城東の町並みは、重伝建地区。 (重要伝統的建造物群保存地区)
※ 岡山県には他に、倉敷市と高梁市に。
重伝建地区は、見学することにしている。
低い商家の家並み。
焼いて黒くした板の壁と、ナマコ壁などの白壁が混ざって。
初代藩主は、森忠政。
森蘭丸や坊丸の一番下の弟だった。(6男)
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
津山市は内陸部では、大きな町。

左端に、道の駅が。

観光駐車場に、案内図。 国道53が通っている。 右地図の右端に。
城の東にあるので、城東。

東方向は、少し行ってお終い。

西に行く。 屋根が低いので商家ですね。

美作地方には、春名という苗字が多い。

ここを見学。 無料。

土間も広い。

母屋の後にある、蔵。

伏見人形と京の版画展。 少しだけ見学。

大文字山には、登山道がある。 隣は円山公園の桜。 三条大橋。
八坂神社~円山公園~知恩院と歩く。 桜咲く京都は、今、花の都に。~京都市~ 他 (2015/3/31)

2階に、これが。 奥津温泉足踏みせんたく。 明後日行く予定。

格子の障子。

少し歩いて右に入ると、津山洋楽資料館。

左の箕作 阮甫(みつくり げんぽ)という人は、知られた人のよう。
歴史に大きく登場はしないけど。 津山は、蘭学者を多く輩出している。

右に、お菓子屋さん。 津山名産、桐襲(きりかさね)。
※ 襲は元々は、衣裳を重ねて着る、の意味なんですね。 衣裳を襲(かさ)ねて着ると書いてもいい。
襲撃は、後ろから襲って、覆いかぶさるのイメージ。 初めて知りました。 (写真は市のお菓子の関係から)

また知らないものが。 正式名は、津山箔合紙。
薄くて丈夫。 金箔はこの紙にくっつけて、重ねる。 そんな使い方のよう。
古文書の修理などにも。 (右は、晴れの国おかやま館から、お借り)

さっき出てきた、箕作 阮甫(みつくり げんぽ)という人の旧宅。

薬屋さん。 左は、薄荷糖(はっかとう)。 そして、龍教湯。 どんな薬かは分からない。
右端は、ひぜんぬり薬。 調べてみた。
疥癬(かいせん)というひ皮膚感染症がある。 それは、皮癬(ひぜん)とも呼ばれる。
ダニが原因。 それのための、ぬり薬ですね。

津山祭りは、次の土曜日。 昨日あったのは別かな。

町並みは、続く。

ここで少し、曲がって曲がる。 見通しを悪くしている。 治安のためか。

糀(こうじ)やさんの隣に、小路。

この商家も見学。 無料。

広い土間。

これは、最後の男はつらいよ。 48作。
この時、寅さんの癌は、肺に転移していた。 椅子に座った撮影が多かった。
浅丘ルリ子は、寅さんと結婚させてほしいと監督に言った。
山田監督は、50作くらいまで撮りたかった。 それで、了解を得られなかった。
監督は、寅さんの病状を正確に知らなかったのか。
48作は、神戸やどこかの島でも撮影。

裏の建物に、だんじりがあるという。

下に車が付いてる。 これを引っ張る。
激しく引っ張る所もある。 最近どこかで事故があった。

市内に、28台あるという。 津山祭りは今度の土曜日。

先に行く。

小路には、入らなかった。 焼いた板は、火が移りにくいのか。 袖壁も火災の時のため。

お菓子屋さん。 右の壁に、説明があった。

初代藩主が、森忠政と初めて知った。
森と云う武将は少ないから、森蘭丸と関係あるのかなと思った。 調べてみた。
そうしたら、一番下の弟だった。
6人兄弟の中で、唯一戦乱で死ななかったよう。
森蘭丸が本能寺で死んだときは、18才。
その時、忠政は12歳だった。 まだ子供。
秀吉側から、徳川に移る。 それで、信州の方からここの藩主になって来る。
美濃金山城で生まれている。
森蘭丸、坊丸たちが生まれた、美濃金山城。 可成寺。 兼山湊跡。~可児市~ 他 (2014/5/14)
街並みを出たら、津山城が見えた。 明日行く。

戻っている。 洋館がくっ付いて。

圧迫感のない街並み。 2階が低い。

今日は、いくつかのことを知った。
それが収穫でしょうか。
森忠政は、気性の激しい藩主(武将)だったよう。
多くのトラブルを乗り越えて。
こんな肖像画が。
(津山市の観光情報のサイトからお借り)
【今日の一句】 「 ブログ書くとして 疲れた頭 」 最近旅と関係なく、いろいろと。 軽い心で旅したい。
【ブログ紹介】 津山の北部で昔、大変な事件があった。
津山事件の貝尾を歩く ~日本犯罪史上、最大の大量殺人(30名)~ 他 (2010/5/14)
他に。 岡山県の重伝建地区。
倉敷 美観地区を歩く 大原美術館 ~倉敷市~ 他 (2010/12/11)
鯉が窪湿原 吹屋ふるさと村 ~岡山県、新見市・高梁市~ 他 (2010/5/13)
寅さんの撮影は、真庭市でも。
勝山町並み保存地区 真賀温泉館 湯原温泉砂湯 ~真庭市~ 他 (2011/5/30)
【今日の歌】 わたしの城下町I 小柳ルミ子
※ もし森忠政の兄の坊丸が生き延びていたら、この人は子孫の可能性が。
坊丸の子孫を名乗る大きな組織がある。 美濃の方だったかな。
小柳家は、森家から分かれて、秋田に。
彼女の母親は、秋田の人。 後に、博多に行く。
彼女はそこで生まれる。
以前、ある人から系図を見せてもらったことが。 ある人は、彼女と同じ苗字だった。
ここは、城下町。
【道の駅】 久米の里
【明日の予定】 津山城他
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)
※ プロフィール・・・。 ⇒
今までの記事には、この2枚だけ。
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※ 岡山県には他に、倉敷市と高梁市に。
重伝建地区は、見学することにしている。
低い商家の家並み。
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観光駐車場に、案内図。 国道53が通っている。 右地図の右端に。
城の東にあるので、城東。


