道の駅から、村の中心地辺りへ行ってきた。
「からむし織り」を整理するのは大変。
これについては、村のサイトを紹介。
自分は、村の雰囲気を伝えるのがいいかなと思った。
あっちこっちを歩いて。
今日は、信州の高遠(たかとお)の地名に、2度出会った。
ここは会津と云ったら、分かる人がいるでしょうね。
後ほど。
お腹が空いて、美味しいラーメンを食べた。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
広く山に囲まれている。

歩くのは、道の駅から役場辺りまで。

駐車場が広く、ちゃんとした道の駅。
向こうに行く。

標高は500㍍。 高原っぽい。 昨日行った矢ノ原湿原は、矢ノ原高原にあった。 ここより高い。
変な車が走って来た。

右は、念仏供養塔とある。 真ん中は、二三(二十三)夜供養。 左は、?
供養の養の字が変だ。 養の字の上と下を離して、左右に並べた。
右は良だが、左は美の横棒が1本少ない。
養の異字体って云うのかな。

市街地の感じ。 旅館がある。 どんな人が宿泊するのでしょう。
少し行って、右に曲がる。

曲がったら人がいて、神社の場所を教えてもらう。
今年は花が早く、カタクリは散ってしまったと云う。 スズランが咲き始めていた。
みんな畑で仕事。 仕事日和。 自分は、散歩日和。

気多神社は、直ぐにあった。 この名前の神社に出会ったのは、初めてかな。
鳥居の右に湧水。

矢ノ原清水とある。 昨日の高原の湧水から、引いている。

この狛犬は、高遠の石工が造ったとある。 どうして、高遠かですね。
※ 高遠の殿様だった保科正之は、秋田藩に行く。 7年程いる。
その後、会津藩の初代藩主になる。 禄高を増やしながら。 ここは会津。
保科正之が石工を連れて来ていた。

上の後、石段を登ろうとした。 そうしたら蛇がいた。
蛇もびっくり、慌てふためいて草の中に消えた。 自分も飛び上がった。
写真を撮ったけど、どれが尻尾か分からない。
※ 余談 保科正之は、別の人も連れて来ていた。
ソバ打ちの人。 会津では、高遠ソバが人気。
大内宿で食べられる。
大内宿。 江戸時代の旅人気分で散策。 ネギで食べる、高遠そば。~下郷町~ 他 (2014/6/11)
※ 余談 保科正之は、幕府から大事にされた。
その理由は、3代将軍家光の弟だった。 母は違うけど。
家光の母は、江(ごう)。
浅井3姉妹の1人。 淀殿の妹。 大河で竹内結子は、変わった明るさで淀殿を演じている。
悲しすぎる歴史を背負っているため、そうしている。
保科正之は、あまりにも大事にされるから、幕府には決して逆らわないと心に決める。
藩訓と云うのかな、その最初に入れる。
戊辰戦争で、会津藩は最後まで戦う。
保科正之と家光の関係が、会津藩の生き方をつくっていた。
そんなことがあるから、若くして死んだ会津藩士達を、単純に愚か者とは決めつけられない。
神社に舞台があった。 新しく造ったよう。 造りなおしたのかも。
桧枝岐村のを演じたと、何かに書いてあった。
桧枝岐村を東風さんと歩く ~桧枝岐舞台、安宮清水 他~ 他 (2011/7/17)
(写真だけ。きっと東風さんと飲んだから。 最近は時間の使い方が上手になった)

野に散らばっていたのを集めたのか。 お寺に集めないで。

左隣に変なものが。 調べてみると決めて撮った。
これと同じ文は、ここにしかないよう。 一番上は、梵字。
その下は、こうと分かった。
「四峯都法権大僧都法印絶」
これはお墓の石で、戒名が書いてある。 四峯とあるから、修験僧の墓のよう。

