九度山に行くなら、今かな。
今が旬。 そう思って行ってきた。
何が残っているのか、はっきりしない。
でも、昌幸・信繁たちが見た、山・川・空はある。
それを見るだけでもいいかな、と考えて。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
高野山は高いとことにある。
その麓にあるのが、九度山。

電車も九度山を通る。 九度山を過ぎて、登り始める。
自分は、道の駅から歩いた。
左に雨引山。 この山が目立つ。 信繁たちが毎日見た山。

ここは、道の駅柿の郷くどやま。
真田屋敷跡は、写真中央遠くにある。

真田屋敷跡(真田庵)を中心に見学。 小高い丘の上。

駐車場は、真田庵の近くにも。 車がいっぱい。
向こうに行く。

橋の上から。 向こうに、紀ノ川。 右から左に流れている。 高野山は、自分の後の山奥に。

3分ほど歩いて、小路に入る。

長屋門を通って。
真田屋敷跡に、寺が。 善名称院(ぜんみょうしょういん)。 1741年創建。

真田太平記などの展示。

菊の紋は、善名称院が皇室と関係があったため。 六文銭も。

善名称院。 屋根が複雑。 八棟造と呼ばれるよう。 他にも建物がいくつか。
現在、真田庵と呼ばれている。

真田屋敷跡となっているが、調べたら、はっきりしない。
昌幸は亡くなって、信繁は大坂城に行く。
後に、真田屋敷は取り壊される。
廃墟の状態が長く続くため、屋敷跡の場所は諸説ある。
ここの可能性もある、ということでしょうか。

菊の紋。 観光客が絶えない。

お堂があって昌幸の墓がある。

中央の宝篋印塔。 一応これも、昌幸の墓とされている。
※ 文書で分かっているのは、九度山で焼かれ分骨が、長野県の松代の長国寺と、上田の長谷寺に行ったこと。
(松代藩の藩主に、信繁の兄の信幸が、沼田から行ってなる)
他の骨は、九度山に葬られたと考えていい。
それがこれなのかは、よく分からない。 一応墓となっている。
長谷寺にある真田幸隆夫妻と昌幸の墓にお参り。 真田氏本城跡の近くに。~上田城~ 他 (2016/9/22)

こんなお堂も。

伝説のある井戸。 信繁(幸村)が、雷を閉じ込めたと。

右が真田庵。 向かいに、昌幸の墓。

真田屋敷の絵図が見たい。 ネット上にはない。
反対側の出口。

真田屋敷の向こうに、雨引山が見える。
昌幸・信繁、そして家臣たちが毎日見た山。

関が原に負けて、2人は高野山に蟄居(ちっきょ)となった。 流された。
蟄居の寺は、蓮華定院(れんげじょういん)。
高野山や伊豆に流されるのは、普通は危険。
途中で殺されることの方が、多い。
※ 秀頼が生まれて秀次は、秀吉に疎まれ流された。 そして、切腹。
伊豆に流された誰だったかも、風呂に入っているとき襲われた。
高野山は女人禁制。
信繁は妻を連れてきた。 昌幸は、上田に置いてきた。
女性たちは、高野山の少し九度山側の下の、細川。
冬は寒いからかで、九度山に下りる。
※ 2人の他には、信繁の妻子と16人の家臣。
真田の抜け穴伝説の場所に。

ここ。

穴がある。 調査の結果、古墳と分かった。

少し丘の上の、真田道。 右の像は焼き物。 九度山焼。

真田家の監視役は、紀州藩(和歌山藩)。
そうなんだけど、生活の支援をしている。
※ 藩主の浅野幸長(よしなが)は、秀吉の家臣だった時代が。 後に徳川方に。
生活を支えた中心は、信繁の兄の信幸(信之)。
休憩所の中。

お店に、真田紐が売っていた。 東風さんが、上田では売り切れと言っていた。
1つ記念に勝った。

誰もが、上田に戻ることを願っていた。 何度も嘆願を。
また、昌幸は何時かのために兵法の研究もしていた。(前回の大河で出ていた)
さらに行く。

大坂冬の陣の前、信繁は国許(上田)にいる父・昌幸の旧臣たちに参戦を呼びかける。
九度山を脱出して子の大助と共に大坂城に入る。
※ 豊臣からの謝礼は、黄金200枚、銀30貫。
脱出の責任を和歌山藩は問われる。
それを避けるため、監視の者を含めて盛大な宴会をやったよう。
その時に、脱出。
向こうに道の駅。

