fc2ブログ

キャンピングカーで放浪の旅 Ⅱ

全国を、写真と動画で探訪

相馬市のボランティアの人数は、普段は60人くらい。
でも、連休に入ったので、今日は100人を越えた。
駐車場を探して、少し遅れて行ったら、直ぐの仕事はなかった。
2時半から、道具洗いをした。

夕方、海岸線をあっちこっち見ながら、南相馬市まで行って来た。
放射能で騒がれているが、自然の美しい町だった。


相馬市は市だが、ボランティアの人数は、亘理町の3分の1。(今日は少し多かったが)
福島県だからでしょうか。 
原発にもっと近い南相馬市は、どうなっているのでしょう。

ここが、ボランティアセンター。
2時半から、ここで、スコップや一輪車を洗った。 1時間半。
私は、カッパ(登山の上下)を着てたので、濡れても大丈夫と云うことで、高圧で水が出るのを使った。
戻って来た人の、長靴の底や、カッパも洗った。

11年4月29日 (1)

4時半過ぎ、南相馬市の海岸線に向かった。
この時間になると、工事とかがあっても終わるため、走りやすい。
迷惑をかけないですむ。

亘理町までが仙台平野で、その南は、低い山が海に近づいていた。
下の写真は、南相馬市の北部の海岸線。 鹿島区北屋形。

11年4月29日 (2)

水の引いた後に、下の様に、数㌢の厚さで汚泥を残している。
床下と同じように、その部分ははがれそう。
※ ものすごい数のボランティアがいたら、取り除けるかも知れない。

11年4月29日 (3)

海岸線は通行止めになってる所があり、迂回したり、国道に戻ることもあった。
下の場所は、上の写真の所より、少し南。
海に近い所の家は、みんな流されていた。



南相馬市の道の駅まで行って、戻って来た。




【その他】

相馬市内では、車は城跡の駐車場に停めた。
午前中、そばの野球場で、高校生の練習試合を、30分ほど見た。
温かい日差しの中で、のんびり。 いいもんだ。
その後、2時まで寝た。

DSC0039778uioopko.jpg

夜、世界選手権の女子のショートプログラムが始まった。

キム・ヨナは、冒頭の3回転・3回転を失敗した。
それでも1位だったので、このことが大きいと考えるしかない。

いい動画がない。

気付いたことを少し。
① 3回転3回転を失敗することは、この所、ずっとなかった。
  アメリカのある選手が、ヨナは3回転を2回転を跳ぶように跳んでいる、と言った。
  ジャンプは、難しい。
② 新しいコーチは、ヨナの心のコントロールをどうやってるのか。
  そこが少し心配。
③ 1度ミスしても、引きずらないのは、いつもの通りだった。
  それが出来たので、演技の後は、まあいいか仕方ない、っていう表情をした。
④ ステップでは、片足で滑る部分が多かった。 特に最後の部分は、圧巻と云ってもいい。
⑤ 点数を見てほっとした。 胸に手をやった。
⑥ 全体は、見ていて退屈しない内容だったでしょうか。
  レベルアップが図られているように感じた。
⑦ フリーでは、1回転んで、他に小さなミスがいくつかあっても、勝てる。


相馬市のある所に、「餓死供養塔」というのがある。 そのことが分かった。
今回の地震、そして津波。 さらに、原発の被害。
東北は、昔から・・・、と思い始めてる。

上のことについて整理してみたい、また考えてみたいと思っている。
供養塔も見に行って。

スケートは、今晩、フリープログラムがあります。


 ※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。   
                                                    (2008年4月~2010年9月までの記事)

meisigazoupppm.jpg
   
【ランキング】  国内旅行は11位、 旅行全体で35位です。           
          
            記事は役立ったでしょうか。
            気に入った所などがありましたら、クリックをよろしく。
                     ※ クリックするバナーは、下のです。 
                   
              ありがとう!!

                   ※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
         
 
 

コメント

ボランティアの旅お疲れ様です

4/28日に、偶然相馬バイパスでキャンピングカーの後について、磯部方面へ曲がっていかれるまで、後ろについていた車に乗っていた者です。気になってブログを拝見させていただきました。動画で南海老から烏崎へ通る道で、最後のところで右折しているようですが、あそこは信号があった交差点で、左折していくと本来漁港があって、数十戸の集落がありましたが、今は何もありません。南海老にも集落がありましたがあそこも何もなくなってしまいました。私の家は、幸い津波には飲まれませんでしたが、あと500mぐらいまで津波が迫っていました。映像を見るとおそらく私の家の前を通っていっているようです。
鹿島区は、カメラが止まったあたりから南が原発から30km圏内(緊急時避難準備区域)になります。かなりの住民が戻ってきていますが、原発事故で先の見えない不安を抱えています。私の家は農家で、田んぼや畑は海水につかりませんでしたが、海水が入らなかった田んぼでも、今年は稲の作付けが制限されました。海水と放射線のダブルパンチを食らった田んぼでは、あと何年作付けができないのか、そもそも農産物を作っても風評被害で売れるのか?という悩みを抱えています。津波による被害もひどいですが、原発事故の終息がいつになるのか、本当に困っている次第です。
長文失礼しました。

Re: ボランティアの旅お疲れ様です


相馬市の人が、塩害も大変だけど、それより放射能が怖いと言っていました。
いつの日か、福島県から原発が消えて、自然エネルギーの最先端の県になる。
そして、原発がなかった時代の、元の緑豊かな福島県になる。
こうなるといいと思うけど、何年かかるでしょう。

今急ぐことは、新たな放射能が、原発から出ないようにすること。
出た放射能を、取り除くこと。
東電と国は、責任を持ってしなければならない。
そう思います。

南相馬市の、緑豊かで単調でない風景が、好きです。


コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

https://akkamui.com/tb.php/221-e5852b4e

openclose

03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09 

  • 連休で、人がいっぱい。   南相馬市の海岸線。   他   (2011/4/29)
  • 2011年04月29日 (金)
  • 22時30分22秒
by AlphaWolfy

akkamui212

Author:akkamui212
2009年4月に放浪の旅をスタートし、十数回目の日本1周に入っています。
「キャンピングカーで放浪の旅」に続き、パートⅡです。
明日は、どこの空の下にいるのかな。


02 | 2023/03 | 04
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -

現在の閲覧者数:

名前:
メール:
件名:
本文:

QR

気に入った所がありましたら、よろしく。