松前に、城があることは知っていた。
でも、コンクリートの城なので、今まで見なかった。
しかし、松前には、寺町を中心に、古いものが残っていた。
寺の数と豪華さで、繁栄した時代があったと、分かる。
松前を中心に、アイヌとのせめぎ合いが続く。
そして、月日は流れて、今の北海道に。
面白い話にも出会った。
町全体は、見学できなかった。
細かく見学したら、1日はかかる。
再度、来なければ。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
松前の位置は、本州最北の大間より、南にあると、分かりますね。
松前からも、フェリーが出てたら便利。 鉄道の方がいいか。

本州が見える。 濃い方が、竜飛岬。 左向こうは、下北半島。
2ヶ月したら、津軽海峡冬景色。 竜飛崎(岬) 津軽海峡冬景色 階段国道 他 (2009/09/02)

道の駅、北前船松前。 松前城が見える。

松前の紹介。 最北の城下町。 北方の地に、文化の花が咲いた。

江戸時代の松前。 北前船で、北の幸が都に、江戸に。 戻りは、文化を積んで。

道の駅に北前船。 風待ちをするから、船は家でも。 魚もいた。

城に向かう途中に、案内や地図が。
城は、松前の福山にあるので、福山城とも。 城の北に、寺町。

松前城の入り口。
説明に、コシャマインの戦、とある。 元々は、コシャマインの乱、とあったんですね。
乱なら、アイヌが悪い感じに。 戦になおした。
戦いの原因の多くは、和人の方が原因。
コシャマインを平定したのは、武田信広とある。 昨日紹介しましたね。
このことで、彼は、大きく認められる。
※ 彼は知略に長けていた。 この文でよく分かります。

松前城の天守。 コンクリート。 悲しい城かな。

中は資料館。 360円。
コンクリートは冷たい。
※ ただですね、いい話がある。
現在の城は、耐震性が足りない。 震度6で壊れるかも。
耐震の補強をするか、木造で造り直すか、教育委員会が中心になって、検討している。
現在は、地域の意見を聞いてる状態。
教育委員会に、ぜひ木造でと、伝えた。
200年経ったら、平成の松前城の天守として、重要文化財級の価値になる。
コンクリートで作ったら、100年持たない。 その時は、ゴミ。

木造の城なら、復元と呼ぶことが出来る。
多くの観光客が、見に来る。
展示している物は、アイヌの感じ。 冠に、熊の爪。 熊と戦える術を持っていた。

ちょっと、いい話。 八甲田山の遭難の時、この人は救助隊に入った。

写真の中央の人。 ここに少し。 強風の八甲田山 他 (2009/09/09)

さっき見たのがあった。 本物かは、確認してない。 栄えていたのが、よく分かる。
右は、当時の地図。 ※ 松浦武四郎の時代には、完璧な地図に。(道庁赤レンガ)

