今の住友グループの原点は、別子銅山の開発。
元禄時代に住友家が発見して、スタートした。
今はもう掘っていないけど、銅山跡が残されている。
今日は、その一部を見た。
特に、標高750㍍の東平(とうなる)地区の、産業遺産の風景は圧巻。
東洋のマチュピチュと呼ばれることも。
最初に、別子銅山記念館で、少し勉強。
丁寧に説明していただいた。
鉱山の産業遺産と云えば、鉱毒などの負の遺産も多い。
(例えば、足尾銅山の渡良瀬川の汚染など)
住友は、負の部分に目をつぶらず、対策に苦労した歴史を持っている。
それがあるから、それなりの負い目はあるにしても、鉱山跡を残し、ここまで公開できるのかなと感じる。
四国の山は急峻。
谷は、どこまでも深い。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
場所は新居浜市に。

上の〇は、別子銅山記念館。 右は、東平(とうなる)地区への道。

大山積(おおやまづみ)神社。 右に記念館。
大山祇(おおやまづみ)神社のある、大三島の方を向いている。

鉱山ということで、記念館は半地下の様式。

館長さんの説明を聞いた。 記念館の中の撮影は出来ない。
別子1号機関車。 同じものが10両、ここの鉱山のために、ドイツで作られた。
小さくても力持ち。

鉱山の開発は、鉱害(公害)の取り組みへの戦いでもある。
住友鉱山は、鉱害に対して、前向きに取り組んだという事は、歴史的に認められているよう。
それがあって地元の新居浜市とは、良好な関係にある。
精錬所を四阪(しさか)島に移した。 すべてが解決したわけではなかったけど。
この碑は、そっちを向いている。
近くに、国領(こくりょう)川。
この川が流す土砂が、新居浜平野を作った。
今は上流にダムが出来、水量が減っている。
海から遠くないのに、もうこの渓谷。

鉱毒事件と云えば、足尾銅山が有名。
下のような、鉱害に対する取り組みの違いをまとめた、ある資料がある。
対策の技術が確立されてない中、取り組む姿勢はあったと、読み取れる。(詳しくはここに)
他の資料からも、同じ事が。
社員の勤労奉仕で大きな運動場がつくられた。
その跡。 階段状の観客席が残っている。
右の銅鉱石は、お祭りの神輿に乗る。 300㌔。

記念館の書棚に、田中正造の本がたくさんあった。
彼から学んだことがあるよう。
※ 最後に、別子銅山煙害事件については下に。
住友グループは、十分ではなかったにしても、鉱害対策を取組んだ自負があったので、鉱山跡を見捨てることはしなかった。
自分たちの発展の礎は、別子銅山にあると、大事にすることになる。
ここは、少し山に入った、マイントピア別子。 別子銅山跡の、観光施設。 道の駅でも。

観光坑道があって、掘っていた時代を学べる。 冬桜は、間もなくお終い。 11月から咲いていた。

トロッコ列車に乗って、歩いて、入り口が見えた。

山の上で、銅鉱石の露頭を見つけたのが始まり。
そこに、最初の坑道。 それが、歓喜坑道。 大きな喜びがあった。
掘る人は、四国遍路の衣裳のよう。 少しの灯りの中で。

最終的なのは、ここでは作れない。 当時は大阪で精錬。 女の人が運ぶ。 30㌔。

作業場はどこも、山の斜面。 どれだけ手間暇かけても、銅は高価。 利益は大きい。

火薬庫の天井は、筒抜け。 当時のまま。

下の赤い橋は、ピントラス橋とある。
三角を組み合わせたトラス僑。 部材をピンで留めたから、ピントラスだそう。 それ以上は、分からない。

第四通洞。 色々使われたトンネル。 この後、第三通洞も見に行く。
第三はずっと上にある。 上から掘って来たので、下が後になる。

中。 普通の人も通った。 暗く怖かったという。

左は、マイントピア別子の建物。 右は、発電所だったか。

東平(とうなる)地区に移動。 30分ほど走ったでしょうか。
曲がりくねった細い道を、登った。 標高750㍍まで。
※ ならす、と云う言葉がある。 平らにするという意味。 均す、平らす、と書く。
そんなことで、東平は「とうなる」と読めそう。
駐車場。

