※ ブログは、しばらくの間、1日遅れで載せることになります。
昨晩余震があったため、ボランティアは、中止になった。(理由は、安全の確保のため)
午後、遠野市に向かった。
大船渡市の一部を除いて、どこも停電だった。
大船渡市には変化が出ていた。
コンビニが、ほとんど開いていた。 電気があっても、薄暗くして。
ガソリンスタンドには、車が並んでいた。
※ 被災地では、軽油は買ってないので、並ばない。
※ 十分に余裕があると分かったら、今後入れるかも。
停電で、閉めてるとこが多かった
遠野市は、完全に停電。
それでも、数軒のガソリンスタンドは開いていた。
手で何かを回して入れていた。 一人、10㍑。
私は予備が少しあるので、入れなかった。
ガソリンスタンドは、明日は元に戻るので、満タンにして、130㍑の予備も積む。
※ 満タンと130㍑は、ドラム缶1本分の量になる。
軽油に不安をなくして、数日後には、南三陸町に向かおうと思う。
地元の人は、電気は今晩には戻るかもしれないと言った。
その通りになった。 夜中、街灯が点いた。
ここへ来る途中、滝観洞(ろうかんどう)という鍾乳洞が、近くにあった。
一昨年行って来た。 隣に、白蓮洞というのもあった。
白蓮洞は、同じ入場券で見られたのに、忘れた。 見たいと思っていた。
※ 電話したら、休業中だった。 中が崩れたので、点検中。
※ 白蓮洞の白蓮は、柳原白蓮のこと。 歌人。 大正天皇のいとこ。(白蓮の父と大正天皇の母が兄弟)
※ ちなみに、大正天皇は九条節子と結婚する。 九条節子は、お江の子孫。(いつかのブログに書いた)
下の写真は、滝観洞。
この滝の魅力は、中にある滝。 日本で一番高い。
ところが、それ以上の魅力がある。
鍾乳洞の中、全体の美しさ。 何せ、中の岩が、大理石。 輝いている。
美しさでは、日本のトップクラス。
被災した人たちが、いつか、気持ちにも生活にも余裕が出て、この滝を見に来れたらいいと思う。
ブログ 滝観洞(ろうかんどう) 他 (2009/10/3)
※ ブログには、釜石市の写真が3枚あります。
この洞窟では、八つ墓村の撮影が行われました。
暖かい日が少し続いたが、今日は冷たい雨が降った。
【津波の直後と、11日の夜の、第一中学校の避難所の様子】
陸前高田市に津波が来たのは、午後3時15分頃。
第一中も、避難所になっていた。
1000人以上が、体育館に避難して来た。 (8日現在の人数でも、1650人)
多くの人が、ぎりぎりで助かっていた。
家が、そして、人が流されるのをみんな見た。
※ 一緒に風呂に入った人は、車で逃げた。 津波が後ろから来た。 (会社は、市役所のとなり)
途中、多くの人達を見た。 市役所のそばの空き地にも。 中心街で見たほとんどの人は、助かっていない。
車が渋滞していたら終わりだ。 途中で、曲がった。 (※ なぜ曲がったか、詳しく聞かなかった)
高台への道は、空いていた。
助かるか助からないかは、運と少しの判断だと、この人は言った。
※ 津波が来てるのに、どうしてそんなに町に人がいたのか。
市街地にいたら、津波は家の陰で見えないと言う。
目の前の家が壊れて、初めて気づくと。
大きな津波が来てるとは、みんな気づかなかった。
※ 1分でも2分でもいいから、目の前の家が壊れる前に、走り出していれば、助かる可能性はあったという。
足が遅くても、1分間で、200㍍は走れる。 速い人なら、300㍍以上だ。 だからか。
このことは、会った人みんな言う。 どういうことか、調べてみた。
津波は、陸地に着いた時は、時速35㌔くらい、という資料がネットにある。
とりあえず、これで考えると。
この速さは、およそ、100㍍を10秒で走る速さ。 オリンピックの選手。
1分間では、600㍍。
○ 高台まで、600㍍の時は
1分間に300㍍走れる人は、1分前にスタートすれば、逃げ切れる。
〃 200㍍ 〃 、2分前に 〃 、 〃 。
実際は、もっと近くに高台があることが多い、と言う。
○ 高台まで、300㍍の時は、
1分間に300㍍走れる人は、30秒前で、逃げ切れる。
〃 200㍍ 〃 、60秒 〃 。
