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キャンピングカーで放浪の旅 Ⅱ

全国を、写真と動画で探訪

宇喜多秀家は、関ヶ原の戦いでは、西軍の副大将。

西軍は負けたから、死罪になってもおかしくない。
大将の石田三成は、斬首されたんだから。

秀家は、島津義弘を頼って、薩摩に逃げのびた。
義弘は度量があると云うのか、秀家を家康に差し出さなかった。

垂水(たるみず)の牛根のこの地に、匿(かくま)った。
2年3ヶ月の間。

しかし、秀家がこの地に潜伏している情報は、どこかで漏れてしまった。
島津義弘は、彼の命を助けるために、動いた。

秀家の妻は、前田家から。
その前田家と力を合わせて。

前田利家は豊臣政権の五大老。
関ヶ原の前に亡くなる。
長男の利長は、その後、家康側に移って、関が原を戦う。

  ※ 家康側になる時、母を人質に。
     また息子の利常と秀忠の娘を結婚させて。 (秀忠の娘は、江の娘でも)

だから、江戸幕府になっても、利長は加賀藩の初代藩主として、生き延びている。
島津義弘は、その利長に助けてもらうことになる。
     ※     ※     ※     ※  ブログタイトル一覧は、右をクリック。 burogutaitoru656.jpg
          ( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。  再度クリックしたら、元に )
 
場所は、牛根麓(うしねふもと)。  

      ※ 麓は薩摩藩の行政の単位。  薩摩藩は、外城を100程作った。
        そこを、麓と云う。  一国一城だから、小さいのをいっぱい。

s-16年1月6日 (26)    s-16年1月6日 (27)

上の右地図の、赤〇で行った.駐車場と案内板もある。  国道からのは入り口に、案内があった。
下で見たのは、道の駅にあったもの。  この地図の道は、とっても細い。

下のを見て、行ってみようかとなった。

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駐車場から、向こうの方だなと、撮った。
後で知るが、右の方の少し高い所に、その場所はあった。

中央の大きな木の所にも行くことに。

s-16年1月6日 (1)

こんな様子。



道案内通りに、ここに来た。

宇喜多秀家について書くのは、初めて。
彼は岡山の人ですね。

薩摩に落ち延びたとある。

s-16年1月6日 (2)    s-16年1月6日 (3)

彼は、歴史の中では、下で大きく登場。

関ヶ原の前哨戦のような戦いが、伏見城の戦い。
この戦いの西軍の総大将が、宇喜多秀家。

鳥居忠元他伏見城の家康軍の兵は、全滅。  1500人ほど。
城内は、血の海。

血の跡のある床板は、多くの寺の天井に使われた。
血天井と呼ばれて。
     江が再建した養源院 ~京都市~  他  (2011/11/28)

  ※ この時、島津義弘は家康に頼まれて、伏見城に助けに行った。 
    ところが、家康と鳥居忠元の連絡がうまくいってなかった。

    城に入れてもらえない。
    島津は、これがあって、関ヶ原では西軍に付く。

  ※ 島津は後に家康にこういう。
    自分は元々、東軍につこうとした。
    西軍には、上のことがあって、仕方なくだったと。

    島津は西軍で戦っていたけど、薩摩の島津軍の10分の1も、関が原に行ってない。
    たった、1500。

  ※ 島津はしたたかさと、上のことなどで、西軍で負けたけど、領土は安堵。
    ところが後に、家康に濃尾平野の治水を命じられる。
    散々な意地悪など、ひどい目に合う。
    藩の財政への負担も大きい。

    この怨みは末代まで忘れない。
    幕末に、薩摩と長州で幕府を倒すことになる。

    念願叶った。
    恨みを晴らさなければならない遠因は、はるか昔にあった。

なぜ宇喜多秀家は島津を頼ったのか。
これが難しい。

個人的に仲が良かったと、想像はつく。
頼れるのは、島津しかなかったかも知れない。
江戸から遠いし、島津は、幕府の言いなりにはならなと知っていたから。

そんなことで、船で山川港にやって来て、この地で隠れ住む。

細い道をずっと行く。

s-16年1月6日 (4)    s-16年1月6日 (5)

七人塚は、帰りに。

s-16年1月6日 (6)

少し歩いたら、奥に、何かが見えた。

s-16年1月6日 (7)

一番奥に、隠れ住んだ跡。

s-16年1月6日 (8)

歌に、都忘れとある。 菊の仲間で、菊は皇室のシンボル。
佐渡に流された順徳天皇が、下の歌を。  

   いかにして 契りおきけむ 白菊を 都忘れと 名づくるも憂し

この歌を、彼は知っていましたね。

s-16年1月6日 (9)

前田利家の息子の、利長の力を借りることになる。
そこまでする理由は、何でしょうね。

s-16年1月6日 (10)    s-16年1月6日 (11)

登った所が、潜居跡。  上の右写真のような建物があったのか。

s-16年1月6日 (12)

あの日から、400年が過ぎた。

s-16年1月6日 (14)

宇喜多秀家。   秀吉に可愛がられる。
秀家の母は、とびきりの美人。  秀吉は、母が好きだったよう。

右は、妻の豪姫。  (ネットに出回っているもの)
前田利家の娘。   島津が助けを求める、前田利長は、いちばん上の兄。

s-16年1月6日 (28)         無題

2人については、下の記事がある。  参考までに。   概略が分かる。

s-16年1月6日 (31)    s-16年1月6日 (32)

