大和くんは、三叉路の細い道を行ってしまった。
泣きじゃくって、方向が分からなくなったという。
親が、車で走れば、直ぐに見つかったと思うんだが。
森に入るわけない。
その後のニュースがないので、真実は分からない。
今日は、その場所に行ってみた。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
家族は函館の隣の北杜市から、鹿部町の公園に遊びに来た。 5月28日のこと。
そこは、小さな公園。 わざわざなぜそこに、と思う。
近くに間欠泉がある。 それも見たのかな。
10分間隔で湯が噴き出す、しかべ間歇泉。 大沼公園。~鹿部町他~ 他 (2013/7/20)

印が、置き去りにされた場所。

その場所は、左の大きな赤〇。 自分は、下の右の赤〇から歩いた。

一面の森。 大和くんは、右上に行く。

下の下の地図から歩き出して、上の地図に。
緑の二重〇で分岐。 ここからは、どっちに行ったか分からない。
右の可能性が高いと思う。
上に行ったら、分岐がいっぱい。 右上にたどり着くのは大変。 遠い。


一番下に、発見された自衛隊の施設。 そこの上空から撮影。 遠くに大沼。
上の赤〇から歩き出す。
黄色〇まで来て、どっちかに行った。 左と思うけど。 ※ 場所はほぼ正確。 地図と比較したので。
黄色まで4㌔程か。

自分が歩き出す。 道は真っ直ぐ行って、右に。 下は、奥のアップの写真。
家族は、この道を後ろから来た。

正面右に曲がった直ぐの所で、最初におろした。
車は、橋の向こうに戻って来た。 大和くんが戻って来たのか、そこで乗せる。
その後、車は、上の地図にあった場所まで行って、降ろしてこっちに戻って来る。
橋の向こう辺りに車を置いて、探しに行く。 (車は置いて、でいいよう)
降ろした場所まで、600㍍程。

曲がったらこの道。 この写真のその辺りで、最初に降ろした。

鉄橋が見えた。 函館本線砂原線。 昭和の初めにできる。
※ 函館本線の本線は、駒ヶ岳の左を。 明治時代にできた。 啄木が乗ったのはそっち。
道は、右にゆるく曲がる。

このように。 50㍍先に分岐。

来ました。 ここで降ろされた。 車は最初の場所に戻る。
しばらくの間、大和くんはここで泣いていた。
頭が混乱したのか、右の細い方を行く。 緩やかな登り。
手前に戻っていれば、親に会えた。
真っ直ぐ行ったら、3㌔でキャンプ場。

反対から撮影。 大和くんは、左の道を行く。 細いと言っても、極端でない。
左を行ってみる。

こんな道。 車でこの道を来たら、見つかったはず。
車で探しに来たかは分からない。 もし来てなかったら、不思議な事。

5時に出発して、10㌔歩く。
大和くんが歩いた道の写真は、ネット上に少しだけ。 下は、asahi.comからお借り。
道の状態は、様々のよう。
少なくても、2時間半は歩いた。 着いた時は暗い。 クマがいるのは、分かっている。
途中で引き返して、来た道を戻れば、ここに来る。 分岐からは、1㌔と少し。
家族は、左の道を、向こうに行っていた。
※ 自分はこの道を通ったことある。 駒ヶ岳の登山口を探していて。 間違って来た。

東大沼温泉、留(とめ)の湯。

大和くん、よく歩いた。
自衛隊の施設のたどり着けたのは、運もあった。
自分で自分の命を守った。
驚きのことです。
【今日の一句】 「 夕暮れの森の静けさは ひとり歩く不安を増す 」 カラスが「カ~」と鳴いても、震えあがったはず。
【明日の予定】 4㌔先の分岐まで行ってみたい。 ただ、天気がはっきりしない。
そこから先は、どこ歩いたかは、分からない。
そこまでの道は、迷わないと思う。
山ナビにも、道は出てくる。 その先は、表示されない。
先に行って、迷ったら危険。
【今日の歌】 森昌子の1986年6月29日のコンサートの曲を、紹介。
悲しみ本線日本海
※ 震災の時、これを聴きながら、日本海沿いを北上した。
被災地の悲しみと重なった。
【停泊場所】 森町の海の見える公園。 鹿部町に近い。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)
※ プロフィール・・・。 ⇒
今までの記事には、この2枚だけ。
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そこは、小さな公園。 わざわざなぜそこに、と思う。
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印が、置き去りにされた場所。

