今日見た景勝地は、どこも断崖。
人を寄せ付けない、切り立った崖。
その中心は、北山崎。
断崖の風景では、日本トップクラス。
断崖が切れた所には、集落。
そこは、津波が恐ろしい。
普代村には、防潮堤と大きな水門。
どっちも、高さ15.5㍍。
津波から村を守った。
ある村長さんの残した財産。
田老の巨大防潮堤は、町を守れなかった。
普代村のとは、どこが違ったのでしょう。
北山崎で、変な名前のお菓子を見た。
面白い話しが。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
三陸をずいぶん上がって来た。
今日はここ。

まず、野田村の鵜(う)の巣断崖。

ウッドチップの道。 ふわふわ。 展望台がある。

鵜は断崖に巣をつくるのか。 ずっと続く。

台地が隆起して、こうなるそう。 波が削って。

戻る時、キツツキを見た。 名前を調べたら、アカゲラ。 初めて見るのかな。 右端は、Wikipedia。
突く音が聞こえる。 トントンとやったら、虫が動くのが分かるよう。
田野畑(たのはた)駅。 いい環境。
鉄道は、北リアス線。 復旧工事が終わり、走っている。 宮古から久慈まで。

反対を見たら、こう。 大変だったと分かる。

番屋が並んでいる。 全部流されたけど、復活。

漁村の原風景とある。

北山崎に来た。 店が数件。 観光地。

ビジターセンター。

北リアス線。 夢と心をつなぐ。 観光船が出ている。 ここ数日、海はしけている。

展望台は3つ。 まず、第一展望台。

今日の海には、霧ではない靄(もや)のようなのが、広くある。

実際に見ると感動が違う。 似た断崖は、どこかにあった。(見つかったら載せますね)

第二展望台へ。 300数十段下る。 木が育ってて見にくい。 それでもなかなか。
船は穴を通るのかな。

下りて行く道はきっとある。 釣り人がつくる。
戻る時、右のを見た。 見なかったことにして、戻った。 なさけない。

どこに行ってもクマ。 今年は山の実が不作だという。 秋は大変。
※ 余談 この記事は野田村の道の駅で書いている。
放送で、クマが出ました。 気をつけて。 と。
10㌔四方もない小さな村。

下は見えないけど。 遠くにあるものが。

少し前に行った、とどヶ崎。 本州最東端。
本州最東端、魹(とど)ヶ崎に。 魹ヶ埼灯台。 「此処より下に家を建てるな」の碑。~宮古市~ 他 (2016/7/7)
店に、こんなのがあった。
ぶすは、アイヌの意味。 こぶは、周りより低い所。 風が弱いから、住みやすいそう。
※ こんな話が。 見合いの話があった。 話は進んだ。
ところが、男の都合で、やめることに。
男の親が、相手の家に謝りに行った。
手土産を持って。
何を持って行ったかって、ぶすのこぶだった。
なんでこんなときに、それだ。
女の親は、かんかんに怒った。 くわしくはここに。
あんこは美味しい。 つぶあん。

普代(ふだい)村の黒埼灯台に来た。 近くに展望台。
宮沢賢治の歌碑。 ※ 余談 誰のだったか思い出そうとしたら、石川賢治になった。 啄木と混ざった。
ここでのものかは分からない。 説明にそうあった。

断崖は、少しずつ低くなるのか。

エゾスカシユリ。 背が低い。 風かな。

灯台はこの下に。 北緯40度。
北見神威岬を、興浜北線が走っていた。 北緯45度線。 千畳岩。~枝幸町~ 他 (2012/9/10)
※ どこの町だったか、中途半端な北緯30数度で自慢してる所があった。 変だ。
※ 北緯40度線の町はいっぱいある。 全部の町が自慢したら、面白い。
※ 赤道から北極まで1万㌔。 90で割ったら、1度分は111㌔ですね。
45度線との距離は、555㌔になりますね。