下は、前田家初代の前田利家。  七尾で力を蓄える。

     能登半島・和倉温泉は、高級温泉街。  能登食祭市場。  明日から青柏祭。~七尾市~ 他 (2015/5/2)

s-16年1月6日 (29)

長男の、前田利長。 西軍にいたけど、うまくいかず、東軍に移る。

家康からの条件なのか、母を人質として出す。
息子の利常と秀忠の娘の珠姫を、一緒にする。

    前田利長の菩提寺、国宝 瑞龍寺。  高岡古城公園。  高岡大仏。~高岡市~ 他 (2014/10/26)

前田家は、戦乱の世を上手に渡り歩いた。
そして、加賀百万石を。

家康は、島津と前田のいう事に、耳を貸した。
2大外様大名が、島津と前田。

腹心の部下だった鳥居忠元を、伏見城で宇喜多秀家に殺されていたから、
家康にとっては、苦渋の決断だった。

s-16年1月6日 (33)   

左は、珠姫。        下の2つは、天徳院のHPからお借り。   金沢に行ったときは、天徳院を紹介しますね。

 平成16年 1月6日 (23)          s-16年1月6日 (30)

赤は、浅井三姉妹。 淀が長女。  今年の大河ドラマに。 演じるのは、竹内結子。
京極高次室が、お初。  下に初姫とあるが、お初が江からもらって、初姫とした。

崇源夫人は、江のこと。
東福門院は、後水尾天皇に嫁ぐ。

   江をはじめ、浅井三姉妹が生まれた小谷城 ~長浜市~   他  (2010/12/1)
   知恩院で千姫に。  ねねの道、二年坂、三年坂へ。  桜咲いて、春爛漫。~京都市~ 他 (2015/4/2)
   常高院(お初)の墓にお参り。  三丁目の町並み。  歌人、山川登美子。~小浜市~ 他 (2015/4/19)
   南禅寺塔頭、光雲寺の庭。  江(ごう)の5女、東福門院和子(まさこ)の菩提寺。~京都市~ 他 (2014/11/20)
   光雲寺 聖観音像は、やはり美しかった。  哲学の道、永観堂の紅葉、他。~京都市~ 他 (2014/11/25)

     ※ 自分が過去に見た仏像の中で、一番美しいと思っているのは、光雲寺の聖観音像
       飛びぬけて美しく感じる。
          (大きな写真でネット上に出たのは、上のブログの写真が、最初なんですよ。
                           住職さんから許可が出て撮影。  元々、秘仏だった)
       東福門院は、つらい時いつもこの仏像に、話しかけた。 
       彼女は、はこんな人。365px-Tokugawa_Masako_20160107210857f6b.jpg (光雲寺にある)

       「東福門院和子(まさこ)の涙」という本がある。
       作者は、宮尾登美子。  篤姫を書いた人でも。
       こんな女性がいたんだと思わされる内容。

       脚本次第では、大河ドラマの可能性も。
       大きな筋は、幕府と天皇家の戦いで。

家来の墓。  逃避行時の家来は、2人だったよう。

s-16年1月6日 (13)    s-16年1月6日 (15)

山を下る途中に、七人塚。   恐ろしい枝ぶり。

ここに住み着いた平野氏は、平家の落人。
追っての7人を、家臣の剣客が、皆殺し。

s-16年1月6日 (16)    s-16年1月6日 (17)

塚には、大きな木が。

s-16年1月6日 (18)    s-16年1月6日 (19)

戻ってきたら、上の中央付近に、大きなまるい木。 そこが七人塚。
その右奥に、宇喜多秀家の潜居跡。

s-16年1月6日 (20)    s-16年1月6日 (21)

反対側には、錦江湾。 左の対岸に、島津の拠点、鹿児島。

s-16年1月6日 (22)

宇喜多秀家は、何を願っていたのでしょう。
生きているだけで十分、ではなかったはず。

豪姫との再会、家族一緒の生活、そして、宇喜多家の再興だったでしょうね。
戦乱の世だから、戦で負けたらこうなるのは、覚悟はしていた。

【今日の一句】   「 願いはすべて夢と知っていても それでも夢は捨てなかった 」    心の支えは・・・。

【今日の歌】   James Last - Orange Blossom Special     この曲は、七尾で知ったのかな。



【道の駅】     たるみず

【明日の予定】    桜島かな

  ※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。   
                                                         (2008年4月~2010年9月までの
.記事)

         meisigazoupppm.jpg

 ※ プロフィール・・・。 ⇒  ppkkpkk44xxx.jpg  2015021215202259f_20150219173812c9f.jpg     今までの記事には、この2枚だけ。

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  • 宇喜多秀家の潜居跡。  島津にかくまわれて、最後は八丈島に。  死罪を免れたのは?~垂水市~ 他 (2016/1/6)
  • 2016年01月06日 (水)
  • 23時44分57秒
by AlphaWolfy

akkamui212

Author:akkamui212
2009年4月に放浪の旅をスタートし、十数回目の日本1周に入っています。
「キャンピングカーで放浪の旅」に続き、パートⅡです。
明日は、どこの空の下にいるのかな。


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