禰寝(ねじめ)氏の墓は、以前別なところで見ている。
今回のはそれと違って、初代から4代まで。
その場所は、禰寝氏発祥の地かも知れない。
そんなこともあるので、行ってみた。
上の写真は、昨日佐多岬の帰りに撮った。
今日は、12月31日。
今年も終わる。
1年なんかあっという間。
人生なんか・・・。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
禰寝氏の発祥は、印の辺りと考えていいようですね。

錦江湾の反対の外海の方の道を走る。 県道かな。
人形。

狭いけど不安のない道。

小さな集落は、どこにでも。 でも、小学校はない。 そんな状態。

センターラインは、たまに。

目指す集落が見えた。 左の高台に、はるか昔城があったよう。

集落に入って来た。 薩摩は焼酎に決まっている。

小学校から上がった所に、目的地。

修造(しゅぞう)したとある。 この意味が難しい。

初代から4代の墓とある。
こうです。

上の右側。 鎌倉中期のものと説明に。

元々この辺りに、古い墓が散乱してた。
江戸時代、小松清香(きよたか)が、それを集めた。
ここのは、その集めた墓なのか。
清香に感服して会う寺の住職が、この碑を作って湛えた。

別方向から。

清香の名前。 この人が、ここの墓地を作った。
宝暦三年(1753年)と読める。 干支は、癸酉 。(みずのと とり)
この年に下のを造ったとしたら、集めた古いのは、どれだろう。
それとも、古い墓に、宝暦三年と彫ったのでしょうか。


正面から。 上部が階段状のが宝篋印塔。 まるいのは、五輪塔。 どちらも墓。

この辺り一帯は、中世には禰寝院と呼ばれた荘園。 (当時の行政区画)
そこに、建部氏がやってきて、禰寝を名乗ったよう。
初代の小松清重は、平安末期から鎌倉初期の人。 詳しいことははっきりしていない。
※ 清香は、初代清重は平重盛の孫としたために、禰寝清重から小松清重に変えた。
平重盛は、京都の東山の小松谷の小松殿に住んでいた。 (重盛は清盛の長男)
小松帯刀(たてわき)は、肝付(きもつき)家の人。 喜入肝付家。 小松家の養子に。
若くして病死するが、力のあった人。 龍馬と一緒に活躍。 生きていたら、明治の中枢。
喜入肝付家仮屋跡。 キイレツチトリモチ、発見地。 薩摩刀。 津田式ポンプ。~鹿児島市喜入町~ 他 (2014/12/29)
一番右にも、宝暦三とある。

肝付(きもつき)は、肝属とも書くんですね。 属もくっ付くの意味ですね。

台地から下る。 開聞岳。 薬園のあった伊座敷地区の中心街。 昔の佐多町の中心。

錦江町の道の駅で年を越すと決めた。

31日に、この記事を整理。
今日で今年も終わり。
小さなスーパーで買い物。
フキもワラビも売ってない。
買ったもの美味しかったのは、タコの刺身だけ。
【今日の一句】 「 今年も終わってしまったな~ 時はもっとゆっくり進まないものか 」 地球がゆっくり回ればいい。
【関連ブログ】
小松帯刀の墓。 帯刀(たてわき)は、薩長連合で活躍。 小松氏は禰寝氏でも・・。~日置市~ 他 (2014/12/24)
大隅半島を横断 祢寝氏累代の墓 ~肝付町他~ 百万本のバラ、そして、東日本大震災~未来への鎮魂~ (2012/3/11)
【今日の歌】
【道の駅】 錦江にしきの里
【明日の予定】 神川大滝公園
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)
※ プロフィール・・・。 ⇒
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人形。


狭いけど不安のない道。

小さな集落は、どこにでも。 でも、小学校はない。 そんな状態。


センターラインは、たまに。

目指す集落が見えた。 左の高台に、はるか昔城があったよう。

集落に入って来た。 薩摩は焼酎に決まっている。


小学校から上がった所に、目的地。

修造(しゅぞう)したとある。 この意味が難しい。


初代から4代の墓とある。


こうです。

上の右側。 鎌倉中期のものと説明に。

元々この辺りに、古い墓が散乱してた。
江戸時代、小松清香(きよたか)が、それを集めた。
ここのは、その集めた墓なのか。
清香に感服して会う寺の住職が、この碑を作って湛えた。



別方向から。

清香の名前。 この人が、ここの墓地を作った。
宝暦三年(1753年)と読める。 干支は、癸酉 。(みずのと とり)
この年に下のを造ったとしたら、集めた古いのは、どれだろう。
それとも、古い墓に、宝暦三年と彫ったのでしょうか。



正面から。 上部が階段状のが宝篋印塔。 まるいのは、五輪塔。 どちらも墓。

この辺り一帯は、中世には禰寝院と呼ばれた荘園。 (当時の行政区画)
そこに、建部氏がやってきて、禰寝を名乗ったよう。
初代の小松清重は、平安末期から鎌倉初期の人。 詳しいことははっきりしていない。
※ 清香は、初代清重は平重盛の孫としたために、禰寝清重から小松清重に変えた。
平重盛は、京都の東山の小松谷の小松殿に住んでいた。 (重盛は清盛の長男)
小松帯刀(たてわき)は、肝付(きもつき)家の人。 喜入肝付家。 小松家の養子に。
若くして病死するが、力のあった人。 龍馬と一緒に活躍。 生きていたら、明治の中枢。
喜入肝付家仮屋跡。 キイレツチトリモチ、発見地。 薩摩刀。 津田式ポンプ。~鹿児島市喜入町~ 他 (2014/12/29)
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肝付(きもつき)は、肝属とも書くんですね。 属もくっ付くの意味ですね。

台地から下る。 開聞岳。 薬園のあった伊座敷地区の中心街。 昔の佐多町の中心。


錦江町の道の駅で年を越すと決めた。


31日に、この記事を整理。
今日で今年も終わり。
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フキもワラビも売ってない。
買ったもの美味しかったのは、タコの刺身だけ。
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小松帯刀の墓。 帯刀(たてわき)は、薩長連合で活躍。 小松氏は禰寝氏でも・・。~日置市~ 他 (2014/12/24)
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