町全体が流されなかった、大船渡市・釜石市・宮古市は、それなりに復興しているように見える。
しかし、大槌(おおつち)町は、陸前高田市や南三陸町と同じように、復興はどこまで進んだのだろう、と感じた。
震災後と現在の写真を比べてみた。
震災の爪痕は、簡単に消えてはいなかった。
昨日、下のことばを紹介した。
「記者さん、ほら見て、空。 きれいな青空。 上だけ見れば、前と何にも変わらないんだから」
爪痕は残っていても、被災地の風景は、三陸の青空の美しさに、近づきつつあった。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
三陸の海岸は、リアス式。 湾の奥に津波は向かう。

今日は、大船渡市から宮古市まで。

大船渡市に向かっている。

見えてきた。
下のような表示は、必ずある。 どこも、信じられない高さの所に。

大船渡港。 湾の出口は、右。

大船渡でのボランティアの最初の日。 ここは、浸水地域。
畳や泥出し。 濡れた畳は重たい。 3月28日。

夕方歩いた。 遺体を探す人達に会った。(警察か・消防だったか)
震災から2週間が過ぎて、毎日5~6体を発見するそう。

住宅の清掃 津波被害~大船渡市末崎町(2ヶ所)、高田市小友町~ 他 (2011/3/28)
大船渡市の被災地に、復興の足音が・・・ 他 (2011/3/27)
地震発生は、14時46分。 津波到達は、各地15時12分過ぎから19分頃。
全てを飲み込んで、押し寄せる。
大船渡市の越喜来(おきらい)に向かう。

越喜来。 国道から下に行く。 左に診療所が見える。

地震の後、線路の下まで津波が。

診療所。 床上1㍍以上の浸水。 越喜来小学校は、正面突き当り右に。

現在の越喜来診療所。

3月29日か。 29日と30日に、ここの泥出しと清掃をした。
震災の時は、直ぐに非難して全員無事。 右100㍍に老人ホームだったかがあった。
ここより、2㍍ほど低い。 1階の天井まで浸水。 逃げ遅れた人が出た。
診療所の人達も助けに行った。
越喜来診療所の清掃 津波の被害~陸前高田市広田町~ 他 (2011/3/30)
越喜来診療所の清掃 人々は流された、という言い方 陸前高田市の街並みは消えていた 他 (2011/3/29)
港の方に来た。 中央少し右に、越喜来小学校はあった。

下は、2012年に撮影。 校舎の2階から、右に廊下が出来ている。 後でつくったもの。
これがあるために、2階の子供たちは、1階に下りないでよかった。
この学校の対応も、見事だった。
揺れが発生しても、少しでも弱まったら丘に向かった。 強くなったら、とまって。
大川小学校とは、正反対の動き。
被災地の復興の様子 (被災直後との比較) ~大船渡市(越喜来・市街地)、陸前高田市~ 他 (2012/10/16)
大川小学校に行ってきました。~保護者が疑問を持つ理由は・・。~ 他 (2011/4/15)
石巻・大川小の悲劇は、どうして起きたのでしょう。 他 (2011/4/10)
少し走って、大船渡市唐丹(とうに)地区。

震災後。 上で紹介した、3月27日の記事にある写真。
防潮堤が波を弱めてくれたのか。 家が残った。

釜石まで少し。 釜石大観音が見えてきた。

間もなく市街地。 真っ直ぐ行ったら、遠野。 途中で右に行ったら宮古。 市街地はどっちにも。

右に曲がった市街地。

震災後の道は、どこもこうなった。 ボランティアで最初に入ったのは、釜石市。
※ 余談 ボランティアは、3月24日から5月5日まで。
3月11日は、九州の高千穂にいた。 17日に椎葉村から北上した。 情報収集で、京都に少しいる。
秋田県を通って3月23日に遠野に入る。 ボランティアを受けれていた。 釜石には、そこから派遣される。
下の地域を、1週間ずつ。
(釜石市、大船渡市、陸前高田市、南三陸町、亘理町、相馬市、南相馬市)
石応禅寺(せきおうぜんじ)。(石応は、しゃくおうとも)
釜石大観音は、この寺が建てた。 ※ 大観音は、津波をじっと見つめるしかなかった。
本堂は避難所として開放した。 右の方の小さな家で、食事を作った。 見えていない。
正面にテントを張って、そこで被災者は食べる。 並べば、だれでも食べられる。

