1582年の6月1日の夕刻のこと。
明智光秀の軍は、亀山城を出て、京に向かった。
総勢、13000。
2日の早朝、光秀の軍は、本能寺を囲んでいた。
本能寺の変。
このように、亀山城は歴史の表舞台に登場している。
京都見学の予定だったが、前日のブログが終わったのが、午後3時。
時間がなく、あきらめ。
観光案内所に、亀山城の紅葉を教えてもらった。
そんなことで、行ってみた。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
亀岡の道の駅が、京都に来た時には、便利。 それでいつも。

下の写真の近くに、銭湯がある。 そばに、空き地。 小さな川の河川敷かな。
そこに車を置いている。 今年の春に、気付いた。 便利。
この道は、昔の街道。 お世話になってる嶋村歯科医院は、少し行って右。
左に楽々荘。 山陰本線の初めは、今のトロッコ列車の線路。 ここの先代がつくった。

向こうから来た。 左に、楽々荘の庭。 ちょっとだけのぞいた。

少しだけの紅葉。
亀岡市の楽々荘で、ひな人形を見る。 庭は、小川 治兵衛作だった。~亀岡市~ 他 (2015/3/29)

亀山城のお堀。

シラサギが仙人のように。

川だった。 米などを洗った水が、雑水のよう。 ヘドロのイメージではないけど、悲しい名前。
今いる場所は、城の北。
上を流れる川に、保津川と見える。

明治に撮られた。

城跡は、少しだけ見学できる。 向かったら、石垣に、明智光秀の顔。 写真の加工は無し。
光秀は、私に語り掛けてきた。 今日の一句は、それに。

今は、城跡は、宗教団体の物に。 荒れていたのを整備したとある。
それは、昔に戻したのではなく、見栄えよく整備したという事。
Wikipediaでは、改変したと表現。
改変すると元に戻すのは、大変。 しない方がいい。

庭にいた人に、一言挨拶して、見学。 橋の下は道。

毎年こうしている。 落ち葉をまるく。

帰りは、向こうを歩く。
左の石垣は、昔のままなのでしょうか。
今の時代に整理しておかないと、戻そうとしたとき、戻せない。
大きなイチョウの木。

先代の木は、光秀が植えたと。

右上に天守があったけど、今は神の領域で、行けない。
何が本物で、何を変えたのかは分からない。

特に、紅葉はない。 少しだけ。

ここから天守跡に。 首のない石像。

奥に来ている。

この木が、いい状態。

向こうから来た。 小さな石でも、石垣はつくれる。

ずっと行ったら、保津川。 保津川下りの乗船場がある。 高そうなので、乗ってない。
この後、イオンに寄って戻る。

亀山城について、司馬遼太郎はこう言った。
司馬遼太郎は、亀山城は明智光秀と出口王仁三郎という2人の謀叛人を出した、と評した。
※ 出口と云う人は、ここを管理している宗教団体の教祖。
司馬遼太郎は、今の亀山城の状態を、よくは思っていなかった。
紅葉は、特別によくはなかったでしょうか。
【今日の一句】 「 光秀の亡霊 亀山城跡を 元に戻してくれと 」 私が言ったのではない。 光秀。
【今日の歌】 なのにあなたは京都へゆくの 〜 白いギター 〜 避暑地の恋 チェリッシュ
【停泊場所】 亀岡市運動公園駐車場
【明日の予定】 京都に。 昼には出ます。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)
※ プロフィール・・・。 ⇒
今までの記事には、この2枚だけ。
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明智光秀の軍は、亀山城を出て、京に向かった。
総勢、13000。
2日の早朝、光秀の軍は、本能寺を囲んでいた。
本能寺の変。
このように、亀山城は歴史の表舞台に登場している。
京都見学の予定だったが、前日のブログが終わったのが、午後3時。
時間がなく、あきらめ。
観光案内所に、亀山城の紅葉を教えてもらった。
そんなことで、行ってみた。
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亀岡の道の駅が、京都に来た時には、便利。 それでいつも。


