炊き出しの調理場では、400食を作っていた。
私は、シイタケやゴボウを切った。
夕方薄暗くなって人がいなくなった頃、被災地に車で入った。
どこもここも全て、瓦礫の山だった。
右の白い大きな建物が、物の集配場。 左隣にボランティアセンターが。
今日は、炊き出しの手伝い。 場所は、石応寺(しゃくおうじ)。 港に向かって、左の山の麓にある。
天気がいいので、人を多く見かけた。
向こうに、石応寺が見えた。
少しずつ片づけてる人がいた。 片づけると言っても、気の遠くなる作業。
変わった雰囲気の寺。 右に、おしゃれな多宝塔も見える。
津波は、寺の手前まで来た。
場所はここ。 予定の8時半より、少し前に着いた。
門を背に、撮影。 仏像が、悲しんでるように見えてくる。
火を焚いて、暖をとってる人がいた。
炊き出しの場所は、右に30㍍ほどの所にあった。
下宿屋さんの、調理場を使っていた。 津波は、玄関前まで来たと聞いた。
ここで、野菜や肉を切ったり。
作業は、7人くらいで。 左の2人は、昨日一緒だった大学生。
400食を作る。(少し多めに)
食べていただく時刻は、午前10時と、午後6時。 ※ 後で聞いたことだが、午後6時に並ぶのは、寒いと云う声も。
釜石市内には、20カ所の避難所があるが、そのうちの4ヶ所の食事を作っている。
(ここの寺の他に、裁判所、集会所、別のお寺)
大鍋2つ分をつくる。
この人が作っていた。 聞かなかったが、どこかの調理場とかで働いていないと、出来ない。
ここは、電気・水道とも復旧している。 (電気は、4・5日前から。 水道は、2・3日前)
ただ、水道の水は、洗いものだけに。 今は、大きなタンクにたまっていた水が出ている。
午前10時のは、味噌汁とおにぎり1個。
白菜、あぶらげ、シイタケなどを切る作業は終わって、夕食の準備をしている。
ご飯は、自衛隊の人が運んでくれる。
この人は、飲食店を経営していた。 でも、みんな流された。
いつかみんなに世話になる時が来るかもしれないと、ここでボランティアで仕事をしていた。
※ いっぱんのボランティアとは違って、ずっとここで仕事。
ここの、肉や野菜などの多くは、石応寺の関係の寺から送られている。
※ 石応寺は禅寺。 ネットを使って、仲間の寺を中心に呼びかけた。
おにぎりは作り終わった。 私は、サランラップを切る仕事。
10時になって、並び始めた。 係りの人が、手を洗ってから並んでくださいね、とお願いしていた。
ここの避難所は現在100名くらいに減ったが、最初は1000名だった。
最初の3日間は、米は寺の備蓄米を使った。
野菜や肉などは、近くの家の人が、寄付した。 ※ 冷蔵庫が使えないこともあって。
ずっと座ってる人がいた。
話してみたいと思っていた。 この30分後に、たくさんのことを聞くことが出来た。
最初に並んだ人たちは、避難所の人ではなく、近所の人達。
誰が来てもいい。
ここは、中心街に近いから、昔からある住宅地。 お年寄りが多い。
買い物には行けない。
車で、物を売りに来てくれたらいいねって話した。
※ 全体の避難所に関わる責任者(話の内容からその感じ)の人と話した。
誰が、どんな悲しみを背負っているかは、想像できない。
NHKが責任者にインタビューしていた。
被災者の声も聞けばいいのに、と思った。 何を聞きだしたいか、考えておいて。
※ 事前にお願いして、聞く内容を伝えて、了解をもらってからになるが。
1回目のインタビューが、被災者の緊張でうまくいかなかったら、今のはリハーサルでもう一度ってお願いすればいい。
昔、「ダーツの旅」が学校にやってきた。 そんな撮影だった。
少し前まで、ここにたくさんの人がいた。 私も30分ほどいた。
何人かの人と話せた。
ある女性の方が来て、あらおじさん生きてたの、って喜んだ。
こんな姿は、釜石に来て、何度も見た。
お風呂は、11日ぶりに入ったと云う人もいた。
今は、3日に1度は入れるそう。
時計屋さんがいた。 家は流され、家族とはまだ会えていない。
津波に家を壊された、と云う表現をした人がいた。
ここの人達は、そんなに苛立っていなかった。