仕事は、ここでの調理だった。 写真は、全員に断わって撮影。
行政がモタモタしてても、曹洞宗のルートで食材は入って来た
若い人はみんなボランティア。 左の女性は、盛岡からだったかな。 若い時の経験は貴重。
こっちは山門。 少し向こうまで津波が。

お地蔵様が見える。

このように。

お地蔵さまが寺を守ったのか。 目の前まで来た。

今は、津波到達の地と、標示が。
生きてるだけで・・、と思った時、不満は小さく・・。 ~釜石市~ 他 (2011/3/24)

容赦なく襲った。
寺の近くの高台。 ここにも多くの人が逃げた。 上の動画に出てくる。
上の動画は、NHKの記録と思う。 ナレーターの声でも。
※ 震災の後、NHKがこれと同じか、この場所で似た放送をした。
声を集めていた。
下の女の子かは確認できないが、この感じで「お兄ちゃんが・・」と云って泣いた。
お母さんは、抱きしめた。
お兄ちゃんがいたとしたら、助かったことは分かっている。
釜石市内の小・中学生でなくなったの1人。
親が迎えに来て、連れて行った。 学校は、止めたんだけど。
釜石には、津波てんでんこ、の取組があった。
自分の判断で、ばらばらで高台をめざした。
学校にいた子は、全員助かる。 釜石の奇跡と呼ばれる。
上の場所で、もう1つあった。
若い女性が、「みんな無くなった」とつぶやく。 その後、
「いいんだ、生きてるだけでいいんだ。 生きてるだけで・・・」って涙を流す。
この場所から、流される人を車を、いっぱい見ていた。
※ 上のことはこの記事で触れています。
東北地方太平洋沖地震の津波 ※ おせりの滝 他 ~美郷町~ (2011/3/14)
もう1つ、思い出が。
NHKは、上の場面で、ある曲を静かに流した。 メロディだけ。 雨に消えたあなた、という曲。
※ ベトナム戦争の時につくられた。 カーン・リーが歌った。 作詞・作曲はチン・コンソン。
その曲は、下の。 流れたのは、編曲も同じだった。
NHKドラマ、「 サイゴンから来た妻と娘」の主題歌にもなった曲。(1978年)
人々の悲しみを、メロディでも伝えてくれた。
※ カーン・リーは、昔は柔らかな声で歌っていた。
※ 昔の音源と、彼女の悲しみの歴史はここに。
津波てんでんこについて。
釜石の中心街のとなりの、鵜住居(うのすまい)地区の話し。
この取り組みは、釜石市全体。
鵜住居については、この後紹介。
下の写真は、鵜住居と釜石市の市街地の間にある、両石(りょういし)地区。
同じ写真を自分も。 下の方に。
真っ直ぐ行って左に向かって、山を越えたら鵜住居。 今回は通った。
※ 子供達が必死で非難するのを見て、大人も避難しなければ・・、となった。
中学生は、小学生の手を引いた。
子どもたちは、学校にいない時も、自分の身を守ることが出来るようになる。
上の写真の今。 偶然同じ。