お風呂に一緒に入った人は、少し前でも逃げれば助かる可能性があると言った。
私が考えていたのとは、違った。
でも上の人が言うように、確かに計算では、途中疲れるとかは考えてないが、少なくとも、数分前に逃げれば、
助かる可能性がある。 ※ 斜めに逃げる場合も、変わるが。
体育館の中では、もちろん、みんな土足。 広い体育館が、人でいっぱいになった。
夜は、直ぐにやって来た。 真っ暗闇になった。
雪の舞う、冷たい夜だ。
※ 屋根の上や、何かの上で、濡れた体で、朝まで持ちこたえた人がいる。
でも、朝を待たず力尽きた人もいると言う。
社長さんは、会社から、ストーブと投光機と発電機を、体育館に持って行った。
ストーブは、喧嘩になるからと言われ、つけなかった。
発電機で、体育館内に、3ヶ所投光機を付けた。
朝の4時頃ガソリンが無くなるが、それまでは明るかった。
途中、どこかの責任者が来て、こう言った。
「屋根があるだけ、有り難いと思え」って。
社長さんをはじめ、みんな怒ったと言う。 そいつらが、暖かい所にいることは、みんな知っていた。
次の日、謝罪に来たと言う。 でも、誰も許せる気持ちにはなれなかった。
更に社長さんと従業員は、仮設トイレを10、真夜中の2時までかかって、作った。
寒いから、みんなカーテンとかに、くるまったと言う。
1つのカーテンに3人とかが一緒になって。 寝れる人間なんか誰もいない。
とにかく寒い。
体育館の中は、どんな状況なのか。
多くの人が動き回っていた。 他の避難所からも人は来た。 他に行く人も。
見つからない家族や親類を、必死で探していた。
※ 避難所は、市内にたくさんある。(現在99)
※ 安否の確認に数日かかることもあった。
顔見知りに会ったら、誰だれ見なかったかと、泣きながら聞いたと言う。
その風景は、体育館のいたるところであった。
社長さんは、こんな姿がこの世にあっていいのか、と思った。
誰も、どれだけの人が津波に流されたかは、知らなかった。
実際は、7人に1人が流されていた。
長く冷たい夜は、そうやって朝を迎えた。
【今日の歌】 コメントにあった、南部牛追唄を載せます。
しみじみとした、いい歌です。
コメントの返事に少し書きましたが、昔の農民は、裕福な暮らしではなかったが、
私達の想像以上に、高い文化の中で暮らしていた感じがします。(私の想像以上か)
何なんでしょう、この歌のよさは。
いつかちゃんと調べてみたいです。 どうやって生まれたかなど。 歌詞の意味も。
※ ここで言う南部地方は、岩手県の北部の方ですね。
長い歴史の中で、東北の人達が、こんなに辛い思いをしたことって、あるんでしょうか。
【その他】 昨日、旭川の姉が、福寿草の花の写真を送って来た。
北国の春、大好きな花です。 とだけ書いて。
被災地にも、春が来て、花が咲く。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
【ランキング】 国内旅行は5位、 旅行全体で10位です。 放浪の旅は40位です。
記事は役立ったでしょうか。
気に入った所などがありましたら、クリックをよろしく。
※ クリックするバナーは、下のです。
※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
昨晩余震があったため、ボランティアは、中止になった。(理由は、安全の確保のため)
午後、遠野市に向かった。
大船渡市の一部を除いて、どこも停電だった。
大船渡市には変化が出ていた。
コンビニが、ほとんど開いていた。 電気があっても、薄暗くして。
ガソリンスタンドには、車が並んでいた。
※ 被災地では、軽油は買ってないので、並ばない。
※ 十分に余裕があると分かったら、今後入れるかも。
停電で、閉めてるとこが多かった
遠野市は、完全に停電。
それでも、数軒のガソリンスタンドは開いていた。
手で何かを回して入れていた。 一人、10㍑。
私は予備が少しあるので、入れなかった。
ガソリンスタンドは、明日は元に戻るので、満タンにして、130㍑の予備も積む。
※ 満タンと130㍑は、ドラム缶1本分の量になる。
