昨日から、南三陸町に来た。
この町の被害は、陸前高田市に似ていた。
建物は津波に持っていかれ、無かった。 どんな街並みだったか、想像できない。
※ 約5500世帯のうち、約8割の家屋が壊滅した。
役場の仮の庁舎や、災害ボランティアセンターは、市街地の北の丘の上にあった。
写真の奥の方には、自衛隊の車両が、たくさんあった。
今日は一日、パソコンに、ボランティアに関わる情報を入力する仕事。(手書きの名簿の情報など)
※ この町は電気が復旧してないから、電気は発電機で。
プレハブの小屋の中での作業。 人とは、ほとんど話さなかった。
灯りはないので、手元が見えなくなった時、終わった。
ボランティアの人の中には、テントに泊まっている人がいる。
バイクで来た人、バスで来た人の中にも、テントの人が。
夜は寒いから、温かくするため、みんな工夫している。
※ 12日の夜は、動画をYouTubeに載せるのに、朝までかかった。(21の動画)
パソコンが作業している間、タイマーを30分とかにセットして寝た。
※ ネットのスピードが速いと、ブログと同時にやれる。
それで、ブログは朝から。
11日の晩、道の駅で食事をした。
津波の後、そこは、避難所になった。
その時のことを、店の主人が、詳しく話してくれた。
いっしょに、少しのお酒を飲んだ。
ただ、まとめるのに時間がかかるので、明日の晩になります。
今日は、最近ネットで見つけていた、いい言葉だなと思うのを載せます。 忘れられない言葉も。
○「6メートルの津波がきます。避難してください」
この町のこと。
11日、宮城県南三陸町の防災放送担当の職員、遠藤未希さん(24)は、津波にのまれるまで、
防災対策庁舎2階で訴え続けた。 最後は声が震えていた。 (一度載せています)(産経新聞)
○「内陸に行け」
仙台市の交差点で仙台南署の渡辺武彦警部(58)は警棒を振り回しながら避難誘導し、殉職した。
この誘導で助かった会社員、鈴木和美さん(26)は今月5日、同署で涙ながらに誓った。
「助けていただいた命。悔いのないよう生きていきたい」 (産経新聞)
○「寒いから、もう一枚服を羽織ってこいよ」
津波が襲う直前、大槌町の加藤宏暉(こうき)町長は、役場の駐車場で対策会議を開こうとしていた。
町長のこの言葉で、東梅政昭 副町長は庁舎内に服を取りに行った。
その時津波は来た。 副町長は難を逃れた。 町長は遺体で見つかった。 (産経新聞)
○「めげてばかりはいられない」
佐藤 南三陸町長の言葉。 一番上の女性の方と、津波の時同じ建物にいた。
屋上に避難したが、直後に大波が襲ってきた。
「自分の頭を超える波が、何回も行ったり来たりした」。
金属製の階段の手すりにつかまり、必死に濁流に逆らった。
津波が引くと、町は壊滅していた。
建物に絡まった流木にライターで火を付けて暖を取り、励まし合いながら残された職員らとともに
屋上で2晩を過ごした。 (産経新聞)
○「天を恨まず、運命に耐え、助け合って生きていくことが、私たちの使命です」
階上(はしかみ)中学校 卒業式の答辞。 ※ 卒業生代表 梶原裕太くん。
全文は
階上(はしかみ)中学校と言えば防災教育と言われ、
内外から高く評価され十分な訓練もしていた私たちでした。
しかし自然の猛威の前には人間の力はあまりにも無力で、
私たちから大切なものを容赦なく奪っていきました。
天が与えた試練と言うには、むごすぎるものでした。
辛くて悔しくてたまりません。
しかし苦境にあっても、天を恨まず運命に耐え、
助け合って生きていくことが、これからの私たちの使命です。
○「記者さん、ほら見て、空。 きれいな青空。 上だけ見れば、前と何にも変わらないんだから」
宮城県女川町、26歳の女性。 。自宅を失い、夫の安否が不明。 (震災ノートの言葉より)
○ そう、花いっぱいの岩手にしましょう!
みんなでたくさんの花を咲かせましょう!
地球は生きているから地震もあるの。
生きているから、お花も咲いてくれるの。
お花いっぱいの岩手にしよう!
たくさんのお花が風に揺れています。 (ブログ ドルチェだいあり~ さん)
ここまでにします。
今日は、地震が何度あったか分からない。
走っている時、地震が来た。 車はみんな停まった。 電信柱が大きく揺れた。 ※ 動画は失敗。
そうそう、大船渡市の越喜来(おきらい)診療所が、今日(11日)に再開したそうです。
※ 2日間、清掃に行っていた。 泥との格闘だった。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
【ランキング】 国内旅行は6位、 旅行全体で22位です。 放浪の旅は12位です。
記事は役立ったでしょうか。
気に入った所などがありましたら、クリックをよろしく。
※ クリックするバナーは、下のです。
※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
この町の被害は、陸前高田市に似ていた。
建物は津波に持っていかれ、無かった。 どんな街並みだったか、想像できない。
※ 約5500世帯のうち、約8割の家屋が壊滅した。
役場の仮の庁舎や、災害ボランティアセンターは、市街地の北の丘の上にあった。
写真の奥の方には、自衛隊の車両が、たくさんあった。