大坂城から出た所に、陣地をつくる。 それが真田丸。(Wikipedia)
下の方には、茶臼山。 家康がいる。 冬の陣の時。
茶臼山については、下の記事に。 (6日に、大坂城に行く予定)
新世界と天王寺公園に。 通天閣。 王将碑。 串カツ店。 茶臼山。~大阪市~ 他 (2015/12/6)
川で遊んでる人が。 暑い。 夏が復活。

道の駅に、資料館。

信繁について。

奥は高野山について。

高野山と熊野古道。

高野山の紹介。

はっきりしてないものが多かった。
ただ、九度山にいたことは確か。
昌幸・信繁たちが見た、雨引山・紀ノ川は今も昔と同じようにあった。
同じ空気を吸って、自分は歩いた。
真田氏の性格上、命が助かっただけでは、満足は出来ないんですね。
信繁は、大阪城に行くことになる。
家康は、信幸がいるから、殺せなかったのか。
【今日の一句】 「 昌幸・信繁 再起を期すことは いつも心の中に 」
【ブログ紹介】
奥の院には、歴史上の人物の墓がいっぱい ~高野町高野山~ コーヒーブルース(高田渡) 他 (2012/6/11)
大門 徳川家霊台 女人堂 金剛三昧院多宝塔 ~高野山~ 運命(指揮カラヤン) 他 (2012/6/10)
高野山真言宗の総本山、金剛峯寺 ~高野町~ 君と淋しい風になる(森田童子) 他 (2012/6/9)
大門坂 熊野那智大社 那智の滝 ~熊野詣での終点、那智山~ 他 (2010/6/10)
湯の峰温泉の「つぼ湯」は、世界遺産。 その秘密は? ~熊野詣の湯垢離場(ゆごりば)~ 他 (2010/6/9)
熊野古道、昨日の続きを歩く。 ~継桜王子から熊野本宮大社まで。(22.1㎞)~ 他 (2010/6/8)
熊野古道は修験の道だった。 ~滝尻王子から継桜王子まで、歩く。(18.2㎞)~ 他 (2010/6/7)
【道の駅】 紀ノ川万葉の里 九度山のは混んでたので。
【明日の予定】 近くの神社を見る。 世界遺産。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)
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今が旬。 そう思って行ってきた。
何が残っているのか、はっきりしない。
でも、昌幸・信繁たちが見た、山・川・空はある。
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高野山は高いとことにある。
その麓にあるのが、九度山。


電車も九度山を通る。 九度山を過ぎて、登り始める。
自分は、道の駅から歩いた。
左に雨引山。 この山が目立つ。 信繁たちが毎日見た山。


ここは、道の駅柿の郷くどやま。
真田屋敷跡は、写真中央遠くにある。

真田屋敷跡(真田庵)を中心に見学。 小高い丘の上。


駐車場は、真田庵の近くにも。 車がいっぱい。
向こうに行く。

橋の上から。 向こうに、紀ノ川。 右から左に流れている。 高野山は、自分の後の山奥に。

3分ほど歩いて、小路に入る。


長屋門を通って。
真田屋敷跡に、寺が。 善名称院(ぜんみょうしょういん)。 1741年創建。

真田太平記などの展示。


菊の紋は、善名称院が皇室と関係があったため。 六文銭も。

善名称院。 屋根が複雑。 八棟造と呼ばれるよう。 他にも建物がいくつか。
現在、真田庵と呼ばれている。


真田屋敷跡となっているが、調べたら、はっきりしない。
昌幸は亡くなって、信繁は大坂城に行く。
後に、真田屋敷は取り壊される。
廃墟の状態が長く続くため、屋敷跡の場所は諸説ある。
ここの可能性もある、ということでしょうか。

菊の紋。 観光客が絶えない。



お堂があって昌幸の墓がある。


中央の宝篋印塔。 一応これも、昌幸の墓とされている。
※ 文書で分かっているのは、九度山で焼かれ分骨が、長野県の松代の長国寺と、上田の長谷寺に行ったこと。
(松代藩の藩主に、信繁の兄の信幸が、沼田から行ってなる)
他の骨は、九度山に葬られたと考えていい。
それがこれなのかは、よく分からない。 一応墓となっている。
長谷寺にある真田幸隆夫妻と昌幸の墓にお参り。 真田氏本城跡の近くに。~上田城~ 他 (2016/9/22)

