前田真三の 『麦秋鮮烈』は、どこで撮影されたのでしょう。
今日は、そこに行ってきた。

ヒントは、下。 新星緑ヶ丘ってある。

現場に行って、夕日は向こうから出る。
東はあっち。
そんなことを考えながら、この一帯のどこかだなと分かった。
40年経っているから、木はすっかり別の木に。
上の写真があって、美瑛町でタクネコムギを植えていた。
少し前に刈りとっていたけど。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
※ 今は、30日の午後。
午前中、ジャンプの高梨沙羅、を士別市の朝日のジャンプ場で見て来ました。
第20 回全日本ジュニア&レディースサマージャンプ朝日大会です。
場所はに美瑛町の、美馬牛駅から近い。

新星緑ヶ丘は、下の場所。 紫の〇は、前田真三の写真が展示している拓真観。

前田真三の経歴は、このように。
写真を撮ったのは、1977年7月20日。

※ 上のことで。 彼は戦争に行っている。
千葉県の館山市で訓練している。
館山市には、昔の名残のように、海上自衛隊館山航空基地がある。 下の写真の正面向こうに。
大きな防空壕も。

旭川から向かった。 美瑛の駅前を通って。

ここが拓進館。

建物の右に、ラベンダー畑。
写真の右向こうが沢になっており、沢を2㌔ほど行くと、緑ヶ丘。

このように。

左に、シラカバの森。

麦秋鮮烈(ばくしゅうせんれつ)は、この写真。 彼の代表作になる。

緑ヶ丘に向かった。
自分は最初勘違いした。 左の丘に西日が当たったと思った。
でも、方角を調べたら、右の斜面だと分かった。

ここは、反対側から来た。 2㌔先に、拓真館。
※ 拓真館は、拓進にある。 進を前田真三の真にして、拓真館に。
彼は、1977年7月20日の夕方、美馬牛駅に近い美馬牛峠から、車でここにやって来た。

すぐ右はこう。

上の右はこう。 丘になだらかな、写真のようなカーブがある。

上の写真の奥。 40年経って、木は全く違う。

少し行って、緑ヶ丘の丘は、ここが最後。 よく見たら、上と同じ。

上の写真の左方面。

上の数枚の写真を、どの方向からか見たら、麦秋鮮烈の写真が撮れた。
緑ヶ丘の場所は広くないので、そう思った。
この地点から見たという場所を探したが、分からなかった。
道沿いの木が邪魔して、見る場所が限られた。

この後、赤い小麦である、タクネコムギを植えた場所を通って、旭川に戻った。
見える場所は、昨日見学した、マイルドセブンの丘。

少し左に行って、この近辺のよう。 1週間ほど前に、刈った。
※ 7月の中頃なら見られる。

このように実っていた。 美瑛町のサイトより。

新聞で、下のように紹介された。 ここに夕陽が当たると、上のように赤くなる。
何らかの条件がそろえば、きっと真っ赤になる。
※ 岩山の雌阿寒岳だって、夕日は魔術師のように色を変える。
(2010年秋)

タクネコムギでつくったビールとお菓子。 美瑛の道の駅で売っている。

少し走ったら、美園(みその)地区に出た。
※ ここは美瑛の市街地から8㌔。
美瑛中の1年の時、ここから通ってくる生徒さんがいた。
自転車に乗れないので、歩いて。
朝の6時には、家を出た。
しばらくして、自転車を練習した。
体が小さかったので、大人の自転車を、三角乗りして学校にやって来た。
冬は下宿。

ここは、三田地区。

麦秋鮮烈は、ここからあの丘を見た。
それを望んでいたけど、難しかったです。
40年前に、前田真三さんがここに来たことによって、彼の人生は決まった。
そして、美瑛町新星緑ヶ丘は、彼の記念する場所に。
あの写真があって、今は美瑛に多くの人が。
【今日の一句】 「 新星緑ヶ丘は 美瑛観光の 原点の地 」
【今日の歌】 今日の場所は、四季彩の丘から近いです。
【停泊場所】 姉の家の前
【明日の予定】 ジャンプを見る。 高梨沙羅が出る。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)
※ プロフィール・・・。 ⇒
今までの記事には、この2枚だけ。
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東はあっち。
そんなことを考えながら、この一帯のどこかだなと分かった。
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午前中、ジャンプの高梨沙羅、を士別市の朝日のジャンプ場で見て来ました。
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場所はに美瑛町の、美馬牛駅から近い。