きっと、お寺や食事を作る人達の気持ちが伝わっているからと思った。
※ 上の責任者の人が、ここの避難所は、他よりは環境や条件がいい、と言っていた。
上の写真の男の人は、こう言った。 (一人で座ってた人)
誰が悪いわけではない。 地震に文句言ってもしょうがない。 自然には勝てない、って。
支援全体が遅れていることには、不満を持っていた。 でも、こう言った。
「生きてるだけでいいと思った時は、不満は小さくなる」って。
きっと、こんな気持ちがあるから、今まで耐えてきた。
強くなれたかもしれない。
家はあるけど、じっとしてはいられないと、知人を探している人もいた。
大槌町は、とにかくひどいと言った。 町がなくなったと。
行ってみたらいいって、言われた。 ※ 野次馬には見られない、大丈夫とも、言ってくれた。
ネクタイをして、被災地を見に来た人間を見たら、腹が立つと言った。
首相でもだれでも、見に来い、とも。
戻る途中、片づけてる人がいた。 中を撮らせてくれた。
野外で、炊き出しをしていた。 誰でもが食べられる所が、いっぱいあるといい。
今日は暖かいから、人が多い。
お寺で話した人がいた。
釜石小に人を探しに行くと云う。 連れて行ってもらった。 ※ 一人で急には行けない。
赤い輪があるが、津波でこうなった。 ここの家の人と、後で話した。 庭を片づけていた。
この旦那の格好、決まっていた。
体育館が、避難所。 校舎の玄関に受付があり、そこで知り合いがここにいることが分かった。
連絡などが、貼ってあった。
花を楽しむ余裕が、早く来るといい。
戻って来て、車を停めてる駐車場の隣にある、大きなスーパーに入った。
品物は、90%あった。 肉も魚も野菜も。
ここまでになったら、あとはどうすればいいのか。
店で売ってるのに、それでも、ひもじい思いが続いたら、何かおかしい。
灯油は、どのくらい入って来てるかは、分からない。
並んで買ってる人はいたが。
私は、買い物はしない。
ボランティアの活動が軌道に乗ると、復興の足音は、早くなる。
避難所の人たちの生活は、急ピッチでよくなっていく。
釜石のボランティアセンターの窓口は、役割分担もはっきりしていて、若い人を含め、みんなテキパキと動く。
来る人たちに、感謝の気持ちを込めて、対応している。
岩手県内で、最初に立ち上げたのが、ここのボランティア。
なぜそうできたのかを含め、今後のために、活動を記録しておいたらいいと思う。
また、他県のボランティア関係者も、ここの動きを一度見に来たらいい。
救援の取り組みの伝わって来ない部分が、いい形でみんなに知ってもらえたらいい。
※ 私のブログの力は、小さい。
※ 追記 写真は現場の人に断わって撮ったが、全体写真は断わっていない。
クレームが来て、ボランティアセンターから、撮らないように言われた。
今後、活動場面を載せる場合は、報道のを紹介します。
記録は、市の広報の人がしているでしょうか。
人々の悲しみ、復興に向けての希望、釜石の人々の強さ・優しさ、底辺を支える人達、
自衛隊の人の動き、ボランティアセンターとボランティアの人々の活動、人々の生活の変化、
そんなのを、写真と動画で記録したらいいと思う。
それを市民に伝え、お互いのことを知ることが、相手を理解し、相手に感謝することにつながり、
復興に向けての大きな力になるでしょう。
今日のブログの写真は、今後さらになにかあったら、削除することになります。
その時は、文章で、細かく伝えます。
釜石の人達の、支えられる人、支える人の、両方の人達の素晴らしさを中心に。
【停泊場所】 昨晩に同じ ケーズデンキ駐車場
【明日の予定】 荷物の運搬のよう 終わってから、大槌町に行って来る。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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私は、シイタケやゴボウを切った。
夕方薄暗くなって人がいなくなった頃、被災地に車で入った。
どこもここも全て、瓦礫の山だった。
右の白い大きな建物が、物の集配場。 左隣にボランティアセンターが。