今日は一日、パソコンに、ボランティアに関わる情報を入力する仕事。(手書きの名簿の情報など)
※ この町は電気が復旧してないから、電気は発電機で。
プレハブの小屋の中での作業。 人とは、ほとんど話さなかった。
灯りはないので、手元が見えなくなった時、終わった。
ボランティアの人の中には、テントに泊まっている人がいる。
バイクで来た人、バスで来た人の中にも、テントの人が。
夜は寒いから、温かくするため、みんな工夫している。

※ 12日の夜は、動画をYouTubeに載せるのに、朝までかかった。(21の動画)
パソコンが作業している間、タイマーを30分とかにセットして寝た。
※ ネットのスピードが速いと、ブログと同時にやれる。
それで、ブログは朝から。
11日の晩、道の駅で食事をした。
津波の後、そこは、避難所になった。
その時のことを、店の主人が、詳しく話してくれた。
いっしょに、少しのお酒を飲んだ。
ただ、まとめるのに時間がかかるので、明日の晩になります。
今日は、最近ネットで見つけていた、いい言葉だなと思うのを載せます。 忘れられない言葉も。
○「6メートルの津波がきます。避難してください」
この町のこと。
11日、宮城県南三陸町の防災放送担当の職員、遠藤未希さん(24)は、津波にのまれるまで、
防災対策庁舎2階で訴え続けた。 最後は声が震えていた。 (一度載せています)(産経新聞)
○「内陸に行け」
仙台市の交差点で仙台南署の渡辺武彦警部(58)は警棒を振り回しながら避難誘導し、殉職した。
この誘導で助かった会社員、鈴木和美さん(26)は今月5日、同署で涙ながらに誓った。
「助けていただいた命。悔いのないよう生きていきたい」 (産経新聞)
○「寒いから、もう一枚服を羽織ってこいよ」
津波が襲う直前、大槌町の加藤宏暉(こうき)町長は、役場の駐車場で対策会議を開こうとしていた。
町長のこの言葉で、東梅政昭 副町長は庁舎内に服を取りに行った。
その時津波は来た。 副町長は難を逃れた。 町長は遺体で見つかった。 (産経新聞)
○「めげてばかりはいられない」
佐藤 南三陸町長の言葉。 一番上の女性の方と、津波の時同じ建物にいた。
屋上に避難したが、直後に大波が襲ってきた。
「自分の頭を超える波が、何回も行ったり来たりした」。
金属製の階段の手すりにつかまり、必死に濁流に逆らった。
津波が引くと、町は壊滅していた。
建物に絡まった流木にライターで火を付けて暖を取り、励まし合いながら残された職員らとともに
屋上で2晩を過ごした。 (産経新聞)
○「天を恨まず、運命に耐え、助け合って生きていくことが、私たちの使命です」
階上(はしかみ)中学校 卒業式の答辞。 ※ 卒業生代表 梶原裕太くん。
全文は
階上(はしかみ)中学校と言えば防災教育と言われ、
内外から高く評価され十分な訓練もしていた私たちでした。
しかし自然の猛威の前には人間の力はあまりにも無力で、
私たちから大切なものを容赦なく奪っていきました。
天が与えた試練と言うには、むごすぎるものでした。
辛くて悔しくてたまりません。
しかし苦境にあっても、天を恨まず運命に耐え、
助け合って生きていくことが、これからの私たちの使命です。
○「記者さん、ほら見て、空。 きれいな青空。 上だけ見れば、前と何にも変わらないんだから」
宮城県女川町、26歳の女性。 。自宅を失い、夫の安否が不明。 (震災ノートの言葉より)
○ そう、花いっぱいの岩手にしましょう!
みんなでたくさんの花を咲かせましょう!
地球は生きているから地震もあるの。
生きているから、お花も咲いてくれるの。
お花いっぱいの岩手にしよう!
たくさんのお花が風に揺れています。 (ブログ ドルチェだいあり~ さん)
ここまでにします。
今日は、地震が何度あったか分からない。
走っている時、地震が来た。 車はみんな停まった。 電信柱が大きく揺れた。 ※ 動画は失敗。
そうそう、大船渡市の越喜来(おきらい)診療所が、今日(11日)に再開したそうです。
※ 2日間、清掃に行っていた。 泥との格闘だった。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

【ランキング】 国内旅行は6位、 旅行全体で22位です。 放浪の旅は12位です。
記事は役立ったでしょうか。
気に入った所などがありましたら、クリックをよろしく。
※ クリックするバナーは、下のです。

※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
コメント
がんばれ、東日本、がんばれ、岩手県!
Re: がんばれ、東日本、がんばれ、岩手県!
私は、まっすぐ岩手県に向かって来た。
その理由は、はっきりしないでいた。
でも、少しずつ分かって来たように思います。
その理由は、はっきりしないでいた。
でも、少しずつ分かって来たように思います。
コメントの投稿
トラックバック
https://akkamui.com/tb.php/201-e7722e52
彼らの魂が宿っています。必ず立派に復興します。
日本のリーダーが誰になろうと、彼らの詩魂が郷土を立ち直らせます。復興するかどうか、東北の人々の志一つです。私も微力ながら応援しつづけます。
以前、盛岡を旅したとき、JR盛岡駅の正面の壁文字には、びっくりしたものです。
「もりおか 啄木」。この簡単な表現に涙のでるほど、感動しました。もう今は駅舎が変わり、この文字はないかもしれないが、インターネット上では見れます。私以外にも、感動した人がいます。
そんな岩手県が、岩手の人びとが好きです。