その場所は、左の大きな赤〇。 自分は、下の右の赤〇から歩いた。

一面の森。 大和くんは、右上に行く。

下の下の地図から歩き出して、上の地図に。
緑の二重〇で分岐。 ここからは、どっちに行ったか分からない。
右の可能性が高いと思う。
上に行ったら、分岐がいっぱい。 右上にたどり着くのは大変。 遠い。


一番下に、発見された自衛隊の施設。 そこの上空から撮影。 遠くに大沼。
上の赤〇から歩き出す。
黄色〇まで来て、どっちかに行った。 左と思うけど。 ※ 場所はほぼ正確。 地図と比較したので。
黄色まで4㌔程か。

自分が歩き出す。 道は真っ直ぐ行って、右に。 下は、奥のアップの写真。
家族は、この道を後ろから来た。

正面右に曲がった直ぐの所で、最初におろした。
車は、橋の向こうに戻って来た。 大和くんが戻って来たのか、そこで乗せる。
その後、車は、上の地図にあった場所まで行って、降ろしてこっちに戻って来る。
橋の向こう辺りに車を置いて、探しに行く。 (車は置いて、でいいよう)
降ろした場所まで、600㍍程。

曲がったらこの道。 この写真のその辺りで、最初に降ろした。

鉄橋が見えた。 函館本線砂原線。 昭和の初めにできる。
※ 函館本線の本線は、駒ヶ岳の左を。 明治時代にできた。 啄木が乗ったのはそっち。
道は、右にゆるく曲がる。

このように。 50㍍先に分岐。

来ました。 ここで降ろされた。 車は最初の場所に戻る。
しばらくの間、大和くんはここで泣いていた。
頭が混乱したのか、右の細い方を行く。 緩やかな登り。
手前に戻っていれば、親に会えた。
真っ直ぐ行ったら、3㌔でキャンプ場。

反対から撮影。 大和くんは、左の道を行く。 細いと言っても、極端でない。
左を行ってみる。

こんな道。 車でこの道を来たら、見つかったはず。
車で探しに来たかは分からない。 もし来てなかったら、不思議な事。

5時に出発して、10㌔歩く。
大和くんが歩いた道の写真は、ネット上に少しだけ。 下は、asahi.comからお借り。
道の状態は、様々のよう。
少なくても、2時間半は歩いた。 着いた時は暗い。 クマがいるのは、分かっている。

途中で引き返して、来た道を戻れば、ここに来る。 分岐からは、1㌔と少し。
家族は、左の道を、向こうに行っていた。
※ 自分はこの道を通ったことある。 駒ヶ岳の登山口を探していて。 間違って来た。

東大沼温泉、留(とめ)の湯。

大和くん、よく歩いた。
自衛隊の施設のたどり着けたのは、運もあった。
自分で自分の命を守った。
驚きのことです。
【今日の一句】 「 夕暮れの森の静けさは ひとり歩く不安を増す 」 カラスが「カ~」と鳴いても、震えあがったはず。
【明日の予定】 4㌔先の分岐まで行ってみたい。 ただ、天気がはっきりしない。
そこから先は、どこ歩いたかは、分からない。
そこまでの道は、迷わないと思う。
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先に行って、迷ったら危険。
【今日の歌】 森昌子の1986年6月29日のコンサートの曲を、紹介。
悲しみ本線日本海
※ 震災の時、これを聴きながら、日本海沿いを北上した。
被災地の悲しみと重なった。
【停泊場所】 森町の海の見える公園。 鹿部町に近い。
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