山側。 間もなく田んぼに水。

少し離れて、役場のある集落。
右の写真、屋根につっかえ棒。 雪が多いからか。

お店が多くなってきた。 右写真は、あっちに行ったら矢ノ原湿原。

お店。 後に公民館。 帰りに寄ることに。

会津地方はガソリンが高いというのが、自分の何年もの印象。 いつも京都とは20円の差がある。

大きな木があるというので、ここのお寺に。 これ以上、国道を先には行かない。

正法寺。 何かが書いてある。 考えたものです。

右にお地蔵さま。

本堂左に、大きな木。 後に見える木。 驚くほどではない。
写真中央にあるのは、石灯篭。 高遠の文字が読めた。 これも高遠の石工。

川のこっちから見た役場。

お腹が空いてきて、さっきの所で食べた。 店の名前は、味楽。
ラーメンが出来る前に、ワラビ。 サービス。
ここの東の方に、白河市がある。 白河ラーメンがこの感じか。

このように、暖簾が下がった。 近くに、右のがあった。 どこ行ってないかな。
鶴ヶ城は鉄筋コンクリート。 石垣は立派。
鶴ヶ城 さざえ堂 白虎隊士の墓 ~会津若松市~ 明日 吾妻山へ 他 (2010/7/20)
乙字ヶ滝 小町伝説が残る、小野町 レベルが違った、あぶくま洞 ~阿武隈山地~ 他 (2010/7/19)
元気に歩いて帰る。

連休が終わって、道の駅は静かになった。

道の駅の実演コーナーで、からむし織の糸をつくっていた。

機織り器。 からむし織の詳しくは、ここに。

西に向かっている。 いくつかの集落を過ぎたら、峠に入った。

峠を越えて、最初の集落。 南会津町に。

今日の天気もあるけど、昭和村の人たちは、穏やかに暮らしているように見えました。
都会の喧騒がまったくなく。
あった人とは、みんなに挨拶できました。
昭和村を出て峠を1つ越えてもまだ、水は日本海に流れます。
会津西街道沿いの町。
※ 明後日は、間違いなく雨。 きっと動けない。
その日の見学の分を、午後からした。(今後時々するかなと。こういうのを)
【今日の一句】 そよ風吹いて一句。 「 風は見えない 感じるものかな 」
【今日の歌】 Pursuit of The Cygnus Thief - by J. H. Clarke - Live Spanish Guitar Looping at Pier 39
【道の駅】 しもごう
【明日の予定】 雪割橋・雪割渓谷
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)
※ プロフィール・・・。 ⇒
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これについては、村のサイトを紹介。
自分は、村の雰囲気を伝えるのがいいかなと思った。
あっちこっちを歩いて。
今日は、信州の高遠(たかとお)の地名に、2度出会った。
ここは会津と云ったら、分かる人がいるでしょうね。
後ほど。
お腹が空いて、美味しいラーメンを食べた。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。

( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
広く山に囲まれている。


歩くのは、道の駅から役場辺りまで。

駐車場が広く、ちゃんとした道の駅。


向こうに行く。

標高は500㍍。 高原っぽい。 昨日行った矢ノ原湿原は、矢ノ原高原にあった。 ここより高い。
変な車が走って来た。


右は、念仏供養塔とある。 真ん中は、二三(二十三)夜供養。 左は、?
供養の養の字が変だ。 養の字の上と下を離して、左右に並べた。
右は良だが、左は美の横棒が1本少ない。
養の異字体って云うのかな。


市街地の感じ。 旅館がある。 どんな人が宿泊するのでしょう。
少し行って、右に曲がる。

曲がったら人がいて、神社の場所を教えてもらう。
今年は花が早く、カタクリは散ってしまったと云う。 スズランが咲き始めていた。
みんな畑で仕事。 仕事日和。 自分は、散歩日和。


気多神社は、直ぐにあった。 この名前の神社に出会ったのは、初めてかな。
鳥居の右に湧水。


矢ノ原清水とある。 昨日の高原の湧水から、引いている。


この狛犬は、高遠の石工が造ったとある。 どうして、高遠かですね。
※ 高遠の殿様だった保科正之は、秋田藩に行く。 7年程いる。
その後、会津藩の初代藩主になる。 禄高を増やしながら。 ここは会津。
保科正之が石工を連れて来ていた。


