宇喜多秀家は、関ヶ原の戦いでは、西軍の副大将。
西軍は負けたから、死罪になってもおかしくない。
大将の石田三成は、斬首されたんだから。
秀家は、島津義弘を頼って、薩摩に逃げのびた。
義弘は度量があると云うのか、秀家を家康に差し出さなかった。
垂水(たるみず)の牛根のこの地に、匿(かくま)った。
2年3ヶ月の間。
しかし、秀家がこの地に潜伏している情報は、どこかで漏れてしまった。
島津義弘は、彼の命を助けるために、動いた。
秀家の妻は、前田家から。
その前田家と力を合わせて。
前田利家は豊臣政権の五大老。
関ヶ原の前に亡くなる。
長男の利長は、その後、家康側に移って、関が原を戦う。
※ 家康側になる時、母を人質に。
また息子の利常と秀忠の娘を結婚させて。 (秀忠の娘は、江の娘でも)
だから、江戸幕府になっても、利長は加賀藩の初代藩主として、生き延びている。
島津義弘は、その利長に助けてもらうことになる。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
場所は、牛根麓(うしねふもと)。
※ 麓は薩摩藩の行政の単位。 薩摩藩は、外城を100程作った。
そこを、麓と云う。 一国一城だから、小さいのをいっぱい。

上の右地図の、赤〇で行った.駐車場と案内板もある。 国道からのは入り口に、案内があった。
下で見たのは、道の駅にあったもの。 この地図の道は、とっても細い。
下のを見て、行ってみようかとなった。

駐車場から、向こうの方だなと、撮った。
後で知るが、右の方の少し高い所に、その場所はあった。
中央の大きな木の所にも行くことに。

こんな様子。
道案内通りに、ここに来た。
宇喜多秀家について書くのは、初めて。
彼は岡山の人ですね。
薩摩に落ち延びたとある。

彼は、歴史の中では、下で大きく登場。
関ヶ原の前哨戦のような戦いが、伏見城の戦い。
この戦いの西軍の総大将が、宇喜多秀家。
鳥居忠元他伏見城の家康軍の兵は、全滅。 1500人ほど。
城内は、血の海。
血の跡のある床板は、多くの寺の天井に使われた。
血天井と呼ばれて。
江が再建した養源院 ~京都市~ 他 (2011/11/28)
※ この時、島津義弘は家康に頼まれて、伏見城に助けに行った。
ところが、家康と鳥居忠元の連絡がうまくいってなかった。
城に入れてもらえない。
島津は、これがあって、関ヶ原では西軍に付く。
※ 島津は後に家康にこういう。
自分は元々、東軍につこうとした。
西軍には、上のことがあって、仕方なくだったと。
島津は西軍で戦っていたけど、薩摩の島津軍の10分の1も、関が原に行ってない。
たった、1500。
※ 島津はしたたかさと、上のことなどで、西軍で負けたけど、領土は安堵。
ところが後に、家康に濃尾平野の治水を命じられる。
散々な意地悪など、ひどい目に合う。
藩の財政への負担も大きい。
この怨みは末代まで忘れない。
幕末に、薩摩と長州で幕府を倒すことになる。
念願叶った。
恨みを晴らさなければならない遠因は、はるか昔にあった。
なぜ宇喜多秀家は島津を頼ったのか。
これが難しい。
個人的に仲が良かったと、想像はつく。
頼れるのは、島津しかなかったかも知れない。
江戸から遠いし、島津は、幕府の言いなりにはならなと知っていたから。
そんなことで、船で山川港にやって来て、この地で隠れ住む。
細い道をずっと行く。

七人塚は、帰りに。

少し歩いたら、奥に、何かが見えた。

一番奥に、隠れ住んだ跡。

歌に、都忘れとある。 菊の仲間で、菊は皇室のシンボル。
佐渡に流された順徳天皇が、下の歌を。

前田利家の息子の、利長の力を借りることになる。
そこまでする理由は、何でしょうね。

登った所が、潜居跡。 上の右写真のような建物があったのか。

あの日から、400年が過ぎた。

宇喜多秀家。 秀吉に可愛がられる。
秀家の母は、とびきりの美人。 秀吉は、母が好きだったよう。
右は、妻の豪姫。 (ネットに出回っているもの)
前田利家の娘。 島津が助けを求める、前田利長は、いちばん上の兄。
2人については、下の記事がある。 参考までに。 概略が分かる。