東方向は、少し行ってお終い。

西に行く。 屋根が低いので商家ですね。

美作地方には、春名という苗字が多い。

ここを見学。 無料。

土間も広い。

母屋の後にある、蔵。

伏見人形と京の版画展。 少しだけ見学。

大文字山には、登山道がある。 隣は円山公園の桜。 三条大橋。
八坂神社~円山公園~知恩院と歩く。 桜咲く京都は、今、花の都に。~京都市~ 他 (2015/3/31)



2階に、これが。 奥津温泉足踏みせんたく。 明後日行く予定。

格子の障子。

少し歩いて右に入ると、津山洋楽資料館。

左の箕作 阮甫(みつくり げんぽ)という人は、知られた人のよう。
歴史に大きく登場はしないけど。 津山は、蘭学者を多く輩出している。

右に、お菓子屋さん。 津山名産、桐襲(きりかさね)。
※ 襲は元々は、衣裳を重ねて着る、の意味なんですね。 衣裳を襲(かさ)ねて着ると書いてもいい。
襲撃は、後ろから襲って、覆いかぶさるのイメージ。 初めて知りました。 (写真は市のお菓子の関係から)


また知らないものが。 正式名は、津山箔合紙。
薄くて丈夫。 金箔はこの紙にくっつけて、重ねる。 そんな使い方のよう。
古文書の修理などにも。 (右は、晴れの国おかやま館から、お借り)


さっき出てきた、箕作 阮甫(みつくり げんぽ)という人の旧宅。


薬屋さん。 左は、薄荷糖(はっかとう)。 そして、龍教湯。 どんな薬かは分からない。
右端は、ひぜんぬり薬。 調べてみた。
疥癬(かいせん)というひ皮膚感染症がある。 それは、皮癬(ひぜん)とも呼ばれる。
ダニが原因。 それのための、ぬり薬ですね。

津山祭りは、次の土曜日。 昨日あったのは別かな。


町並みは、続く。

ここで少し、曲がって曲がる。 見通しを悪くしている。 治安のためか。

糀(こうじ)やさんの隣に、小路。


この商家も見学。 無料。

広い土間。

これは、最後の男はつらいよ。 48作。
この時、寅さんの癌は、肺に転移していた。 椅子に座った撮影が多かった。
浅丘ルリ子は、寅さんと結婚させてほしいと監督に言った。
山田監督は、50作くらいまで撮りたかった。 それで、了解を得られなかった。
監督は、寅さんの病状を正確に知らなかったのか。
48作は、神戸やどこかの島でも撮影。


裏の建物に、だんじりがあるという。

下に車が付いてる。 これを引っ張る。
激しく引っ張る所もある。 最近どこかで事故があった。

市内に、28台あるという。 津山祭りは今度の土曜日。


先に行く。

小路には、入らなかった。 焼いた板は、火が移りにくいのか。 袖壁も火災の時のため。


お菓子屋さん。 右の壁に、説明があった。

初代藩主が、森忠政と初めて知った。
森と云う武将は少ないから、森蘭丸と関係あるのかなと思った。 調べてみた。
そうしたら、一番下の弟だった。
6人兄弟の中で、唯一戦乱で死ななかったよう。
森蘭丸が本能寺で死んだときは、18才。
その時、忠政は12歳だった。 まだ子供。
秀吉側から、徳川に移る。 それで、信州の方からここの藩主になって来る。
美濃金山城で生まれている。
森蘭丸、坊丸たちが生まれた、美濃金山城。 可成寺。 兼山湊跡。~可児市~ 他 (2014/5/14)


街並みを出たら、津山城が見えた。 明日行く。

戻っている。 洋館がくっ付いて。

圧迫感のない街並み。 2階が低い。

今日は、いくつかのことを知った。
それが収穫でしょうか。
森忠政は、気性の激しい藩主(武将)だったよう。
多くのトラブルを乗り越えて。
こんな肖像画が。

【今日の一句】 「 ブログ書くとして 疲れた頭 」 最近旅と関係なく、いろいろと。 軽い心で旅したい。
【ブログ紹介】 津山の北部で昔、大変な事件があった。
津山事件の貝尾を歩く ~日本犯罪史上、最大の大量殺人(30名)~ 他 (2010/5/14)
他に。 岡山県の重伝建地区。
倉敷 美観地区を歩く 大原美術館 ~倉敷市~ 他 (2010/12/11)
鯉が窪湿原 吹屋ふるさと村 ~岡山県、新見市・高梁市~ 他 (2010/5/13)
寅さんの撮影は、真庭市でも。
勝山町並み保存地区 真賀温泉館 湯原温泉砂湯 ~真庭市~ 他 (2011/5/30)
【今日の歌】 わたしの城下町I 小柳ルミ子
※ もし森忠政の兄の坊丸が生き延びていたら、この人は子孫の可能性が。
坊丸の子孫を名乗る大きな組織がある。 美濃の方だったかな。
小柳家は、森家から分かれて、秋田に。
彼女の母親は、秋田の人。 後に、博多に行く。
彼女はそこで生まれる。
以前、ある人から系図を見せてもらったことが。 ある人は、彼女と同じ苗字だった。
ここは、城下町。
【道の駅】 久米の里
【明日の予定】 津山城他
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