隣同士にあるんだ、そう思って行ってみたら違った。
2つの寺は、一緒の境内にあった。
元々は、どっちの境内だったのか。
どんな事情があって、今の形に。
第68番神恵院の読みは、じんねいん。 (じんえいんが、変化したのか)
第69番観音寺は、かんのんじが正しい。 (かんおんじになってるHPも多い。 もしかしてどっちでもいいのか)
※ ここの観音寺は、観音寺(かんおんじ)市にある。
山の上に、琴弾(ことひき)八幡宮。
近くの高台から海を見たら、寛永通宝の大きな砂絵。
今日は、そんな所を歩いてみた。
いくつか、面白いことが。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
場所は、観音寺市。

琴弾(ことひき)公園の隣に、道の駅がある。 車はそこに。
※ 小さな道の駅。 道の駅らしくない。
今回四国に入って、道の駅は7ヶ所ほど行った。
まだ1度も、道の駅として作った道の駅には行ってない。
何かの施設の駐車場を、道の駅に利用したところばかり。
トイレなどが、普通の道の駅に比べて、あまりにも質素。
道の駅にすれば、人がやって来る。
それを期待して道の駅にした。
でも、買い物が終わったらいて欲しくないというのが本音で、
そこが、普通の道の駅と違う。
右図の仁王門は、観音寺の仁王門。 今は、一応共通だけど。 後で知る。

山の上に、琴弾八幡宮。 その下の広場。 駐車場。
こんもりとした巨木は、クスノキと考えていい。 右に枝が少ないから、右が北かなって。

この鳥居から長い石段を上がる。 今は行かない。
焼き物か。 狛犬の顔が入りそうな、大きな口。

伝説が。 志度寺の戦いと云われてる物なので、この地はふつう出て来ない。
※ 志度寺は高松の屋島の近くにある。 下で云ってる場所はここなのか、確認はできない。
第86番札所、志度寺。 海女の玉取り伝説の、不思議。 補陀落渡海信仰。~さぬき市~ 他 (2014/4/18)
義経の家臣の、伊勢義盛が平家を調略する。 これはいいよう。
※ 余談 この人は木曽義仲を琵琶湖の近くで討ち取った人。
義仲寺には、木曽義仲と松尾芭蕉の墓が。 芭蕉の願いで、ここに墓が。~大津市~ 他 (2015/12/8)
田口教能(のりよし)が伊予の源氏を平定とある。 伊予の、河野氏を攻めたんですね。
河野氏は持ちこたえて、源氏に味方を続ける。
だから、先日行った伊予の西山興隆寺は、頼朝が建てたというのは納得できるでしょうか。
戦いの山場は、屋島の戦いだったでしょうね。 それが全て。
石碑があったので、一応撮った。 知らない人。 調べたら、ああそうなんだとなった。
※ この人は、室町末期の連歌師、山崎宗鑑(そうかん 1460頃-1540頃)
ある人に「切りたくもあり切りたくもなし」という下の句に
上の句を三句付けてみよといわれ、

2つの寺の仁王門です。 近くに、無料の駐車場。 道も狭くない。

これでもかって。

石段を上がったら、ここにもクスノキ。 右に、観音寺の本堂。

観音寺も神恵院も、琴弾天満宮があったために生まれた寺だった。 神仏混淆時代に。
観音寺は、元々ここにあった。
神恵院は、小さな山の上の琴弾天満宮の所にあった。
でも、明治の廃仏毀釈で、行く所がなくなって、観音寺の境内に来た。 居候。

本堂側から。 奥の建物が、観音寺の大師堂。

石段を上がった所に、鐘楼。 こった彫刻。 そして鬼でしょうか、懸命に支えている。
鐘の棒が高い位置にある。 揺するのは大変。
ところが、ひもを下に引っ張れば、鐘を打つという。 その仕組みが分からない。 後で知ったこと。

神恵院の大師堂。 元々の大師堂は、壊れたよう。 仮住まい。
右奥に本堂。 コンクリートの建物を通ったら、あった。
※ その建物さえ、近代的とかほめる人が多い。

お遍路さんを静かに見守って。

砂絵を見に行こうとしたが、間違って下に降りてしまった。
松は自分勝手に伸びるから大変。
右写真は、木は左から右に成長。 途中、枝が土について、そこから根。 右の方は?
今は、どのように水は流れているのでしょう。