向こうが天守かな。 こっちは、何だ。
上の絵は、江戸中期だから、天守は無い。 江戸時代の終わりに、天守が出来た。 こっちは、櫓(やぐら)か。

いい絵ですねって言われたら、何て言えばいい。 いいえ、って云えばいいかな。
おだやかな表情で暮らしていたのかな。 アイヌの酋長。

最上階。 窓にも、展示。 外が見えない。 でも、隙間から、撮ればよかった。

松前藩は、新政府に付く。 だから、土方歳三率いる幕府軍に攻めらて、落ちる。
開陽丸で向かったのは、榎本武揚。 江差沖で座礁。

天守は、後の火事で焼失。
松前城は、どんな造りかは、分かっている。
復元は、難しくない。 復元したくても、出来ない所がある。

城の北側。 森の中に寺町。

本丸御門。 重要文化財。 いいものが、残っている。

門の外から。

本丸玄関。 この向こうに、本丸御殿があった。
右は、歌。 目に浮かぶ風景。

下の、町並み。 歩いたら、城下町っぽい雰囲気。

寺町の方に。 関山(かんざん)は、八重だったかな。 この夏、京都で見ている。
松前は、桜の名所。

振り返って。

松前神社。

寺町に入ってきた。
この寺は、龍雲院。

本堂が、国の重要文化財。

彫刻が見もの。

義経伝説。 義経は、津軽半島の三厩(みんまや)から松前に渡ったと云われる。 ※ 上で紹介したブログに。

血脈桜。 ※ 死ぬ人に渡す証文。 仏になれるようにって、僧が書く。
どんな話かは、後で分かる。

鐘楼と門が一緒。 鐘楼捫。

出た所に、説明が。 私は、逆回りで、歩いた。

別の寺。 この門が、重要文化財。 松前は、文化財が、何気なくある。

説明にある、彫刻。

本堂。 歴史があるから、石仏の数が多い。

手r町の説明。 戊辰戦争で、ずいぶんと焼けた。

法幢寺(ほうどうじ) 松前藩主の墓がある。

本堂と、説明。
説明の後ろに、門昌庵事件とある。 なかなか、面白い。
崇りは、恐ろしい。 詳しくは、ここに。
江戸時代は、ちょっとしたことでも、殺されたりした時代。
それでも、明治・大正・昭和の戦争の時代に比べたら、はるかに死んだ人が少ない。
戦争の時代は、日本の歴史上、最悪の時代。
反省してない人が、いっぱい。

この奥が、墓所。

整然と並んでいる。

この人たち1人1人の時代にも、今日のような、1日1日があった。
気の遠くなるほどの、日々が去って、今に。
自分達の時代も、生きていたら長いけど、歴史の中では、ほんの一部。
あっけないほど、あっと云う間。

今日は、かけあしで見ました。
時間が足りないって、途中で気づいた。
松前は、最北の城下町として、魅力いっぱい。
桜の季節が一番でしょうか。
いつの日か、もう一度、のんびりと歩きます。
天守が木造で復元されていたら、完璧。
【今日の一句】 「 コンクリートの天守で 木造の天守の夢をみる 」
【関連ブログ】 木造での復元天守は、全国に5つ。 3つを紹介。
白石城は、木造での復元。 片倉小十郎の妻は、真田幸村の娘、阿梅(おうめ)姫。~白石市~ 他 (2014/10/12)
木造で天守を再建した、掛川城 ~山内一豊が10年間城主だった。 掛川市~ 他 (2011/11/11)
伊予の小京都、大洲の町並みを歩く ~大洲城、おはなはん通り、臥龍山荘 他~ 他 (2011/2/2)
【今日の歌】 アンジェラ・アキ 『津軽海峡・冬景色』
【道の駅】 北前船松前
【明日の予定】 函館に向かう。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)
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でも、コンクリートの城なので、今まで見なかった。
しかし、松前には、寺町を中心に、古いものが残っていた。
寺の数と豪華さで、繁栄した時代があったと、分かる。
松前を中心に、アイヌとのせめぎ合いが続く。
そして、月日は流れて、今の北海道に。
面白い話にも出会った。
町全体は、見学できなかった。
細かく見学したら、1日はかかる。
再度、来なければ。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。

( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
松前の位置は、本州最北の大間より、南にあると、分かりますね。
松前からも、フェリーが出てたら便利。 鉄道の方がいいか。

本州が見える。 濃い方が、竜飛岬。 左向こうは、下北半島。
2ヶ月したら、津軽海峡冬景色。 竜飛崎(岬) 津軽海峡冬景色 階段国道 他 (2009/09/02)


道の駅、北前船松前。 松前城が見える。


松前の紹介。 最北の城下町。 北方の地に、文化の花が咲いた。

江戸時代の松前。 北前船で、北の幸が都に、江戸に。 戻りは、文化を積んで。


道の駅に北前船。 風待ちをするから、船は家でも。 魚もいた。


城に向かう途中に、案内や地図が。
城は、松前の福山にあるので、福山城とも。 城の北に、寺町。


松前城の入り口。
説明に、コシャマインの戦、とある。 元々は、コシャマインの乱、とあったんですね。
乱なら、アイヌが悪い感じに。 戦になおした。
戦いの原因の多くは、和人の方が原因。
コシャマインを平定したのは、武田信広とある。 昨日紹介しましたね。
このことで、彼は、大きく認められる。
※ 彼は知略に長けていた。 この文でよく分かります。


松前城の天守。 コンクリート。 悲しい城かな。

中は資料館。 360円。
コンクリートは冷たい。
※ ただですね、いい話がある。
現在の城は、耐震性が足りない。 震度6で壊れるかも。
耐震の補強をするか、木造で造り直すか、教育委員会が中心になって、検討している。
現在は、地域の意見を聞いてる状態。
教育委員会に、ぜひ木造でと、伝えた。
200年経ったら、平成の松前城の天守として、重要文化財級の価値になる。
コンクリートで作ったら、100年持たない。 その時は、ゴミ。

