福山市は、岡山と広島の中間にある大きな都市。
鞆の浦があることで、知られるでしょうか。
文化遺産、自然遺産がたくさん。
見どころいっぱい。
今日は、福山市の見学の最後。
福山城を見ることに。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
瀬戸内の気候は、住みやすそう。 ここ10日ほど、右地図の中にいる。

駅の隣に。 いや、城の隣に駅が出来た。

※ 文学館の駐車場を利用しようとしたら、車が大きいので入らない。
事務所の方に便宜を図っていただき、別の場所に置くことが出来た。
このことがなかったら、今回はあきらめたでしょうね。
感謝です。
文学館からは、天守は丘の上にこの様に見える。
※ 鉄筋コンクリートで。 中は博物館。

地図を持っていない。 適当な道を歩いてたら、ここに着いた。
裏からの入り口かな。

菊が見られる。 特別展も。
初代藩主は、水野勝成(かつなり)。
広島藩主の福島正則が改易になった後、ここに来る。
空襲で天守は焼けた。 大きな天守だった。 残っていれば大変な価値。
写真の奥に、焼けなかった建物が2つ。 後で紹介。

五層の天守。 白い五重塔の屋根のよう。 石垣は昔のままか。

城は、福山城博物館。
水野勝成展。 彼について、自分は知らない。

特別展ということで、全国からの物が展示。
別の所で、本物を見たことあるのが、何点かあった。
撮影は出来ない。 ネットの写真検索のページ。
圧倒されるものだらけ。 秀吉の肖像画も。
※ この建物で学芸員の方が中心になって、借りた文化財を管理する。
信頼があるから、こういうことが出来るんですね。
※ 下の写真の大きいのは、ここで見られます。(博物館のHP)

水野勝成についてネットで読んでみた。 面白いことがいくつかあった。 少しずつ紹介。
福山藩には、その時代時代いろんな藩主がいたけど、水野家の時代は、領民の生活は悪くなかった。
今の時代も親しまれている。
それで、今回の企画か。
最上階。 名城の案内。 最後にいくつか紹介。

左は、南方向。 箕島は、今は干拓で島でない。 右は、北方向。

南方向。 〇の所は、海かな。 目の前に駅。

南側。 城の前。 菊の展覧会。
中央右奥の門と櫓が重要文化財。 ここにとっては、貴重なもの。

西方向から西日。 おしゃれなとんがり屋根は、結婚式場。 広い市街地。

西から北にかけて。 中国山地の低い山なみ。

北から、東にかけて。

津山城の藩主は森忠政でしたね。 先日行った。
蘭丸・坊丸たち6人兄弟の末っ子。
彼らの父は、森可成(よしなり)。
可成は、水野勝成の家臣にある戦いで討ち取られている。
正面から。 この建物がダメになったら、次は木造ですね。本物の復元。 価値ある。
※ この大きさは、木造での復元は可能なのだろうか。
※ 補強のために、見えない所に鉄を使わないと、建築の安全基準は通らないでしょうね。
※ 熊本城、大阪城、名古屋城、どこが最初に木造に変えるでしょう。

福島正則のことが。 彼は信州に行く。
福島正則の重臣、長尾隼人の供養塔。 広島藩五品嶽城の城主。 長男は津山藩に。~庄原市東城町~ 他 (2016/10/28)
伏見城の建物が来ている。

菊は草だと思っていたら、盆栽に。 木に花が咲いている。
木に菊の花を咲かせる技術があるよう。 木に、菊を挿し木のようにする。

キクは日照時間が短い方が好き。 どうしてそうなのかは分からない。
寒冷地の花でもないよう。 他の花との競合を避けたのか。
下は普通。

伏見城の遺構ですね。 伏見城は江戸時代の初めに廃城になって、その時、あっちこっちに。
二条城に天守があったけど、それも伏見城から。
※ 二条城の天守は落雷で焼けた。
今は石垣だけ。 上からの風景。(以前撮影) こんな天守だった。
(Wikipedia)
伏見城は、関ヶ原の時、鳥居元忠が守った。 石田三成に攻め落とされる。 床は血の海。
その床は、京都の養源院の天井に使われた。
(ファインドトラベルさんから)
江が再建した養源院 ~京都市~ 他 (2011/11/28)
ここに来たのは、水野氏が外様でなく、幕府に近い譜代大名だからですね。

