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キャンピングカーで放浪の旅 Ⅱ

全国を、写真と動画で探訪

いつの間にか、4月が終わる。 はやい。
今日の仕事は、瓦礫の撤去。 初めて。

相馬市の街外れに、小さな新沼観音堂があり、そこに、天明餓死供養碑というのがあった。
東北は寒いから、飢饉の時は、他よりも被害が大きい。 1回の飢饉で、死者数万人。
昔も今も、東北の人達は、辛い思いをする。


ボランティアセンターの受け付けは、9時から。
昨日遅れて行ったら、仕事が午後からになったので、8時半過ぎに行ってみた。
下のように、人が並んでいた。
私は、並ばない。

11年4月30日 (4)

車で休んでたら、9時20分頃、列は消えた。
仕事は無いかもしれないと思ったが、受付に行った。

ボランティアの人は、20人ほどいた。
一つだけ仕事が、貼り出してあった。
内容は、「力仕事、瓦礫の撤去」とあった。
5人必要だが、2人しか希望していない。 みんな敬遠したために、残っていた。

私は、すぐそれに申し込んだ。 
集合時間は12時過ぎで、場所は下の地図の、松川浦。 北隣に相馬港がある。


たくさんの船が打ち上げられていた。 船の向こうは海。

11年4月30日 (1)

上の写真の船の方から撮影。 右手前の家が、仕事場。
家の周りの瓦礫を、写真の左手前に運んだ。 一輪車を使って。 大きな物は、何人かで。
※ 釘を踏まないようにだけ、注意を払っていた。

11年4月30日 (2)

瓦礫は、流れてきた物と、家の中から出した物。

家の中では、業者が床下の泥出しの準備をしていた。
発電機で電動の工具を使い、切ったりして、要領よく床板を剥がしていた。
床下の水と泥は、吸い取ると言った。  ※ バキュームカーのように。

3時頃には終わった。
お茶やお菓子を御馳走になった。
みんな記念写真を撮り出したので、私も1枚。 女性の方が、ここにお家の人。
オレンジのジャケットの人は、迎えに来た人。
黄色のジャケットの人は、まとめ役。

11年4月30日 (3)

3時半過ぎには戻ったので、天明餓死供養碑を見に行くことに。
この碑については、相馬市の歴史を調べていたら、たまたま見つけた。

 ※ 話はそれるが、私の母方の苗字は相馬。 
   先祖はこの町かなと思って、母に聞いてみたら違った。
   母の母方の先祖は、盛岡市。 母の父方の先祖は、栃木県だった。

その碑は、新沼観音堂の入り口にあった。


説明の下にある、小さな石碑が、天明餓死供養碑。

11年4月30日 (5)

これが、供養碑。 なんて書いてあるか、全部読めない。 ※ ネットにもない。
餓死と、男女が読める。 右に、寛永二とあるのかな。

11年4月30日 (7)

説明は、こう。  200年とちょっと前の話し。

11年4月30日 (6)

天明の大飢饉が、一番大変だったが、江戸時代どんな飢饉があったのか。

① 寛永の大飢饉 寛永19年(1642年)~寛永20年(1643年)
② 享保の大飢饉 享保17年(1732年)
③ 天明の大飢饉 天明2年 (1782年)~天明7年(1787年)
④ 天保の大飢饉 天保4年 (1833年)~天保10年(1839年)   

※ ここまでの4つが、4大飢饉。 他に、

⑤ 元禄の飢饉(元禄年間 1691年~1695年)
⑥ 延宝の飢饉(延宝年間 1674年~1675年)
⑦ 天和の飢饉(天和年間 1682年~1683年)
⑧ 宝暦の飢饉(宝暦年間 1753年~1757年)

上の中で、半分の、③④⑤⑧は、東北地方が特にひどかった。 
  ※ 他は、東北だけでなく、全国的に。 東北は、いつも大変。

死者については、下のように。  ※ 数字は、Wikipedia と 相馬の歴史講座と相馬郷土史研究のHP より。
                ※ 相馬市は、昔は相馬中村藩。
○ 元禄の大飢饉   東北全体で、50000人。
○ 宝暦の大飢饉   東北全体で、60000人。
○ 天明の大飢饉  相馬中村藩で、16000人。  ※ 弘前藩だけで、10万人、
           東北全体で、80万人とも。 松平定信の記録は、全国で140万人。
○ 天保の大飢饉     全国で、20~30万人。

下の絵は、江戸期の出版物「卯辰飢饉物語」にあるもの。   詳しくは、ここのHPに
人が馬の肉を食べている。 犬が人の肉も。
       ※ 人が人を食べてる文や絵もある。

tennmeinodaikikinnkkouo.jpg

東北は、今の時期も、海からの風は冷たい。
夏になっても吹く、その風は「やませ」と呼ばれる。 冷害が飢饉を引き起こす。
天明の飢饉の時は、岩木山が噴火している。 火山灰を降らせ、空を曇らせた。 これも、冷害の要因の一つ。

東北では、醤油の原料の大豆を作らされた所もある。 大豆は冷害に弱かった。 あわやひえは、強い。

新沼観音堂は、少し行って、左に登った所にあった。

11年4月30日 (10)

新沼観音堂。

11年4月30日 (8)

石塔が、雑多にならんでいた。 ・・三夜と読めるのがあった。 二十三夜塔かな。
庚申塔もあった。    庚申塔(Wikipedia)

11年4月30日 (9)

東北の人々は、今回の津波や放射能で、辛い思いをした。 また、今もしている。
天明餓死供養碑を知った時、もしかしたら、他と比較して、昔から大変な思いをして来たのでは、と思ったので、調べてみた。
東北の人達の厳しい生活は、少なくとも、江戸時代から続いていた。

復興を果たした時の東北の姿は、
「もう津波の心配はなく、涼しさが米作りに有利で、豊かな漁場を抱え、そして、誰もが幸せに生きられる所」
そんなイメージでしょうか。 そうなったらいい。

※ なお、松尾芭蕉の「奥の細道」の旅は、「寛永の大飢饉」と「元禄の飢饉」の間に行っている。
  1689年のこと。
  飢饉の時には行かないから、きっと、落ち着いてる時に行った。

※ キム・ヨナは負けました。
  昨日、不安を1つだけ書いた。
  コーチと並んだ時、二人の間に一体感が感じられなかった。
  コーチが、ヨナの心のコントロールを助けることは出来なかった。
  オーサーコーチとの違いだ。

  負けたけど、キム・ヨナの魅力が少しも減ったわけではない。
  オリンピックで勝つことは、歴史に歴然と残る。
  それほど大きなことで、それによって、心も何もかも、すり減らした。  
  だから、次の1年くらいダメだって、どうってことない。

  フィギュアスケートの女子は、キム・ヨナを中心にまわっていることには変わりない。
  次のシーズンを気分よく勝ってやめるか、次のオリンピックを勝ってやめるか、どちらでもいいと思う。
  勝負の世界は、誰かが泣く。 きびしい。

 ※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。   
                                                    (2008年4月~2010年9月までの記事)

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  • 家の周りの瓦礫の撤去。  東北は、今も昔も、大変な苦労をしている。  それでも、キム・ヨナを中心に動く。  他  (2011/4/30)
  • 2011年04月30日 (土)
  • 22時25分22秒
by AlphaWolfy

akkamui212

Author:akkamui212
2009年4月に放浪の旅をスタートし、十数回目の日本1周に入っています。
「キャンピングカーで放浪の旅」に続き、パートⅡです。
明日は、どこの空の下にいるのかな。


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