下は、前田家初代の前田利家。 七尾で力を蓄える。
能登半島・和倉温泉は、高級温泉街。 能登食祭市場。 明日から青柏祭。~七尾市~ 他 (2015/5/2)

長男の、前田利長。 西軍にいたけど、うまくいかず、東軍に移る。
家康からの条件なのか、母を人質として出す。
息子の利常と秀忠の娘の珠姫を、一緒にする。
前田利長の菩提寺、国宝 瑞龍寺。 高岡古城公園。 高岡大仏。~高岡市~ 他 (2014/10/26)
前田家は、戦乱の世を上手に渡り歩いた。
そして、加賀百万石を。
家康は、島津と前田のいう事に、耳を貸した。
2大外様大名が、島津と前田。
腹心の部下だった鳥居忠元を、伏見城で宇喜多秀家に殺されていたから、
家康にとっては、苦渋の決断だった。
左は、珠姫。 下の2つは、天徳院のHPからお借り。 金沢に行ったときは、天徳院を紹介しますね。

赤は、浅井三姉妹。 淀が長女。 今年の大河ドラマに。 演じるのは、竹内結子。
京極高次室が、お初。 下に初姫とあるが、お初が江からもらって、初姫とした。
崇源夫人は、江のこと。
東福門院は、後水尾天皇に嫁ぐ。
江をはじめ、浅井三姉妹が生まれた小谷城 ~長浜市~ 他 (2010/12/1)
知恩院で千姫に。 ねねの道、二年坂、三年坂へ。 桜咲いて、春爛漫。~京都市~ 他 (2015/4/2)
常高院(お初)の墓にお参り。 三丁目の町並み。 歌人、山川登美子。~小浜市~ 他 (2015/4/19)
南禅寺塔頭、光雲寺の庭。 江(ごう)の5女、東福門院和子(まさこ)の菩提寺。~京都市~ 他 (2014/11/20)
光雲寺 聖観音像は、やはり美しかった。 哲学の道、永観堂の紅葉、他。~京都市~ 他 (2014/11/25)
※ 自分が過去に見た仏像の中で、一番美しいと思っているのは、光雲寺の聖観音像。
飛びぬけて美しく感じる。
(大きな写真でネット上に出たのは、上のブログの写真が、最初なんですよ。
住職さんから許可が出て撮影。 元々、秘仏だった)
東福門院は、つらい時いつもこの仏像に、話しかけた。
彼女は、はこんな人。
(光雲寺にある)
「東福門院和子(まさこ)の涙」という本がある。
作者は、宮尾登美子。 篤姫を書いた人でも。
こんな女性がいたんだと思わされる内容。
脚本次第では、大河ドラマの可能性も。
大きな筋は、幕府と天皇家の戦いで。
家来の墓。 逃避行時の家来は、2人だったよう。

