仙台城跡は、青葉城跡とも云われるだけあって、緑深い高台の森にあった。
仙台市内に入ると、雨は本降りになってきた。
ここまで来たら行くしかない。
傘をさして歩くことに。
天守はどこにあったのだろう。
仙台城に天守は、元々無かった。
建物は残ってなく、本丸跡が見所の中心。
そこに、正宗の像や晩翠の歌碑があった。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
仙台は東北最大の都市。

数年前、城の北にある県立美術館の佐藤忠良記念館に行ったことが。
あの時は、城には来なかった。

駐車場は、何と城跡の中心にあった。 本丸跡に。
駐車場から見た、宮城県護国神社。
入っていったら、軍歌が流れていた。 戻った。

左に、お店。

これを見て、ここが本丸跡と分かった。
情報誌には、天守のような写真があった。
天守を探したが、無い。
※ その写真は、離れた所にある、形だけ復元した櫓だった。 本物の復元ではなく。
人に聞いて、天守は無いと知る。

お店の中に、下の所が。 700円なので、やめた。
観光施設にみんな入っていたら、旅は続けられない。 個人の施設は、いいとは限らない。

こっちは広く、仙台城跡。

どこを見学すればいいか、分かりにくい。
片倉小十郎の仙台の住居がある。 彼は、白石城の城主。 正宗が一番助けられた家臣。
仙台城は、伊達政宗が築いたとある。 江戸時代の初めに。

最初に、土井晩翠の碑を。

彼は荒城の月を作詞した。

詞をつくった明治の時は、まだ残ってる建物があったよう。 荒れてはいても。
後にすべて、仙台空襲で焼け落ちる。
それで、今は何もない。
作曲をした滝廉太郎には、触れていない。

直ぐ近くに、伊達政宗騎馬像。

兜の月が特徴。 ※ 弦月形前立六十二間筋鉢兜と呼ばれる。 弦月(げんげつ)が前に立って。

こんな人がいる。 正宗になり切って。 勝手にしてるのかどうかは、分からない。 サービスでこう。

雨でくもった仙台の町並み。


像の後ろに、礎石が並んでいた。

発掘した石を並べたかどうかは、この説明では分からない。 復元とある。
ここに大広間があった。 城の中心的な建物。

市の関係のHPに、下の写真。
これを見たら、本丸御殿とある。
本丸御殿は、黄色の建物全体。 その中心の建物が、大広間。
そんな風に考えていいよう。
赤〇は、天守の代わりをしていた、艮櫓(うしとらやぐら)。
城跡にあった説明の図には、出て来ない。 土台が崩れたのか。

上の右写真は、近くにあった。 神社が書いた。 高飛車な表現。
一番下に、青葉城の名は俗称とある。
Wikipediaは雅称。 ※ 雅称~雅な表現。
別名って云う言葉だってある。
※ 余談 明治に入って、城も寺も大変な目にあった。
明治政府が動いていた。
神社は、明治政府に協力的。 戦争を否定することは無かった。
ここの神社は、今も軍歌を流している。
城跡には、神社ばかり。
城が焼け落ちて、なくなって、一番もうけたのは神社。
そんなことを思います。
大広間跡のそばに、仙台城見聞館。 パッと撮ったら、パッと戸が開いた。 すみませんって撮りなおし。
※ 雨のおかげで傘を忘れる心配がない。 いっぱい忘れた。

壁に大きな絵。
ここは、大広間の説明の建物だった。

立派なものだったよう。

大広間は、当時の仙台における、建築、絵画・工芸などの集大成とある。

一部分を再現している。
こうだったと正確に分かっているわけではなく、あるものを参考にして作った。

これは本物。 発掘されたもの。

正宗は、仙台藩62万石の初代藩主。
20年早く生まれたら、天下を狙えたかも知れない。
天下を取る夢は、江戸時代に入っても捨ててはいなかったよう。
ただ、晩年になってから、若き3代将軍家光とは仲が良かった。 信頼された。

下への道があった。 右のように書いてあったので、行かなかった。

少し物足りないので、散策。 ここが、神社への入り口。 本丸跡への入り口でも。
バスで来た人たちは、ここから入る。
雨の日は、アジサイは生き生き。

振り返るとお店の方。 仙台の祭りと云えば、七夕まつり。 はるか昔に見たことが。

お店の様子。 ずんだ餅。 枝豆をすりつぶして。 食べたことない。
※ 余談 ウグイス豆は、エンドウ豆ですね。
少し前の大河ドラマで、正宗が餅をついて秀吉に、これを御馳走した。
正宗がいた地方は、これがよく食べられる。 米沢の方とか。

設計図が残っていればの話ですが、大広間だけでも復元できたらいいですね。
艮櫓(うしとらやぐら)の復元の話があった。
法的な問題で、難しかったよう。
文化財に関する物が、壊れるとかで。
いつかはと思っていた仙台城跡。
やっと見ることができました。
※ 北から向かうと、さんざん町の中を通る。 渋滞。
南に向かう時は、あっという間にすいすいと。
【今日の一句】 「 雨の中の仙台城跡 正宗の夢の跡でも 」
【今日の歌】
【道の駅】 村田
【明日の予定】 田村の町並みを見る。 最近重伝建地区になった。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)
※ プロフィール・・・。 ⇒
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ここまで来たら行くしかない。
傘をさして歩くことに。
天守はどこにあったのだろう。
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仙台は東北最大の都市。

