せっかく通るから、北広島町を紹介することに。
大きな観光地は無いので、いくつかを。
タタラ製鉄の跡をを見た。
今回は、どうして砂鉄から鉄が取り出せるのかをはっきりさせたい。
吉川元春は、昨日紹介した毛利元就(もとなり)の次男。
吉川家の養子になって、後を継ぐ。
その館跡があった。 ※ 吉川氏は岩国の領主に。 長州藩。
安芸太田町に行くとき、国道を通った。
ところが大変、細い細い山道。
写真や動画を考える余裕はなかった。
YouTubeに車載動画があるので紹介。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
印は吉川元春館跡。 右の赤〇は細い国道433。

緑〇は大杉。 青〇は分水嶺。 オレンジ〇は鉄のふるさと公園。

道の駅に近い鉄のふるさと公園。 坤束(こんぞく)製鉄遺跡。 坤束は地名。

タタラ製鉄と云うのがあるけど、それ以前の時代の製鉄。
※ 説明は遺跡のこと。 どうして鉄が出来るかは書いてない。

左に砂鉄。

砂鉄から鉄は、ここで。 炭と砂鉄が混ざっている。
右は鞴(ふいご)。風を送る。

黒いのは炭。 褐色のは炉が壊れたもの。 基本的に、たたら製鉄と同じ。
右は、以前の記事に載せたもの。 砂鉄は還元されて鉄になる、とある。

※ 砂鉄からどうして鉄が生まれるか、分かったつもりでいたけど、自分は分かっていなかった。
調べ直してみた。
分かりやすく表現できるか自信は無いけど、できるだけ簡単に書いてみます。
① まず、マグマから生まれた火成岩には、1~2パーセントの砂鉄が含まれている。
石英などが、火成岩。
火成岩が砕けて、砂鉄が出てくる。 砂鉄は重いから集まったりする。
② 砂鉄を還元(かんげん)したら鉄になるという。
還元は、酸素を取ること。
砂鉄は磁鉄鉱のことで、化学組成はFeFe3+2O4(四酸化三鉄)。
化学組成は、鉄と酸素。
酸素を取れば、鉄になると分かる。
③ 炉の中に、炭、砂鉄、炭、砂鉄・・・・と、重ねて入れる。
炭を燃やす。
砂鉄は1400度ほどになると、赤くなって融ける状態に。
炭を燃やしたときに生まれる一酸化炭素は、酸素と結びついて、二酸化炭素になりたがる。
一酸化炭素は、溶けた砂鉄から酸素を奪う。
砂鉄は、鉄になる。
④ 鞴(ふいご)でどうして風を送るのか。
炭は普通に燃やしたら、800度前後。
風を送れば、上に書いた1400度ほどになる。
基本はここまでで、この後の作業もあるけど、省略。
自分も今回やっと、基本が分かったかなって感じ。
戻って来た。 正面に、道の駅豊平どんぐり村。
正面の山は龍頭山。 登山道はあるよう。 登らない。 道とクマの不安。

吉川(きっかわ)元春館跡に向かう。 陰陽分水嶺。
なだらかな丘の峠。 向こうの水は日本海に。 こっちは太平洋。

吉川元春館跡にきた。
後に資料館があるけど、月曜日だからかやってない。 見えるお店も。 館跡は、右上に。

小さな石切り場。
正面から。 変わった石垣。 大きな石が混ざって。

こんな積み方。 石垣の塀のよう。

吉川氏の名前は、岩国市で錦帯橋を見たとき、初めて知った。
ここの吉川は、その吉川。
美しい木造の五連アーチ橋、錦帯橋。 吉川(きっかわ)氏の城下町、岩国。~岩国市~ 他 (2013/1/6)
毛利氏が元春を、婿養子として吉川家に送り込んだ。
本心は、乗っ取ることのよう。
隠居してここに住んだ。 全てが完成する前に死んだ。
隠居なのに秀吉の九州平定に参加して。 小倉城で病死。