山を下る途中に、七人塚。 恐ろしい枝ぶり。
ここに住み着いた平野氏は、平家の落人。
追っての7人を、家臣の剣客が、皆殺し。

塚には、大きな木が。

戻ってきたら、上の中央付近に、大きなまるい木。 そこが七人塚。
その右奥に、宇喜多秀家の潜居跡。

反対側には、錦江湾。 左の対岸に、島津の拠点、鹿児島。

宇喜多秀家は、何を願っていたのでしょう。
生きているだけで十分、ではなかったはず。
豪姫との再会、家族一緒の生活、そして、宇喜多家の再興だったでしょうね。
戦乱の世だから、戦で負けたらこうなるのは、覚悟はしていた。
【今日の一句】 「 願いはすべて夢と知っていても それでも夢は捨てなかった 」 心の支えは・・・。
【今日の歌】 James Last - Orange Blossom Special この曲は、七尾で知ったのかな。
【道の駅】 たるみず
【明日の予定】 桜島かな
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)
※ プロフィール・・・。 ⇒
今までの記事には、この2枚だけ。
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西軍は負けたから、死罪になってもおかしくない。
大将の石田三成は、斬首されたんだから。
秀家は、島津義弘を頼って、薩摩に逃げのびた。
義弘は度量があると云うのか、秀家を家康に差し出さなかった。
垂水(たるみず)の牛根のこの地に、匿(かくま)った。
2年3ヶ月の間。
しかし、秀家がこの地に潜伏している情報は、どこかで漏れてしまった。
島津義弘は、彼の命を助けるために、動いた。
秀家の妻は、前田家から。
その前田家と力を合わせて。
前田利家は豊臣政権の五大老。
関ヶ原の前に亡くなる。
長男の利長は、その後、家康側に移って、関が原を戦う。
※ 家康側になる時、母を人質に。
また息子の利常と秀忠の娘を結婚させて。 (秀忠の娘は、江の娘でも)
だから、江戸幕府になっても、利長は加賀藩の初代藩主として、生き延びている。
島津義弘は、その利長に助けてもらうことになる。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。

( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
場所は、牛根麓(うしねふもと)。
※ 麓は薩摩藩の行政の単位。 薩摩藩は、外城を100程作った。
そこを、麓と云う。 一国一城だから、小さいのをいっぱい。


上の右地図の、赤〇で行った.駐車場と案内板もある。 国道からのは入り口に、案内があった。
下で見たのは、道の駅にあったもの。 この地図の道は、とっても細い。
下のを見て、行ってみようかとなった。


駐車場から、向こうの方だなと、撮った。
後で知るが、右の方の少し高い所に、その場所はあった。
中央の大きな木の所にも行くことに。

こんな様子。
道案内通りに、ここに来た。
宇喜多秀家について書くのは、初めて。
彼は岡山の人ですね。
薩摩に落ち延びたとある。


彼は、歴史の中では、下で大きく登場。
関ヶ原の前哨戦のような戦いが、伏見城の戦い。
この戦いの西軍の総大将が、宇喜多秀家。
鳥居忠元他伏見城の家康軍の兵は、全滅。 1500人ほど。
城内は、血の海。
血の跡のある床板は、多くの寺の天井に使われた。
血天井と呼ばれて。
江が再建した養源院 ~京都市~ 他 (2011/11/28)
※ この時、島津義弘は家康に頼まれて、伏見城に助けに行った。
ところが、家康と鳥居忠元の連絡がうまくいってなかった。
城に入れてもらえない。
島津は、これがあって、関ヶ原では西軍に付く。
※ 島津は後に家康にこういう。
自分は元々、東軍につこうとした。
西軍には、上のことがあって、仕方なくだったと。
島津は西軍で戦っていたけど、薩摩の島津軍の10分の1も、関が原に行ってない。
たった、1500。
※ 島津はしたたかさと、上のことなどで、西軍で負けたけど、領土は安堵。
ところが後に、家康に濃尾平野の治水を命じられる。
散々な意地悪など、ひどい目に合う。
藩の財政への負担も大きい。
この怨みは末代まで忘れない。
幕末に、薩摩と長州で幕府を倒すことになる。
念願叶った。
恨みを晴らさなければならない遠因は、はるか昔にあった。
なぜ宇喜多秀家は島津を頼ったのか。
これが難しい。
個人的に仲が良かったと、想像はつく。
頼れるのは、島津しかなかったかも知れない。
江戸から遠いし、島津は、幕府の言いなりにはならなと知っていたから。
そんなことで、船で山川港にやって来て、この地で隠れ住む。
細い道をずっと行く。


七人塚は、帰りに。

少し歩いたら、奥に、何かが見えた。

一番奥に、隠れ住んだ跡。

歌に、都忘れとある。 菊の仲間で、菊は皇室のシンボル。
佐渡に流された順徳天皇が、下の歌を。
いかにして 契りおきけむ 白菊を 都忘れと 名づくるも憂し
この歌を、彼は知っていましたね。
前田利家の息子の、利長の力を借りることになる。
そこまでする理由は、何でしょうね。


