日本三文殊と云われる、亀岡文殊。
再度写真を撮りなおす、という事で行ってきた。
歴史を感じさせる長い石段の上に、文殊堂はあった。
由緒ある文殊菩薩は、その中にあるようだ。
亀岡文殊を調べて、分からないことが2つあった。
1つは、文殊菩薩の姿。 本当にあるのか。
もう1つは、伊達政宗が寄進した古鐘はどうなった。
※ 追記 文殊菩薩は分かりました。 下に載っていました。
大聖寺(亀岡文殊)文化財悉皆調査(Adobe PDF)
文殊堂は1914年(大正3年)の再建。
古くは無いけど、伊東忠太の設計。
彼の建築物は、いっぱいある。 いいものばかり。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
高畠町は、米沢に近い。 関ヶ原の後、上杉景勝は会津から米沢に。 左遷みたいに。

亀岡にあるので、亀岡文殊。

駐車場は、ずっと上に。 下の仁王門まで下りてきた。 ここから歩く。

日本三文殊とある。 このことは、いいよう。 3番目として。

左に鐘楼。

資福寺の鐘がここに来た。 資福寺は伊達政宗が子供の頃学んだ寺。
貴重な鐘だった。 説明があるけど、これは違う。
※ 情報源は書けないけど、ある住職の動きによって無くなった。

石仏や石碑が無数に。 真っ直ぐ行って、左に上がる。

この人は、福島方面でも広く活躍している。 女川(おながわ)とある。
※ 余談 女川と云えば、この写真を思い出す。 今どうしているのか。
亘理町鳥の海 「ごめんな」~女川町の男性の写真は、読売新聞で・・・~ 他 (2011/4/24)

草葉の陰からとは、こんな感じでもあるのか。 文殊堂が少しだけ。

この姿を見ると、即身仏を思い出す。 この寺でもあったよう。
※ 山形県の湯殿山方面には、即身仏が多く保存されている。
湯殿山大日坊 真如海上人の即身仏 ~鶴岡市~ 他 (2010/10/4)

鐘楼堂。 この中にも仏像がいっぱいあるよう。
羅漢像が並んでいる。 表情が好きになれない。

文殊堂。 文殊像は秘仏。

どんな像なのか、晩にネットで探した。
日本の他の文殊堂の文殊像は、写真が出てくる。 ここだけない。
どうしても見つからない。
見つかったのは、下のだけ。
秘仏だから、写真がないのか。
右の説明を読むと、像の状態が良ければ、国宝になってもおかしくない。
本当は無いのではと、疑った。
※ 下はどこからお借りしたか、分からなくなった。

11日になって、再度探した。 やっと見つかった。 写真でなく文で探して。
上で紹介した形のサイトなので、ネット上に写真が出なかったよう。
木造文殊菩薩騎獅子像。 獅子に乗ってるから、騎獅子像。
※ 文殊菩薩は単独で本尊になることもあれば、本尊の左に位置することもある。
その時、右は普賢菩薩(ふげんぼさつ)。 獅子でなく象に乗るので、普賢菩薩騎象像(きしょうぞう)。
天気が回復して、やっと愛宕山に。 清凉寺霊宝館特別公開で、普賢菩薩騎象像を見る。~京都市~ 他 (2015/11/20)
細かく測定している。 修復が必要な状態。
高さ29㌢。 1400年前に中国から来たのは、本当かも知れない。
修復が完了したら、国宝は間違いない。
そういうレベルの物ですね。 古さの証明は大変かも知れないが。
直江兼続が来たとある。
上杉景勝は、関が原で西軍の見方をしたから会津から米沢に。 30万石に減って。
打ち首にならなかっただけ、大したもの。 どんな戦略?
景勝を支える兼続が部下とともにやって来た。
今後の苦労を乗り越えるための意思統一が目的か。
奉納した歌は寺にある。
兼続の歌の一部を紹介。 右に。 (直江兼続 comのサイトからお借り)
※ 上のサイトは、ここに。
千羽鶴。 どうして・・。