上の写真の、左奥。 向こうの谷を下りたところに、第三通洞。 先にそっち行く。

下を見たらこう。 深い谷。

トンネルは、どこにでも。
黄レンゲショウマとある。 レンゲショウマの変種でしょうか。 珍しい花。 絶滅の不安が。
滝野すずらん丘陵公園で、滝を見る。 レンゲショウマの花。 ~札幌市~ 他 (2013/9/17)

谷底まで、100㍍はありそう。 道をつくるのも命がけ。

着きました。 原っぱのように、平。
採鉱本部が、ここに置かれた時期があるのですね。

変電所跡。

第三通洞。 山の向こうまで突き抜けている。

トンネルの上の要石に、住友家の家紋があった。
左下から右に行って、中に入り込んだ。 山の上から掘り始めた。

赤〇に今はいる。 そこに、第三通洞。 第四通道はその下に。 下に掘り進む。

駐車場に戻って来て、東平歴史資料館を見学。 学校。

今の時代より、人間らしい表情に見える。 気のせいかな。

人が生きる上で、一番必要なものは何なんでしょう。
この写真の生活には、それがある。

いい表情で生きようとする。 考えてみるか。 人とのいい関わりがなければ、・・・。
※ 今日の一番の収穫は、この写真との出会いかも知れない。

駐車場の下に行く。
ここには、インクラインがあった。 乗り物を、ワイヤ―で上げたり下ろしたり。
※ インクラインで有名なのは、京都の南禅寺の近くの、インクライン。
琵琶湖と京都の標高が違うので、必要だった。
琵琶湖疎水・インクライン・哲学の道を歩く。~京都市東山~ 他 (2013/4/3)

下から見上げた。

※ 空から見たらこう。 いっそうマチュピチュに見える。
昔の姿はこう。
(2枚とも、マイントピア別子のHPからお借り)
1つ上に上がって来た。 鉱石の貯蔵庫だったかな。

鉱山の町はどこもそうだけど、幻のように消えていく。
さっきは向こう下に行っていた。

別方向から。

上の場所を、上の方から。

世界遺産への取り組みは、どうなるでしょう。
別子銅山の産業遺産のほとんどは、住友グループの所有。
登録の取り組みをスタートさせると、
住友の過去の取り組みの内容が、きっと、精査される。
そこに、住友が不安を持っていたら、取り組みは難しいかも知れない。
ただ、鉱害に対しては、常に前向きな姿勢を取って来たことは、
住友の内部史料に関係なく、客観的に認められている。
詳しいことは分からないけど、優れた人材で取り組めば、十分可能なように思う。
東平(とうなる)の風景は、日本のどこの産業遺産も敵わない。
そんな魅力の大きさ。
世界遺産への登録は、単に有名になるだけでなく、確実に後世に残ることを意味します。
そのことが大きいです。
【今日の一句】 「 山の道を 曲がって曲がって登って そこに天空のマチュピチュ東平 」
※ 今日、舌を噛んで血豆。
マチュピチュ、マチュピチュって、舌を噛みそうな名前だなと思っていた。
伊予柑を雑に食べていたら、噛んでしまった。
マチュピチュって感じで、手をベチャベチャにして。
いよかんだから、噛むのかな。
伊予柑の甘さは、伊予人の人情の味。 なもし、とか言いながら。
【動画】 ※ 車載動画の画質が悪いです。 撮影で、ミスをしました。
【ブログ紹介】
足尾銅山跡は、足尾銅山観光として、利用されていた。 延長1200㌔の坑道。~日光市~ 他 (2014/6/7)
渡良瀬遊水地で、谷中村の痕跡を探す。~栃木市藤岡町~ 他 (2011/10/27)
神子畑鋳鉄橋 生野銀山 ~朝来市~ 他 (2011/6/26)
【動画の紹介】 天空のまち 東平(告知版)
【今日の歌】 東平歴史資料館の上の本編のナレーションは、水樹奈々。
彼女は、新居浜市出身。 初代の、新居浜ふるさと観光大使。
お父さんは、今日歩いた東平出身。
水樹奈々『禁断のレジスタンス』MUSIC CLIP(Full Ver.) 映像に東平が出てくる。
【道の駅】 小松オアシス
【明日の予定】 松山市内 道後温泉
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)
※ プロフィール・・・。 ⇒
今までの記事には、この2枚だけ。
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元禄時代に住友家が発見して、スタートした。
今はもう掘っていないけど、銅山跡が残されている。
今日は、その一部を見た。
特に、標高750㍍の東平(とうなる)地区の、産業遺産の風景は圧巻。
東洋のマチュピチュと呼ばれることも。
最初に、別子銅山記念館で、少し勉強。
丁寧に説明していただいた。
鉱山の産業遺産と云えば、鉱毒などの負の遺産も多い。
(例えば、足尾銅山の渡良瀬川の汚染など)
住友は、負の部分に目をつぶらず、対策に苦労した歴史を持っている。
それがあるから、それなりの負い目はあるにしても、鉱山跡を残し、ここまで公開できるのかなと感じる。
四国の山は急峻。
谷は、どこまでも深い。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。

( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
場所は新居浜市に。

上の〇は、別子銅山記念館。 右は、東平(とうなる)地区への道。


大山積(おおやまづみ)神社。 右に記念館。
大山祇(おおやまづみ)神社のある、大三島の方を向いている。

鉱山ということで、記念館は半地下の様式。


館長さんの説明を聞いた。 記念館の中の撮影は出来ない。
別子1号機関車。 同じものが10両、ここの鉱山のために、ドイツで作られた。
小さくても力持ち。


鉱山の開発は、鉱害(公害)の取り組みへの戦いでもある。
住友鉱山は、鉱害に対して、前向きに取り組んだという事は、歴史的に認められているよう。
それがあって地元の新居浜市とは、良好な関係にある。
精錬所を四阪(しさか)島に移した。 すべてが解決したわけではなかったけど。
この碑は、そっちを向いている。
近くに、国領(こくりょう)川。
この川が流す土砂が、新居浜平野を作った。
今は上流にダムが出来、水量が減っている。
海から遠くないのに、もうこの渓谷。


鉱毒事件と云えば、足尾銅山が有名。
下のような、鉱害に対する取り組みの違いをまとめた、ある資料がある。
対策の技術が確立されてない中、取り組む姿勢はあったと、読み取れる。(詳しくはここに)
他の資料からも、同じ事が。

社員の勤労奉仕で大きな運動場がつくられた。
その跡。 階段状の観客席が残っている。
右の銅鉱石は、お祭りの神輿に乗る。 300㌔。


記念館の書棚に、田中正造の本がたくさんあった。
彼から学んだことがあるよう。
※ 最後に、別子銅山煙害事件については下に。

住友グループは、十分ではなかったにしても、鉱害対策を取組んだ自負があったので、鉱山跡を見捨てることはしなかった。
自分たちの発展の礎は、別子銅山にあると、大事にすることになる。
ここは、少し山に入った、マイントピア別子。 別子銅山跡の、観光施設。 道の駅でも。

観光坑道があって、掘っていた時代を学べる。 冬桜は、間もなくお終い。 11月から咲いていた。


トロッコ列車に乗って、歩いて、入り口が見えた。

山の上で、銅鉱石の露頭を見つけたのが始まり。
そこに、最初の坑道。 それが、歓喜坑道。 大きな喜びがあった。
掘る人は、四国遍路の衣裳のよう。 少しの灯りの中で。


最終的なのは、ここでは作れない。 当時は大阪で精錬。 女の人が運ぶ。 30㌔。


作業場はどこも、山の斜面。 どれだけ手間暇かけても、銅は高価。 利益は大きい。


火薬庫の天井は、筒抜け。 当時のまま。

下の赤い橋は、ピントラス橋とある。
三角を組み合わせたトラス僑。 部材をピンで留めたから、ピントラスだそう。 それ以上は、分からない。


第四通洞。 色々使われたトンネル。 この後、第三通洞も見に行く。
第三はずっと上にある。 上から掘って来たので、下が後になる。

中。 普通の人も通った。 暗く怖かったという。


左は、マイントピア別子の建物。 右は、発電所だったか。


東平(とうなる)地区に移動。 30分ほど走ったでしょうか。
曲がりくねった細い道を、登った。 標高750㍍まで。
※ ならす、と云う言葉がある。 平らにするという意味。 均す、平らす、と書く。
そんなことで、東平は「とうなる」と読めそう。
駐車場。