今日は、炊き出しの手伝い。 場所は、石応寺(しゃくおうじ)。 港に向かって、左の山の麓にある。
天気がいいので、人を多く見かけた。

向こうに、石応寺が見えた。
少しずつ片づけてる人がいた。 片づけると言っても、気の遠くなる作業。

変わった雰囲気の寺。 右に、おしゃれな多宝塔も見える。
津波は、寺の手前まで来た。

場所はここ。 予定の8時半より、少し前に着いた。
門を背に、撮影。 仏像が、悲しんでるように見えてくる。

火を焚いて、暖をとってる人がいた。
炊き出しの場所は、右に30㍍ほどの所にあった。

下宿屋さんの、調理場を使っていた。 津波は、玄関前まで来たと聞いた。
ここで、野菜や肉を切ったり。
作業は、7人くらいで。 左の2人は、昨日一緒だった大学生。
400食を作る。(少し多めに)
食べていただく時刻は、午前10時と、午後6時。 ※ 後で聞いたことだが、午後6時に並ぶのは、寒いと云う声も。

釜石市内には、20カ所の避難所があるが、そのうちの4ヶ所の食事を作っている。
(ここの寺の他に、裁判所、集会所、別のお寺)
大鍋2つ分をつくる。
この人が作っていた。 聞かなかったが、どこかの調理場とかで働いていないと、出来ない。

ここは、電気・水道とも復旧している。 (電気は、4・5日前から。 水道は、2・3日前)
ただ、水道の水は、洗いものだけに。 今は、大きなタンクにたまっていた水が出ている。
午前10時のは、味噌汁とおにぎり1個。
白菜、あぶらげ、シイタケなどを切る作業は終わって、夕食の準備をしている。

ご飯は、自衛隊の人が運んでくれる。
この人は、飲食店を経営していた。 でも、みんな流された。
いつかみんなに世話になる時が来るかもしれないと、ここでボランティアで仕事をしていた。
※ いっぱんのボランティアとは違って、ずっとここで仕事。

ここの、肉や野菜などの多くは、石応寺の関係の寺から送られている。
※ 石応寺は禅寺。 ネットを使って、仲間の寺を中心に呼びかけた。
おにぎりは作り終わった。 私は、サランラップを切る仕事。

10時になって、並び始めた。 係りの人が、手を洗ってから並んでくださいね、とお願いしていた。
ここの避難所は現在100名くらいに減ったが、最初は1000名だった。
最初の3日間は、米は寺の備蓄米を使った。
野菜や肉などは、近くの家の人が、寄付した。 ※ 冷蔵庫が使えないこともあって。
ずっと座ってる人がいた。
話してみたいと思っていた。 この30分後に、たくさんのことを聞くことが出来た。
最初に並んだ人たちは、避難所の人ではなく、近所の人達。
誰が来てもいい。
ここは、中心街に近いから、昔からある住宅地。 お年寄りが多い。
買い物には行けない。
車で、物を売りに来てくれたらいいねって話した。
※ 全体の避難所に関わる責任者(話の内容からその感じ)の人と話した。
誰が、どんな悲しみを背負っているかは、想像できない。
NHKが責任者にインタビューしていた。
被災者の声も聞けばいいのに、と思った。 何を聞きだしたいか、考えておいて。
※ 事前にお願いして、聞く内容を伝えて、了解をもらってからになるが。
1回目のインタビューが、被災者の緊張でうまくいかなかったら、今のはリハーサルでもう一度ってお願いすればいい。
昔、「ダーツの旅」が学校にやってきた。 そんな撮影だった。
少し前まで、ここにたくさんの人がいた。 私も30分ほどいた。
何人かの人と話せた。