上の後、石段を登ろうとした。 そうしたら蛇がいた。
蛇もびっくり、慌てふためいて草の中に消えた。 自分も飛び上がった。
写真を撮ったけど、どれが尻尾か分からない。
※ 余談 保科正之は、別の人も連れて来ていた。
ソバ打ちの人。 会津では、高遠ソバが人気。
大内宿で食べられる。
大内宿。 江戸時代の旅人気分で散策。 ネギで食べる、高遠そば。~下郷町~ 他 (2014/6/11)
※ 余談 保科正之は、幕府から大事にされた。
その理由は、3代将軍家光の弟だった。 母は違うけど。
家光の母は、江(ごう)。
浅井3姉妹の1人。 淀殿の妹。 大河で竹内結子は、変わった明るさで淀殿を演じている。
悲しすぎる歴史を背負っているため、そうしている。
保科正之は、あまりにも大事にされるから、幕府には決して逆らわないと心に決める。
藩訓と云うのかな、その最初に入れる。
戊辰戦争で、会津藩は最後まで戦う。
保科正之と家光の関係が、会津藩の生き方をつくっていた。
そんなことがあるから、若くして死んだ会津藩士達を、単純に愚か者とは決めつけられない。
神社に舞台があった。 新しく造ったよう。 造りなおしたのかも。
桧枝岐村のを演じたと、何かに書いてあった。
桧枝岐村を東風さんと歩く ~桧枝岐舞台、安宮清水 他~ 他 (2011/7/17)
(写真だけ。きっと東風さんと飲んだから。 最近は時間の使い方が上手になった)

野に散らばっていたのを集めたのか。 お寺に集めないで。

左隣に変なものが。 調べてみると決めて撮った。
これと同じ文は、ここにしかないよう。 一番上は、梵字。
その下は、こうと分かった。
「四峯都法権大僧都法印絶」
これはお墓の石で、戒名が書いてある。 四峯とあるから、修験僧の墓のよう。


山側。 間もなく田んぼに水。

少し離れて、役場のある集落。
右の写真、屋根につっかえ棒。 雪が多いからか。


お店が多くなってきた。 右写真は、あっちに行ったら矢ノ原湿原。


お店。 後に公民館。 帰りに寄ることに。

会津地方はガソリンが高いというのが、自分の何年もの印象。 いつも京都とは20円の差がある。

大きな木があるというので、ここのお寺に。 これ以上、国道を先には行かない。


正法寺。 何かが書いてある。 考えたものです。


右にお地蔵さま。


本堂左に、大きな木。 後に見える木。 驚くほどではない。
写真中央にあるのは、石灯篭。 高遠の文字が読めた。 これも高遠の石工。


川のこっちから見た役場。

お腹が空いてきて、さっきの所で食べた。 店の名前は、味楽。
ラーメンが出来る前に、ワラビ。 サービス。
ここの東の方に、白河市がある。 白河ラーメンがこの感じか。


このように、暖簾が下がった。 近くに、右のがあった。 どこ行ってないかな。
鶴ヶ城は鉄筋コンクリート。 石垣は立派。
鶴ヶ城 さざえ堂 白虎隊士の墓 ~会津若松市~ 明日 吾妻山へ 他 (2010/7/20)
乙字ヶ滝 小町伝説が残る、小野町 レベルが違った、あぶくま洞 ~阿武隈山地~ 他 (2010/7/19)


元気に歩いて帰る。

連休が終わって、道の駅は静かになった。

道の駅の実演コーナーで、からむし織の糸をつくっていた。



機織り器。 からむし織の詳しくは、ここに。

西に向かっている。 いくつかの集落を過ぎたら、峠に入った。

峠を越えて、最初の集落。 南会津町に。

今日の天気もあるけど、昭和村の人たちは、穏やかに暮らしているように見えました。
都会の喧騒がまったくなく。
あった人とは、みんなに挨拶できました。
昭和村を出て峠を1つ越えてもまだ、水は日本海に流れます。
会津西街道沿いの町。
※ 明後日は、間違いなく雨。 きっと動けない。
その日の見学の分を、午後からした。(今後時々するかなと。こういうのを)
【今日の一句】 そよ風吹いて一句。 「 風は見えない 感じるものかな 」
【今日の歌】 Pursuit of The Cygnus Thief - by J. H. Clarke - Live Spanish Guitar Looping at Pier 39
【道の駅】 しもごう
【明日の予定】 雪割橋・雪割渓谷
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(2008年4月~2010年9月までの.記事)

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