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キャンピングカーで放浪の旅 Ⅱ

全国を、写真と動画で探訪

義仲寺は、小さな寺でしたが、整備されていた。    ※ ぎちゅうじ

この寺について、Wikipediaでは、下のように。

  この寺の創建については不詳であるが、源義仲(木曾義仲)の死後、愛妾であった巴御前が墓所近くに草庵を結び、
 「われは名も無き女性」と称し、日々供養したことにはじまると伝えられる。

何で伝わっているのかは、分からない。
ただ、松尾芭蕉が、義仲寺は義仲の墓がある寺と信じている。
そして、義仲を慕う芭蕉も、自分の墓はここにした。

根拠は他にもあるかも知れないが、2人の墓がここであることは、定説になっている。
Wikipediaも、認めている。

そんなことで、再度行って来ました。 
     ※     ※     ※     ※  ブログタイトル一覧は、右をクリック。 burogutaitoru656.jpg
          ( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。  再度クリックしたら、元に )

膳所(ぜぜ)駅から、歩いた。

  ※ 気になる読み方を、してくれる。  調べてみた。

     ここは、大津に近い。
     天智天皇の都は、大津だった。 
    
     ここは、食べ物をつかさどる場所だった。
     だから、膳が付く。  
     地名は、膳の崎、膳の前(ぜんのさき)、膳前(ぜんぜん)となって、ぜぜになったと、ネットの説明には。

     ただ、「おまえのせいだ」は、「お前の所為だ」と書く。
     所は、元々、「せ」と読める。   ※ 所為(しょい)の読みが、せいに変化。

     膳の場所が、膳所になって、
     読みは、ぜんしょから、ぜんせに変化、さらに、ぜんぜ、最後に、ぜぜ。
     こんなのも考えられるなと、自分は。

  ※ 余談  天智天皇の弟は天武天皇。 壬申の乱に勝つ。  都は、飛鳥に。     
         百人一首の1番は、天智天皇。
            秋の田の 仮庵(かりほ)の庵(いほ)の 苫(とま)をあらみ 
            わが衣手(ころもで)は 露にぬれつつ

場所は下。  駅から近い。     

15年12月7日 (1)     15年12月7日 (2)

なだらかな、ときめき坂を下る。  右に。  しばらく行って、左に曲がる。

   ※ ときめき坂には、深い意味はない。(市議会での答弁)
      ただこの坂は、朝晩は、駅に向かう、また駅からくる、女学生の姿が多い。
      その風景から、愛称として名づけられたそう。 公募のよう。

s-15年12月8日 (1)

曲がったら見える。

s-15年12月8日 (2)

門が開いている。  ※ 寺にも休みがあるって、知らなかった。 あっても可笑しくないか。

s-15年12月8日 (3)

ぽつんと本堂があって、終わりではない。  複雑そう。

s-15年12月8日 (4)

右に、巴地蔵堂。

s-15年12月8日 (5)

巴御前が墓を守った。  死ぬまで供養。
自分は巴御前とは、名乗らなかった。

美しい女性だったよう。
寺の案内には、見目麗(うるわ)しい尼僧と表現。  ※ 見目は、見た目。  容姿。  鉄幹は、顔に重さを。

     ※ この表現は、人を恋いうる歌に出てくるので、知られていますね。 与謝野鉄幹。

s-15年12月8日 (7)    s-15年12月8日 (8)

夫を亡くし、供養の半生を送った女性は、たくさんいます。
         ※ 高台寺のねね、寂光院の建礼門院もそうですね。  義経の静御前もか。
              寂光院  夜の東山    他  (2009/11/28)

ここを入って、右に受付。  300円。  5分ほど、説明をしていただいた。
  ※ パフレットもいただいており、下の記事は、それを参考にして。

s-15年12月8日 (6)

昨日行った、龍ヶ岡俳人墓地も、昔はこの寺の境内だった。  ここから直線で、500㍍程。

入って左。  正面は、書庫かな。  
右の碑は、山吹塚。    義仲の側女(そばめ)の山吹御前の塚。   巴御前と信濃から来たよう。

s-15年12月8日 (9)    s-15年12月8日 (10)

見頃の花が。  句碑もいっぱい。

s-15年12月8日 (11)    s-15年12月8日 (12)

無名庵。   芭蕉はこの庵に滞在する。   何度も来ている。   年を越したことも。
伊勢の俳人又玄(ゆうげん)という人が、「木曽殿と背中合わせの寒さかな」を、ここで詠んだ。

芭蕉が来ていたのは、1600年代の終わりころ。

s-15年12月8日 (13)

※ 芭蕉は何度か、ここから京都の落柿舎に行っている。
  1694年の亡くなる年の夏にも、ここから行って、ここに戻っている。

  その時の詠んだ句について等は、以前の下の記事に。

basyoupppplppp_201512092146096c5.jpg  

木曽義仲の宝篋印塔の墓。  向こう側隣に、芭蕉の墓。

s-15年12月8日 (19)