新星緑ヶ丘は、下の場所。 紫の〇は、前田真三の写真が展示している拓真観。


前田真三の経歴は、このように。
写真を撮ったのは、1977年7月20日。

※ 上のことで。 彼は戦争に行っている。
千葉県の館山市で訓練している。
館山市には、昔の名残のように、海上自衛隊館山航空基地がある。 下の写真の正面向こうに。
大きな防空壕も。


旭川から向かった。 美瑛の駅前を通って。

ここが拓進館。


建物の右に、ラベンダー畑。
写真の右向こうが沢になっており、沢を2㌔ほど行くと、緑ヶ丘。

このように。

左に、シラカバの森。

麦秋鮮烈(ばくしゅうせんれつ)は、この写真。 彼の代表作になる。

緑ヶ丘に向かった。
自分は最初勘違いした。 左の丘に西日が当たったと思った。
でも、方角を調べたら、右の斜面だと分かった。

ここは、反対側から来た。 2㌔先に、拓真館。
※ 拓真館は、拓進にある。 進を前田真三の真にして、拓真館に。
彼は、1977年7月20日の夕方、美馬牛駅に近い美馬牛峠から、車でここにやって来た。

すぐ右はこう。

上の右はこう。 丘になだらかな、写真のようなカーブがある。

上の写真の奥。 40年経って、木は全く違う。

少し行って、緑ヶ丘の丘は、ここが最後。 よく見たら、上と同じ。

上の写真の左方面。

上の数枚の写真を、どの方向からか見たら、麦秋鮮烈の写真が撮れた。
緑ヶ丘の場所は広くないので、そう思った。
この地点から見たという場所を探したが、分からなかった。
道沿いの木が邪魔して、見る場所が限られた。

この後、赤い小麦である、タクネコムギを植えた場所を通って、旭川に戻った。
見える場所は、昨日見学した、マイルドセブンの丘。

少し左に行って、この近辺のよう。 1週間ほど前に、刈った。
※ 7月の中頃なら見られる。

このように実っていた。 美瑛町のサイトより。

新聞で、下のように紹介された。 ここに夕陽が当たると、上のように赤くなる。
何らかの条件がそろえば、きっと真っ赤になる。
※ 岩山の雌阿寒岳だって、夕日は魔術師のように色を変える。


タクネコムギでつくったビールとお菓子。 美瑛の道の駅で売っている。


少し走ったら、美園(みその)地区に出た。
※ ここは美瑛の市街地から8㌔。
美瑛中の1年の時、ここから通ってくる生徒さんがいた。
自転車に乗れないので、歩いて。
朝の6時には、家を出た。
しばらくして、自転車を練習した。
体が小さかったので、大人の自転車を、三角乗りして学校にやって来た。
冬は下宿。


ここは、三田地区。


麦秋鮮烈は、ここからあの丘を見た。
それを望んでいたけど、難しかったです。
40年前に、前田真三さんがここに来たことによって、彼の人生は決まった。
そして、美瑛町新星緑ヶ丘は、彼の記念する場所に。
あの写真があって、今は美瑛に多くの人が。
【今日の一句】 「 新星緑ヶ丘は 美瑛観光の 原点の地 」
【今日の歌】 今日の場所は、四季彩の丘から近いです。
【停泊場所】 姉の家の前
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Re: タイトルなし
ありがとうございます。
もう一度行って来ますね。
そのことき、このコメントを再度読みます。
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推測ですが、「麦秋鮮烈」に写っている丘は、国土地理院の地形図で「間宮岳」と出ている丘だと思われます。ただし、この辺りも農地改良などで撮影時と比べてだいぶ地形も変わっているとのことです。