自分は、三高山の頂上に行けたらそれでよかった。
ところが、頂上一帯は砲台跡。
公園になっており、車で見学者がやって来る。
土木遺産の観光地だった。
普通の山と違って、頂上はあっちですとかの標示は無い。
自分で探すしかない。
三角点があったので、そこかなと思って、そこで食事。
でも、近くにはもっと高い所があった。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
江田島(えたじま)市です。

三高山は、能美島に。 江の島が近い。
車は沖見ふれあいセンターに置ける。 自分は、適当なところに置いて、出発。
ここに。 ふれあいセンターは少し向こう。

この道を行く。 今日も車道が登山道。 12時過ぎに出発。
今日は晴れだけど、靄(もや)がかかっていて、薄日が差したのは、11時半頃から。

森の中の道。 花は無い。 たまに、小さな花。 スミレのような。

中央の大きな建物が、沖見ふれあいセンター。

上の左。 両方に港。 ずっと昔は、向こうは島だった。 今はつながった。
勝手にそのように想像できる。 トンボロに集落。

弁当持って、水持って、少しのおやつ。
足取りは軽い。 いいことがあったわけではないけど。
元気に動き回れるのは、いいなって、幸せだなって思うわけ。
このこと以外は、みんな小さい。 小さなことで、悩んで悩んでなんだけど。

1時間近く歩いたら、山の上に何かが見えた。

道は尾根を越えて、反対側に回った。
真っ直ぐの古い道を行ってみる。 車道から離れて。

もう少し。

頂上一帯が砲台跡だから、いちおう着いたことに。
立派な土木遺産が残っている。

地下には見えないけど、地下。 屋根の上に木があるから、地下でいいか。

反対側を見た。

向こうは、火薬庫。 手前は炊事場。
煉瓦(レンガ)は、イギリス積み。

壁だけ残っていたのでしょうね。

いい風景。 登山口の右の方。

この下から、やって来た。 正面に宮島。 弥山が見える。
弥山(みせん)は、山岳信仰の修験道場だった。 山頂は、岩山。~廿日市市宮島~ 他 (2013/1/7)
ここから船が出てたら、行きたくなる。 近い。

上に行きます。

驚く風景。 砲台跡にしては、規模が大きい。 全国トップクラスと云うのは、本当かも。

上の写真の右の石段を上がった。 監視するところですね。

上は、何となく真っ平。

下りて進むと、この場所に。 砲台跡の中心の場所。
丸い円がある。

こんな大砲を設置する。 回転するように、円。
ここから撃った大砲の弾は、海に落ちるように計算されている。
※ ロシアの船が襲ってきたら、目の前の海を通ると予想。
それで、ここに砲台。 明治の話。
※ 弾はただの鉄の弾か。 今のように、弾が相手にぶつかったら、爆発したのだろうか。
本当に、船に当てることが出来たのか。
誰かが見ていて、もっと手前とか右とか、支持を出したのかな。

上の写真の右について。
ここは、三高山の頂上付近の北の部分。 南の方にも、砲台跡はある。 広い。
さらに行くと、同じのが又あった。

こうです。

ここでちょっと別の話。 石の上に、レンガがありますね。 その上に、土。
この石は、水に強くないのか。 水から守っているのか。
普通の煉瓦は水を吸う。 この煉瓦は、ガサガサした安いレンガではないと予想できる。
地下室に入ってみた。

上から見たらこう。
明治時代だから、飛行機から見られるわけではない。
この一帯が、なんとなく山に見えればいいのか。
磁器のかけらが落ちていた。

山の下には、集落。 段々畑ではなく、棚田。 大きな谷だから、水には不自由しない。

空気口か。

明治31年からとある。
赤の線は難しい言葉。
※ この文を書いた人は、素人なんですね。
ある文の一部を、書き写しただけ。
難しい言葉を、易しく直すには、力が必要。
播州煉瓦は、一般的な言葉でない。 赤穂の方で作られたのでしょうね。
薬焼も、普通には使われない。 これは、上薬を付けて焼いたと考えてよさそう。
そうすると、煉瓦の表面がガラスのようになる。
上の方で書いたけど、煉瓦に水は浸みこまなくなる。
掩蔽(えんぺい)という言葉は、隠すって云う意味なんですね。
煉瓦を敷いて、その上に土を盛って木を植えて、隠した。
調べてやっと意味が分かりました。
山を少し下って、南の山に来た。 こっちにも砲台跡。