下の写真の近くに、銭湯がある。 そばに、空き地。 小さな川の河川敷かな。
そこに車を置いている。 今年の春に、気付いた。 便利。
この道は、昔の街道。 お世話になってる嶋村歯科医院は、少し行って右。
左に楽々荘。 山陰本線の初めは、今のトロッコ列車の線路。 ここの先代がつくった。

向こうから来た。 左に、楽々荘の庭。 ちょっとだけのぞいた。


少しだけの紅葉。
亀岡市の楽々荘で、ひな人形を見る。 庭は、小川 治兵衛作だった。~亀岡市~ 他 (2015/3/29)

亀山城のお堀。

シラサギが仙人のように。


川だった。 米などを洗った水が、雑水のよう。 ヘドロのイメージではないけど、悲しい名前。
今いる場所は、城の北。
上を流れる川に、保津川と見える。


明治に撮られた。

城跡は、少しだけ見学できる。 向かったら、石垣に、明智光秀の顔。 写真の加工は無し。
光秀は、私に語り掛けてきた。 今日の一句は、それに。


今は、城跡は、宗教団体の物に。 荒れていたのを整備したとある。
それは、昔に戻したのではなく、見栄えよく整備したという事。
Wikipediaでは、改変したと表現。
改変すると元に戻すのは、大変。 しない方がいい。


庭にいた人に、一言挨拶して、見学。 橋の下は道。


毎年こうしている。 落ち葉をまるく。

帰りは、向こうを歩く。

左の石垣は、昔のままなのでしょうか。
今の時代に整理しておかないと、戻そうとしたとき、戻せない。
大きなイチョウの木。


先代の木は、光秀が植えたと。


右上に天守があったけど、今は神の領域で、行けない。
何が本物で、何を変えたのかは分からない。

特に、紅葉はない。 少しだけ。

ここから天守跡に。 首のない石像。


奥に来ている。

この木が、いい状態。


向こうから来た。 小さな石でも、石垣はつくれる。


ずっと行ったら、保津川。 保津川下りの乗船場がある。 高そうなので、乗ってない。
この後、イオンに寄って戻る。

亀山城について、司馬遼太郎はこう言った。
司馬遼太郎は、亀山城は明智光秀と出口王仁三郎という2人の謀叛人を出した、と評した。
※ 出口と云う人は、ここを管理している宗教団体の教祖。
司馬遼太郎は、今の亀山城の状態を、よくは思っていなかった。
紅葉は、特別によくはなかったでしょうか。
【今日の一句】 「 光秀の亡霊 亀山城跡を 元に戻してくれと 」 私が言ったのではない。 光秀。
【今日の歌】 なのにあなたは京都へゆくの 〜 白いギター 〜 避暑地の恋 チェリッシュ
【停泊場所】 亀岡市運動公園駐車場
【明日の予定】 京都に。 昼には出ます。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)

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コメント
Re: タイトルなし
お風呂がなくなって、やっと有難さが分かりました。
この一帯は、いつも渋滞。
車で京都には行かない。
私は、駐車料金を払うことは滅多にない。
とにかく見つけて、そこから歩くんですよ。
1㌔くらい平気。
初めての所に行くとき、分かる範囲で、無料駐車場をお知らせします。
最近、買い物して、そこの駐車場にが多い。
勝ったものを運転席に見えるようにして。
風邪を引いたら切ないですからね。
ほとんど引かないんですよ。
でも、前回の冬は苦労したのかな。
この一帯は、いつも渋滞。
車で京都には行かない。
私は、駐車料金を払うことは滅多にない。
とにかく見つけて、そこから歩くんですよ。
1㌔くらい平気。
初めての所に行くとき、分かる範囲で、無料駐車場をお知らせします。
最近、買い物して、そこの駐車場にが多い。
勝ったものを運転席に見えるようにして。
風邪を引いたら切ないですからね。
ほとんど引かないんですよ。
でも、前回の冬は苦労したのかな。
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市内は渋滞だらけで辟易するんですよね〜
京都観光する場合は電車かな?
私は駐車場代払うのが勿体無くて、、、
駐車場情報聞きたいですがそれも難しいですね
何故って余り知られるとマナーの悪い人まで殺到すると禁止されちゃいますしね
今夜は此処に!予想しながら記事を読んでます
風邪など引かない様に旅をして下さいませね〜〜(笑)