太宰府天満宮を考えていたが、雨なので目の前の観世音寺に変更。
隣には、戒壇院もある。
雨の日は光が落ち着く。
写真は撮りやすい。 (傘をさしてるから、撮りにくいんだけど)
一度簡単に紹介してる。 昨年。
観世音寺には国宝の鐘がある。
不思議なことに、同じ鐘が京都の妙心寺にもある。
※ 同じ型で造った。
戒壇院があるという事で、鑑真が関わるんですね。
彼は日本に何しにやってきたか。
それが、戒壇院で分かる。
鑑真は、苦労の末、薩摩坊津の秋目に上陸。
(渡航に何度も失敗し、苦労が続き、失明していた)
杜氏の里、笠沙黒瀬 鑑真和上上陸地に、鑑真記念館 河津桜が咲いていた~ 他 (2012/2/28) (風邪で写真だけ)
753年の12月20日のこと。
12月26日には、観世音寺の戒壇院に来ている。
(現在は、観世音寺と戒壇院は別の組織の寺)
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
太宰府天満宮に近い。

駐車場から向かう。 雨のため、霞んだように。

ここに昔は門があった。
観世音寺が出来たのは、奈良時代の前。 天智天皇の時。

木の根が、寺の歴史を語ってくれる。
正面に本堂。(講堂でも)

創建当時や、江戸時代以前の建物は無く、どれも黒田家によって建てられたもの。

観世音寺の特徴は、文化財を多く持っていること。
国宝他、20数点。
九州では珍しい。 宝蔵に保管。
参道を振り返って。

本堂手前東に、鐘楼。 ここに国宝の鐘。

特別に大きいわけではない。
造られたのは、698年。 奈良時代になっていない。

金網があって、写真が難しい。
色々試してみたら、何とか撮れた。 レンズを網に近づけて。
銅はすごい。 錆びない、腐らない。 1300年もぶら下がって。
高さ約1.5メートル、口径約86センチメートル、重さ約825キログラム。

下は、京都妙心寺の鐘。(Wikipediaからお借り)
※ 自分も妙心寺で見ているが、撮影は出来なかった。
迷うほど広い妙心寺。 退蔵院の桜と瓢鮎図。 法堂の八方にらみの龍。 国宝の鐘。~京都市~ 他 (2013/4/1)
※ いい動画ではないけど、2つの鐘が一緒に鳴ってるのがあります。
(太宰府天満宮の近くの、九州国立博物館で。 2010年)
普段はどっちも鳴らさないよう。
こんな石。 五重塔の心礎。
心柱はこの上にあった。
心柱は不思議な構造ですよ。 周りにくっ付いていない。
(光村図書のHPからお借り)

別なの。 この上に柱ですね。

元は講堂だった。 今は本堂として。

これは金堂。 鐘楼の方を向いて。
戒壇院のことが書いてある。 後ほど。
図に、五重塔が見える。

本堂。 中に、聖観音立像。 重要文化財。 元々あった聖観音坐像は宝蔵に。
(宝蔵の中は、宇美のOさんが案内してくれた。 昨年)
像は平安時代のものだけど、すらっとしてるように見える。

天平の石臼。 右は、道明寺からと説明に。

板碑ですね。

隣に戒壇院。 観世音寺の西にある。

僧になるためには、身に付けなければならないもことがある。
それが戒律。
戒律を授けたら、正式な僧に。
戒律を授ける場所が、戒壇院。

菩提樹。 ぼだいじゅ。

鑑真が中国から、とある。 イチョウでも、こんなのを見た。(青森県下北半島)

戒律を授けるというのが難しかったよう。 戒律自体も。
寺の僧がどうあればいいとか、規範のようなものも、はっきりしていなかった。
だから、適当な僧が多かった。
税が免除されるとかで、なりたがる者が多かった。
そこで、鑑真(がんじん)の登場になる。

日本の求めに、鑑真が応える。
鑑真は、中国でも高僧だったから、日本への渡航は邪魔される。
嵐もあって、何度も失敗する。
やっとの思いで、薩摩半島に。
その足で、ここの戒壇院にやって来る。
ここは、歴史上、重要なところって云えそう。

戒壇院が、どうしてここにとなる。
奈良の東大寺に戒壇院はある。
僧になるために奈良まで行くのは大変。
それで、九州にもとなった。
文化の発祥は、奈良方面か九州か、と云われる。
邪馬台国だって、どっちか。
※ 余談 邪馬台国論争を起こしたのは、先日紹介した、宮崎康平
島原の子守唄で、紹介。