芭蕉は、こんな句を。
   義仲の 寝覚めの山か 月悲し
   木曽の情雪や 生(はえ)ぬく 春の草

s-15年12月8日 (35)    s-15年12月8日 (36)

隣にしてほしいと云われたので、隣に。   芭蕉の墓。   木曽塚の右に眠る。

s-15年12月8日 (21)

芭蕉翁って読める。  1694年10月12日午前4時ころに、大阪で亡くなる。  享年51歳。
以外は3日の午後には、門人たちで義仲寺に。  14日葬儀、埋葬。

s-15年12月8日 (22)    s-15年12月8日 (23)

朝日堂。   義仲寺の本堂。

s-15年12月8日 (14)

正面に本尊の聖観音像。  右の厨子に、義仲と父の木造。

左にたくさんの位牌。  義仲、兼平、芭蕉など。

s-15年12月8日 (15)    s-15年12月8日 (16)

門人たちの句が、あちこちに。

s-15年12月8日 (17)    s-15年12月8日 (18)

翁(おきな)堂。

s-15年12月8日 (20)

正面に、芭蕉の像。  左に丈艸(じょうそう)の像。(昨日会っている) 右に、去来の像。

s-15年12月8日 (27)    s-15年12月8日 (30)

俳人の画像。

s-15年12月8日 (28)    s-15年12月8日 (29)

左は、蝶夢法師。(芭蕉の研究家。 義仲寺の中興の祖)  他の2つは、上で紹介。

s-15年12月8日 (31)    s-15年12月8日 (32)

木曽八幡社。   別の人の墓。

s-15年12月8日 (24)    s-15年12月8日 (25)

最後の紅葉と云いながら、今日も名残の紅葉。

s-15年12月8日 (26)    s-15年12月8日 (33)

狭い敷地を工夫して。  義仲寺のために多くの人が関わっている。  義仲・芭蕉の人徳か。

s-15年12月8日 (34)    s-15年12月8日 (38)

史料観とある。   読むというより、観るのか。

s-15年12月8日 (37)    s-15年12月8日 (39)

写真は、OK。

s-15年12月8日 (40)    s-15年12月8日 (41)

粟津文庫にある資料を、交換しながら、一部をこのように。

義仲の先祖は、清和源氏。  清和天皇から始まる。
  ※ 明日、水尾を通るけど、そこに清和天皇の墓がある。
         清和天皇の墓がある、京都の隠れ里、水尾 ~京都市~  ききょうの花(山崎ハコ)  他  (2012/6/25)  

s-15年12月8日 (42)    s-15年12月8日 (43)

芭蕉の杖。   本物なんだろうか。 そうなら貴重。

s-15年12月8日 (45)    s-15年12月8日 (44)

右は、昔の義仲寺。

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机かな。

s-15年12月8日 (48)

義仲寺の全ての理解はできなかったが、行ってよかったかなと。

膳所(ぜぜ)の駅から戻る。  京都までは、直ぐ。

s-15年12月8日 (49)    s-15年12月8日 (50)

義経と義仲は、悲運の武将。
2人とも、頼朝に殺される。

芭蕉は、その2人に心を寄せた。
何がそうさせたのか、芭蕉の心の中を知りたいですね。

【関連ブログ】
    源平合戦の地、倶利伽羅峠を歩く。  この戦いで、平氏の滅亡は始まる。~小矢部市~ 他 (2015/4/30)
    木曽町日義は、木曽義仲が育ち、旗揚げした地だった。 また、巴御前の生地でも。~木曽町~  他  (2012/11/12)

   奥の細道を、3つほど。
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    象潟や 雨に西施が ねぶの花   他 (2009/09/21)

【今日の一句】 「 芭蕉は 義仲寺で眠る義仲が好き 義仲寺があるこの地と人も好き 」

【今日の動画】    むかしばなし あさひ将軍木曽義仲     面白いので、再度。   時間があれば。



【停泊場所】   亀岡市運動公園駐車場

【明日の予定】     水尾から清滝への道を歩く。  初めて。

  ※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。   
                                                         (2008年4月~2010年9月までの
.記事)

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 ※ プロフィール・・・。 ⇒  ppkkpkk44xxx.jpg  2015021215202259f_20150219173812c9f.jpg     今までの記事には、この2枚だけ。

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  • 義仲寺には、木曽義仲と松尾芭蕉の墓が。  芭蕉の願いで、ここに墓が。~大津市~ 他 (2015/12/8)
  • 2015年12月09日 (水)
  • 10時26分05秒
by AlphaWolfy

akkamui212

Author:akkamui212
2009年4月に放浪の旅をスタートし、十数回目の日本1周に入っています。
「キャンピングカーで放浪の旅」に続き、パートⅡです。
明日は、どこの空の下にいるのかな。


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