登った所が、潜居跡。 上の右写真のような建物があったのか。

あの日から、400年が過ぎた。

宇喜多秀家。 秀吉に可愛がられる。
秀家の母は、とびきりの美人。 秀吉は、母が好きだったよう。
右は、妻の豪姫。 (ネットに出回っているもの)
前田利家の娘。 島津が助けを求める、前田利長は、いちばん上の兄。


2人については、下の記事がある。 参考までに。 概略が分かる。


下は、前田家初代の前田利家。 七尾で力を蓄える。
能登半島・和倉温泉は、高級温泉街。 能登食祭市場。 明日から青柏祭。~七尾市~ 他 (2015/5/2)

長男の、前田利長。 西軍にいたけど、うまくいかず、東軍に移る。
家康からの条件なのか、母を人質として出す。
息子の利常と秀忠の娘の珠姫を、一緒にする。
前田利長の菩提寺、国宝 瑞龍寺。 高岡古城公園。 高岡大仏。~高岡市~ 他 (2014/10/26)
前田家は、戦乱の世を上手に渡り歩いた。
そして、加賀百万石を。
家康は、島津と前田のいう事に、耳を貸した。
2大外様大名が、島津と前田。
腹心の部下だった鳥居忠元を、伏見城で宇喜多秀家に殺されていたから、
家康にとっては、苦渋の決断だった。

左は、珠姫。 下の2つは、天徳院のHPからお借り。 金沢に行ったときは、天徳院を紹介しますね。


赤は、浅井三姉妹。 淀が長女。 今年の大河ドラマに。 演じるのは、竹内結子。
京極高次室が、お初。 下に初姫とあるが、お初が江からもらって、初姫とした。
崇源夫人は、江のこと。
東福門院は、後水尾天皇に嫁ぐ。
江をはじめ、浅井三姉妹が生まれた小谷城 ~長浜市~ 他 (2010/12/1)
知恩院で千姫に。 ねねの道、二年坂、三年坂へ。 桜咲いて、春爛漫。~京都市~ 他 (2015/4/2)
常高院(お初)の墓にお参り。 三丁目の町並み。 歌人、山川登美子。~小浜市~ 他 (2015/4/19)
南禅寺塔頭、光雲寺の庭。 江(ごう)の5女、東福門院和子(まさこ)の菩提寺。~京都市~ 他 (2014/11/20)
光雲寺 聖観音像は、やはり美しかった。 哲学の道、永観堂の紅葉、他。~京都市~ 他 (2014/11/25)
※ 自分が過去に見た仏像の中で、一番美しいと思っているのは、光雲寺の聖観音像。
飛びぬけて美しく感じる。
(大きな写真でネット上に出たのは、上のブログの写真が、最初なんですよ。
住職さんから許可が出て撮影。 元々、秘仏だった)
東福門院は、つらい時いつもこの仏像に、話しかけた。
彼女は、はこんな人。

「東福門院和子(まさこ)の涙」という本がある。
作者は、宮尾登美子。 篤姫を書いた人でも。
こんな女性がいたんだと思わされる内容。
脚本次第では、大河ドラマの可能性も。
大きな筋は、幕府と天皇家の戦いで。
家来の墓。 逃避行時の家来は、2人だったよう。


山を下る途中に、七人塚。 恐ろしい枝ぶり。
ここに住み着いた平野氏は、平家の落人。
追っての7人を、家臣の剣客が、皆殺し。


塚には、大きな木が。


戻ってきたら、上の中央付近に、大きなまるい木。 そこが七人塚。
その右奥に、宇喜多秀家の潜居跡。


反対側には、錦江湾。 左の対岸に、島津の拠点、鹿児島。

宇喜多秀家は、何を願っていたのでしょう。
生きているだけで十分、ではなかったはず。
豪姫との再会、家族一緒の生活、そして、宇喜多家の再興だったでしょうね。
戦乱の世だから、戦で負けたらこうなるのは、覚悟はしていた。
【今日の一句】 「 願いはすべて夢と知っていても それでも夢は捨てなかった 」 心の支えは・・・。
【今日の歌】 James Last - Orange Blossom Special この曲は、七尾で知ったのかな。
【道の駅】 たるみず
【明日の予定】 桜島かな
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(2008年4月~2010年9月までの.記事)

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