釜石市から大船渡市まで、小さな集落の写真を撮った。
被害はどこもあったが、住宅地をどこに作るかによって、被害に差があった。
大船戸市役所にある、災害ボランティアセンターに行った。
明日から、仕事をすることになった。 内容は、何でもいいと伝えた。
釜石市から大船渡市までの地図。
※ 平田地区は、動画に。
釜石市唐丹町。 向こうの方が、湾の奥だったでしょうか。
防波堤は壊れたけど、津波の力は、少し弱い感じがします。
上の写真から、少し行った所。 上の写真の、向こうに見えた所。
唐丹小。 子供たちは、大丈夫だったでしょうか。
学校に残っていた子は、一旦グランドに避難し、その後、裏山の高台に避難したと思われます。
上の写真から、2㌔ほど進んでいる。 同じ、唐丹町。
津波は、橋の下をくぐって、右に進んだ。
鉄橋が壊れていた。 ※ 三陸鉄道南リアス線
上の写真を撮る時、車は、閉店しているガソリンスタンドの駐車場に停めた。
スタンドに女の人がいたので話した。 釜石市役所に勤務している人だった。 ※ 体調が悪くて家に。
地震当日は、石応寺の方に車で逃げたと言う。 石応寺は、先日炊き出しをした寺。 市役所は、近くに。
釜石も被害は大きかったのに、報道されるのは、遅かったと言った。
この話で、被災地の人は、地元がどう報道されるかに、関心が強いことが分かった。
その人が、鉄橋が壊れていることを、教えてくれた。
下は、大船渡市に入って、三陸町の吉浜と思う。
ここの地域は、家は高台にあった。 下の方は、何かが流された跡はあったが。
後で知ったが、近くに、被害ゼロの地域があった。 綾里白浜地区。 地図の青い○の所。
今日の河北新聞にあった記事。昔の教訓を活かした所はあった。
ここは、大船渡市三陸町。
想定区域が、ぴったり。 ※ ただ、今日この後、ピッタリでない所に出会う。
片づけ始めていた。
何か探しているんですか、と聞いた。
散歩していると言った。 動けなくなって、迷惑をかけたら申し訳ないから、と。
2人とも、駅裏の避難所にいる。
車のエンジンだけ。
大船渡市に入った。 駐車場を探した。 大船渡市総合福祉センター駐車場に。 了解は得てある。
車は、左に見える。
まっすぐ市役所に向かった。
市役所は、丘の上。 ボランティアの受け付けは、テントの中にあった。
明日から、活動することになった。
港に向かって歩いた。
瓦礫をトラックに積んでいた。 このような姿は、そんなにまだ無い。
自分の会社の片づけでしょうか。 鉄を焼き切る、バーナーを手にしている。
この標示場所は、失敗。
中央に海が少し見える。
家族でしょうか。 この人達は、ここから離れなかった。 何かが見つかったら、集まって見ていた。
合板を作る会社です。 きれいに片付いた部分もあった。 動きが早いと感じた。
用水路に沈んだ車は、引き上げられてはいない。 人がいる可能性もある。
消防の人達。 10人くらいで動いていた。 行方不明者を探している。
少し話を聞くことが出来た。 1日に見つかる人数は、4~5名と言う。
これほど足取りの重い人に出会ったことは無い。 そんな印象を持った。
何かを迷っているように、何度も行き来した。
右の柱が倒れそう。 こういうのがあるから、気を付けなければならない。
車が走れるように、地面を均(なら)していた。
港にも、いっぱいゴミが沈んでいる。
大船渡市は港町。 まず、船の出入りが出来るようにする。
大船渡駅。 茫然と立ち尽くす、それを見た。
ここに、瓦礫が集められていた。
駅を降りたら、こうやって迎えてくれていた。
この人の家は、土台しか残っていなかった。 それでも、片づけていた。
吹雪いてきたので、戻った。 寒さが、追い打ちをかける。
水の配給。
新聞を、無料でいただいた。
大船渡市には、復興に向かっての確かな足音が、聞こえ始めた。
【停泊場所】 大船渡市総合福祉センター駐車場
※ 警察のとなり。 これ以上、治安のいい所は無い。
【明日の予定】 ボランティアに行きます。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
【ランキング】 国内旅行は5位、 旅行全体で14位です。 放浪の旅は49位です。
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被害はどこもあったが、住宅地をどこに作るかによって、被害に差があった。
大船戸市役所にある、災害ボランティアセンターに行った。
明日から、仕事をすることになった。 内容は、何でもいいと伝えた。
釜石市から大船渡市までの地図。
※ 平田地区は、動画に。

釜石市唐丹町。 向こうの方が、湾の奥だったでしょうか。
防波堤は壊れたけど、津波の力は、少し弱い感じがします。


上の写真から、少し行った所。 上の写真の、向こうに見えた所。
唐丹小。 子供たちは、大丈夫だったでしょうか。
学校に残っていた子は、一旦グランドに避難し、その後、裏山の高台に避難したと思われます。

上の写真から、2㌔ほど進んでいる。 同じ、唐丹町。
津波は、橋の下をくぐって、右に進んだ。

鉄橋が壊れていた。 ※ 三陸鉄道南リアス線

上の写真を撮る時、車は、閉店しているガソリンスタンドの駐車場に停めた。
スタンドに女の人がいたので話した。 釜石市役所に勤務している人だった。 ※ 体調が悪くて家に。
地震当日は、石応寺の方に車で逃げたと言う。 石応寺は、先日炊き出しをした寺。 市役所は、近くに。
釜石も被害は大きかったのに、報道されるのは、遅かったと言った。
この話で、被災地の人は、地元がどう報道されるかに、関心が強いことが分かった。
その人が、鉄橋が壊れていることを、教えてくれた。
下は、大船渡市に入って、三陸町の吉浜と思う。
ここの地域は、家は高台にあった。 下の方は、何かが流された跡はあったが。