筋鉄御門(重要文化財)。 これも伏見からという話があるが、はっきりしない。

外に出た。

右は、出口(入口)。

縦の鉄の板が、筋鉄。 石垣の石に、切り出すときに穴が見える。 この穴は使わなかった。

広く広島藩だった。 その中のこの一帯に、福山藩を作って城を。
幕府は、外様が多い西への見張りの役割を与えたよう。
重要文化財の、伏見櫓。 伏見城から来ている。 門は、左に。

石垣は正確に元に戻されたかは、はっきりしない部分が。
福山城は、壊されて埋められて、今は一部しか残っていない。
元々は、壮大な城。 誰かがまず動かないと、どうしょうもない。

城に鐘楼。 珍しい。 昔の建物ではないけど、美しい。 木造での復元なら価値ありますね。

水野勝成は、若いころから、最前線で戦うのが好き。 よく死ななかったと思う。
島原の乱でも、同じように。(下には出て来ないけど)
島原の乱、最後の激戦地、原城。 ホネカミ地蔵。~南島原市~ エアコン、他が・・。 他 (2013/2/10)
※ ミュージカルを紹介。 ミュージカル天草四郎PV(ショートバージョン)
主演は碓井涼子。 鶴姫を演じたことが。 坊ちゃん劇場で見た。
紅葉の季節が近づいている。

いい風景です。

今大河でやってるけど、大坂夏の陣で信繁は家康目指して攻めかかる。 家康の首は、あと少しだった。
その時、信繁軍の退路を断ったのが、ここの藩主水野勝成率いる軍だった。
信繁軍は孤立。 壊滅する。
※真田丸と呼ばれる出城は、冬の陣で活躍。
大阪城、見事な石垣にかつての栄華が。 大阪城の出丸 真田丸は、どこにあったのか。~大阪市~ 他 (2016/10/6)

この老松は、ずっとここにあったのか。 そうなら、福山城の歴史をずっと見つめてきた。 何度涙を流したか。

裏への出口。

裏門の正面に、備後護国神社。
Wikipediaでは、面白い説明が2つ。 まず、
明治元年、福山藩主・阿部正桓が、石見益田の役と箱館戦争での戦死者の霊を祀るために、
旧深津郡吉津村に招魂社を創立したのに始まる。
藩兵500名が新政府軍に。 死者25名。
五稜郭 ~蝦夷地に共和国を夢見た、土方歳三。 函館市~ 写真の比較 函館に1週間 (2011/7/28)

もう1つは、この神社に武蔵の腰掛石があるという。 別の所から移して。
武蔵は、大阪冬の陣・夏の陣では、水野勝成の元で戦っていた。
※ 関が原では、黒田如水。 巌流島を紹介。
武蔵と小次郎の巌流島へ 金子みすゞが生きた下関 風頭山 不動坂 ~下関市・北九州市門司区~ 他 (2011/12/29)
上の神社の西門。 こっちは正門か。

ふくやま文学館。 駐車は、ここでお世話になった。 (下の写真は、Wikipediaから)
福山市は、井伏鱒二の出身地と、初めて知った。
林芙美子の資料もあるよう。 下のようなことがあった。(毎日新聞から)
※ 林扶美子が敗戦直後に書いた詩が、「林芙美子の会」事務局長で日本近代文学研究者の
野田敦子さん=広島県福山市=によって確認された。
林芙美子は、どこで生まれたのか。 門司説が有力。 国際友好記念図書館は、大連のと同じ。~北九州市門司区~ 他 (2015/3/12)
林芙美子、「天草灘」全文。 天草四郎、乗船の地。 富岡切支丹供養碑。~苓北町~ 他 (2013/2/2)
再度福山市に来た時、ここと神社に寄りますね。

福山城は、もし天守が残っていたら、城の周り広く大事にされたかも知れない。
天守がなくても、城跡の価値を市民に熱心に伝える人がいたら、今とは違った。
城跡は、観光資源と云うより、まず文化財として貴重ですね。
今後、どのように整備されていくでしょう。
【今日の一句】 「 福山城跡は 狭まって狭まって それでも天守は凛と立つ 」 狭まって~せばまって。
【ブログ紹介】 天守が残っていたら、現存天守。 詳しい資料が残っていたら、国宝の可能性。
国宝の天守は、5つ。 犬山城と新しく国宝になった松江城を紹介。
国宝の城は4つだけ。 そのうちの1つ、犬山城。~犬山市~ ブルーライト・ヨコハマ(上原多香子) 他 (2012/6/29)
山陰で唯一残った、松江城 小泉八雲旧居 ~松江市~ 明日、大山へ 他 (2011/6/2)
【道の駅】 アリストぬまくま
【明日の予定】 尾道市の浄土寺に。 追記 行けなかった。 神勝寺温泉 昭和の湯を紹介。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)
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今までの記事には、この2枚だけ。
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鞆の浦があることで、知られるでしょうか。
文化遺産、自然遺産がたくさん。
見どころいっぱい。
今日は、福山市の見学の最後。
福山城を見ることに。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。

( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
瀬戸内の気候は、住みやすそう。 ここ10日ほど、右地図の中にいる。


駅の隣に。 いや、城の隣に駅が出来た。

※ 文学館の駐車場を利用しようとしたら、車が大きいので入らない。
事務所の方に便宜を図っていただき、別の場所に置くことが出来た。
このことがなかったら、今回はあきらめたでしょうね。
感謝です。
文学館からは、天守は丘の上にこの様に見える。
※ 鉄筋コンクリートで。 中は博物館。

地図を持っていない。 適当な道を歩いてたら、ここに着いた。
裏からの入り口かな。

菊が見られる。 特別展も。
初代藩主は、水野勝成(かつなり)。
広島藩主の福島正則が改易になった後、ここに来る。


空襲で天守は焼けた。 大きな天守だった。 残っていれば大変な価値。
写真の奥に、焼けなかった建物が2つ。 後で紹介。

五層の天守。 白い五重塔の屋根のよう。 石垣は昔のままか。


城は、福山城博物館。
水野勝成展。 彼について、自分は知らない。


特別展ということで、全国からの物が展示。
別の所で、本物を見たことあるのが、何点かあった。
撮影は出来ない。 ネットの写真検索のページ。
圧倒されるものだらけ。 秀吉の肖像画も。
※ この建物で学芸員の方が中心になって、借りた文化財を管理する。
信頼があるから、こういうことが出来るんですね。
※ 下の写真の大きいのは、ここで見られます。(博物館のHP)

水野勝成についてネットで読んでみた。 面白いことがいくつかあった。 少しずつ紹介。
福山藩には、その時代時代いろんな藩主がいたけど、水野家の時代は、領民の生活は悪くなかった。
今の時代も親しまれている。
それで、今回の企画か。
最上階。 名城の案内。 最後にいくつか紹介。


左は、南方向。 箕島は、今は干拓で島でない。 右は、北方向。


南方向。 〇の所は、海かな。 目の前に駅。

南側。 城の前。 菊の展覧会。
中央右奥の門と櫓が重要文化財。 ここにとっては、貴重なもの。

西方向から西日。 おしゃれなとんがり屋根は、結婚式場。 広い市街地。

西から北にかけて。 中国山地の低い山なみ。

北から、東にかけて。


津山城の藩主は森忠政でしたね。 先日行った。
蘭丸・坊丸たち6人兄弟の末っ子。
彼らの父は、森可成(よしなり)。
可成は、水野勝成の家臣にある戦いで討ち取られている。
正面から。 この建物がダメになったら、次は木造ですね。本物の復元。 価値ある。
※ この大きさは、木造での復元は可能なのだろうか。
※ 補強のために、見えない所に鉄を使わないと、建築の安全基準は通らないでしょうね。
※ 熊本城、大阪城、名古屋城、どこが最初に木造に変えるでしょう。

福島正則のことが。 彼は信州に行く。
福島正則の重臣、長尾隼人の供養塔。 広島藩五品嶽城の城主。 長男は津山藩に。~庄原市東城町~ 他 (2016/10/28)
伏見城の建物が来ている。


菊は草だと思っていたら、盆栽に。 木に花が咲いている。
木に菊の花を咲かせる技術があるよう。 木に、菊を挿し木のようにする。


キクは日照時間が短い方が好き。 どうしてそうなのかは分からない。
寒冷地の花でもないよう。 他の花との競合を避けたのか。
下は普通。


伏見城の遺構ですね。 伏見城は江戸時代の初めに廃城になって、その時、あっちこっちに。
二条城に天守があったけど、それも伏見城から。
※ 二条城の天守は落雷で焼けた。
今は石垣だけ。 上からの風景。(以前撮影) こんな天守だった。

伏見城は、関ヶ原の時、鳥居元忠が守った。 石田三成に攻め落とされる。 床は血の海。
その床は、京都の養源院の天井に使われた。

江が再建した養源院 ~京都市~ 他 (2011/11/28)
ここに来たのは、水野氏が外様でなく、幕府に近い譜代大名だからですね。

筋鉄御門(重要文化財)。 これも伏見からという話があるが、はっきりしない。

外に出た。

右は、出口(入口)。


縦の鉄の板が、筋鉄。 石垣の石に、切り出すときに穴が見える。 この穴は使わなかった。


広く広島藩だった。 その中のこの一帯に、福山藩を作って城を。
幕府は、外様が多い西への見張りの役割を与えたよう。
重要文化財の、伏見櫓。 伏見城から来ている。 門は、左に。