こうです。

空気穴は、一番奥にあった。

歩きながら、山の頂上はどこなんだとなった。 分からない。

南への道を行ってみた。 ずっと奥まで。

ここかも知れない。 三角点があるので。 どこにも頂上の案内は無い。

はっきりしない道を、さらに行ってみた。
ここが高いかなと云う所に上がった。 道は無い。
昔、ここに何かがあった。 その石碑。
この場所は、さっきの三角点より、8㍍高い。
それでも、401.8㍍は、さっきの場所かなと思ってお終い。

東屋で弁当を食べた。
大きな山ではないので、少しのごはんの弁当。
この後、一気に下山。 急いだ。 (お風呂の後、買い物も洗濯もある。 いそがしい晩)

江戸幕府をやっと倒して、明治時代になった。
人々に幸せが来るかと思ったら、そうではなかった。
龍馬が願った国には、ならなかった。
明治政府は、戦争の時代のレールを敷いた。
人の命なんか、虫けらにしか思わなかった。
昭和20年まで、それは続いた。
日本の歴史上、こんなに多くの人が死んだ時代は無い。
時代が移っても、その責任はうやむや。
大好きな日本だけど、変なところもある。
砲台跡を残す価値はどこにあるのか。
平和な時代を作るためにある、と云うのが一番かな。
表現は、やわらかくていいから。
上からの風景は、絶景でした。
【今日の一句】 「 山の頂上を探す登山は 珍しい 」
【今日の歌】 Auld Lang Syne 久しぶりです。 ビビアン・リーです。
【停泊場所】 下の山の麓に。 奥小路駐車場。
【明日の予定】 古鷹山に登る。 400㍍程。 山の下の市街地の見学。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)
※ プロフィール・・・。 ⇒
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公園になっており、車で見学者がやって来る。
土木遺産の観光地だった。
普通の山と違って、頂上はあっちですとかの標示は無い。
自分で探すしかない。
三角点があったので、そこかなと思って、そこで食事。
でも、近くにはもっと高い所があった。
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江田島(えたじま)市です。

三高山は、能美島に。 江の島が近い。
車は沖見ふれあいセンターに置ける。 自分は、適当なところに置いて、出発。


ここに。 ふれあいセンターは少し向こう。


この道を行く。 今日も車道が登山道。 12時過ぎに出発。
今日は晴れだけど、靄(もや)がかかっていて、薄日が差したのは、11時半頃から。


森の中の道。 花は無い。 たまに、小さな花。 スミレのような。

中央の大きな建物が、沖見ふれあいセンター。

上の左。 両方に港。 ずっと昔は、向こうは島だった。 今はつながった。
勝手にそのように想像できる。 トンボロに集落。


弁当持って、水持って、少しのおやつ。
足取りは軽い。 いいことがあったわけではないけど。
元気に動き回れるのは、いいなって、幸せだなって思うわけ。
このこと以外は、みんな小さい。 小さなことで、悩んで悩んでなんだけど。


1時間近く歩いたら、山の上に何かが見えた。

道は尾根を越えて、反対側に回った。
真っ直ぐの古い道を行ってみる。 車道から離れて。


もう少し。


頂上一帯が砲台跡だから、いちおう着いたことに。
立派な土木遺産が残っている。

地下には見えないけど、地下。 屋根の上に木があるから、地下でいいか。


反対側を見た。

向こうは、火薬庫。 手前は炊事場。
煉瓦(レンガ)は、イギリス積み。


壁だけ残っていたのでしょうね。


いい風景。 登山口の右の方。


この下から、やって来た。 正面に宮島。 弥山が見える。
弥山(みせん)は、山岳信仰の修験道場だった。 山頂は、岩山。~廿日市市宮島~ 他 (2013/1/7)
ここから船が出てたら、行きたくなる。 近い。