下は地蔵菩薩。 賽の河原で子供を助けるとある。
賽の河原で、あの世に行った子供は、親を思って石を積む。
積んだ石を鬼が崩す。
子供は泣きながら、また石を積む。
地蔵菩薩がそうすると、初めて知った。
恐山にも地蔵菩薩はあったか、憶えていない。
地獄と極楽の風景が広がる 霊場恐山 ~むつ市~ 他 (2010/9/24)

西戒壇再興之碑でいいでしょか。

こうです。 1680年の建物。 上は、その時の碑ですね。

鐘楼。

鑑真供養塔。 墓ではない。
変形宝篋印塔とある。 左の石塔のことだけど、どこが変形なんでしょう。
上の方が、五輪塔の上みたい。 そこでしょうか。

集めたものですね。

当時のは、質素な建物だったよう。(説明の図から)

南側の門。

門の外から。

一度は歩いたところですが、今日はのんびりと見ました。
観世音寺は、天智天皇の時代ですからね。
驚きます。
※ 彼は壬申の乱で勝って天皇にですね。 百人一種の1番が彼の歌。
「 秋(あき)の田(た)の かりほの庵(いほ)の 苫(とま)をあらみ
わが衣手(ころもで)は 露(つゆ)にぬれつつ 」
【動画】 ※ 大きな画面で見る時は、右下のどれかをクリック。
雨なので片手で撮っています。 画面が揺れます。
【今日の一句】 「 観世音寺 境内の木の根を見て 寺の歴史が 」
「 小雨に煙る 観世音寺 そして戒壇院 」
【今日の歌】 Katy Perry - Dark Horse (Official) ft. Juicy J
【停泊場所】 唐津の手前20㌔のパーキング。
【明日の予定】 雨なので、どこかに入るか、少し歩くか。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)
※ プロフィール・・・。 ⇒
今までの記事には、この2枚だけ。
【ランキング】 国内旅行、2位。 旅行全体、2位です。
気に入った所がありましたら、クリックをよろしく。
※ クリックするバナーは、下のです。
ランキングが、見られます。
⇓
ランキング
※ 最初は、国内旅行のランキングが。
旅行をクリックすると、旅行全体のが。
※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
次の日のクリックも、また、1週間生きる。
【拍 手】
.
隣には、戒壇院もある。
雨の日は光が落ち着く。
写真は撮りやすい。 (傘をさしてるから、撮りにくいんだけど)
一度簡単に紹介してる。 昨年。
観世音寺には国宝の鐘がある。
不思議なことに、同じ鐘が京都の妙心寺にもある。
※ 同じ型で造った。
戒壇院があるという事で、鑑真が関わるんですね。
彼は日本に何しにやってきたか。
それが、戒壇院で分かる。
鑑真は、苦労の末、薩摩坊津の秋目に上陸。
(渡航に何度も失敗し、苦労が続き、失明していた)
杜氏の里、笠沙黒瀬 鑑真和上上陸地に、鑑真記念館 河津桜が咲いていた~ 他 (2012/2/28) (風邪で写真だけ)
753年の12月20日のこと。
12月26日には、観世音寺の戒壇院に来ている。
(現在は、観世音寺と戒壇院は別の組織の寺)
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。

( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
太宰府天満宮に近い。


駐車場から向かう。 雨のため、霞んだように。

ここに昔は門があった。
観世音寺が出来たのは、奈良時代の前。 天智天皇の時。


木の根が、寺の歴史を語ってくれる。
正面に本堂。(講堂でも)

創建当時や、江戸時代以前の建物は無く、どれも黒田家によって建てられたもの。


観世音寺の特徴は、文化財を多く持っていること。
国宝他、20数点。
九州では珍しい。 宝蔵に保管。
参道を振り返って。

本堂手前東に、鐘楼。 ここに国宝の鐘。


特別に大きいわけではない。
造られたのは、698年。 奈良時代になっていない。

金網があって、写真が難しい。
色々試してみたら、何とか撮れた。 レンズを網に近づけて。
銅はすごい。 錆びない、腐らない。 1300年もぶら下がって。
高さ約1.5メートル、口径約86センチメートル、重さ約825キログラム。


下は、京都妙心寺の鐘。(Wikipediaからお借り)
※ 自分も妙心寺で見ているが、撮影は出来なかった。
迷うほど広い妙心寺。 退蔵院の桜と瓢鮎図。 法堂の八方にらみの龍。 国宝の鐘。~京都市~ 他 (2013/4/1)