こうでした。

巨大な防潮堤が動いた。

今の鵜住居地区。

この写真は、丘の上の三陸自動車道から撮った。 鵜住居地区。

釜石に戻る時、道を間違って、鵜住居地区に入った。
初めて見る風景なので、動画を撮った。
しばらく走って、大槌(おおつち)町。

右が、被災地の中心。

今はこの感じ。

震災後。 ここの右かな、広く焼けた。 大槌町の被害の特徴。

人を探している。 聞かせてくれた。
大槌町を歩く 他に、釜石市両石・鵜住居、大槌町吉里吉里 ~被災者の声を聞く~ 他 (2011/3/25)
5分ほどで、町並みは消えた。
宮古市に向かう。 ここは、吉里吉里(きりきり)。
コメントで、撮ってほしいとあって、撮った。 記事は、大槌町の記事に。

港の近くを撮った。

数㌔行って、山田町。

山田町。 動画をいくつか撮っている。

津波被害 山田町船越
津波被害 山田町大沢 ※ 狭い道に入って、迷惑をかけた。
(動画は普段、ボランティアの後の夕方撮っていた。 作業が終わっているころ。)
穏やかな海。

左に仮設住宅。

宮古市に入って来た。 右に宮古湾。 湾の出口は向こう。 奥は、右後ろ数㌔先。

今走っているこの道は、津波が乗り越えてきて、大変だった。

宮古市の中心街に。 津波のお高さの標示が見える。

このように。 中心街は、湾の奥でない。 津波が正面からでないので、家が残った。

地震の発生は、2011年3月11日の14時46分過ぎ。
震度4以上が3分続く。
津波の到達は、15時12分から19分頃。
大きな揺れの後、直ぐに非難しないと間に合わない。
真っ先に逃げたら、臆病者と思われるかも知れない。
釜石の子供たちが率先して避難したのを見て、大人も逃げようとなった。
震災では、命だけ助かればいい。
その考えで、行動なんですね。
今度被災地を書くのは、5年後でしょうか。
それまで旅が続いていたら、幸せ。
【今日の一句】 「 大きな地震の後は 臆病者になる 逃げる」 どう思われてもいい。
【道の駅】 田老
【明日の予定】 宮古市のある所を。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)
※ プロフィール・・・。 ⇒
今までの記事には、この2枚だけ。
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しかし、大槌(おおつち)町は、陸前高田市や南三陸町と同じように、復興はどこまで進んだのだろう、と感じた。
震災後と現在の写真を比べてみた。
震災の爪痕は、簡単に消えてはいなかった。
昨日、下のことばを紹介した。
「記者さん、ほら見て、空。 きれいな青空。 上だけ見れば、前と何にも変わらないんだから」
爪痕は残っていても、被災地の風景は、三陸の青空の美しさに、近づきつつあった。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。

( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
三陸の海岸は、リアス式。 湾の奥に津波は向かう。

今日は、大船渡市から宮古市まで。

大船渡市に向かっている。

見えてきた。
下のような表示は、必ずある。 どこも、信じられない高さの所に。

大船渡港。 湾の出口は、右。

大船渡でのボランティアの最初の日。 ここは、浸水地域。
畳や泥出し。 濡れた畳は重たい。 3月28日。

夕方歩いた。 遺体を探す人達に会った。(警察か・消防だったか)
震災から2週間が過ぎて、毎日5~6体を発見するそう。

住宅の清掃 津波被害~大船渡市末崎町(2ヶ所)、高田市小友町~ 他 (2011/3/28)
大船渡市の被災地に、復興の足音が・・・ 他 (2011/3/27)
地震発生は、14時46分。 津波到達は、各地15時12分過ぎから19分頃。
全てを飲み込んで、押し寄せる。
大船渡市の越喜来(おきらい)に向かう。

越喜来。 国道から下に行く。 左に診療所が見える。

地震の後、線路の下まで津波が。

診療所。 床上1㍍以上の浸水。 越喜来小学校は、正面突き当り右に。

現在の越喜来診療所。

3月29日か。 29日と30日に、ここの泥出しと清掃をした。
震災の時は、直ぐに非難して全員無事。 右100㍍に老人ホームだったかがあった。
ここより、2㍍ほど低い。 1階の天井まで浸水。 逃げ遅れた人が出た。
診療所の人達も助けに行った。
越喜来診療所の清掃 津波の被害~陸前高田市広田町~ 他 (2011/3/30)
越喜来診療所の清掃 人々は流された、という言い方 陸前高田市の街並みは消えていた 他 (2011/3/29)