文殊の知恵の文殊菩薩。 受験のお願いとかがいっぱい。
落書きするなと書いても、びっしり。 知恵の水があった。

裏側の正面。 山の上に神社。 文殊堂を守っているのか。

観音堂。 文殊堂に向かって右に。

絵馬やら何やら。

興福寺の阿修羅像。 国宝の中の国宝。 人間の表情。 どうしてここに。 右は観音堂の中。
東大寺大仏殿 興福寺阿修羅像 ~奈良市~ 他 (2010/5/30)

文殊堂をふたたび。 前面に二段の屋根。
※ 建てたのは、上の方の説明に、伊東忠太とある。 たくさん建ててるけど、2つ紹介。
1つは、京都の八坂神社の近くの祇園閣。
(Wikipediaから)
写真は撮ってるけど、名前は知らなかった。 載ってる記事は見つけられない。 秋に紹介。
2つめは、成田山新勝寺の大師堂。
成田山新勝寺。 初詣客数、2位。 彫刻が際立つ、三重塔と釈迦堂。~成田市~ 他 (2015/7/13)
※ 余談 そう云えば、海老蔵が妻の病気を発表する数日前、得度(とくど)しましたね。 僧になった。 出家。
どうしたのかなと、不思議に思っていた。
その寺が、上の新勝寺でした。
妻を助けたいという願いと決意の大きさは、並並みのものではないと分かります。

戻る。

門前にお店。 大きな寺と分かる。

兼続のことが書いてあった。

今回は、文殊堂だけを書きました。
最後に、文殊菩薩の像が分かって良かったです。
将来、国宝になるといいです。
【今日の一句】 「 文殊の知恵を授けてくれれば かんたんに分かったものが 」 お参りしてなかった。 心の中だけ。
【今日の歌】 USA FOR AFRICA - We Are The World
【道の駅】 天童温泉
【明日の予定】 午後から水晶山に。 ※ 時間がないのでバラ園かな。 12日も天気はいい。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)
※ プロフィール・・・。 ⇒
今までの記事には、この2枚だけ。
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再度写真を撮りなおす、という事で行ってきた。
歴史を感じさせる長い石段の上に、文殊堂はあった。
由緒ある文殊菩薩は、その中にあるようだ。
亀岡文殊を調べて、分からないことが2つあった。
1つは、文殊菩薩の姿。 本当にあるのか。
もう1つは、伊達政宗が寄進した古鐘はどうなった。
※ 追記 文殊菩薩は分かりました。 下に載っていました。
大聖寺(亀岡文殊)文化財悉皆調査(Adobe PDF)
文殊堂は1914年(大正3年)の再建。
古くは無いけど、伊東忠太の設計。
彼の建築物は、いっぱいある。 いいものばかり。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。

( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
高畠町は、米沢に近い。 関ヶ原の後、上杉景勝は会津から米沢に。 左遷みたいに。

亀岡にあるので、亀岡文殊。


駐車場は、ずっと上に。 下の仁王門まで下りてきた。 ここから歩く。

日本三文殊とある。 このことは、いいよう。 3番目として。


左に鐘楼。

資福寺の鐘がここに来た。 資福寺は伊達政宗が子供の頃学んだ寺。
貴重な鐘だった。 説明があるけど、これは違う。
※ 情報源は書けないけど、ある住職の動きによって無くなった。


石仏や石碑が無数に。 真っ直ぐ行って、左に上がる。

この人は、福島方面でも広く活躍している。 女川(おながわ)とある。
※ 余談 女川と云えば、この写真を思い出す。 今どうしているのか。
亘理町鳥の海 「ごめんな」~女川町の男性の写真は、読売新聞で・・・~ 他 (2011/4/24)

草葉の陰からとは、こんな感じでもあるのか。 文殊堂が少しだけ。


この姿を見ると、即身仏を思い出す。 この寺でもあったよう。
※ 山形県の湯殿山方面には、即身仏が多く保存されている。
湯殿山大日坊 真如海上人の即身仏 ~鶴岡市~ 他 (2010/10/4)