※ いい動画ではないけど、2つの鐘が一緒に鳴ってるのがあります。
(太宰府天満宮の近くの、九州国立博物館で。 2010年)
普段はどっちも鳴らさないよう。
こんな石。 五重塔の心礎。
心柱はこの上にあった。
心柱は不思議な構造ですよ。 周りにくっ付いていない。



別なの。 この上に柱ですね。

元は講堂だった。 今は本堂として。

これは金堂。 鐘楼の方を向いて。

戒壇院のことが書いてある。 後ほど。
図に、五重塔が見える。




本堂。 中に、聖観音立像。 重要文化財。 元々あった聖観音坐像は宝蔵に。
(宝蔵の中は、宇美のOさんが案内してくれた。 昨年)
像は平安時代のものだけど、すらっとしてるように見える。


天平の石臼。 右は、道明寺からと説明に。


板碑ですね。

隣に戒壇院。 観世音寺の西にある。


僧になるためには、身に付けなければならないもことがある。
それが戒律。
戒律を授けたら、正式な僧に。
戒律を授ける場所が、戒壇院。


菩提樹。 ぼだいじゅ。

鑑真が中国から、とある。 イチョウでも、こんなのを見た。(青森県下北半島)


戒律を授けるというのが難しかったよう。 戒律自体も。
寺の僧がどうあればいいとか、規範のようなものも、はっきりしていなかった。
だから、適当な僧が多かった。
税が免除されるとかで、なりたがる者が多かった。
そこで、鑑真(がんじん)の登場になる。


日本の求めに、鑑真が応える。
鑑真は、中国でも高僧だったから、日本への渡航は邪魔される。
嵐もあって、何度も失敗する。
やっとの思いで、薩摩半島に。
その足で、ここの戒壇院にやって来る。
ここは、歴史上、重要なところって云えそう。

戒壇院が、どうしてここにとなる。
奈良の東大寺に戒壇院はある。
僧になるために奈良まで行くのは大変。
それで、九州にもとなった。
文化の発祥は、奈良方面か九州か、と云われる。
邪馬台国だって、どっちか。
※ 余談 邪馬台国論争を起こしたのは、先日紹介した、宮崎康平
島原の子守唄で、紹介。




下は地蔵菩薩。 賽の河原で子供を助けるとある。
賽の河原で、あの世に行った子供は、親を思って石を積む。
積んだ石を鬼が崩す。
子供は泣きながら、また石を積む。
地蔵菩薩がそうすると、初めて知った。
恐山にも地蔵菩薩はあったか、憶えていない。
地獄と極楽の風景が広がる 霊場恐山 ~むつ市~ 他 (2010/9/24)



西戒壇再興之碑でいいでしょか。


こうです。 1680年の建物。 上は、その時の碑ですね。

鐘楼。


鑑真供養塔。 墓ではない。
変形宝篋印塔とある。 左の石塔のことだけど、どこが変形なんでしょう。
上の方が、五輪塔の上みたい。 そこでしょうか。


集めたものですね。


当時のは、質素な建物だったよう。(説明の図から)

南側の門。

門の外から。

一度は歩いたところですが、今日はのんびりと見ました。
観世音寺は、天智天皇の時代ですからね。
驚きます。
※ 彼は壬申の乱で勝って天皇にですね。 百人一種の1番が彼の歌。
「 秋(あき)の田(た)の かりほの庵(いほ)の 苫(とま)をあらみ
わが衣手(ころもで)は 露(つゆ)にぬれつつ 」
【動画】 ※ 大きな画面で見る時は、右下のどれかをクリック。
雨なので片手で撮っています。 画面が揺れます。
【今日の一句】 「 観世音寺 境内の木の根を見て 寺の歴史が 」
「 小雨に煙る 観世音寺 そして戒壇院 」
【今日の歌】 Katy Perry - Dark Horse (Official) ft. Juicy J
【停泊場所】 唐津の手前20㌔のパーキング。
【明日の予定】 雨なので、どこかに入るか、少し歩くか。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)

※ プロフィール・・・。 ⇒


【ランキング】 国内旅行、2位。 旅行全体、2位です。
気に入った所がありましたら、クリックをよろしく。
※ クリックするバナーは、下のです。
ランキングが、見られます。
⇓

※ 最初は、国内旅行のランキングが。
旅行をクリックすると、旅行全体のが。
※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
次の日のクリックも、また、1週間生きる。
【拍 手】
.
コメント
コメントの投稿
トラックバック
https://akkamui.com/tb.php/1945-d43dafb9