港の方に来た。 中央少し右に、越喜来小学校はあった。

下は、2012年に撮影。 校舎の2階から、右に廊下が出来ている。 後でつくったもの。
これがあるために、2階の子供たちは、1階に下りないでよかった。
この学校の対応も、見事だった。
揺れが発生しても、少しでも弱まったら丘に向かった。 強くなったら、とまって。
大川小学校とは、正反対の動き。
被災地の復興の様子 (被災直後との比較) ~大船渡市(越喜来・市街地)、陸前高田市~ 他 (2012/10/16)
大川小学校に行ってきました。~保護者が疑問を持つ理由は・・。~ 他 (2011/4/15)
石巻・大川小の悲劇は、どうして起きたのでしょう。 他 (2011/4/10)

少し走って、大船渡市唐丹(とうに)地区。

震災後。 上で紹介した、3月27日の記事にある写真。
防潮堤が波を弱めてくれたのか。 家が残った。


釜石まで少し。 釜石大観音が見えてきた。


間もなく市街地。 真っ直ぐ行ったら、遠野。 途中で右に行ったら宮古。 市街地はどっちにも。

右に曲がった市街地。

震災後の道は、どこもこうなった。 ボランティアで最初に入ったのは、釜石市。
※ 余談 ボランティアは、3月24日から5月5日まで。
3月11日は、九州の高千穂にいた。 17日に椎葉村から北上した。 情報収集で、京都に少しいる。
秋田県を通って3月23日に遠野に入る。 ボランティアを受けれていた。 釜石には、そこから派遣される。
下の地域を、1週間ずつ。
(釜石市、大船渡市、陸前高田市、南三陸町、亘理町、相馬市、南相馬市)

石応禅寺(せきおうぜんじ)。(石応は、しゃくおうとも)
釜石大観音は、この寺が建てた。 ※ 大観音は、津波をじっと見つめるしかなかった。
本堂は避難所として開放した。 右の方の小さな家で、食事を作った。 見えていない。
正面にテントを張って、そこで被災者は食べる。 並べば、だれでも食べられる。

仕事は、ここでの調理だった。 写真は、全員に断わって撮影。
行政がモタモタしてても、曹洞宗のルートで食材は入って来た
若い人はみんなボランティア。 左の女性は、盛岡からだったかな。 若い時の経験は貴重。

こっちは山門。 少し向こうまで津波が。

お地蔵様が見える。

このように。

お地蔵さまが寺を守ったのか。 目の前まで来た。

今は、津波到達の地と、標示が。
生きてるだけで・・、と思った時、不満は小さく・・。 ~釜石市~ 他 (2011/3/24)

容赦なく襲った。
寺の近くの高台。 ここにも多くの人が逃げた。 上の動画に出てくる。
上の動画は、NHKの記録と思う。 ナレーターの声でも。
※ 震災の後、NHKがこれと同じか、この場所で似た放送をした。
声を集めていた。
下の女の子かは確認できないが、この感じで「お兄ちゃんが・・」と云って泣いた。
お母さんは、抱きしめた。
お兄ちゃんがいたとしたら、助かったことは分かっている。
釜石市内の小・中学生でなくなったの1人。
親が迎えに来て、連れて行った。 学校は、止めたんだけど。
釜石には、津波てんでんこ、の取組があった。
自分の判断で、ばらばらで高台をめざした。
学校にいた子は、全員助かる。 釜石の奇跡と呼ばれる。