こうです。 勝手に不規則に回る。 写真が大変。

横に、こんな鐘。 1人でもいいって書いてほしい。 鳴らした。

黒埼灯台。 下が暗い。 灯台下(もと)暗し。

少しだけ見えた。 感動は弱まってきた。

大きな水門を通り過ぎて、普代村の街中に。
灯台で会った地元の人が、普代村の防潮堤と水門は壊れなかったと言った。
それを思い出して、撮った。

ここからの写真は、全部借り物。
顕彰碑。 水門の横に。 和村幸得村長とある。
この人が、巨大な防潮堤と水門をつくった。
そんな大きなのって、みんな反対。
説得して説得して、造った。
明治と昭和の初めの津波の高さは14㍍。 それより高い、両方とも15.5㍍。
どちらも、津波は越えそうになるが、大丈夫だった。
町にいた人たちは、みんな助かった。 家も流されない。 三陸では、めずらしい。(写真は、Wikipedia)

田老の防潮堤は、有名だった。 どこもここを見本にした程。 外国から見学に来る人も。
ここは学者の意見で、大きさを決めた。 過去に14㍍の津波が来たことは知っていた。
でも、高さ7㍍にした。 後で3㍍かさ上げした。 10㍍に。 コンクリートを乗っけただけ。
津波は吹き飛ばした。 10㍍だから、乗り越えた所も。
下の、中央右部分が壊れた。 大惨事。
学者は、先人の教えを学べと言っても金にならない。
自分の考えを活かしてもらえば、金になる。 有名にもなる。 (写真は日本経済新聞からお借り)

高さ15。5㍍の防潮堤。 この道を、通った。 (写真は東北 UP DATEからお借り)

巨大水門。 こっちは海。 壊れなかった。 町を守った。

今、普代村の人は、和村(わむら)村長の墓や顕彰碑に花を供える。 命の恩人。
防潮堤に、毎日手を合わせる人も。
※ 右に詳しく 和村幸得(Wikipedia)
こんな動画も。
番組のコメンテーターは、一般論を述べ始める。 なぜ人々が助かったを考えようとしない。
助かったのは、たまたまとか、たまさか(偶然)と言って。
前の部分はいい。
今日は、北三陸の景勝地を見学しました。
ここだけの風景でした。
最後に、防潮堤のことを学びました。
せっかく作るのなら、過去の津波から学ばないと。
田老他多くは、学ばなかった。
【今日の一句】 「 津波では 学者の意見より 過去の教訓 」
【今日の歌】 村長さんの提案でつくられた。 カバーだけど、いいですよ。
【道の駅】 のだ
【明日の予定】 野田村のどこかを、かな。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)
※ プロフィール・・・。 ⇒
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人を寄せ付けない、切り立った崖。
その中心は、北山崎。
断崖の風景では、日本トップクラス。
断崖が切れた所には、集落。
そこは、津波が恐ろしい。
普代村には、防潮堤と大きな水門。
どっちも、高さ15.5㍍。
津波から村を守った。
ある村長さんの残した財産。
田老の巨大防潮堤は、町を守れなかった。
普代村のとは、どこが違ったのでしょう。
北山崎で、変な名前のお菓子を見た。
面白い話しが。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。

( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
三陸をずいぶん上がって来た。
今日はここ。


まず、野田村の鵜(う)の巣断崖。


ウッドチップの道。 ふわふわ。 展望台がある。


鵜は断崖に巣をつくるのか。 ずっと続く。


台地が隆起して、こうなるそう。 波が削って。


戻る時、キツツキを見た。 名前を調べたら、アカゲラ。 初めて見るのかな。 右端は、Wikipedia。
突く音が聞こえる。 トントンとやったら、虫が動くのが分かるよう。



田野畑(たのはた)駅。 いい環境。
鉄道は、北リアス線。 復旧工事が終わり、走っている。 宮古から久慈まで。

反対を見たら、こう。 大変だったと分かる。

番屋が並んでいる。 全部流されたけど、復活。

漁村の原風景とある。


北山崎に来た。 店が数件。 観光地。


ビジターセンター。

北リアス線。 夢と心をつなぐ。 観光船が出ている。 ここ数日、海はしけている。


展望台は3つ。 まず、第一展望台。


今日の海には、霧ではない靄(もや)のようなのが、広くある。


実際に見ると感動が違う。 似た断崖は、どこかにあった。(見つかったら載せますね)


第二展望台へ。 300数十段下る。 木が育ってて見にくい。 それでもなかなか。
船は穴を通るのかな。


下りて行く道はきっとある。 釣り人がつくる。
戻る時、右のを見た。 見なかったことにして、戻った。 なさけない。


どこに行ってもクマ。 今年は山の実が不作だという。 秋は大変。
※ 余談 この記事は野田村の道の駅で書いている。
放送で、クマが出ました。 気をつけて。 と。
10㌔四方もない小さな村。