ある女性の方が来て、あらおじさん生きてたの、って喜んだ。
こんな姿は、釜石に来て、何度も見た。
お風呂は、11日ぶりに入ったと云う人もいた。
今は、3日に1度は入れるそう。
時計屋さんがいた。 家は流され、家族とはまだ会えていない。
津波に家を壊された、と云う表現をした人がいた。
ここの人達は、そんなに苛立っていなかった。
きっと、お寺や食事を作る人達の気持ちが伝わっているからと思った。
※ 上の責任者の人が、ここの避難所は、他よりは環境や条件がいい、と言っていた。
上の写真の男の人は、こう言った。 (一人で座ってた人)
誰が悪いわけではない。 地震に文句言ってもしょうがない。 自然には勝てない、って。
支援全体が遅れていることには、不満を持っていた。 でも、こう言った。
「生きてるだけでいいと思った時は、不満は小さくなる」って。
きっと、こんな気持ちがあるから、今まで耐えてきた。
強くなれたかもしれない。
家はあるけど、じっとしてはいられないと、知人を探している人もいた。
大槌町は、とにかくひどいと言った。 町がなくなったと。
行ってみたらいいって、言われた。 ※ 野次馬には見られない、大丈夫とも、言ってくれた。
ネクタイをして、被災地を見に来た人間を見たら、腹が立つと言った。
首相でもだれでも、見に来い、とも。
戻る途中、片づけてる人がいた。 中を撮らせてくれた。

野外で、炊き出しをしていた。 誰でもが食べられる所が、いっぱいあるといい。

今日は暖かいから、人が多い。

お寺で話した人がいた。

釜石小に人を探しに行くと云う。 連れて行ってもらった。 ※ 一人で急には行けない。
赤い輪があるが、津波でこうなった。 ここの家の人と、後で話した。 庭を片づけていた。

この旦那の格好、決まっていた。

体育館が、避難所。 校舎の玄関に受付があり、そこで知り合いがここにいることが分かった。

連絡などが、貼ってあった。

花を楽しむ余裕が、早く来るといい。

戻って来て、車を停めてる駐車場の隣にある、大きなスーパーに入った。
品物は、90%あった。 肉も魚も野菜も。
ここまでになったら、あとはどうすればいいのか。
店で売ってるのに、それでも、ひもじい思いが続いたら、何かおかしい。
灯油は、どのくらい入って来てるかは、分からない。
並んで買ってる人はいたが。
私は、買い物はしない。
ボランティアの活動が軌道に乗ると、復興の足音は、早くなる。
避難所の人たちの生活は、急ピッチでよくなっていく。
釜石のボランティアセンターの窓口は、役割分担もはっきりしていて、若い人を含め、みんなテキパキと動く。
来る人たちに、感謝の気持ちを込めて、対応している。
岩手県内で、最初に立ち上げたのが、ここのボランティア。
なぜそうできたのかを含め、今後のために、活動を記録しておいたらいいと思う。
また、他県のボランティア関係者も、ここの動きを一度見に来たらいい。
救援の取り組みの伝わって来ない部分が、いい形でみんなに知ってもらえたらいい。
※ 私のブログの力は、小さい。
※ 追記 写真は現場の人に断わって撮ったが、全体写真は断わっていない。
クレームが来て、ボランティアセンターから、撮らないように言われた。
今後、活動場面を載せる場合は、報道のを紹介します。
記録は、市の広報の人がしているでしょうか。
人々の悲しみ、復興に向けての希望、釜石の人々の強さ・優しさ、底辺を支える人達、
自衛隊の人の動き、ボランティアセンターとボランティアの人々の活動、人々の生活の変化、
そんなのを、写真と動画で記録したらいいと思う。
それを市民に伝え、お互いのことを知ることが、相手を理解し、相手に感謝することにつながり、
復興に向けての大きな力になるでしょう。
今日のブログの写真は、今後さらになにかあったら、削除することになります。
その時は、文章で、細かく伝えます。
釜石の人達の、支えられる人、支える人の、両方の人達の素晴らしさを中心に。
【停泊場所】 昨晩に同じ ケーズデンキ駐車場
【明日の予定】 荷物の運搬のよう 終わってから、大槌町に行って来る。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

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