隣には集落。

館の礎石が残っている。 小鳥が食べた柿か。

下に、資料館。 やってない。

柿の実がたわわに。 大雑把に、1000個はありそう。

反対側から。

戻る途中、大杉を見る。 車を停めて向かっていたら、こう。

里山の風景。 中国山地の山は低いから、こんな風景が多い。

熊野神宮神社。 神宮で終わらないで、神社も付いてる。

手前の杉が大きい。

全国レベルではないけど、立派な大きさ。
植えた杉なので、神社も900年前にはあったんですね。
平安時代。 気の遠くなる昔。
※ 大杉と云えば、下でしょうか。
日本一の大杉と、美空ひばりのバス事故 ~大豊町~ 他 (2011/5/27)

国道433で安芸太田町に向かった。 下の画像は、YouTubeから。
この案内を見たとき、少し不安。 でも行ってしまった。

落ち葉が下よりびっしりで、舗装がどこまでか分かりにくい。
ゆっくり走る。 戻るに戻れない。 脱輪しないように、細心の注意。

集落が見えて一安心。

こんな道でした。 遠回りしてもいい道を走ることに。 今後は。
[車載動画] 国道433号 北広島町戸谷狭隘(きょうあい)区間
道が良くなって、一休み。

安芸太田町加計(かけ)。 この後、少し走って、道の駅 来夢とごうちに。 無事で何より。

何が面白いってところは無かったけど、北広島町の一部の紹介でした。
今回、たたら製鉄を調べてみて、その基本をやっと理解することが出来ました。
毛利氏と吉川氏との関係も、少しだけ。
長くいた広島県を、間もなく脱出です。
【今日の一句】 「 国道は通っても もう 酷道はけっして 」
【今日の歌】 さとうささら Коробейники コロブチカ - TETRIS 30th 彼女たちのをあと1曲。
※ 坂道で止まらなくなったら、〇〇〇〇〇ない。
【道の駅】 来夢とごうち
【明日の予定】 棚田を見に行く。 道が不安なら、数㌔歩く。
道の駅で確認して。 歩いてもいいと思ってる。
三段峡があるけど、紅葉は終わったようなので、今回はパス。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)
※ プロフィール・・・。 ⇒
今までの記事には、この2枚だけ。
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大きな観光地は無いので、いくつかを。
タタラ製鉄の跡をを見た。
今回は、どうして砂鉄から鉄が取り出せるのかをはっきりさせたい。
吉川元春は、昨日紹介した毛利元就(もとなり)の次男。
吉川家の養子になって、後を継ぐ。
その館跡があった。 ※ 吉川氏は岩国の領主に。 長州藩。
安芸太田町に行くとき、国道を通った。
ところが大変、細い細い山道。
写真や動画を考える余裕はなかった。
YouTubeに車載動画があるので紹介。
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印は吉川元春館跡。 右の赤〇は細い国道433。