鐘楼堂。 この中にも仏像がいっぱいあるよう。
羅漢像が並んでいる。 表情が好きになれない。

文殊堂。 文殊像は秘仏。

どんな像なのか、晩にネットで探した。
日本の他の文殊堂の文殊像は、写真が出てくる。 ここだけない。
どうしても見つからない。
見つかったのは、下のだけ。
秘仏だから、写真がないのか。
右の説明を読むと、像の状態が良ければ、国宝になってもおかしくない。
本当は無いのではと、疑った。
※ 下はどこからお借りしたか、分からなくなった。


11日になって、再度探した。 やっと見つかった。 写真でなく文で探して。
上で紹介した形のサイトなので、ネット上に写真が出なかったよう。
木造文殊菩薩騎獅子像。 獅子に乗ってるから、騎獅子像。
※ 文殊菩薩は単独で本尊になることもあれば、本尊の左に位置することもある。
その時、右は普賢菩薩(ふげんぼさつ)。 獅子でなく象に乗るので、普賢菩薩騎象像(きしょうぞう)。
天気が回復して、やっと愛宕山に。 清凉寺霊宝館特別公開で、普賢菩薩騎象像を見る。~京都市~ 他 (2015/11/20)
細かく測定している。 修復が必要な状態。



高さ29㌢。 1400年前に中国から来たのは、本当かも知れない。
修復が完了したら、国宝は間違いない。
そういうレベルの物ですね。 古さの証明は大変かも知れないが。

直江兼続が来たとある。
上杉景勝は、関が原で西軍の見方をしたから会津から米沢に。 30万石に減って。
打ち首にならなかっただけ、大したもの。 どんな戦略?
景勝を支える兼続が部下とともにやって来た。
今後の苦労を乗り越えるための意思統一が目的か。
奉納した歌は寺にある。
兼続の歌の一部を紹介。 右に。 (直江兼続 comのサイトからお借り)
※ 上のサイトは、ここに。


千羽鶴。 どうして・・。


文殊の知恵の文殊菩薩。 受験のお願いとかがいっぱい。
落書きするなと書いても、びっしり。 知恵の水があった。


裏側の正面。 山の上に神社。 文殊堂を守っているのか。


観音堂。 文殊堂に向かって右に。

絵馬やら何やら。


興福寺の阿修羅像。 国宝の中の国宝。 人間の表情。 どうしてここに。 右は観音堂の中。
東大寺大仏殿 興福寺阿修羅像 ~奈良市~ 他 (2010/5/30)


文殊堂をふたたび。 前面に二段の屋根。
※ 建てたのは、上の方の説明に、伊東忠太とある。 たくさん建ててるけど、2つ紹介。
1つは、京都の八坂神社の近くの祇園閣。

写真は撮ってるけど、名前は知らなかった。 載ってる記事は見つけられない。 秋に紹介。
2つめは、成田山新勝寺の大師堂。
成田山新勝寺。 初詣客数、2位。 彫刻が際立つ、三重塔と釈迦堂。~成田市~ 他 (2015/7/13)
※ 余談 そう云えば、海老蔵が妻の病気を発表する数日前、得度(とくど)しましたね。 僧になった。 出家。
どうしたのかなと、不思議に思っていた。
その寺が、上の新勝寺でした。
妻を助けたいという願いと決意の大きさは、並並みのものではないと分かります。

戻る。


門前にお店。 大きな寺と分かる。

兼続のことが書いてあった。


今回は、文殊堂だけを書きました。
最後に、文殊菩薩の像が分かって良かったです。
将来、国宝になるといいです。
【今日の一句】 「 文殊の知恵を授けてくれれば かんたんに分かったものが 」 お参りしてなかった。 心の中だけ。
【今日の歌】 USA FOR AFRICA - We Are The World
【道の駅】 天童温泉
【明日の予定】 午後から水晶山に。 ※ 時間がないのでバラ園かな。 12日も天気はいい。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)

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