松山市の近くに、ちょっとした用事があったので、行ってきた。
天気は厳しい雨だったけど、松山市内を見学。
旅をしていたら、いろんな句碑や歌碑に出会う。
その作者のほとんどが、正岡子規の門下生やその流れ。
そんなことで、子規関係とお城と道後温泉を歩いた。
傘が壊れそうな風で、写真は適当になった。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
久しぶりの松山市。

車は、道の駅ふたみに。 伊予上灘駅から、列車で行く。
駅のホームでこの風景を見た。 見たことあるなと、感じた。
思い出した。 あのとんがった山に、登ったことがある。
小さいけど、危険なところがあった。
それで覚えている。
本尊山に登る 海に一番近い下灘駅(?) 伊予長浜を歩く ~伊予市・大洲市~ 他 (2011/2/13)

一両の列車。 電車でない。 対面のシート。 ちょっとビールをとかの雰囲気ではない。
JR松山駅で降りて、路面電車で伊予鉄の松山市駅まで行った。
駅裏の正宗(しょうじゅう)寺の境内に、子規堂はあった。
梅がちょうどよく咲いていた。
正岡子規の像は、17歳で東京に旅立つときのイメージ。

17歳まで暮らした家を、復元したそう。 調べてみたら、こうだった。
※ ここの寺は、正岡家の菩提寺。 500㍍程離れた所に、元々家はあった。
後に、ここに移築した。 火事で焼けて、再建。
空襲で焼けて、戦後に再度再建。
それが今、残っている。

坊っちゃん列車。 夏目漱石とは、仲が良かった。

子規の髪塔とある。 遺髪が入っている。 うしろに、正岡家の墓が。 彼の骨は無い。
与謝野晶子が、ここに来ている。
※ 移築したのは、大正15年。(子規が亡くなって24年後)
子規堂が最初に焼けたのは、昭和8年。
彼女がやって来たのは、昭和6年の11月。
彼女は、移築した本物を見ている。

子規堂の中。 展示物は、基本的には複製。 ※ 本物を置くのは、危険。

3畳の勉強部屋。

住所は、自宅の住所と説明が。 この住所は、ここから東に500㍍。

上にもあるけど、子規は絵を描くのが好きだった。

子規は、中央に。 明治30年とある。 あと5年の命。 結核で苦しんでいる。

虚子が、右下に。 碧梧桐が、右上に。 他は分からない。
※ 虚子には、あっちこっちで会う。
弘法大師ゆかりの名刹、善通寺。 涅槃桜が咲いていた。~善通寺市~ 他 (2013/3/19)
碧梧桐には、数度。
東本願寺別邸、名勝 渉成園~京都市~ 昔聞いたシャンソン(さとう宗幸) 他 (2012/6/4)

少年時代。 切れ味鋭い表情ではないけど、中身は大変。

どれだけ人が集まっても、中心は正岡子規なんでしょうね。

知ってるのは、何名かだけ。 真ん中辺りにいる、月斗という人には、何度か。
宇陀松山の町並みを歩く。 森野旧薬園、他。~宇陀市~ 他 (2013/4/13)

漱石のことば。

松山城に。 来たことあるように思うけど、思い出せない。 6年も前か。
現存天守12城の1つ。 天守が昔のまま。
現存天守の価値は、あまりにも大きい。
名城と云って自慢してる城は、太刀打ちできない。
鉄筋コンクリートの天守の価値は、ゼロ。
※ 丸亀城、高知城、宇和島城も現存天守。 四国には、4つも。
※ 12城のうち5つが国宝。 四国に、国宝の天守は無い。
昨年、松江城が国宝になった。 (いつ建築されたかが分かる資料が、発見されて)

立派な石垣。

いくつも門をくぐって。

鉄で丈夫にしている。

説明に、加藤嘉明とある。 彼が建てたんですね。 別の説明に、下が、
彼は、豊臣秀吉の子飼衆で、賤ヶ岳の七本槍・七将の1人。 伊予松山藩および陸奥会津藩初代藩主。(Wikipedia)
賎ヶ岳(しずがだけ)の戦いで、秀吉が柴田勝家に勝った。
浅井(あざい)三姉妹が助け出された。 お市は、自刃。 勝家も。
賤ヶ岳 余呉湖 ~秀吉と柴田勝家が戦った地~ 他 (2011/7/1)

