国から褒められている。
でも、昨晩、釜石市で、100台以上の車がガラスを割られ、盗難にあった。
また、人間性も褒められた。
清掃の時のチーフの人に、避難所の人に会ってみたいと言った。
止めた方がいいと言われた。
全部とは言わないが、みんな苛立っているという。
毛布を奪い合いになった避難所もある。
支援が、順調に進んでいないのが、大きな原因。
放送局は、いい所だけ放送している。 おかしなことを放送したら、文句を言われるから。
避難所の実態は、正確には伝わっていない。 避難者が悪いわけではない。 限界の生活をしている。
前を走ってる車は、水のタンクを引っ張っている。

避難所での生活はきびしい。 だから、子供はほとんどいないと言う。 親戚や知人の所に行った。
※ 追記 子供は一ヶ所に集まっているよう。 釜石中と聞いた。
他人の車から、ガソリンを抜き取る人が出てきた。 盗難になる。

ボランティアセンターで、報道の人に会った。 ※ 多くの報道が入っている。 中継する車も。
話が出来た。
岩手県内では、釜石市が一番、ボランティア活動が整っていると云う。
※ 釜石市のボランティアセンターは、先週の月曜日に立ちあげ、水曜日に軌道に乗っていた。

ボランティアセンターに戻って、名札を戻して、今日の作業は終わったことを伝えた。
市内を、歩くことにした。
想定したように、津波は、ここまで来た。 左向こうに、駅が見える。

避難所を運営するのは、基本的に役場。
少し北の、大槌町は、役場の機能が失われた。 町長も亡くなっている。
大槌町の避難所には、仕切る人がいなかった。
避難所の運営は、大変だったと聞いた。
港に向かっている。 そして、左の高台に行く。

小さな集落の中には、そこまでの道が、まだ出来ていない所があるという。
現実は、まだ、そうだった。
やっと、歩道が。

大槌町は、火事でも亡くなった人がいると云う。
ガスボンベが押し流され、火が付いた。 津波の被害は受けていないのに、火に襲われた。
この辺りで、津波の高さは、1階の上辺り。 1階を水が通り抜けた所も。

大槌町は、外部から人が入って、ボランティアセンターを立ち上げようとしている。
小さな高台があったので、登ってみた。

鉄筋コンクリートの建物は、残った。

どこの被災地も、最初に捜索に入った時は、瓦礫から、手や足が見えたと云う。
寒いからか、人は少ない。

ここの場所は、右に行ったら港。
だから、この辺にいた人は、向こうの高台に逃げた。 数分あれば、着く。
※ 建物の上に逃げて、助かった人もいる。 家が流される不安は、大きな恐怖だったと思う。

避難の方法は、4種類あった。
海に向かって、左右の高台。
駅の方が高いから、こっちに逃げる。(これは、バスの運転手さんが教えてくれた。
それと、丈夫な建物の上。
民家のような家は、津波に弱い。

家族が、友人が、同僚が、津波に消えて行ったのを見た人は、たくさんいる。
手をつないで逃げたのに、津波が来て、手が離れたり。

港に近づくと、津波の高さは、高い。

津波の前でしょうか。 海の水が引いた。
その時。数㍍の深さの海底が見えたと云う。 (バスの運転手さんの話)
高台に来た。 先日の動画の撮影場所は、ここより、少し左。 港の、左の方。

津波が牙をむいて、ここから襲ってきた。

釜石大観音は、全てを見た。 でも、見ているしか出来なかった。

津波の後、全国の人達は、毎日テレビで、津波の様子を見た。
釜石の人達は、電気が停まったので、その様子は、テレビで見てない。

向こうが駅。

津波の高さが分かる。

※ 象潟のKさんの友人も、津波に襲われた。(どこの町かは忘れたが)
後ろから来た。 競争になった。 膝までの高さになった時、転んだ。
やっとの思いで立ちあがって、逃げた。 助かった。
もし立ち上がれなかったら、助からなかったという。
持主は、助かっているだろうか。



ここに、います。

釜石に来て知ったことが、いっぱいあった。
今晩も、寒い。 被災者のためにも、暖かくなってほしい。
【停泊場所】 ケーズデンキ駐車場
【明日の予定】 午前中、石応寺の避難所で、炊き出しの手伝い。
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(2008年4月~2010年9月までの記事)

