音戸大橋を渡って、倉橋島に。
島の南端まで走って、再度橋を。
そこのある島が、鹿島(かしま)。
鹿島の南端に宮ノ口という集落。
広島県最南端の集落。
集落の東西は、急な斜面の山。
山の頂上まで、天にも届くのかと思われる、段々畑。
先祖代々で作り上げた。
見事な風景。
段々畑の道を歩いてみた。
そうしたら、耕すのをやめた畑が目立った。
集落内の人が減り、みな高齢。
段々畑は、少しずつ、元の森に戻っていた。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
「瀬戸の花嫁」の歌詞に、「だんだん畑にさよならするのよ」とある。
作詞者の山上路夫は、赤〇から赤〇まで、船で旅したことが。(尾道から今治)
その時の記憶をもとに、作詞している。
右の地図の赤〇は、音戸の瀬戸。

鹿島の南に。 右写真のように、宮ノ口集落は段々畑に囲まれている。

これから、鹿島大橋を渡る。 両側1車線の橋。 集落が見える。 あそこは通らない。

宮ノ口集落に着いた。 向こうから来た。 段々畑が見えている。 山全体ではない。

向こうから来た。 火山(ひやま)が見える。 元気が良かったら、とっくに登っていた。
海は、安芸灘(あきなだ)。

島の先の方。 すぐそこで、行き止まり。
赤い自動販売機の所に、案内が。

下のように。 少し入ると、港と平行に右の道。 集落の、昔のメイン通りと分かる。

坂道を登って。 右を行って。 右写真、左から来た。

高い石垣。

新しい石垣に見える。 右奥にも、見える。

このように。 行ける道はあるのか。

歩いているうちに、反対側に出てきた。 こっちの海は愛媛県側で、斎灘(いつきなだ)。

背負子(しょいこ)を背負(しょ)った人が、左から下りてきた。 自分は、右の石段を上がってみる。

島の先の方の、段々畑。 向こうの上に神社。 後で行く。
荒れた畑が目立つ。 特に上の方。

ここの石垣の石は、海から運んだと多くのサイトにある。
自分は、全部ではなく一部と思う。
基本的には、畑から出てきた石をまず使ったと思う。
林の中とかは、石だらけだから。
反対側に、少し登って来た。
昔は斜面のほとんどが、段々畑だった。 天にも届けとばかりに、山の頂上まで。
(NHKの写真から分かる。 後ほど動画のあるサイトを紹介)

上の写真の遠く。

歩いていたら、笑顔の素敵なこの方に。
ひじきを炊いている。 小さな船で、自分で採ってくる。
今は、空き家ばかりと言った。 隣も、そっちもこっちもと。
お年寄りばかり。
この島で生まれたそう。
中学の数学旅行は京都。 呉まで船で行って、そこから電車。
立派な家。 自分が建てた。

適当な道を上がって来た。

神社の石段があった。 明神社ですね。 右写真のが、読める。

このように下が。

石段の途中から海。

神社横を、上がる道があった。

イノシシが出るから大変。 この島では、捕まえて食べることはないそう。
泳いでもやって来るから、どうしようもない。

反対側の斜面に行った。 上への道を探しに。 この道は、途中でストップ。 戻った。

別な道。 沢にある道なので、期待が出来る。
※ あるおばあちゃんに会って、道を聞いた。
道は無いと言った。
行けるところまで行く。 小さなダムに、水があった。

この島は、水が十分でない。 田んぼが出来ない。
そのためか、江戸時代は無人島だったよう。
この島の開拓は、江戸末期か明治の初め。
※ 広島県の公式サイトでの情報は、見つけられない。
稲作が出来そうなら、きっと早くから開拓は行われた。
梅が咲いて。