もう一度山に上がって、展望台に。

時の藩主、生駒高俊に見せた。 この藩主は、家臣を掌握できなかった。
改易されて、秋田の方に飛ばされる。
鳥海山の麓の山の中。 今は、八森城跡がある。
※ 余談 義経の正室は郷(さと)御前。
平泉への途中子供が生まれ、鳴子温泉で産湯。
(3人とも死ぬのは、4年後)
この鳴子温泉から、山の中の鬼首(おにこうべ)を通っていくと、生駒高俊の八森城跡に出る。
再度通ったら、城跡に寄ってみますね。
こうです。 寛永通宝。 大雨でも、大丈夫なのでしょうか。

近くに、琴弾八幡宮。 入り口に、この説明。
こんな話があるんですね。
武藤太を恨む庶民の気持ちが、こんな話を作ったのでしょうか。
※ 源為朝の伝説は、いくつかあるよう。 九州にもあった。
川古(かわご)の大楠(おおくす)。 カラクリ人形による、黒髪山大蛇退治。~武雄市~ 他 (2015/2/25)
※ 為朝は、保元の乱で崇徳上皇の味方をしている。 負けて追われる身に。
西行法師の道を歩いて、崇徳天皇白峯の陵へ。 81番札所、白峯寺。~坂出市~ 他 (2012/12/26)
琴弾八幡宮。 裏口から入った。 鬼がいた。

正面から。 ここでも、支えている。 さっきのと、作者は一緒か。

観音寺の町並み。

下りて来たら、地図があった。 この中を歩いていた。

今日は納経帳に、2ヶ所書いてもらいました。
香川県に入ると、歴史が古いからか、伝説が多くなりますね。
全部が伝説ではなく、どれかは真実。
それがあるから、一方的に、ばかにできない。
面白い。
【今日の一句】 「 今年もはや 3月半ば 間もなくお彼岸 」
【動画】
【今日の歌】 十五夜の君 彼女は激しい気性を持っている。 彼女ならやれる。 今日のような復讐を。
【道の駅】 ふれあいパークみの
【明日の予定】 時間があれば粟島に。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)
※ プロフィール・・・。 ⇒
今までの記事には、この2枚だけ。
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2つの寺は、一緒の境内にあった。
元々は、どっちの境内だったのか。
どんな事情があって、今の形に。
第68番神恵院の読みは、じんねいん。 (じんえいんが、変化したのか)
第69番観音寺は、かんのんじが正しい。 (かんおんじになってるHPも多い。 もしかしてどっちでもいいのか)
※ ここの観音寺は、観音寺(かんおんじ)市にある。
山の上に、琴弾(ことひき)八幡宮。
近くの高台から海を見たら、寛永通宝の大きな砂絵。
今日は、そんな所を歩いてみた。
いくつか、面白いことが。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。

( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
場所は、観音寺市。

琴弾(ことひき)公園の隣に、道の駅がある。 車はそこに。
※ 小さな道の駅。 道の駅らしくない。
今回四国に入って、道の駅は7ヶ所ほど行った。
まだ1度も、道の駅として作った道の駅には行ってない。
何かの施設の駐車場を、道の駅に利用したところばかり。
トイレなどが、普通の道の駅に比べて、あまりにも質素。
道の駅にすれば、人がやって来る。
それを期待して道の駅にした。
でも、買い物が終わったらいて欲しくないというのが本音で、
そこが、普通の道の駅と違う。
右図の仁王門は、観音寺の仁王門。 今は、一応共通だけど。 後で知る。


山の上に、琴弾八幡宮。 その下の広場。 駐車場。
こんもりとした巨木は、クスノキと考えていい。 右に枝が少ないから、右が北かなって。

この鳥居から長い石段を上がる。 今は行かない。
焼き物か。 狛犬の顔が入りそうな、大きな口。


伝説が。 志度寺の戦いと云われてる物なので、この地はふつう出て来ない。
※ 志度寺は高松の屋島の近くにある。 下で云ってる場所はここなのか、確認はできない。
第86番札所、志度寺。 海女の玉取り伝説の、不思議。 補陀落渡海信仰。~さぬき市~ 他 (2014/4/18)
義経の家臣の、伊勢義盛が平家を調略する。 これはいいよう。
※ 余談 この人は木曽義仲を琵琶湖の近くで討ち取った人。
義仲寺には、木曽義仲と松尾芭蕉の墓が。 芭蕉の願いで、ここに墓が。~大津市~ 他 (2015/12/8)
田口教能(のりよし)が伊予の源氏を平定とある。 伊予の、河野氏を攻めたんですね。
河野氏は持ちこたえて、源氏に味方を続ける。
だから、先日行った伊予の西山興隆寺は、頼朝が建てたというのは納得できるでしょうか。
戦いの山場は、屋島の戦いだったでしょうね。 それが全て。