上に行きます。

驚く風景。 砲台跡にしては、規模が大きい。 全国トップクラスと云うのは、本当かも。

上の写真の右の石段を上がった。 監視するところですね。


上は、何となく真っ平。

下りて進むと、この場所に。 砲台跡の中心の場所。
丸い円がある。

こんな大砲を設置する。 回転するように、円。
ここから撃った大砲の弾は、海に落ちるように計算されている。
※ ロシアの船が襲ってきたら、目の前の海を通ると予想。
それで、ここに砲台。 明治の話。
※ 弾はただの鉄の弾か。 今のように、弾が相手にぶつかったら、爆発したのだろうか。
本当に、船に当てることが出来たのか。
誰かが見ていて、もっと手前とか右とか、支持を出したのかな。


上の写真の右について。
ここは、三高山の頂上付近の北の部分。 南の方にも、砲台跡はある。 広い。
さらに行くと、同じのが又あった。


こうです。

ここでちょっと別の話。 石の上に、レンガがありますね。 その上に、土。
この石は、水に強くないのか。 水から守っているのか。
普通の煉瓦は水を吸う。 この煉瓦は、ガサガサした安いレンガではないと予想できる。
地下室に入ってみた。


上から見たらこう。
明治時代だから、飛行機から見られるわけではない。
この一帯が、なんとなく山に見えればいいのか。
磁器のかけらが落ちていた。


山の下には、集落。 段々畑ではなく、棚田。 大きな谷だから、水には不自由しない。


空気口か。

明治31年からとある。
赤の線は難しい言葉。
※ この文を書いた人は、素人なんですね。
ある文の一部を、書き写しただけ。
難しい言葉を、易しく直すには、力が必要。
播州煉瓦は、一般的な言葉でない。 赤穂の方で作られたのでしょうね。
薬焼も、普通には使われない。 これは、上薬を付けて焼いたと考えてよさそう。
そうすると、煉瓦の表面がガラスのようになる。
上の方で書いたけど、煉瓦に水は浸みこまなくなる。
掩蔽(えんぺい)という言葉は、隠すって云う意味なんですね。
煉瓦を敷いて、その上に土を盛って木を植えて、隠した。
調べてやっと意味が分かりました。

山を少し下って、南の山に来た。 こっちにも砲台跡。


こうです。

空気穴は、一番奥にあった。


歩きながら、山の頂上はどこなんだとなった。 分からない。

南への道を行ってみた。 ずっと奥まで。

ここかも知れない。 三角点があるので。 どこにも頂上の案内は無い。


はっきりしない道を、さらに行ってみた。
ここが高いかなと云う所に上がった。 道は無い。
昔、ここに何かがあった。 その石碑。
この場所は、さっきの三角点より、8㍍高い。
それでも、401.8㍍は、さっきの場所かなと思ってお終い。

東屋で弁当を食べた。
大きな山ではないので、少しのごはんの弁当。
この後、一気に下山。 急いだ。 (お風呂の後、買い物も洗濯もある。 いそがしい晩)


江戸幕府をやっと倒して、明治時代になった。
人々に幸せが来るかと思ったら、そうではなかった。
龍馬が願った国には、ならなかった。
明治政府は、戦争の時代のレールを敷いた。
人の命なんか、虫けらにしか思わなかった。
昭和20年まで、それは続いた。
日本の歴史上、こんなに多くの人が死んだ時代は無い。
時代が移っても、その責任はうやむや。
大好きな日本だけど、変なところもある。
砲台跡を残す価値はどこにあるのか。
平和な時代を作るためにある、と云うのが一番かな。
表現は、やわらかくていいから。
上からの風景は、絶景でした。
【今日の一句】 「 山の頂上を探す登山は 珍しい 」
【今日の歌】 Auld Lang Syne 久しぶりです。 ビビアン・リーです。
【停泊場所】 下の山の麓に。 奥小路駐車場。
【明日の予定】 古鷹山に登る。 400㍍程。 山の下の市街地の見学。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)

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