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コメント
活動開始
Re: 活動開始
知らなかったことが、いっぱいありました。
みんなが悲しいから、自分だけが、とは考えていないのかも、知れません。
みんなが悲しいから、自分だけが、とは考えていないのかも、知れません。
知らされることしか出来ない・・・
今の私には“知らされる”ことしか出来ない。
テレビで知らされた、次に個人から生の情報を知らされた。
文中の>放送局は、いい所だけ放送している。・・・・
自分から”知った”情報はすごい、そして行動に繋がる。
お気をつけて下さい。
テレビで知らされた、次に個人から生の情報を知らされた。
文中の>放送局は、いい所だけ放送している。・・・・
自分から”知った”情報はすごい、そして行動に繋がる。
お気をつけて下さい。
Re: 知らされることしか出来ない・・・
報道されるのが少ない部分を、伝えたいでしょうか。
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
ありがとう
1970年から4年間新日鉄・釜石製鉄所に勤務しておりました。その間に家内と知り合いました。家内の実家は東前町(魚市場のあたり)で,津波ですっかり流されたようです。母子二人は運よく助かったようです。TVに出ない映像をありがとうございました。
Re: ありがとう
当日、もしその場所にいたら、海に向かって左の高台に逃げたでしょうね。
今までの津波と違うと、きっと気づいた。
一人の人が気づけば、周りの人、何人も助けられたようです。
今までの津波と違うと、きっと気づいた。
一人の人が気づけば、周りの人、何人も助けられたようです。
義捐金
私も1961年から18年間釜石市におりました。友人がたくさんおりますが、みな無事でなによりでした。でも、避難所にいる人が心配です。いま、仲間と義捐金を集めたのですが、釜石市役所への電話がつながりません。釜石市への義捐金の送り先を教えてもらえると助かります。
Re: 義捐金
電話は、つながらないですね。
ネットで調べたら、色々ありそうです。 釜石市と義捐金で検索。
例えば、ここも。
http://samidare.jp/m/?p=log&l=230083
18年も住んだら、親しみは消えないですね。
釜石市の皆さん、喜びます。
ネットで調べたら、色々ありそうです。 釜石市と義捐金で検索。
例えば、ここも。
http://samidare.jp/m/?p=log&l=230083
18年も住んだら、親しみは消えないですね。
釜石市の皆さん、喜びます。
今は募集していない?
釜石市内のボランティアは、今は「市内に住んでいる人に限り」の募集のようです。
慢性的にボランティアの数が足りていないのかと思いきや、
場所によっては間に合っていると言うことなのでしょうか?
慢性的にボランティアの数が足りていないのかと思いきや、
場所によっては間に合っていると言うことなのでしょうか?
Re: 今は募集していない?
危険な仕事や大変な仕事は、ボランティアにさせていない、ということがありますね。
また、被災者はボランティアを必要としていても、行政側はボランティアを動かすのが大変なため、
募集を抑える、ということがあります。
本当の理由は、後者でしょうか。
また、被災者はボランティアを必要としていても、行政側はボランティアを動かすのが大変なため、
募集を抑える、ということがあります。
本当の理由は、後者でしょうか。
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
はじめまして…
「釜石 ボランティア」で検索していたら辿り着きました
同じくキャンカー乗りです
また仕事で夜行高速バスの乗務員をしてまして
都内から釜石・大槌へ行っています
ただ街中を通過するだけなので現地の方々の声を聞く事は
中々無く現状把握は出来ませんです
地元の関連会社の方々でも被災され家を流された方
身内の方の行方が判らない方もいらっしゃいますが
話に触れるのは忍びなく遠慮してしまってます
同じくキャンカー乗りです
また仕事で夜行高速バスの乗務員をしてまして
都内から釜石・大槌へ行っています
ただ街中を通過するだけなので現地の方々の声を聞く事は
中々無く現状把握は出来ませんです
地元の関連会社の方々でも被災され家を流された方
身内の方の行方が判らない方もいらっしゃいますが
話に触れるのは忍びなく遠慮してしまってます
Re: はじめまして…
お仕事、ご苦労様です。
現地の人と話すのは、何かが要りますね。
共通の物と云うか。
ボランティアで地域に入っても、話せます。
普通に会話をしていたら、話してくれることもあります。
大槌町は特に大変でしたね。
震災後直ぐに動き出した高校生、今どうしているか気になります。
あの子たちが、新しい大槌町をきっとつくります。
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今日一日ご苦労様でした。