上の写真の、左奥。 向こうの谷を下りたところに、第三通洞。 先にそっち行く。

下を見たらこう。 深い谷。


トンネルは、どこにでも。
黄レンゲショウマとある。 レンゲショウマの変種でしょうか。 珍しい花。 絶滅の不安が。
滝野すずらん丘陵公園で、滝を見る。 レンゲショウマの花。 ~札幌市~ 他 (2013/9/17)


谷底まで、100㍍はありそう。 道をつくるのも命がけ。

着きました。 原っぱのように、平。
採鉱本部が、ここに置かれた時期があるのですね。


変電所跡。

第三通洞。 山の向こうまで突き抜けている。


トンネルの上の要石に、住友家の家紋があった。

左下から右に行って、中に入り込んだ。 山の上から掘り始めた。


赤〇に今はいる。 そこに、第三通洞。 第四通道はその下に。 下に掘り進む。

駐車場に戻って来て、東平歴史資料館を見学。 学校。

今の時代より、人間らしい表情に見える。 気のせいかな。


人が生きる上で、一番必要なものは何なんでしょう。
この写真の生活には、それがある。


いい表情で生きようとする。 考えてみるか。 人とのいい関わりがなければ、・・・。
※ 今日の一番の収穫は、この写真との出会いかも知れない。

駐車場の下に行く。
ここには、インクラインがあった。 乗り物を、ワイヤ―で上げたり下ろしたり。
※ インクラインで有名なのは、京都の南禅寺の近くの、インクライン。
琵琶湖と京都の標高が違うので、必要だった。
琵琶湖疎水・インクライン・哲学の道を歩く。~京都市東山~ 他 (2013/4/3)


下から見上げた。

※ 空から見たらこう。 いっそうマチュピチュに見える。


(2枚とも、マイントピア別子のHPからお借り)
1つ上に上がって来た。 鉱石の貯蔵庫だったかな。

鉱山の町はどこもそうだけど、幻のように消えていく。
さっきは向こう下に行っていた。

別方向から。


上の場所を、上の方から。

世界遺産への取り組みは、どうなるでしょう。
別子銅山の産業遺産のほとんどは、住友グループの所有。
登録の取り組みをスタートさせると、
住友の過去の取り組みの内容が、きっと、精査される。
そこに、住友が不安を持っていたら、取り組みは難しいかも知れない。
ただ、鉱害に対しては、常に前向きな姿勢を取って来たことは、
住友の内部史料に関係なく、客観的に認められている。
詳しいことは分からないけど、優れた人材で取り組めば、十分可能なように思う。
東平(とうなる)の風景は、日本のどこの産業遺産も敵わない。
そんな魅力の大きさ。
世界遺産への登録は、単に有名になるだけでなく、確実に後世に残ることを意味します。
そのことが大きいです。
【今日の一句】 「 山の道を 曲がって曲がって登って そこに天空のマチュピチュ東平 」
※ 今日、舌を噛んで血豆。
マチュピチュ、マチュピチュって、舌を噛みそうな名前だなと思っていた。
伊予柑を雑に食べていたら、噛んでしまった。
マチュピチュって感じで、手をベチャベチャにして。
いよかんだから、噛むのかな。
伊予柑の甘さは、伊予人の人情の味。 なもし、とか言いながら。
【動画】 ※ 車載動画の画質が悪いです。 撮影で、ミスをしました。
【ブログ紹介】
足尾銅山跡は、足尾銅山観光として、利用されていた。 延長1200㌔の坑道。~日光市~ 他 (2014/6/7)
渡良瀬遊水地で、谷中村の痕跡を探す。~栃木市藤岡町~ 他 (2011/10/27)
神子畑鋳鉄橋 生野銀山 ~朝来市~ 他 (2011/6/26)
【動画の紹介】 天空のまち 東平(告知版)
【今日の歌】 東平歴史資料館の上の本編のナレーションは、水樹奈々。
彼女は、新居浜市出身。 初代の、新居浜ふるさと観光大使。
お父さんは、今日歩いた東平出身。
水樹奈々『禁断のレジスタンス』MUSIC CLIP(Full Ver.) 映像に東平が出てくる。
【道の駅】 小松オアシス
【明日の予定】 松山市内 道後温泉
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(2008年4月~2010年9月までの.記事)

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