木造の城なら、復元と呼ぶことが出来る。
多くの観光客が、見に来る。
展示している物は、アイヌの感じ。 冠に、熊の爪。 熊と戦える術を持っていた。


ちょっと、いい話。 八甲田山の遭難の時、この人は救助隊に入った。


写真の中央の人。 ここに少し。 強風の八甲田山 他 (2009/09/09)



さっき見たのがあった。 本物かは、確認してない。 栄えていたのが、よく分かる。
右は、当時の地図。 ※ 松浦武四郎の時代には、完璧な地図に。(道庁赤レンガ)


向こうが天守かな。 こっちは、何だ。
上の絵は、江戸中期だから、天守は無い。 江戸時代の終わりに、天守が出来た。 こっちは、櫓(やぐら)か。


いい絵ですねって言われたら、何て言えばいい。 いいえ、って云えばいいかな。
おだやかな表情で暮らしていたのかな。 アイヌの酋長。



最上階。 窓にも、展示。 外が見えない。 でも、隙間から、撮ればよかった。

松前藩は、新政府に付く。 だから、土方歳三率いる幕府軍に攻めらて、落ちる。
開陽丸で向かったのは、榎本武揚。 江差沖で座礁。


天守は、後の火事で焼失。
松前城は、どんな造りかは、分かっている。
復元は、難しくない。 復元したくても、出来ない所がある。



城の北側。 森の中に寺町。

本丸御門。 重要文化財。 いいものが、残っている。


門の外から。

本丸玄関。 この向こうに、本丸御殿があった。
右は、歌。 目に浮かぶ風景。


下の、町並み。 歩いたら、城下町っぽい雰囲気。

寺町の方に。 関山(かんざん)は、八重だったかな。 この夏、京都で見ている。
松前は、桜の名所。


振り返って。


松前神社。

寺町に入ってきた。
この寺は、龍雲院。


本堂が、国の重要文化財。


彫刻が見もの。



義経伝説。 義経は、津軽半島の三厩(みんまや)から松前に渡ったと云われる。 ※ 上で紹介したブログに。


血脈桜。 ※ 死ぬ人に渡す証文。 仏になれるようにって、僧が書く。
どんな話かは、後で分かる。


鐘楼と門が一緒。 鐘楼捫。


出た所に、説明が。 私は、逆回りで、歩いた。


別の寺。 この門が、重要文化財。 松前は、文化財が、何気なくある。


説明にある、彫刻。


本堂。 歴史があるから、石仏の数が多い。


手r町の説明。 戊辰戦争で、ずいぶんと焼けた。

法幢寺(ほうどうじ) 松前藩主の墓がある。

本堂と、説明。
説明の後ろに、門昌庵事件とある。 なかなか、面白い。
崇りは、恐ろしい。 詳しくは、ここに。
江戸時代は、ちょっとしたことでも、殺されたりした時代。
それでも、明治・大正・昭和の戦争の時代に比べたら、はるかに死んだ人が少ない。
戦争の時代は、日本の歴史上、最悪の時代。
反省してない人が、いっぱい。


この奥が、墓所。

整然と並んでいる。


この人たち1人1人の時代にも、今日のような、1日1日があった。
気の遠くなるほどの、日々が去って、今に。
自分達の時代も、生きていたら長いけど、歴史の中では、ほんの一部。
あっけないほど、あっと云う間。


今日は、かけあしで見ました。
時間が足りないって、途中で気づいた。
松前は、最北の城下町として、魅力いっぱい。
桜の季節が一番でしょうか。
いつの日か、もう一度、のんびりと歩きます。
天守が木造で復元されていたら、完璧。
【今日の一句】 「 コンクリートの天守で 木造の天守の夢をみる 」
【関連ブログ】 木造での復元天守は、全国に5つ。 3つを紹介。
白石城は、木造での復元。 片倉小十郎の妻は、真田幸村の娘、阿梅(おうめ)姫。~白石市~ 他 (2014/10/12)
木造で天守を再建した、掛川城 ~山内一豊が10年間城主だった。 掛川市~ 他 (2011/11/11)
伊予の小京都、大洲の町並みを歩く ~大洲城、おはなはん通り、臥龍山荘 他~ 他 (2011/2/2)
【今日の歌】 アンジェラ・アキ 『津軽海峡・冬景色』
【道の駅】 北前船松前
【明日の予定】 函館に向かう。
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(2008年4月~2010年9月までの.記事)

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