※ 余談 賎ヶ岳七本槍の1人に、脇坂 安治(わきざか やすはる)がいる。
今、詐欺の疑いで騒がれている女医の脇坂英理子は、脇坂安治の子孫だと云っている。
でも、子孫の人達は、あいつは関係ないと言い出した。
有名な時は、親せきは増える。
悪いことをすると、親せきは一気に減る。
歩いているうちに、来たことあるって思い出した。

外は大荒れ。 傘がつぶれそうになる。

重要文化財の建物がいっぱい。 復元もしてるよう。
※ 設計図があって木造で造った時だけ、復元のことばが使える。

松山市は、四国で一番大きい。 伊予松山藩。

山を下りて、坊っちゃん団子。 行き帰り、ロープウエー。 今日は、歩けない。

道後温泉に路面電車で行った。 ここは、子規記念博物館。 今日は、子規を少しだけ勉強。

写真が撮れたのは、ここだけ。

道後温泉駅。 向こうからとこっちからと電車。
ちょうどいいと撮ったら、バスも、仲間入り~って来た。

列が長くて、入れない。

正岡子規がいた。 野球を伝えた。
彼が生み出した野球用語もある。 「打者」「走者」「四球」「直球」など。

松山市には、見てない所がいっぱいある。
もっと近くに車が置けるといい。
それを見つけて、再度市街地に入りますね。
夕方雨は止みました。
また、列車に乗って戻りました。
【今日の一句】 「 路面電車の街は どこかのんびり 」
【ブログ紹介】 山内一豊の高知城 ~高知市中央に建つ、南海の名城~ 他 (2011/1/14)
丸亀城 うちわの港ミュージアム 他 ~丸亀市~ 他 (2010/12/24)
現存天守の宇和島城 ~宇和島市~ 他 (2011/1/29)
【今日のリズム】 Best Drummer Ever [HD] 途中で神業が
【道の駅】 ふたみ
【明日の予定】 10日は、見学はしない。
11日は、あるお寺。 いいかも知れない。 三重塔がある。
12日は天気がいい。 待っていた。 石鎚山の中腹の横峰寺に。 片道10㌔。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)
※ プロフィール・・・。 ⇒
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天気は厳しい雨だったけど、松山市内を見学。
旅をしていたら、いろんな句碑や歌碑に出会う。
その作者のほとんどが、正岡子規の門下生やその流れ。
そんなことで、子規関係とお城と道後温泉を歩いた。
傘が壊れそうな風で、写真は適当になった。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。

( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
久しぶりの松山市。


車は、道の駅ふたみに。 伊予上灘駅から、列車で行く。
駅のホームでこの風景を見た。 見たことあるなと、感じた。
思い出した。 あのとんがった山に、登ったことがある。
小さいけど、危険なところがあった。
それで覚えている。
本尊山に登る 海に一番近い下灘駅(?) 伊予長浜を歩く ~伊予市・大洲市~ 他 (2011/2/13)

一両の列車。 電車でない。 対面のシート。 ちょっとビールをとかの雰囲気ではない。
JR松山駅で降りて、路面電車で伊予鉄の松山市駅まで行った。
駅裏の正宗(しょうじゅう)寺の境内に、子規堂はあった。
梅がちょうどよく咲いていた。
正岡子規の像は、17歳で東京に旅立つときのイメージ。

17歳まで暮らした家を、復元したそう。 調べてみたら、こうだった。
※ ここの寺は、正岡家の菩提寺。 500㍍程離れた所に、元々家はあった。
後に、ここに移築した。 火事で焼けて、再建。
空襲で焼けて、戦後に再度再建。
それが今、残っている。

坊っちゃん列車。 夏目漱石とは、仲が良かった。


子規の髪塔とある。 遺髪が入っている。 うしろに、正岡家の墓が。 彼の骨は無い。
与謝野晶子が、ここに来ている。
※ 移築したのは、大正15年。(子規が亡くなって24年後)
子規堂が最初に焼けたのは、昭和8年。
彼女がやって来たのは、昭和6年の11月。
彼女は、移築した本物を見ている。


