今日の作業は、20㎞の境界線まで、600㍍の地点だった。
朝起きたら、周りは騒然。
ある団体が、被災者に物資のプレゼントをしていた。
この町には、東京タワーが出来るまで、日本一高い無線塔があった。
今日作業したお家は、写真の左に。
20㌔のラインは正面の低い山の手前にある川。 そこまで約600㍍。
大谷(おおや)石で出来た蔵が崩壊した。 それを片づける作業。
重機も動いており、仕事は一緒に進めた。
大谷石は、火山灰や砂の固まりだそうで、軽くて柔い。
大きなハンマーで割ることが出来る。
2台の軽トラに積んで、運んだ。 ボランティアは、5人。 みんな県外。
木材も運べる大きさにして、軽トラで運んだ。
重機は、石をダンプに積んだ。
下の地図の、赤の点が、今日の場所。
この地域には、子供はほとんどいない。
いてもかまわないが、避難しているそう。
お昼に、味噌汁を御馳走になった。 他に、お菓子なども。
東京から来たと言う、若者3人組は、会話が楽しかった。 半分ふざけて。
たとえばこんなの。
「何飲んでるのよ」
「『お~い』だ」
「それって、何」
「お茶に決まってるべや」
お家の人や、近所の人も来て、10人程での作業になった。
全部は終わらなかった。 続きは明日も。
今年は稲の作付は出来ない。
例年なら、今の時期は、田植えが終わっている。
それを知ったら、美しく見える風景も、悲しい風景。
戻る時、相馬野馬追祭場地を通った。 毎年ここで、相馬野馬追は行われる。(先日載せた動画の場所)
道の駅に停泊したんだが、7時頃目が覚めたら、外は騒然。
たくさんの人が並んで、物資をもらっていた。
配ってる場所は、私のずっと右後ろ。
列の100人の長さを調べてみた。 そうしたら、全体の人数は、1000人以上と分かった。
もらえるまでには、1時間以上かかる。
この写真は、7時半撮影。 この人達は、6時頃から並んだ。
地元の人と話した。 こう言った。
この震災で、みんな並ぶのに慣れた、だから平気、って。
配ってる組織は、セカンドハーベスト・ジャパン。
この組織の活動内容は、こうだそう。(Wikipediaより)
食品メーカーや外食産業などでは、品質には問題がないものの、包装不備などで市場での流通が困難になり、商品価値を失った食品が発生する。
従来は廃棄されていたこうした食品の提供を原則として無償で受け、生活困窮者を支援しているNGO・NPO等の市民団体を通じて野外生活者や
児童施設入居者などの生活困窮者に供給する、いわゆるフードバンク活動を中心に行っている。
※ 詳しくは、ここに。(Wikipedia)
平等に配らなければ、不満だけが残ったりする。
道の駅のそばに、こんな公園があった。 左に円いものが。
花時計。
無線塔跡、とある。
昔、こんな塔がここにあった。 高さ、200㍍。
1921年に出来て、1933年まで無線の送信所として使われた。
関東大震災の情報は、ここから全世界に流されたと、説明にあった。
そこにあった説明。
昔は、船の人も、この塔を見て、港に戻った。
長い間この町のシンボルだったけど、1891年に取り壊した。
※ もっと詳しく知りたい方は、ここを。 原町無線塔物語。
※ 下の動画は、先月29日に撮影したもの。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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朝起きたら、周りは騒然。
ある団体が、被災者に物資のプレゼントをしていた。
この町には、東京タワーが出来るまで、日本一高い無線塔があった。
今日作業したお家は、写真の左に。
20㌔のラインは正面の低い山の手前にある川。 そこまで約600㍍。

大谷(おおや)石で出来た蔵が崩壊した。 それを片づける作業。
重機も動いており、仕事は一緒に進めた。
大谷石は、火山灰や砂の固まりだそうで、軽くて柔い。
大きなハンマーで割ることが出来る。
2台の軽トラに積んで、運んだ。 ボランティアは、5人。 みんな県外。
木材も運べる大きさにして、軽トラで運んだ。
重機は、石をダンプに積んだ。
下の地図の、赤の点が、今日の場所。

この地域には、子供はほとんどいない。
いてもかまわないが、避難しているそう。
お昼に、味噌汁を御馳走になった。 他に、お菓子なども。
東京から来たと言う、若者3人組は、会話が楽しかった。 半分ふざけて。
たとえばこんなの。
「何飲んでるのよ」
「『お~い』だ」
「それって、何」
「お茶に決まってるべや」
お家の人や、近所の人も来て、10人程での作業になった。
全部は終わらなかった。 続きは明日も。
今年は稲の作付は出来ない。
例年なら、今の時期は、田植えが終わっている。
それを知ったら、美しく見える風景も、悲しい風景。
戻る時、相馬野馬追祭場地を通った。 毎年ここで、相馬野馬追は行われる。(先日載せた動画の場所)

道の駅に停泊したんだが、7時頃目が覚めたら、外は騒然。
たくさんの人が並んで、物資をもらっていた。

配ってる場所は、私のずっと右後ろ。
列の100人の長さを調べてみた。 そうしたら、全体の人数は、1000人以上と分かった。

もらえるまでには、1時間以上かかる。
この写真は、7時半撮影。 この人達は、6時頃から並んだ。
地元の人と話した。 こう言った。
この震災で、みんな並ぶのに慣れた、だから平気、って。

配ってる組織は、セカンドハーベスト・ジャパン。
この組織の活動内容は、こうだそう。(Wikipediaより)
食品メーカーや外食産業などでは、品質には問題がないものの、包装不備などで市場での流通が困難になり、商品価値を失った食品が発生する。
従来は廃棄されていたこうした食品の提供を原則として無償で受け、生活困窮者を支援しているNGO・NPO等の市民団体を通じて野外生活者や
児童施設入居者などの生活困窮者に供給する、いわゆるフードバンク活動を中心に行っている。
※ 詳しくは、ここに。(Wikipedia)
平等に配らなければ、不満だけが残ったりする。

道の駅のそばに、こんな公園があった。 左に円いものが。

花時計。

無線塔跡、とある。

昔、こんな塔がここにあった。 高さ、200㍍。
1921年に出来て、1933年まで無線の送信所として使われた。
関東大震災の情報は、ここから全世界に流されたと、説明にあった。

そこにあった説明。

昔は、船の人も、この塔を見て、港に戻った。
長い間この町のシンボルだったけど、1891年に取り壊した。
※ もっと詳しく知りたい方は、ここを。 原町無線塔物語。
※ 下の動画は、先月29日に撮影したもの。
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(2008年4月~2010年9月までの記事)

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