緑〇は大杉。 青〇は分水嶺。 オレンジ〇は鉄のふるさと公園。

道の駅に近い鉄のふるさと公園。 坤束(こんぞく)製鉄遺跡。 坤束は地名。

タタラ製鉄と云うのがあるけど、それ以前の時代の製鉄。
※ 説明は遺跡のこと。 どうして鉄が出来るかは書いてない。


左に砂鉄。

砂鉄から鉄は、ここで。 炭と砂鉄が混ざっている。
右は鞴(ふいご)。風を送る。


黒いのは炭。 褐色のは炉が壊れたもの。 基本的に、たたら製鉄と同じ。
右は、以前の記事に載せたもの。 砂鉄は還元されて鉄になる、とある。


※ 砂鉄からどうして鉄が生まれるか、分かったつもりでいたけど、自分は分かっていなかった。
調べ直してみた。
分かりやすく表現できるか自信は無いけど、できるだけ簡単に書いてみます。
① まず、マグマから生まれた火成岩には、1~2パーセントの砂鉄が含まれている。
石英などが、火成岩。
火成岩が砕けて、砂鉄が出てくる。 砂鉄は重いから集まったりする。
② 砂鉄を還元(かんげん)したら鉄になるという。
還元は、酸素を取ること。
砂鉄は磁鉄鉱のことで、化学組成はFeFe3+2O4(四酸化三鉄)。
化学組成は、鉄と酸素。
酸素を取れば、鉄になると分かる。
③ 炉の中に、炭、砂鉄、炭、砂鉄・・・・と、重ねて入れる。
炭を燃やす。
砂鉄は1400度ほどになると、赤くなって融ける状態に。
炭を燃やしたときに生まれる一酸化炭素は、酸素と結びついて、二酸化炭素になりたがる。
一酸化炭素は、溶けた砂鉄から酸素を奪う。
砂鉄は、鉄になる。
④ 鞴(ふいご)でどうして風を送るのか。
炭は普通に燃やしたら、800度前後。
風を送れば、上に書いた1400度ほどになる。
基本はここまでで、この後の作業もあるけど、省略。
自分も今回やっと、基本が分かったかなって感じ。
戻って来た。 正面に、道の駅豊平どんぐり村。
正面の山は龍頭山。 登山道はあるよう。 登らない。 道とクマの不安。

吉川(きっかわ)元春館跡に向かう。 陰陽分水嶺。
なだらかな丘の峠。 向こうの水は日本海に。 こっちは太平洋。

吉川元春館跡にきた。
後に資料館があるけど、月曜日だからかやってない。 見えるお店も。 館跡は、右上に。

小さな石切り場。


正面から。 変わった石垣。 大きな石が混ざって。


こんな積み方。 石垣の塀のよう。

吉川氏の名前は、岩国市で錦帯橋を見たとき、初めて知った。
ここの吉川は、その吉川。
美しい木造の五連アーチ橋、錦帯橋。 吉川(きっかわ)氏の城下町、岩国。~岩国市~ 他 (2013/1/6)
毛利氏が元春を、婿養子として吉川家に送り込んだ。
本心は、乗っ取ることのよう。
隠居してここに住んだ。 全てが完成する前に死んだ。
隠居なのに秀吉の九州平定に参加して。 小倉城で病死。


隣には集落。

館の礎石が残っている。 小鳥が食べた柿か。


下に、資料館。 やってない。

柿の実がたわわに。 大雑把に、1000個はありそう。

反対側から。

戻る途中、大杉を見る。 車を停めて向かっていたら、こう。

里山の風景。 中国山地の山は低いから、こんな風景が多い。

熊野神宮神社。 神宮で終わらないで、神社も付いてる。

手前の杉が大きい。


全国レベルではないけど、立派な大きさ。
植えた杉なので、神社も900年前にはあったんですね。
平安時代。 気の遠くなる昔。
※ 大杉と云えば、下でしょうか。
日本一の大杉と、美空ひばりのバス事故 ~大豊町~ 他 (2011/5/27)

国道433で安芸太田町に向かった。 下の画像は、YouTubeから。
この案内を見たとき、少し不安。 でも行ってしまった。

落ち葉が下よりびっしりで、舗装がどこまでか分かりにくい。
ゆっくり走る。 戻るに戻れない。 脱輪しないように、細心の注意。


集落が見えて一安心。

こんな道でした。 遠回りしてもいい道を走ることに。 今後は。
[車載動画] 国道433号 北広島町戸谷狭隘(きょうあい)区間
道が良くなって、一休み。

安芸太田町加計(かけ)。 この後、少し走って、道の駅 来夢とごうちに。 無事で何より。

何が面白いってところは無かったけど、北広島町の一部の紹介でした。
今回、たたら製鉄を調べてみて、その基本をやっと理解することが出来ました。
毛利氏と吉川氏との関係も、少しだけ。
長くいた広島県を、間もなく脱出です。
【今日の一句】 「 国道は通っても もう 酷道はけっして 」
【今日の歌】 さとうささら Коробейники コロブチカ - TETRIS 30th 彼女たちのをあと1曲。
※ 坂道で止まらなくなったら、〇〇〇〇〇ない。
【道の駅】 来夢とごうち
【明日の予定】 棚田を見に行く。 道が不安なら、数㌔歩く。
道の駅で確認して。 歩いてもいいと思ってる。
三段峡があるけど、紅葉は終わったようなので、今回はパス。
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(2008年4月~2010年9月までの.記事)

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