軽油に不安をなくして、数日後には、南三陸町に向かおうと思う。
地元の人は、電気は今晩には戻るかもしれないと言った。
その通りになった。 夜中、街灯が点いた。
ここへ来る途中、滝観洞(ろうかんどう)という鍾乳洞が、近くにあった。
一昨年行って来た。 隣に、白蓮洞というのもあった。
白蓮洞は、同じ入場券で見られたのに、忘れた。 見たいと思っていた。
※ 電話したら、休業中だった。 中が崩れたので、点検中。
※ 白蓮洞の白蓮は、柳原白蓮のこと。 歌人。 大正天皇のいとこ。(白蓮の父と大正天皇の母が兄弟)
※ ちなみに、大正天皇は九条節子と結婚する。 九条節子は、お江の子孫。(いつかのブログに書いた)
下の写真は、滝観洞。
この滝の魅力は、中にある滝。 日本で一番高い。
ところが、それ以上の魅力がある。
鍾乳洞の中、全体の美しさ。 何せ、中の岩が、大理石。 輝いている。
美しさでは、日本のトップクラス。
被災した人たちが、いつか、気持ちにも生活にも余裕が出て、この滝を見に来れたらいいと思う。

ブログ 滝観洞(ろうかんどう) 他 (2009/10/3)
※ ブログには、釜石市の写真が3枚あります。
この洞窟では、八つ墓村の撮影が行われました。
暖かい日が少し続いたが、今日は冷たい雨が降った。
【津波の直後と、11日の夜の、第一中学校の避難所の様子】
陸前高田市に津波が来たのは、午後3時15分頃。
第一中も、避難所になっていた。
1000人以上が、体育館に避難して来た。 (8日現在の人数でも、1650人)
多くの人が、ぎりぎりで助かっていた。
家が、そして、人が流されるのをみんな見た。
※ 一緒に風呂に入った人は、車で逃げた。 津波が後ろから来た。 (会社は、市役所のとなり)
途中、多くの人達を見た。 市役所のそばの空き地にも。 中心街で見たほとんどの人は、助かっていない。
車が渋滞していたら終わりだ。 途中で、曲がった。 (※ なぜ曲がったか、詳しく聞かなかった)
高台への道は、空いていた。
助かるか助からないかは、運と少しの判断だと、この人は言った。
※ 津波が来てるのに、どうしてそんなに町に人がいたのか。
市街地にいたら、津波は家の陰で見えないと言う。
目の前の家が壊れて、初めて気づくと。
大きな津波が来てるとは、みんな気づかなかった。
※ 1分でも2分でもいいから、目の前の家が壊れる前に、走り出していれば、助かる可能性はあったという。
足が遅くても、1分間で、200㍍は走れる。 速い人なら、300㍍以上だ。 だからか。
このことは、会った人みんな言う。 どういうことか、調べてみた。
津波は、陸地に着いた時は、時速35㌔くらい、という資料がネットにある。
とりあえず、これで考えると。
この速さは、およそ、100㍍を10秒で走る速さ。 オリンピックの選手。
1分間では、600㍍。
○ 高台まで、600㍍の時は
1分間に300㍍走れる人は、1分前にスタートすれば、逃げ切れる。
〃 200㍍ 〃 、2分前に 〃 、 〃 。
実際は、もっと近くに高台があることが多い、と言う。
○ 高台まで、300㍍の時は、
1分間に300㍍走れる人は、30秒前で、逃げ切れる。
〃 200㍍ 〃 、60秒 〃 。
お風呂に一緒に入った人は、少し前でも逃げれば助かる可能性があると言った。
私が考えていたのとは、違った。
でも上の人が言うように、確かに計算では、途中疲れるとかは考えてないが、少なくとも、数分前に逃げれば、
助かる可能性がある。 ※ 斜めに逃げる場合も、変わるが。
体育館の中では、もちろん、みんな土足。 広い体育館が、人でいっぱいになった。
夜は、直ぐにやって来た。 真っ暗闇になった。
雪の舞う、冷たい夜だ。
※ 屋根の上や、何かの上で、濡れた体で、朝まで持ちこたえた人がいる。
でも、朝を待たず力尽きた人もいると言う。
社長さんは、会社から、ストーブと投光機と発電機を、体育館に持って行った。
ストーブは、喧嘩になるからと言われ、つけなかった。
発電機で、体育館内に、3ヶ所投光機を付けた。
朝の4時頃ガソリンが無くなるが、それまでは明るかった。
途中、どこかの責任者が来て、こう言った。
「屋根があるだけ、有り難いと思え」って。