数年前、城の北にある県立美術館の佐藤忠良記念館に行ったことが。
あの時は、城には来なかった。


駐車場は、何と城跡の中心にあった。 本丸跡に。
駐車場から見た、宮城県護国神社。
入っていったら、軍歌が流れていた。 戻った。


左に、お店。

これを見て、ここが本丸跡と分かった。
情報誌には、天守のような写真があった。
天守を探したが、無い。
※ その写真は、離れた所にある、形だけ復元した櫓だった。 本物の復元ではなく。
人に聞いて、天守は無いと知る。


お店の中に、下の所が。 700円なので、やめた。
観光施設にみんな入っていたら、旅は続けられない。 個人の施設は、いいとは限らない。

こっちは広く、仙台城跡。

どこを見学すればいいか、分かりにくい。
片倉小十郎の仙台の住居がある。 彼は、白石城の城主。 正宗が一番助けられた家臣。
仙台城は、伊達政宗が築いたとある。 江戸時代の初めに。


最初に、土井晩翠の碑を。

彼は荒城の月を作詞した。

詞をつくった明治の時は、まだ残ってる建物があったよう。 荒れてはいても。
後にすべて、仙台空襲で焼け落ちる。
それで、今は何もない。
作曲をした滝廉太郎には、触れていない。


直ぐ近くに、伊達政宗騎馬像。


兜の月が特徴。 ※ 弦月形前立六十二間筋鉢兜と呼ばれる。 弦月(げんげつ)が前に立って。

こんな人がいる。 正宗になり切って。 勝手にしてるのかどうかは、分からない。 サービスでこう。


雨でくもった仙台の町並み。



像の後ろに、礎石が並んでいた。

発掘した石を並べたかどうかは、この説明では分からない。 復元とある。
ここに大広間があった。 城の中心的な建物。


市の関係のHPに、下の写真。
これを見たら、本丸御殿とある。
本丸御殿は、黄色の建物全体。 その中心の建物が、大広間。
そんな風に考えていいよう。
赤〇は、天守の代わりをしていた、艮櫓(うしとらやぐら)。
城跡にあった説明の図には、出て来ない。 土台が崩れたのか。


上の右写真は、近くにあった。 神社が書いた。 高飛車な表現。
一番下に、青葉城の名は俗称とある。
Wikipediaは雅称。 ※ 雅称~雅な表現。
別名って云う言葉だってある。
※ 余談 明治に入って、城も寺も大変な目にあった。
明治政府が動いていた。
神社は、明治政府に協力的。 戦争を否定することは無かった。
ここの神社は、今も軍歌を流している。
城跡には、神社ばかり。
城が焼け落ちて、なくなって、一番もうけたのは神社。
そんなことを思います。
大広間跡のそばに、仙台城見聞館。 パッと撮ったら、パッと戸が開いた。 すみませんって撮りなおし。
※ 雨のおかげで傘を忘れる心配がない。 いっぱい忘れた。

壁に大きな絵。

ここは、大広間の説明の建物だった。

立派なものだったよう。

大広間は、当時の仙台における、建築、絵画・工芸などの集大成とある。



一部分を再現している。
こうだったと正確に分かっているわけではなく、あるものを参考にして作った。


これは本物。 発掘されたもの。


正宗は、仙台藩62万石の初代藩主。
20年早く生まれたら、天下を狙えたかも知れない。
天下を取る夢は、江戸時代に入っても捨ててはいなかったよう。
ただ、晩年になってから、若き3代将軍家光とは仲が良かった。 信頼された。


下への道があった。 右のように書いてあったので、行かなかった。


少し物足りないので、散策。 ここが、神社への入り口。 本丸跡への入り口でも。
バスで来た人たちは、ここから入る。
雨の日は、アジサイは生き生き。


振り返るとお店の方。 仙台の祭りと云えば、七夕まつり。 はるか昔に見たことが。


お店の様子。 ずんだ餅。 枝豆をすりつぶして。 食べたことない。
※ 余談 ウグイス豆は、エンドウ豆ですね。
少し前の大河ドラマで、正宗が餅をついて秀吉に、これを御馳走した。
正宗がいた地方は、これがよく食べられる。 米沢の方とか。


設計図が残っていればの話ですが、大広間だけでも復元できたらいいですね。
艮櫓(うしとらやぐら)の復元の話があった。
法的な問題で、難しかったよう。
文化財に関する物が、壊れるとかで。
いつかはと思っていた仙台城跡。
やっと見ることができました。
※ 北から向かうと、さんざん町の中を通る。 渋滞。
南に向かう時は、あっという間にすいすいと。
【今日の一句】 「 雨の中の仙台城跡 正宗の夢の跡でも 」
【今日の歌】
【道の駅】 村田
【明日の予定】 田村の町並みを見る。 最近重伝建地区になった。
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