こんなお堂も。

伝説のある井戸。 信繁(幸村)が、雷を閉じ込めたと。


右が真田庵。 向かいに、昌幸の墓。


真田屋敷の絵図が見たい。 ネット上にはない。
反対側の出口。

真田屋敷の向こうに、雨引山が見える。
昌幸・信繁、そして家臣たちが毎日見た山。

関が原に負けて、2人は高野山に蟄居(ちっきょ)となった。 流された。
蟄居の寺は、蓮華定院(れんげじょういん)。
高野山や伊豆に流されるのは、普通は危険。
途中で殺されることの方が、多い。
※ 秀頼が生まれて秀次は、秀吉に疎まれ流された。 そして、切腹。
伊豆に流された誰だったかも、風呂に入っているとき襲われた。
高野山は女人禁制。
信繁は妻を連れてきた。 昌幸は、上田に置いてきた。
女性たちは、高野山の少し九度山側の下の、細川。
冬は寒いからかで、九度山に下りる。
※ 2人の他には、信繁の妻子と16人の家臣。
真田の抜け穴伝説の場所に。

ここ。

穴がある。 調査の結果、古墳と分かった。


少し丘の上の、真田道。 右の像は焼き物。 九度山焼。

真田家の監視役は、紀州藩(和歌山藩)。
そうなんだけど、生活の支援をしている。
※ 藩主の浅野幸長(よしなが)は、秀吉の家臣だった時代が。 後に徳川方に。
生活を支えた中心は、信繁の兄の信幸(信之)。
休憩所の中。

お店に、真田紐が売っていた。 東風さんが、上田では売り切れと言っていた。
1つ記念に勝った。


誰もが、上田に戻ることを願っていた。 何度も嘆願を。
また、昌幸は何時かのために兵法の研究もしていた。(前回の大河で出ていた)
さらに行く。

大坂冬の陣の前、信繁は国許(上田)にいる父・昌幸の旧臣たちに参戦を呼びかける。
九度山を脱出して子の大助と共に大坂城に入る。
※ 豊臣からの謝礼は、黄金200枚、銀30貫。
脱出の責任を和歌山藩は問われる。
それを避けるため、監視の者を含めて盛大な宴会をやったよう。
その時に、脱出。
向こうに道の駅。

大坂城から出た所に、陣地をつくる。 それが真田丸。(Wikipedia)
下の方には、茶臼山。 家康がいる。 冬の陣の時。
茶臼山については、下の記事に。 (6日に、大坂城に行く予定)
新世界と天王寺公園に。 通天閣。 王将碑。 串カツ店。 茶臼山。~大阪市~ 他 (2015/12/6)

川で遊んでる人が。 暑い。 夏が復活。

道の駅に、資料館。

信繁について。


奥は高野山について。

高野山と熊野古道。


高野山の紹介。

はっきりしてないものが多かった。
ただ、九度山にいたことは確か。
昌幸・信繁たちが見た、雨引山・紀ノ川は今も昔と同じようにあった。
同じ空気を吸って、自分は歩いた。
真田氏の性格上、命が助かっただけでは、満足は出来ないんですね。
信繁は、大阪城に行くことになる。
家康は、信幸がいるから、殺せなかったのか。
【今日の一句】 「 昌幸・信繁 再起を期すことは いつも心の中に 」
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奥の院には、歴史上の人物の墓がいっぱい ~高野町高野山~ コーヒーブルース(高田渡) 他 (2012/6/11)
大門 徳川家霊台 女人堂 金剛三昧院多宝塔 ~高野山~ 運命(指揮カラヤン) 他 (2012/6/10)
高野山真言宗の総本山、金剛峯寺 ~高野町~ 君と淋しい風になる(森田童子) 他 (2012/6/9)
大門坂 熊野那智大社 那智の滝 ~熊野詣での終点、那智山~ 他 (2010/6/10)
湯の峰温泉の「つぼ湯」は、世界遺産。 その秘密は? ~熊野詣の湯垢離場(ゆごりば)~ 他 (2010/6/9)
熊野古道、昨日の続きを歩く。 ~継桜王子から熊野本宮大社まで。(22.1㎞)~ 他 (2010/6/8)
熊野古道は修験の道だった。 ~滝尻王子から継桜王子まで、歩く。(18.2㎞)~ 他 (2010/6/7)
【道の駅】 紀ノ川万葉の里 九度山のは混んでたので。
【明日の予定】 近くの神社を見る。 世界遺産。
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(2008年4月~2010年9月までの.記事)

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