社長さんをはじめ、みんな怒ったと言う。 そいつらが、暖かい所にいることは、みんな知っていた。
次の日、謝罪に来たと言う。 でも、誰も許せる気持ちにはなれなかった。
更に社長さんと従業員は、仮設トイレを10、真夜中の2時までかかって、作った。
寒いから、みんなカーテンとかに、くるまったと言う。
1つのカーテンに3人とかが一緒になって。 寝れる人間なんか誰もいない。
とにかく寒い。
体育館の中は、どんな状況なのか。
多くの人が動き回っていた。 他の避難所からも人は来た。 他に行く人も。
見つからない家族や親類を、必死で探していた。
※ 避難所は、市内にたくさんある。(現在99)
※ 安否の確認に数日かかることもあった。
顔見知りに会ったら、誰だれ見なかったかと、泣きながら聞いたと言う。
その風景は、体育館のいたるところであった。
社長さんは、こんな姿がこの世にあっていいのか、と思った。
誰も、どれだけの人が津波に流されたかは、知らなかった。
実際は、7人に1人が流されていた。
長く冷たい夜は、そうやって朝を迎えた。
【今日の歌】 コメントにあった、南部牛追唄を載せます。
しみじみとした、いい歌です。
コメントの返事に少し書きましたが、昔の農民は、裕福な暮らしではなかったが、
私達の想像以上に、高い文化の中で暮らしていた感じがします。(私の想像以上か)
何なんでしょう、この歌のよさは。
いつかちゃんと調べてみたいです。 どうやって生まれたかなど。 歌詞の意味も。

※ ここで言う南部地方は、岩手県の北部の方ですね。
長い歴史の中で、東北の人達が、こんなに辛い思いをしたことって、あるんでしょうか。
【その他】 昨日、旭川の姉が、福寿草の花の写真を送って来た。
北国の春、大好きな花です。 とだけ書いて。
被災地にも、春が来て、花が咲く。

※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

【ランキング】 国内旅行は5位、 旅行全体で10位です。 放浪の旅は40位です。
記事は役立ったでしょうか。
気に入った所などがありましたら、クリックをよろしく。
※ クリックするバナーは、下のです。

※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
コメント
大好きな滝観洞
地元の様子がわかりました
Youtubeへの動画のアップ感謝いたします。
上空からの航空写真、家族からのスナップ写真だけでは、わかりえなかった状況が見えました。親が今、来られても「ありがた迷惑」っぽいことを言った実情を理解でき、少し気持ちが落ち着きました。
上空からの航空写真、家族からのスナップ写真だけでは、わかりえなかった状況が見えました。親が今、来られても「ありがた迷惑」っぽいことを言った実情を理解でき、少し気持ちが落ち着きました。
Re: 大好きな滝観洞
美しい鍾乳洞です。 私も、大好き。
もう一度来ますよ。 そして、白蓮洞も忘れないで見ます。
どこか崩れたようですが、被害は小さいみたいに言ってました。
連休までには、きっと再開します。
もう一度来ますよ。 そして、白蓮洞も忘れないで見ます。
どこか崩れたようですが、被害は小さいみたいに言ってました。
連休までには、きっと再開します。
Re: 地元の様子がわかりました
YouTubeの動画は、必要になる時のために、どうなってるか知りたい人のためにあるのかな、と思います。
動画の勉強したことないので、ただ撮ってるだけの感じです。
動画の勉強したことないので、ただ撮ってるだけの感じです。
コメントの投稿
トラックバック
https://akkamui.com/tb.php/198-3beddf56
最奥の滝を観るためには、子供でも小さく這うようにしないと到達できない僅かなすき間を、こどもに通らせるのが大好きです。「うわ~せまっ」といって通ります。その奥には鍾乳洞の中とは思えない立派な滝。
いろいろな鍾乳洞を観ると、この滝観洞の魅力がよく分かります。好みは人それぞれ。私の好みでは一番です。
また、見に行きたいと切に思います。