石碑があったので、一応撮った。 知らない人。 調べたら、ああそうなんだとなった。
※ この人は、室町末期の連歌師、山崎宗鑑(そうかん 1460頃-1540頃)
ある人に「切りたくもあり切りたくもなし」という下の句に
上の句を三句付けてみよといわれ、
1 ぬすびとを捕へて見ればわが子なり
2 さやかなる月をかくせる花の枝
3 心よき的矢の少し長いをば
有名なのは、1ですね。
「ぬすびとを捕へて見ればわが子なり 切りたくもあり切りたくもなし」
となりますね。
※ 辞世の句も面白い。
「宗鑑は いづくへと人の 問うならば ちとよう(ヨウ)がありて あの世へといへ」
ヨウは、腫物(はれもの)のことです。 腫瘍(しゅよう)のようかな。


2つの寺の仁王門です。 近くに、無料の駐車場。 道も狭くない。

これでもかって。


石段を上がったら、ここにもクスノキ。 右に、観音寺の本堂。

観音寺も神恵院も、琴弾天満宮があったために生まれた寺だった。 神仏混淆時代に。
観音寺は、元々ここにあった。
神恵院は、小さな山の上の琴弾天満宮の所にあった。
でも、明治の廃仏毀釈で、行く所がなくなって、観音寺の境内に来た。 居候。

本堂側から。 奥の建物が、観音寺の大師堂。

石段を上がった所に、鐘楼。 こった彫刻。 そして鬼でしょうか、懸命に支えている。
鐘の棒が高い位置にある。 揺するのは大変。
ところが、ひもを下に引っ張れば、鐘を打つという。 その仕組みが分からない。 後で知ったこと。



神恵院の大師堂。 元々の大師堂は、壊れたよう。 仮住まい。
右奥に本堂。 コンクリートの建物を通ったら、あった。
※ その建物さえ、近代的とかほめる人が多い。


お遍路さんを静かに見守って。

砂絵を見に行こうとしたが、間違って下に降りてしまった。
松は自分勝手に伸びるから大変。
右写真は、木は左から右に成長。 途中、枝が土について、そこから根。 右の方は?
今は、どのように水は流れているのでしょう。


もう一度山に上がって、展望台に。


時の藩主、生駒高俊に見せた。 この藩主は、家臣を掌握できなかった。
改易されて、秋田の方に飛ばされる。
鳥海山の麓の山の中。 今は、八森城跡がある。
※ 余談 義経の正室は郷(さと)御前。
平泉への途中子供が生まれ、鳴子温泉で産湯。
(3人とも死ぬのは、4年後)
この鳴子温泉から、山の中の鬼首(おにこうべ)を通っていくと、生駒高俊の八森城跡に出る。
再度通ったら、城跡に寄ってみますね。
こうです。 寛永通宝。 大雨でも、大丈夫なのでしょうか。


近くに、琴弾八幡宮。 入り口に、この説明。
こんな話があるんですね。
武藤太を恨む庶民の気持ちが、こんな話を作ったのでしょうか。
※ 源為朝の伝説は、いくつかあるよう。 九州にもあった。
川古(かわご)の大楠(おおくす)。 カラクリ人形による、黒髪山大蛇退治。~武雄市~ 他 (2015/2/25)
※ 為朝は、保元の乱で崇徳上皇の味方をしている。 負けて追われる身に。
西行法師の道を歩いて、崇徳天皇白峯の陵へ。 81番札所、白峯寺。~坂出市~ 他 (2012/12/26)

琴弾八幡宮。 裏口から入った。 鬼がいた。


正面から。 ここでも、支えている。 さっきのと、作者は一緒か。


観音寺の町並み。

下りて来たら、地図があった。 この中を歩いていた。

今日は納経帳に、2ヶ所書いてもらいました。
香川県に入ると、歴史が古いからか、伝説が多くなりますね。
全部が伝説ではなく、どれかは真実。
それがあるから、一方的に、ばかにできない。
面白い。
【今日の一句】 「 今年もはや 3月半ば 間もなくお彼岸 」
【動画】
【今日の歌】 十五夜の君 彼女は激しい気性を持っている。 彼女ならやれる。 今日のような復讐を。
【道の駅】 ふれあいパークみの
【明日の予定】 時間があれば粟島に。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)

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