子規堂の中。 展示物は、基本的には複製。 ※ 本物を置くのは、危険。

3畳の勉強部屋。


住所は、自宅の住所と説明が。 この住所は、ここから東に500㍍。

上にもあるけど、子規は絵を描くのが好きだった。

子規は、中央に。 明治30年とある。 あと5年の命。 結核で苦しんでいる。

虚子が、右下に。 碧梧桐が、右上に。 他は分からない。
※ 虚子には、あっちこっちで会う。
弘法大師ゆかりの名刹、善通寺。 涅槃桜が咲いていた。~善通寺市~ 他 (2013/3/19)
碧梧桐には、数度。
東本願寺別邸、名勝 渉成園~京都市~ 昔聞いたシャンソン(さとう宗幸) 他 (2012/6/4)

少年時代。 切れ味鋭い表情ではないけど、中身は大変。

どれだけ人が集まっても、中心は正岡子規なんでしょうね。

知ってるのは、何名かだけ。 真ん中辺りにいる、月斗という人には、何度か。
宇陀松山の町並みを歩く。 森野旧薬園、他。~宇陀市~ 他 (2013/4/13)

漱石のことば。

松山城に。 来たことあるように思うけど、思い出せない。 6年も前か。
現存天守12城の1つ。 天守が昔のまま。
現存天守の価値は、あまりにも大きい。
名城と云って自慢してる城は、太刀打ちできない。
鉄筋コンクリートの天守の価値は、ゼロ。
※ 丸亀城、高知城、宇和島城も現存天守。 四国には、4つも。
※ 12城のうち5つが国宝。 四国に、国宝の天守は無い。
昨年、松江城が国宝になった。 (いつ建築されたかが分かる資料が、発見されて)

立派な石垣。

いくつも門をくぐって。


鉄で丈夫にしている。


説明に、加藤嘉明とある。 彼が建てたんですね。 別の説明に、下が、
彼は、豊臣秀吉の子飼衆で、賤ヶ岳の七本槍・七将の1人。 伊予松山藩および陸奥会津藩初代藩主。(Wikipedia)
賎ヶ岳(しずがだけ)の戦いで、秀吉が柴田勝家に勝った。
浅井(あざい)三姉妹が助け出された。 お市は、自刃。 勝家も。
賤ヶ岳 余呉湖 ~秀吉と柴田勝家が戦った地~ 他 (2011/7/1)


※ 余談 賎ヶ岳七本槍の1人に、脇坂 安治(わきざか やすはる)がいる。
今、詐欺の疑いで騒がれている女医の脇坂英理子は、脇坂安治の子孫だと云っている。
でも、子孫の人達は、あいつは関係ないと言い出した。
有名な時は、親せきは増える。
悪いことをすると、親せきは一気に減る。
歩いているうちに、来たことあるって思い出した。

外は大荒れ。 傘がつぶれそうになる。

重要文化財の建物がいっぱい。 復元もしてるよう。
※ 設計図があって木造で造った時だけ、復元のことばが使える。

松山市は、四国で一番大きい。 伊予松山藩。

山を下りて、坊っちゃん団子。 行き帰り、ロープウエー。 今日は、歩けない。

道後温泉に路面電車で行った。 ここは、子規記念博物館。 今日は、子規を少しだけ勉強。

写真が撮れたのは、ここだけ。

道後温泉駅。 向こうからとこっちからと電車。
ちょうどいいと撮ったら、バスも、仲間入り~って来た。

列が長くて、入れない。

正岡子規がいた。 野球を伝えた。
彼が生み出した野球用語もある。 「打者」「走者」「四球」「直球」など。

松山市には、見てない所がいっぱいある。
もっと近くに車が置けるといい。
それを見つけて、再度市街地に入りますね。
夕方雨は止みました。
また、列車に乗って戻りました。
【今日の一句】 「 路面電車の街は どこかのんびり 」
【ブログ紹介】 山内一豊の高知城 ~高知市中央に建つ、南海の名城~ 他 (2011/1/14)
丸亀城 うちわの港ミュージアム 他 ~丸亀市~ 他 (2010/12/24)
現存天守の宇和島城 ~宇和島市~ 他 (2011/1/29)
【今日のリズム】 Best Drummer Ever [HD] 途中で神業が
【道の駅】 ふたみ
【明日の予定】 10日は、見学はしない。
11日は、あるお寺。 いいかも知れない。 三重塔がある。
12日は天気がいい。 待っていた。 石鎚山の中腹の横峰寺に。 片道10㌔。
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(2008年4月~2010年9月までの.記事)

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