後で知ったが、近くに、被害ゼロの地域があった。 綾里白浜地区。 地図の青い○の所。
今日の河北新聞にあった記事。昔の教訓を活かした所はあった。

ここは、大船渡市三陸町。
想定区域が、ぴったり。 ※ ただ、今日この後、ピッタリでない所に出会う。

片づけ始めていた。

何か探しているんですか、と聞いた。
散歩していると言った。 動けなくなって、迷惑をかけたら申し訳ないから、と。
2人とも、駅裏の避難所にいる。

車のエンジンだけ。

大船渡市に入った。 駐車場を探した。 大船渡市総合福祉センター駐車場に。 了解は得てある。
車は、左に見える。

まっすぐ市役所に向かった。
市役所は、丘の上。 ボランティアの受け付けは、テントの中にあった。
明日から、活動することになった。
港に向かって歩いた。
瓦礫をトラックに積んでいた。 このような姿は、そんなにまだ無い。

自分の会社の片づけでしょうか。 鉄を焼き切る、バーナーを手にしている。

この標示場所は、失敗。

中央に海が少し見える。

家族でしょうか。 この人達は、ここから離れなかった。 何かが見つかったら、集まって見ていた。

合板を作る会社です。 きれいに片付いた部分もあった。 動きが早いと感じた。

用水路に沈んだ車は、引き上げられてはいない。 人がいる可能性もある。

消防の人達。 10人くらいで動いていた。 行方不明者を探している。
少し話を聞くことが出来た。 1日に見つかる人数は、4~5名と言う。

これほど足取りの重い人に出会ったことは無い。 そんな印象を持った。
何かを迷っているように、何度も行き来した。

右の柱が倒れそう。 こういうのがあるから、気を付けなければならない。

車が走れるように、地面を均(なら)していた。

港にも、いっぱいゴミが沈んでいる。
大船渡市は港町。 まず、船の出入りが出来るようにする。

大船渡駅。 茫然と立ち尽くす、それを見た。

ここに、瓦礫が集められていた。

駅を降りたら、こうやって迎えてくれていた。

この人の家は、土台しか残っていなかった。 それでも、片づけていた。

吹雪いてきたので、戻った。 寒さが、追い打ちをかける。
水の配給。

新聞を、無料でいただいた。

大船渡市には、復興に向かっての確かな足音が、聞こえ始めた。
【停泊場所】 大船渡市総合福祉センター駐車場
※ 警察のとなり。 これ以上、治安のいい所は無い。
【明日の予定】 ボランティアに行きます。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

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コメント
綾里白浜地区
Re: 綾里白浜地区
東電は、最初から謙虚でなかった。
トップは、自分の時代に事故が起きなければいいと考えるから、甘くなる。
原発を作る時も、その後も、どれだけのお金が地元に落ちたか。
その金で、多くの箱物が出来た。
お金は、一部の者に行く仕組みが出来上がっていた。
これがあるから、地元でも、作りたがる人間が出てくる。
金は、作りたがった人間に行った。
庶民は、騙されていることに、気づかなかった。
目が覚めたときは、遅かった。
これから、まだまだ、東電のボロは出てくる。
津波の被害は、取り組みによっても、差が出た。
想定外と言う言葉を使ったら、反省が甘くなる。
それは、今後に向けての対策が不十分になることにつながる。
トップは、自分の時代に事故が起きなければいいと考えるから、甘くなる。
原発を作る時も、その後も、どれだけのお金が地元に落ちたか。
その金で、多くの箱物が出来た。
お金は、一部の者に行く仕組みが出来上がっていた。
これがあるから、地元でも、作りたがる人間が出てくる。
金は、作りたがった人間に行った。
庶民は、騙されていることに、気づかなかった。
目が覚めたときは、遅かった。
これから、まだまだ、東電のボロは出てくる。
津波の被害は、取り組みによっても、差が出た。
想定外と言う言葉を使ったら、反省が甘くなる。
それは、今後に向けての対策が不十分になることにつながる。
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伝承続けていくことが大事と思います。生きるためには、この教育が一番大事でしょう。
新聞などの情報によれば、東電と、東北電力の危機管理の差が今回の原発の被害拡大につながっいて
いるようです。東北電力は貞観(じょうかん)津波
の恐ろしさを古文書で知り、その結果、女川原発を造るとき想定津波の高さを9.3mに設定し、原発を造った。東電は福島原発製造のとき想定津波は4.5mだった。この差が今回の原発破壊事故に繋がった。
昔からの伝承を守り、それを活用して原発を造ればよかったのですが、東電の自信過剰がそれを遮断したのでしょう。女川原発は最小の被害で済みました。東電の本社は福島にありません。これでは原発の地域の歴史は、風土はわかりません。東北電力の本社は東京になく、東北地区にあるので、原発地区の歴史が最初からわかっていたのでしょう。特に昔からの津波・地震の伝承事項が。
綾里白浜地区の先祖、そしてその教えを守った現代の人の生き方に、日本国民は学ぶことがいっぱいあります。いい記事でした。それを教えてくれましたアッカムイさん、ありがとうございました。
九州に住む私の仲間たちにも、この素晴らしい伝承を話します。
昨日、例の青木繁・けしけし祭りも無事終了しました。いい天気でした。しかし、まだ肌寒く、さくらは咲いていませんでした。ここでもまず初め、東
日本大震災の犠牲者の方に対し、哀悼の意を捧げました。