上の場所で、もう1つあった。
若い女性が、「みんな無くなった」とつぶやく。 その後、
「いいんだ、生きてるだけでいいんだ。 生きてるだけで・・・」って涙を流す。
この場所から、流される人を車を、いっぱい見ていた。
※ 上のことはこの記事で触れています。
東北地方太平洋沖地震の津波 ※ おせりの滝 他 ~美郷町~ (2011/3/14)
もう1つ、思い出が。
NHKは、上の場面で、ある曲を静かに流した。 メロディだけ。 雨に消えたあなた、という曲。
※ ベトナム戦争の時につくられた。 カーン・リーが歌った。 作詞・作曲はチン・コンソン。
その曲は、下の。 流れたのは、編曲も同じだった。
NHKドラマ、「 サイゴンから来た妻と娘」の主題歌にもなった曲。(1978年)
人々の悲しみを、メロディでも伝えてくれた。
※ カーン・リーは、昔は柔らかな声で歌っていた。
※ 昔の音源と、彼女の悲しみの歴史はここに。
津波てんでんこについて。
釜石の中心街のとなりの、鵜住居(うのすまい)地区の話し。
この取り組みは、釜石市全体。
鵜住居については、この後紹介。
下の写真は、鵜住居と釜石市の市街地の間にある、両石(りょういし)地区。
同じ写真を自分も。 下の方に。
真っ直ぐ行って左に向かって、山を越えたら鵜住居。 今回は通った。
※ 子供達が必死で非難するのを見て、大人も避難しなければ・・、となった。
中学生は、小学生の手を引いた。
子どもたちは、学校にいない時も、自分の身を守ることが出来るようになる。
上の写真の今。 偶然同じ。

こうでした。

巨大な防潮堤が動いた。

今の鵜住居地区。

この写真は、丘の上の三陸自動車道から撮った。 鵜住居地区。

釜石に戻る時、道を間違って、鵜住居地区に入った。
初めて見る風景なので、動画を撮った。
しばらく走って、大槌(おおつち)町。

右が、被災地の中心。

今はこの感じ。

震災後。 ここの右かな、広く焼けた。 大槌町の被害の特徴。

人を探している。 聞かせてくれた。
大槌町を歩く 他に、釜石市両石・鵜住居、大槌町吉里吉里 ~被災者の声を聞く~ 他 (2011/3/25)

5分ほどで、町並みは消えた。
宮古市に向かう。 ここは、吉里吉里(きりきり)。
コメントで、撮ってほしいとあって、撮った。 記事は、大槌町の記事に。

港の近くを撮った。

数㌔行って、山田町。

山田町。 動画をいくつか撮っている。

津波被害 山田町船越
津波被害 山田町大沢 ※ 狭い道に入って、迷惑をかけた。
(動画は普段、ボランティアの後の夕方撮っていた。 作業が終わっているころ。)
穏やかな海。

左に仮設住宅。

宮古市に入って来た。 右に宮古湾。 湾の出口は向こう。 奥は、右後ろ数㌔先。

今走っているこの道は、津波が乗り越えてきて、大変だった。

宮古市の中心街に。 津波のお高さの標示が見える。

このように。 中心街は、湾の奥でない。 津波が正面からでないので、家が残った。

地震の発生は、2011年3月11日の14時46分過ぎ。
震度4以上が3分続く。
津波の到達は、15時12分から19分頃。
大きな揺れの後、直ぐに非難しないと間に合わない。
真っ先に逃げたら、臆病者と思われるかも知れない。
釜石の子供たちが率先して避難したのを見て、大人も逃げようとなった。
震災では、命だけ助かればいい。
その考えで、行動なんですね。
今度被災地を書くのは、5年後でしょうか。
それまで旅が続いていたら、幸せ。
【今日の一句】 「 大きな地震の後は 臆病者になる 逃げる」 どう思われてもいい。
【道の駅】 田老
【明日の予定】 宮古市のある所を。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)

※ プロフィール・・・。 ⇒


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