石垣は正確に元に戻されたかは、はっきりしない部分が。
福山城は、壊されて埋められて、今は一部しか残っていない。
元々は、壮大な城。 誰かがまず動かないと、どうしょうもない。

城に鐘楼。 珍しい。 昔の建物ではないけど、美しい。 木造での復元なら価値ありますね。



水野勝成は、若いころから、最前線で戦うのが好き。 よく死ななかったと思う。
島原の乱でも、同じように。(下には出て来ないけど)
島原の乱、最後の激戦地、原城。 ホネカミ地蔵。~南島原市~ エアコン、他が・・。 他 (2013/2/10)
※ ミュージカルを紹介。 ミュージカル天草四郎PV(ショートバージョン)
主演は碓井涼子。 鶴姫を演じたことが。 坊ちゃん劇場で見た。
紅葉の季節が近づいている。

いい風景です。

今大河でやってるけど、大坂夏の陣で信繁は家康目指して攻めかかる。 家康の首は、あと少しだった。
その時、信繁軍の退路を断ったのが、ここの藩主水野勝成率いる軍だった。
信繁軍は孤立。 壊滅する。
※真田丸と呼ばれる出城は、冬の陣で活躍。
大阪城、見事な石垣にかつての栄華が。 大阪城の出丸 真田丸は、どこにあったのか。~大阪市~ 他 (2016/10/6)

この老松は、ずっとここにあったのか。 そうなら、福山城の歴史をずっと見つめてきた。 何度涙を流したか。

裏への出口。

裏門の正面に、備後護国神社。
Wikipediaでは、面白い説明が2つ。 まず、
明治元年、福山藩主・阿部正桓が、石見益田の役と箱館戦争での戦死者の霊を祀るために、
旧深津郡吉津村に招魂社を創立したのに始まる。
藩兵500名が新政府軍に。 死者25名。
五稜郭 ~蝦夷地に共和国を夢見た、土方歳三。 函館市~ 写真の比較 函館に1週間 (2011/7/28)


もう1つは、この神社に武蔵の腰掛石があるという。 別の所から移して。
武蔵は、大阪冬の陣・夏の陣では、水野勝成の元で戦っていた。
※ 関が原では、黒田如水。 巌流島を紹介。
武蔵と小次郎の巌流島へ 金子みすゞが生きた下関 風頭山 不動坂 ~下関市・北九州市門司区~ 他 (2011/12/29)
上の神社の西門。 こっちは正門か。

ふくやま文学館。 駐車は、ここでお世話になった。 (下の写真は、Wikipediaから)
福山市は、井伏鱒二の出身地と、初めて知った。
林芙美子の資料もあるよう。 下のようなことがあった。(毎日新聞から)
※ 林扶美子が敗戦直後に書いた詩が、「林芙美子の会」事務局長で日本近代文学研究者の
野田敦子さん=広島県福山市=によって確認された。
林芙美子は、どこで生まれたのか。 門司説が有力。 国際友好記念図書館は、大連のと同じ。~北九州市門司区~ 他 (2015/3/12)
林芙美子、「天草灘」全文。 天草四郎、乗船の地。 富岡切支丹供養碑。~苓北町~ 他 (2013/2/2)
再度福山市に来た時、ここと神社に寄りますね。

福山城は、もし天守が残っていたら、城の周り広く大事にされたかも知れない。
天守がなくても、城跡の価値を市民に熱心に伝える人がいたら、今とは違った。
城跡は、観光資源と云うより、まず文化財として貴重ですね。
今後、どのように整備されていくでしょう。
【今日の一句】 「 福山城跡は 狭まって狭まって それでも天守は凛と立つ 」 狭まって~せばまって。
【ブログ紹介】 天守が残っていたら、現存天守。 詳しい資料が残っていたら、国宝の可能性。
国宝の天守は、5つ。 犬山城と新しく国宝になった松江城を紹介。
国宝の城は4つだけ。 そのうちの1つ、犬山城。~犬山市~ ブルーライト・ヨコハマ(上原多香子) 他 (2012/6/29)
山陰で唯一残った、松江城 小泉八雲旧居 ~松江市~ 明日、大山へ 他 (2011/6/2)
【道の駅】 アリストぬまくま
【明日の予定】 尾道市の浄土寺に。 追記 行けなかった。 神勝寺温泉 昭和の湯を紹介。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)

※ プロフィール・・・。 ⇒


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