道はどこまでも。 登山になってきた。 細い道になって。

楽しくなってくる、こんな道。
周りは荒れているが、昔は一帯が段々畑と分かる。

あそこは、ちゃんと耕作している。 みかん畑とか。

反対側の海が見えた。 下る道を探した。

道はここで行き止まり。 戻る。

段々畑で収益を上げるのは大変。 どうしても荒れていく。
車道に戻った。

釣ってる人がいたので、自分も少し。

誰も釣れない。
集落の中心。

左の方。 右奥に行っていた。 変わった車が。 乗りたくなる。

この家族は、何か釣れたのか。 子供たちは、どうであっても楽しそう。 じっとしてない。

いつの日か、鹿島の段々畑は、元の森に戻りそう。
その時代、それなりの役割は十分に果たして。
【今日の一句】 「 先祖は 孫の代までの幸せを願って 石を積んだ 」
【サイトの紹介】 瀬戸内海 人が暮らす国立公園 (2) ~消えゆく鹿島の段々畑~ 海と生きる 2014年4月11日 放送
【動画】
【関連ブログ】
遊子水荷浦の段畑は、山の上まで続いていた。 ~宇和島市 三浦半島~ 他 (2011/2/1)
石垣の里「外泊」 ~ これほどの石垣があるとは・・・ 愛南町~ 他 (2011/1/27)
【今日の歌】 ミカンが実る頃 藍美代子 この歌の舞台も、瀬戸内の島っぽい。
【停泊場所】 桂浜(かつらがはま)の港の駐車場
【明日の予定】 火山(ひやま)に。 天気が悪ければ、鹿老渡(かろうと)の街並み。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)
※ プロフィール・・・。 ⇒
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作詞者の山上路夫は、赤〇から赤〇まで、船で旅したことが。(尾道から今治)
その時の記憶をもとに、作詞している。
右の地図の赤〇は、音戸の瀬戸。


鹿島の南に。 右写真のように、宮ノ口集落は段々畑に囲まれている。


これから、鹿島大橋を渡る。 両側1車線の橋。 集落が見える。 あそこは通らない。


宮ノ口集落に着いた。 向こうから来た。 段々畑が見えている。 山全体ではない。


向こうから来た。 火山(ひやま)が見える。 元気が良かったら、とっくに登っていた。
海は、安芸灘(あきなだ)。


島の先の方。 すぐそこで、行き止まり。
赤い自動販売機の所に、案内が。

下のように。 少し入ると、港と平行に右の道。 集落の、昔のメイン通りと分かる。


坂道を登って。 右を行って。 右写真、左から来た。


高い石垣。


新しい石垣に見える。 右奥にも、見える。

このように。 行ける道はあるのか。

歩いているうちに、反対側に出てきた。 こっちの海は愛媛県側で、斎灘(いつきなだ)。


背負子(しょいこ)を背負(しょ)った人が、左から下りてきた。 自分は、右の石段を上がってみる。

島の先の方の、段々畑。 向こうの上に神社。 後で行く。
荒れた畑が目立つ。 特に上の方。

ここの石垣の石は、海から運んだと多くのサイトにある。
自分は、全部ではなく一部と思う。
基本的には、畑から出てきた石をまず使ったと思う。
林の中とかは、石だらけだから。
反対側に、少し登って来た。
昔は斜面のほとんどが、段々畑だった。 天にも届けとばかりに、山の頂上まで。
(NHKの写真から分かる。 後ほど動画のあるサイトを紹介)

上の写真の遠く。

歩いていたら、笑顔の素敵なこの方に。
ひじきを炊いている。 小さな船で、自分で採ってくる。
今は、空き家ばかりと言った。 隣も、そっちもこっちもと。
お年寄りばかり。
この島で生まれたそう。
中学の数学旅行は京都。 呉まで船で行って、そこから電車。
立派な家。 自分が建てた。

適当な道を上がって来た。

神社の石段があった。 明神社ですね。 右写真のが、読める。


このように下が。

石段の途中から海。

神社横を、上がる道があった。

イノシシが出るから大変。 この島では、捕まえて食べることはないそう。
泳いでもやって来るから、どうしようもない。


反対側の斜面に行った。 上への道を探しに。 この道は、途中でストップ。 戻った。


別な道。 沢にある道なので、期待が出来る。
※ あるおばあちゃんに会って、道を聞いた。
道は無いと言った。
行けるところまで行く。 小さなダムに、水があった。


この島は、水が十分でない。 田んぼが出来ない。
そのためか、江戸時代は無人島だったよう。
この島の開拓は、江戸末期か明治の初め。
※ 広島県の公式サイトでの情報は、見つけられない。
稲作が出来そうなら、きっと早くから開拓は行われた。
梅が咲いて。


道はどこまでも。 登山になってきた。 細い道になって。


楽しくなってくる、こんな道。
周りは荒れているが、昔は一帯が段々畑と分かる。

あそこは、ちゃんと耕作している。 みかん畑とか。


反対側の海が見えた。 下る道を探した。

道はここで行き止まり。 戻る。


段々畑で収益を上げるのは大変。 どうしても荒れていく。
車道に戻った。


釣ってる人がいたので、自分も少し。

誰も釣れない。
集落の中心。

左の方。 右奥に行っていた。 変わった車が。 乗りたくなる。


この家族は、何か釣れたのか。 子供たちは、どうであっても楽しそう。 じっとしてない。

いつの日か、鹿島の段々畑は、元の森に戻りそう。
その時代、それなりの役割は十分に果たして。
【今日の一句】 「 先祖は 孫の代までの幸せを願って 石を積んだ 」
【サイトの紹介】 瀬戸内海 人が暮らす国立公園 (2) ~消えゆく鹿島の段々畑~ 海と生きる 2014年4月11日 放送
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【今日の歌】 ミカンが実る頃 藍美代子 この歌の舞台も、瀬戸内の島っぽい。
【停泊場所】 桂浜(かつらがはま)の港の駐車場
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