下は見えないけど。 遠くにあるものが。


少し前に行った、とどヶ崎。 本州最東端。
本州最東端、魹(とど)ヶ崎に。 魹ヶ埼灯台。 「此処より下に家を建てるな」の碑。~宮古市~ 他 (2016/7/7)


店に、こんなのがあった。
ぶすは、アイヌの意味。 こぶは、周りより低い所。 風が弱いから、住みやすいそう。
※ こんな話が。 見合いの話があった。 話は進んだ。
ところが、男の都合で、やめることに。
男の親が、相手の家に謝りに行った。
手土産を持って。
何を持って行ったかって、ぶすのこぶだった。
なんでこんなときに、それだ。
女の親は、かんかんに怒った。 くわしくはここに。
あんこは美味しい。 つぶあん。


普代(ふだい)村の黒埼灯台に来た。 近くに展望台。
宮沢賢治の歌碑。 ※ 余談 誰のだったか思い出そうとしたら、石川賢治になった。 啄木と混ざった。
ここでのものかは分からない。 説明にそうあった。


断崖は、少しずつ低くなるのか。

エゾスカシユリ。 背が低い。 風かな。

灯台はこの下に。 北緯40度。
北見神威岬を、興浜北線が走っていた。 北緯45度線。 千畳岩。~枝幸町~ 他 (2012/9/10)
※ どこの町だったか、中途半端な北緯30数度で自慢してる所があった。 変だ。
※ 北緯40度線の町はいっぱいある。 全部の町が自慢したら、面白い。
※ 赤道から北極まで1万㌔。 90で割ったら、1度分は111㌔ですね。
45度線との距離は、555㌔になりますね。

こうです。 勝手に不規則に回る。 写真が大変。


横に、こんな鐘。 1人でもいいって書いてほしい。 鳴らした。


黒埼灯台。 下が暗い。 灯台下(もと)暗し。

少しだけ見えた。 感動は弱まってきた。

大きな水門を通り過ぎて、普代村の街中に。
灯台で会った地元の人が、普代村の防潮堤と水門は壊れなかったと言った。
それを思い出して、撮った。

ここからの写真は、全部借り物。
顕彰碑。 水門の横に。 和村幸得村長とある。
この人が、巨大な防潮堤と水門をつくった。
そんな大きなのって、みんな反対。
説得して説得して、造った。
明治と昭和の初めの津波の高さは14㍍。 それより高い、両方とも15.5㍍。
どちらも、津波は越えそうになるが、大丈夫だった。
町にいた人たちは、みんな助かった。 家も流されない。 三陸では、めずらしい。(写真は、Wikipedia)

田老の防潮堤は、有名だった。 どこもここを見本にした程。 外国から見学に来る人も。
ここは学者の意見で、大きさを決めた。 過去に14㍍の津波が来たことは知っていた。
でも、高さ7㍍にした。 後で3㍍かさ上げした。 10㍍に。 コンクリートを乗っけただけ。
津波は吹き飛ばした。 10㍍だから、乗り越えた所も。
下の、中央右部分が壊れた。 大惨事。
学者は、先人の教えを学べと言っても金にならない。
自分の考えを活かしてもらえば、金になる。 有名にもなる。 (写真は日本経済新聞からお借り)

高さ15。5㍍の防潮堤。 この道を、通った。 (写真は東北 UP DATEからお借り)

巨大水門。 こっちは海。 壊れなかった。 町を守った。

今、普代村の人は、和村(わむら)村長の墓や顕彰碑に花を供える。 命の恩人。
防潮堤に、毎日手を合わせる人も。
※ 右に詳しく 和村幸得(Wikipedia)
こんな動画も。
番組のコメンテーターは、一般論を述べ始める。 なぜ人々が助かったを考えようとしない。
助かったのは、たまたまとか、たまさか(偶然)と言って。
前の部分はいい。
今日は、北三陸の景勝地を見学しました。
ここだけの風景でした。
最後に、防潮堤のことを学びました。
せっかく作るのなら、過去の津波から学ばないと。
田老他多くは、学ばなかった。
【今日の一句】 「 津波では 学者の意見より 過去の教訓 」
【今日の歌】 村長さんの提案でつくられた。 カバーだけど、いいですよ。
【道の駅】 のだ
【明日の予定】 野田村のどこかを、かな。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)

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